私は、6月に大好きなニュージャージー日本語キリスト教 会に転入会しました。
この度はご挨拶も兼ねて、神様がい かに私の人生に関わって下さっているかをお証をする機会 を頂きました。ニューヨークに来て一年経ったこの生活を振 り返って、お証致します。
私が昨年、ピアノの勉強のためにこの地に来ることができ たのは、神様が与えて下さった奇跡でした。自分の能力や 努力ではどうすることもできなかったところに、主が働いて 下さり、明らかに道を開いて下さいました。「神様はやっぱり 凄いお方だ。この神様に信頼していけば何も怖くない!」と 実感できる奇跡だったのです。それなのに、来てからは試 練の連続で、何度も心に恐れを抱いては「大丈夫」と自分に 言い聞かせる日々でした。特にピアノの練習は不安で、競 争の激しい環境に圧倒され、思うように集中できない自分に イライラし、「本当に神様は私をここに呼んでいたのだろう か」と疑うこともあったのを思い出します。
そんな生活の中、ニュージャージー日本語キリスト教会で の毎週の礼拝は酸素吸入のようでした。賛美とメッセージ、 また皆さまの優しいお心遣いに、いつも励まされました。ど んなに沢山の心配事を抱えていても、礼拝に来ると、いつも 「神様に信頼しよう」と新たに思わされました。今も、よい教 会に導かれて本当に感謝だと痛感しています。
そうして数か月が経ち、2月から3月頭にかけて、博士課 程を受験しました。そもそもこの地で勉強をしていたのも受 験準備のためだったので、大きなプレッシャーを感じていま した。怖気づく中、イザヤ14:1「主はヤコブをあわれみ、イ スラエルを再び選んで、これをおのれの地に置かれる」とい う御言葉に励まされ、挑みました。しかし結果は惨敗で、受 けた三つの学校どれも落ち、賛美の歌詞にもありますが、 目の前が暗くなりました。「神様、あなたが私をここに置きま した。明らかにこの道を示して下さいました。なぜですか。次 はどうしたらいいのですか。」しかし神様は何も答えて下さい ません。
次のステップは、二つの選択肢がありました。帰国する か、OPT(Optional Practical Training と言って、留学生がビ ザを延長して働くことができる制度)で残るか。そしてOPTを するのだったら、どこで働くのか:以前いたイリノイ州に戻る か、この地にとどまるか。私の中では、導かれて来たこの地 に残って、もう一度受験に挑戦したいという思いが強くあり ました。しかし、経済的にも、帰国するかイリノイに戻ったら どうか、と親は言います。どうすることもできない状況だった ので、神様に切に祈り、委ねました。すると、神様はまたも や私を憐れんで下さり、全ての必要を満たして下さいまし た。OPT の申請も全てスムーズに済み、こんな恵みは相応 しくない私に、主はもう一度チャンスを下さったのです。行先 の答えを下さらないと思っていた神様は、一歩一歩、暗闇の 中で私の手を引いて下さっていたのだと今になって気づき ます。
もう一年はここにいられるとわかり、錦織先生に転入会の お話を頂きました。とてもお世話になっているこの教会にも っと関わって何かお返しできたらという思いと、自分の信仰 の成長のためにも奉仕を通して神様の働きを拝見したいと いう思いで、喜んで転入会させて頂きました。BIG(中高生の 集まり)のスタッフ、通訳、奏楽の奉仕の機会を頂けている のは大きな恵みです。 特に BIG での奉仕は、始めることができてよかったです。 最初にこの奉仕をやってみないかと聞かれた時、とても躊 躇いました。日本の教会学校での奉仕は小さい子ども相手 だったので、高校生と接する自信がなかったのです。「この 子たちのこの大事な時期に、躓かせてしまったらどうしよう。 こんな私が高校生にお話なんてできない」と、尻込みしてい ました。でも、やった方がいい、と聖霊様に突かれる気持ち がありましたし、OPT のため時間にも余裕があったので、引 き受けました。当初の恐れも、第1コリント3:6「わたしは植 え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、 神である」という御言葉で和らぎました。大事なのは私が頑 張って何かを語ることではなく、神様がこの子たちの心に働 かれることなのだと気づかせて頂けたのです。
BIG の奉仕を通して、私自身、今のところ二つの面で変化 させられています。一つ目は、祈りです。私は自己中心的な ので、自分のことはよく祈っていました。でも、9月に教師任 命式で前に立たされた時、このままではいけない、毎日彼ら の名を挙げて祈ろうと思い立ちました。これまで、誠実に継 続して誰かの祝福を祈ったことはあまりなかったのですが、 神様がその思いを与えてくださったので、変わることができ ています。すると不思議なことに、今まで名前もあまり知ら なかった高校生達に(勝手に一方的に、ですが……)興味 が湧き、もっと関わりたいという思いが与えられました。ま た、祈りの習慣が変えられたことから、他の様々な悩みの 種も、毎朝神様の前に持っていって、委ねて平安を頂く経験 をさせて頂けています。
二つ目に変えられたのは、神様をもっと知りたいという渇 きです。ある日の BIG でリーダーから「今神様から何を頂き たいか」という質問がされました。勇気や力という答えも挙 がり、信仰と答えた子も何人かいたのを覚えています。「神 様への信仰をもっと強く持ちたい」という言葉を聞いた時、私 は「神様がどんなお方で、どれだけ信頼できる方なのか伝 えたい」という思いを与えられました。すると次に心に浮か んだのは、「私自身はどれだけ神様のことを知っているのだ ろう」という疑問です。ずっと教会に来て、聖書を読んでいた 気になっていましたが、何も知らないのだと気づかされまし た。神の属性に関する本を何冊か読み、祈り求めるうちに、 ますます神様の素晴らしさ、私の理解を超えたその深く大き な愛を思い知らされ、もっとこの方を知りたい、そして私の人 生ももっとお委ねしたいと渇きを頂くことができました。
この二つの変化は、BIG の奉仕を引き受けていなかったら 得られませんでした。そして、受験に失敗し、OPT による時 間の余裕がなかったら奉仕を引き受けることはなかったと 思います。神様は私の失敗を用いて、私の弱さを示して下 いました。さらに、失意のモーセのもとに燃える柴の中で現 れたように、主は奉仕を通してご自身を私に現してくださり、 よりすがる渇きを与えて下さったのです。まだまだ変化の過 程の中にいますが、これから神様がどのように私を導いて 下さるのか、全ての面で主に信頼して、期待しつつ歩んでい きたいです。
「すべてはキリストのためであることを知っているので、そ の『とげ』も、侮辱も、苦しみも、迫害も、困難も、大いに喜ん でいます。なぜなら、弱い時にこそ、私は強いからです。― 無力であればあるほど、それだけキリストによりすがるよう になるからです。」 (第2コリント12:10)
月報2016年11~12月号より