イエス様に出会う前の私は、一言で言うと“わがまま”。家族からいつもそう言われて育ちました。大人になってからは、自分は自分だけの力で生きていること、今の自分があるのは自分の努力や能力など、自分の力によるもの、と考え、それをとても誇りに思って生きていました。自分が悪くても人に謝ったことなどただの一度も無く、人を許すとか許されるとかいう概念すら知りませんでした。けれどその一方で私は随分長い間主を求めていました。
周りにはクリスチャンの知り合いも、教会もないところで育ちましたが、神はきっといる、いつもそう思っていました。そして一人で祈っていました。‘どの神’に祈っているかもわからずに。それが、友人の勧めで、三浦綾子先生の‘塩狩峠’を読んで感動し、それがきっかけで先生の世界に完全にはまりました。そこで、自分の求めていた神を見出だしたからです。三浦先生はその著書のなかで、聖書の学び(一人でするのではなく、指導してくれる人のもとで)、と教会へ行くこと、を勧めていました。私は教会へ行って聖書の勉強をしたくなりました。でも一人暮らしをしていた東京でも、結婚して住んだロンドンでも、私にとって教会の敷居は高く、誘ってくれる人もいず、実際に行くことはできませんでした。
それが夫の転勤でしぶしぶ行った香港でその機会は与えられました。香港に移ってすぐに出来た友人が、‘英語のクラスに行ってみない?テキストに聖書を使っているんだけど“と家庭集会に誘ってくれたのです。”聖書”と聞いて私はすぐに参加することにしました。初めて行った家庭集会で、南部バプテスト教会の牧師夫妻に出会い、すぐに長年の友人のように打ち解け、その4日後には共に教会堂に座っていました。そして礼拝前のバイブルスタディーの後で牧師夫人に“神を信じますか?イエスに従いたいですか?“と聞かれ、”はい“と答えました。牧師夫人は涙を流して”あなたはもうクリスチャンです。“と言ってくれました。その1週間の間に私に起こったことは、いつ思い出しても夢のようです。そしてその6か月後、冬の野外プールでバプテスマを受けました。受洗の時、私の心は喜びに溢れていました。それまでの古い私は死に、再び生まれ変わったという喜びです。知り合いと言う知り合いに、受洗したことを伝えました。とにかく嬉しくて仕方がありませんでした。
ただただ喜んで受洗した私でしたが、私の人生はクリスチャンとなってから、いつも喜びに満ちていたかと言うと、そうではありませんでした。それどころか受洗後は特に、クリスチャンとなったことからくる悩みや苦しみを経験しました。今思うと、自分の行いによって、主の愛を得ようとしていたからでした。そんな私も、聖書の学び、祈り、礼拝、クリスチャンの兄弟姉妹との交わり、そして、私のために祈ってくださる方々によって、少しずつ変えられ、信仰が深まっていったように思います。以前は自分の人生は自分のもの、そして一人で生きている、と思って生きていたのが、主が私を生かしてくださる、ということに気づきました。私の人生は私だけのものではありません。人と争った時に素直に謝ること、許し、許されることの喜びもイエス様に出会っていなかったら知らないままだったでしょう。さらに素晴らしいことには、主は私に、試練を恵みに変えてくださることを教えて下さいました。また、その試練の時に、主は私とともに耐えてくださいます。弟が難病にかかり、いのちが危ぶまれた時、主は祈りの大切さを私に教えて下さいました。何度も子をなくし、その度に嘆き、悲しむだけだった私に、聖句、ヘブル人への手紙12章11節「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」を通して、試練の後の大いなる恵み、そして、神様には、私のようなちっぽけなものには計り知れない主のご計画があることに気づかせてくださいました。私は悲しい時、主が泣いている私を背負って、もう止まってしまいたい私の人生という道を私のかわりに歩いて下さっている、と感じることがよくあります。主は厳しく、優しい方です。
