説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書6章9節〜15節
- 「主の祈り」・・・イエスが「このよう祈りなさい」と教えられた。
- 毎週の礼拝の中で祈っている。
- 意味はどれだけわかっているだろうか?
- 主の祈りは何か?
- 神の国を求める祈り
→神様の素晴らしさ、神様の愛、神様の思いが、この地上でも、豊かに表されるようにと祈っている。
→その視点で、後半を見ていくと、私たちの人生の中に神様の支配が溢れますように、という祈り。 - 私を通して
- 私を超えて
- 主の祈りの中心である赦し
- 主の祈りの後で、イエスは赦しのことを改めて言われた。
神の国、神の愛の支配の中で、大きな問題は赦しの問題。
神の国を壊す問題・・・赦せない、という問題。
神様の愛の支配は、赦しを通して表される - マタイ18:23-35・・・100デナリの借金を赦せなかった。・・・確実に相手が悪い。でも、自分はそれをはるかに超えるものを赦されている。
- 主の祈りの土台である神との信頼関係
- 「父よ」からはじまる。・・・信頼の呼びかけ。
それを可能にするイエスの十字架の恵み。 - 山上の説教の前提は・・・「神が私たちを愛し、私たちを救ってくださったのだから」・・・あなたは10000タラント赦されているのだ。
<テイクアウトQuestion>
- 「主の祈り」をどのような思いで祈ってきましたか?
- 主の祈りの中で、どの祈りが、今あなたの心にぴったり当てはまるでしょうか?どこかに引っかかる言葉はありますか?
- あなたには赦すべき人がいるでしょうか?どんな人でしょうか?