説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書21章1節から11節
イエスが馬ではなく、ロバに乗ってエルサレムに入った思い。
平和の王として・・・軍馬に乗る勝利者ではなく。
軍馬に乗る勝利者は・・・私が勝ったんだから、 私のいうことを聞け!
イエスは、事なかれ主義の平和ではなく、
誰かが我慢して実現する平和ではなく、
「シャローム」を与える方。
・・・内側から溢れる喜びと力。
そのためにはどうしてもロバが必要だった。
馬ではいけなかった。
馬がいなかったから仕方なくロバにしたのではない。
「主がお入り用なのです」
・・・平和の王として来られたイエスを示す存在。
「柔和」・・・日本では美徳のように思われている。
・・・ここでは、「惨めな」という意味を持つ言葉。
惨めな思いになる私たちのことをわかってくださる。
上から見下ろすのではなく、同じところに立ってくださるお方。
→究極は十字架。この箇所から、 イエスの十字架までの1週間が始まる。
私たちを愛によって離さない神。ローマ8:35-39
テイクアウトQuestions
1)イエスはどうしてロバの子を用いられたのでしょうか?
2)平和の王としてこられたイエスは、 当時の社会の支配者たちとどのように違っていたでしょうか?
3)このイエスを私たちの人生の王とする、 とはどういうことだと思いますか?
4)私たちは神に従う時に、その動機は、 恐れによって支配されていますか? 愛によって支配されていますか?