説教者 : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書13章44節~46節
- 序)
2つのたとえ。「畑の中の宝」「高価な真珠」
「たまたま出会った」⇔「ずっと探してた」・・・いろんな道がある。
共通するのは「見つけた喜び」「全財産を売り払って」ということ。
- 神の国を見つけた喜び
持ち物を売り払う。
チャールズ・スウィンドル著「仕える喜び」
天国を手に入れるためにすべてを売り払う。それくらい価値がある。 「自分自身」をも・・・全ては神のもの。所有者は神ご自身。 「天国」→「神の国」→「神の愛に満たされること」
喜びのあまり 嫌々ではない。喜びのあまりすべてを投げ出す。
ピリピ3:4-9 パウロは自信があった。自分の生まれ、熱心さなど。 イエスのゆえに、それらのものが損と思うようになった。 キリスト共に歩む喜びのためなら邪魔になるほど。 - 私達への神の喜び
もう一つの読み方・・・この宝物は、私達。 私達を見つけたイエス様は、私達を自分のものとするために、喜んで全てを投げ出して、ご自分を十字架で与えてくださった。 神様が私達を「見つけた!」と喜んでくださる。
ルカ15:4-7 一匹の羊をさえ探して見つけ出してくださる。そして大喜びしてくださる。 「神の愛の支配」ってこういうもんなんだよ、ということ。 私達がすべてを捧げる前に、神様がすべてを与えてくださった。
- テイクアウトQuestion
1)イエスに出会った時にどんなことを感じましたか?
2)今も自分のものにしているものはないでしょうか?
3)イエスは私達のために何を手放してくださったでしょうか?