説教者 : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書13章24節~30節、36節~43節
- 序
毒麦のたとえ・・・畑は世界、イエスが蒔いた種は私達、そこに毒麦の種も蒔かれた。それは教会の中に入ってきている問題。それを取り除こうとする私達。でも、神は待てと言われる。
「裁きたくなる人がいても、裁かないで神様に任せなさい」というのがこの喩えを通して、イエスが語られたこと。
- 正しい裁きがなされる日が来る
神の国・・・神の支配・・・「神の『愛』の支配」しかし、理不尽な扱いをされている人々の正しい裁きを求める声⇒神の『正義』の支配。
ユダヤの人々の叫び・・・どうして私たちはこんなに苦しむのか? ・・・バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマの支配下におかれる →神の支配の下にあるならば、神が正しい裁きをしてくださる
世の中の不正義、理不尽なこと、世の終わりには正しく裁かれる。 40節から43節
しかし、困ったことがある・・・私たちは皆罪人。 ⇒そのためのイエスの十字架。 - 互いに裁かない
毒麦だと抜こうとすると、麦も一緒に抜いてしまうから、収穫まで待て。⇒私達お互いも先走ってさばいてはいけないということ。 第一コリント4:5
毒麦と麦を間違えるかもしれない・・・私たちは正しい裁きをすることはできない。マタイ7:1−5。
根が絡み合っているから、毒麦と麦が一緒に抜けてしまう。
教会は完全ではない。不完全なものとして受け入れることが大切。
- テイクアウトQuestion
1)今あなたは理不尽な扱いを受けていると思うことはありますか?世の中不公平だと思うことはありますか?
2)教会の中で互いを裁き合うことに対してイエスはどのように言っているでしょうか?