説教: 錦織学牧師
聖書箇所:ヨハネによる福音書13章1節〜15節
- 最後の晩餐・・・大切な人たちと、大切な話をする。
- イエスが足を洗われたことは、イエスの愛の現れ。
- 弟子たちに仕えたイエス
- 当時の社会の中で、足を洗うのは奴隷の仕事。
- ここには奴隷がいなかった。誰が?
互いに一番格下の存在を探した。 - イエスは自分が立って、弟子たちの足を洗われた。
- イエスは言われた。「あなたがたも互いに足を洗い合いなさい」
と。 - 今で言うならば、どういうこと?
- 教会でいうならばどういうこと?
- 注目されることでもなく、感謝されることでもなく、互いに「
誰かやってくれるといいけど」ということ・・・。
- 弟子たちの足を洗われたイエス
- 6-11節のペテロとイエスのやりとり
- イエスの十字架は、
私たちの罪を洗い流すことを象徴的に表していた。 - 「もしも、私が洗わなければ、
あなたは私となんの関わりもなくなる」 - 「私の足は洗わないでください」・・・自分でやります?
- それと同じことを私たちは神様に対してしていないだろうか?
一生懸命自分で準備をして、「さあ、イエス様を受けいれます」と。 - イエスは今も、
私たちにそのままの心で来るようにと招かれている。 - 洗うのはイエス様。自分の力できれいにするのではない。
- 一番隠しておきたい、
一番恥ずかしいと思うところをイエスに差し出すこと。
<テイクアウトQuestion>
- 人々の足を洗う、ということは、
今の時代に当てはめるとどんなことになると思いますか? - 教会で「互いに足を洗い合う」
とは具体的にどんなことが考えられるでしょうか? あなたは何ができるでしょうか? - あなたはイエスに、「自分の足を洗ってもらう」
経験をしたことがありますか?どんな経験でしょうか?