妻が受洗に導かれたことへの感謝

<はじめに>
妻が受洗に導かれたことへの感謝を証させて頂きます。

<クリスチャン4世>
私はクリスチャンホームに生まれ、物心ついた時から日曜 学校に通っていました。
クリスチャンが少ない日本で、友達 と違うことに違和感を感じることもありましたが、祖父母が神棚・仏壇に手を合わせるのを見ていたため、異なる神様を信じていても家族は円満に過ごせると信じていました。小学 5 年生で受洗の恵みに導かれた後も、(思春期特有の?) 寄り道をしたり、(青年特有の?)万能感に酔ったりと、奥底にしまって置きたい記憶もありますが、神様が人生の伴走 者として守ってくれているという安心感を持って、歩んでこら れたことに感謝しています。

<結婚、避けたい話題>
妻との結婚に際し、信仰の有無が大きな障害になるとは考えていませんでした。インターネットのおかげでメッセージ を聞く時間・場所の自由度は増し、週末は家族の時間(実 際には仕事で潰れる日も多くありましたが)として新婚生活 を過ごしました。子供が生まれ、母教会に通える距離に転居してからは、子育てに追われる妻のリフレッシュと、教会に行きたい私の希望を叶えるために、子供達と私が日曜日は教会に通うスタイルも確立し、Win-Win の関係が実現できているかのように見えました。 地元のキリスト教系幼稚園に入園し教会学校にも通う息子らの口からは、次第にキリスト教的価値観が出るようにな ります。そんな息子達を見て安心する私、他方の妻は息子達が知らない考えに染まっていくことに不安を感じたり、疎外感を感じたことと思います。親の信仰と子供の信仰、葬儀やお墓のことなど、宗教にかかわる点での衝突が増えてきました。私はこの状況で妻がクリスチャンになることなど不可能だと決めつけ、祈りの課題はクリスチャンとして模範的な夫になり家族の和を保つことになりました。日常生活は上手くいっていても、信仰に関わる話題では妥協点を見出す ことが難しくなり、次第に私はその種の話題を避けたい気持ちが強くなりました。

<転機の訪れ>
海外赴任の地がアメリカだったことは家族にとってもサプ ライズでした。赴任が決まってからはバタバタで、子供の学校、家などの押し寄せる課題を夫婦で協力してこなしてきま した。しかし、教会に妻が来てくれることなど夢にも思わなか ったため、アメリカに行ってからの教会探しは秘密のミッショ ンです。折角だから、ガッチリと現地の人々と交流するのも良いと思い、家探しと並行して英語の教会を探していまし た。メイウッドの教会の存在を知ったのも自宅候補付近の教会をグーグル検索した時で、英語と日本語の教会の違いを見てみようと思う程度の気持ちで訪ねてみました。行って みると日本で通っていた教会員の縁がある教会であり、ま た皆さんの暖かい歓迎を受ける内に、私と子供で通おうと決意しました。妻を誘う勇気は持てていなかったのです。ア メリカ生活に妻が慣れるまで、日曜日の過ごし方について 話すことは避けたいという思いを抱きつつ、引越しのために日本行きフライトに乗り込みました。 息子らの友達作りという大義名分で申し込んでいた Joy Joy Camp が始まります。送迎だけお願いするつもりだった 妻がキッチンスタッフを申し出たところから神様のご計画は私に見える形で始まりました。妻は初めて家族・親族と全く 繋がりのないクリスチャンに接し、キリスト教に興味を持ち 始めてくれました。心地よい雰囲気に抱かれながら、家庭集会で出会った人・メッセージの意味を会話することが増え、 信仰について会話するときのファイティングポーズは要らな くなりました。

<妻の受洗>
妻の信仰告白は突然訪れます。結婚以来、乗り越えることの出来なかった障壁はいとも簡単に崩されました。喜び踊りたい気持ちよりも、神様が整えて下さった環境の完璧さへの驚きが上回り、「いったい今までの言い争い、そしてこの スピード展開は何なのだろう?」とポカンとしてしまいました。

「神は、神を愛する者たち、すなわちご計画に従って召さ れた者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ローマ人への手紙8・28)

私が試練に遭った時、妻と信仰について意見が食い違い 途方にくれた時にも励ましてくれた御言葉です。神様を愛する方々の真ん中に我が家を移して下さり、妻が受洗に導かれたご計画を目の当たりにし、益々この御言葉への信頼が強められました。 日曜日を何となく妻に対して後ろめたい気持ちで過ごして きた日から、最も幸せな日に変えて下さったことに感謝します。
今後も家族揃って主の下で歩んで参りたいと思います。

 

月報2017年1~2月号より

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