「2013年は洗礼20周年です。…」

2013年は洗礼20周年です。これまでの歩みをすべて支えて下さった神様と、家族、教会の皆さんに心から感謝致します。

私の生まれ故郷の浅草は、寺社を中心に祭事の多い威勢のいい町でした。同級生の家は自営業中心で、商店、水商売、とび職、家内産業等でした。実家は製本業を営み両親は働き者で、子供の教育にも熱心でした。私は子供の頃から外国への憧れが強く、大学時代は海外旅行や短期留学をしました。卒業後は大手旅行社に就職し、中国室に配属となりました。上海へ駐在する話もありましたが、当時若い 女性を中国に送るのは危険との声があり、立ち消えになりました。入社後4年目に父を病いで亡くし、母は49才で未亡人となりました。私は若くして父を亡くしたことがショックで、なかなか立ち直れませんでした。親孝行することもなく、自分勝手に生きて来た事が父を殺したような気がしていました。そして弟が結婚し、家庭環境は激変しました。家業を廃業し、母と二人暮らしになりました。一人になるとわびしい思いが溢れてきました。自分がなぜここに存在しているのか、人はどこから来てどこに行くのか、答えのない問いが心を巡ります。時はバブル全盛期、仕事、夜遊び、習い事でスケジュールを埋め、ヨガ、瞑想、ニューエイジ系の本等、心の隙間を埋めてくれるものを探し求めていました。日本では聖書の話を聞いたこともなく、教会とも接点がありませんでした。

その後、海外研修に行くことになりました。行き先は北京か上海かと思いきや、地球の裏側のニューヨークでした。英語は苦手で、不安と期待が混ざる気持ちでNYにやって来ました。仕事もアフター5も充実して、一年弱の研修期間はすぐに過ぎてしまいました。帰国後すぐNYに戻りたくなり会社に交渉しましたが、聞き入れられず退社、母に2-3年行ってくるからと告げて一人でNYに戻ってきました。90年夏のことでした。

まず学校で英語とPCを習いました。久し振りの学生生活は楽しかったものの、減っていく貯金に心細くなり、働かねばという気持ちになりました。その時ローカル誌を開いてみると、一つの求人広告が飛び出してきたように目に留まりました。小さな旅行社でしたが、面接に行ってみるとその場で採用され、就労ビザもサポートしてもらうことになりました。しかし2週間経った頃、突然移民局の査察官が職場にやって来ました。出口が閉ざされ尋問を受け、移民局への出頭が命じられました。仲良くさせてもらった同僚はビザ切れが発覚し、その一週間後に強制送還となってしまいました。彼女も夢をもってNYにやってきた人でした。同じ状況で働いている人は大勢いるのに、やり切れない不条理を感じました。

一年経つ頃には会社の財政状況が悪くなり、別のオフィスビルへ移転、多くの人が入っては辞めていきました。雰囲気が暗く時に怒号が飛び交い、クビを覚悟で2回ほど数日間のプチ家出(無断欠勤)を決行しました。ビザ切替申請もしてもらっていましたが、必要書類が会社から提出されずに、数ヶ月宙に浮いた形となりました。二回目のNYは思い描いていたバラ色からは程遠く、限界を感じていました。

その職場には社長の友人である男性が毎日来ていました。彼はクリスチャンになったばかりの人で、”神様はすごいんだよ”といつも熱く語っていました。社長は忙しく留守がちでしたが、私にも神様を知ってから彼の人生に起こったたくさんの事を話してくれました。ランチをよくご馳走してくれました。こんな会社経営者の中年男性をとりこにする神様とはどんなものだろうと思ったものでした。

誘われるまま、当時マンハッタンで行われていた新来者向けゼロ集会や、家庭集会に行くようになり、91年のクリスマスに初めて礼拝に出席しました。二人の方が洗礼を受けておられました。何だか自分がそこにいるのが場違いな気がしました。それでも、礼拝に何回か行くうちに、そこに聖らかな流れがあることを感じるようになりました。

