説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書第20章29節〜34節
「何をして欲しいのか?」
叫び求める目の不自由な二人の人に「何をして欲しいのか?」
彼らの答えは「目を開けていただくことです」
21節でもヤコブとヨハネに「何をして欲しいのか?」 と聞かれる。
イエスは今日も、私たちに「何をして欲しいのか?」と聞かれる。
あなたは、「何をして欲しいのか?」と聞かれたらどう答えるか?
1.認めてください!
ヨハネとヤコブの「大臣にしてください!」
19章27節のペテロの言葉から繋がっている。
→こんなにやったんだから、 こんなに有能なんだから認めてください!
私たちは認められないと生きていけない。
イエスの答えは「あなたが頑張ったから、こんなにやったから、 有能だから認められるのではない、その前から、 存在自体が認められている」
私たちが罪人である時からひとり子を与えるまで、 私たちを愛した神
・・・私たちの存在自体を認めてくださっている。
2.目を開いてください!
この目の不自由な二人の求めは、弟子たちの求めとは対照的。
何も「これだけやりましたから!」というものがない。
自分の貧しさ、足りなさ、それを知っていた。
ヨハネ9:41「見えると言い張るところに、罪がある」
わかっている、見えている、と思っている時にはわからない。
マタイ5:3「心の貧しい人は幸いである」
神の恵みは低いところに流れる。
<テイクアウトQuestions>
1)私たちの「私を認めてください!」 との叫びにはイエスはどのように答えられますか? あなたはそれをどのように感じますか?
2)イエスは今日も私たちに「あなたは何をして欲しいのか?」 と尋ねられます。あなたはどう答えますか?