ほとんど何もわからずに、ただ主を信じ、喜んでクリスチャンとなった私に、“あなたは何も知らないで、聖書もよく理解もせず洗礼を受けようとしている”、と忠告してくださった方もいました。本当にその通りだったのですが、あの時洗礼を受けたことは少しも後悔していません。私にとって、バプテスマは新しい人生のただのスタート地点に過ぎなかったからです。私のクリスチャンとしての歩みはそこから始まったのです。逆にそれが無かったら、今の私はいませんでした。洗礼を受けようか、もし迷っている方がいらっしゃったら、確信が持ててから、とか、聖書を完全に理解してから、などと言わず、とりあえず、受洗してみたら、後のことは主におまかせしましょう、と言いたい気持ちです。
最後に、昨年夏に、ようやく会員にさせていただきました。過去の日本人教会での経験から、‘日本人教会の会員’になることへの抵抗感があり、なかなか会員になることができませんでした。4年もの間、私のためだけでなく、私の家族の為にもお祈り下さり、色々なところで助けてくださり、待ち続けてくださったJCCNJの兄弟姉妹の皆様に心から感謝いたします。どうぞこれからも家族ともどもよろしくお願い致します。 主に感謝しつつ。
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あかし
アトランタからの夫の転勤により、9月よりNJに引っ越ししてきました。3歳になる長男と、3ヶ月の長女の母です。
信仰を持ったのは小学校6年生の時で、その時すでにクリスチャンであった両親と共に、結婚してアメリカに来るまで埼玉県の坂戸キリスト教会に通っていました。日本では「WINDS」(子供から青年まで30-40人からなる賛美のグループ)での奉仕に励んだ子供時代、青春時代でした。そしてその時の訓練により、「主に栄光を!」と賛美すること、主に仕えることを教えられました。
神様はいろいろな経験を通して様々なことを教えてくれました。
・ 病気のため、6回の入院により「自分の弱さと弱い時にこそ主が働かれること」
・ 失業することにより「主にある平安」を(後に新生宣教団に入社)。
・ 6年間の遠距離恋愛(日本とアメリカ)により、「祈りつつ主の時を待つ」こと。
・ 結婚してからは「夫に仕える」ことを。
・ 今回の妊娠中の転勤により「主にゆだねる」ことを。
・ そして今、子育てを通して「愛すること」を教えられています。
最近の小さな証をひとつ。自分の子供を愛するのは当たり前のことと言われるかも知れませんが、これがなかなかまたノ。第一コリント13章の「愛は寛容でありノ」で始まる箇所は有名ですが、この「寛容であり」のひとつをとってみても「うーん」と首を横にかしげてしまいます。私は子供が与えられるまで自分はかなり優しい性格、「寛容な人」だと思っていました。昔から教会でも子供と接する機会が多かったので、子供への接し方、愛し方をわかっているつもりでした。それがどうでしょう。自分の子供となるとどうにもうまくいきません。優しい母になりたいのに、特に上の子に対しては一日中イライラしている日があります。朝食から始まって、寝かしつけるまで、何かと気にさわるのです。2ファミリーの貸家で上に住む大家さんに気遣いながら、夕方頃には一日のいらいらがたまって、ジュースをこぼしただけでも「なにしてるの!」と大声で起こっていました。寛容とはかけ離れています。
そんな日々の繰り返しの中、ある御言葉が示されました。その日もなかなか夜寝付かずぐずっている長男と泣きやまないBABYにこっちまで泣きたくなり、「もうしらない、一人にして!」とバスルームの戸をバタンと閉めた時、「Be still and know that I am God.」と、閉めたドアにかけてあった御言葉が目にとまりました。「静まって私こそ主であることを知れ」(詩篇46:10)。フーと深呼吸をして心を静め短く祈りました。
「私にはできません。私は愛の足りないものです。どうか主の愛で満たしてください。その愛を持って子供を愛することを教えてください」と。
その後、ドアを開けて泣いている二人の子を抱きしめながら、こんなにも可愛い子供を与えられていることに改めて感謝したのでした。もちろんまったくイライラしなくなったわけではありませんが爆発しそうになったときは「Be still and know that I am God.」
子供たちが大人になるのが先か、私が寛容な母になるのが先か。どちらにしろ成長させてくださる主に感謝です。
月報2007年3月号より