ある家庭集会で、二代目牧師の石賀先生がこう言われました。”あなたは自分で米国に来たと思っているでしょう。でも違うんだ。神様がここに連れてきたんだよ。あなたはここで色々やりたいと思っているだろう。実は神様と出会う為に来たんだ。それがあなたが米国で経験する一番素晴らしい事になる。あなたが聖書の話を聞きたければ、僕はいつでも、どこにでも行きます。” その言葉を何日も反芻していました。

昔から超自然的な存在を感じており、父なる神様のことはすんなりと受け入れることができました。”でも、そこにイエス・キリストがどう結びつくですか?”核心的な問いが心にありました。ある時石賀先生は、神様⇔イエス様⇔人間の相関図を見せながら、”人間には罪があって、そのままでは聖なる神様のところには行かれない。神様はそれを憐れみ、ひとり子であるイエスを十字架に送り人々の罪を背負わせた。イエスは十字架で死んだのち葬られて三日目に復活した。イエスを信じる者には罪の赦しと永遠の命が与えられ、神様の子とされる。だからにイエスは神様と人間のあいだの架け橋となったんだ。”と教えてくれました。

頭で理解しても、魂のレベルでそれが分るようになるまで相当の時間を要しました。牧師や教会の皆さんは祈りをもって見守ってくれました。自らどうしていいか分りませんでしたが、ある時牧師が、罪の悔い改めとイエス様を救い主として受け入れる信仰告白の祈りをリードしてくれました。聖書の分らないところは、魚のように柔らかい肉から食べて、固い骨は後に取っておきスープにすれば良いと言われました。聖書を読み進むうちにここに真実があり、イエス様の教えは人間の知恵から出てくるものではないと確信するようになりました。

その頃グリーンカードの抽選があり、申請書を千通ほど送ったところ、弟と私が当選しました。ここで道が開かなければ帰国かというところでした。すぐに労働許可が取れ就活を始めると、ホテルでの就職が決まりました。色々ありましたが、社長に引き止められながら、感謝のうちに円満退社することになりました。

93年5月30日に父なる神、子なる神、聖霊なる神のみ名によって洗礼を授かり、罪の赦しが宣言されました。職場で初めて福音を聞いてから約一年半の時が流れていました。その夜それまでにない平安と温かさが心を包み、聖書で約束された聖霊様を受けた事を知りました。

やがて聖霊様は、父の死は神様の主権下にあり、誰も責める必要がないことを示してくれました。また、神様がご計画をもってこの時代に生命を与えNYに導かれたこと、罪過の内に霊的に死んだ状態から引き上げ、イエス様の十字架の恵みに招き入れて下さったこと、神様と歩む喜びに満たし、この地においてもたくさんの使命が用意されていることも….。消化できるよう時間をかけて悟るようにして下さいました。

洗礼に際して頂いた新改訳聖書の裏表紙に、石賀先生がみ言葉を書いて下さいました。
神の全能の力の働きによって、私達信じる者に働く神のすぐれた力がどれほど偉大なものであるかをあなたがたが知ることができますように。(エペソ1:19)

洗礼は、神様による溢れんばかりの祝福へのスタート地点です。この20年間の歩みを通して、私が離れている時でも、神様はこのみ言葉どおり偉大で真実でした。結婚、出産、子育て、大学院進学、再就職等、人生の節目において教会があり、共に喜びを分かち合い、試練の時は祈り支えてくれる人々を備えて下さいました。毎週の礼拝では神様の下で憩い、新しい一週間を歩む力が注がれます。日々神様の恵みを分ち合い、祈り支え合う人々が与えられえています。又、福音を語ってくれた人々、祈ってくれた人々の仕える姿が、クリスチャンとして使命を果たしていく上での良き見本となっている事を感謝しています。

目に見えなくても、イエス様は日々羊飼いとしてその民の歩みを導き、豊かな命を得させて下さいます。そして主の真実はとこしえに変わることはありません。

すべてのご栄光を主にお返しします。

月報2013年1~2月号よ

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