カテゴリー: 礼拝メッセージ
『砕かれた心』
説教: 錦織学牧師
聖書箇所:マルコによる福音書14章:66-72節
序)
- ペテロは教会の最初の指導者。
- その指導者の話は、失敗ばかり。
- 4つの福音書に出てくるのは、このペテロの否認の話
- どうして、最初の指導者、
信仰の大先生の失敗の話をこんなにするのか
→私たちの信仰の出発点があるから。大切な信仰の本質 - →自分の努力の限界、弱さを知らされて、砕かれて、神を頼る。
- 自分の力で失敗したペテロ
- ペテロの決意(マルコ14:27-31)
- 女中のことば・・・正式な裁判だったら?
- どうして、ペテロはイエスを否定したのか?・・・人間の弱さ。
- 自分は大丈夫だと思っている人こそ危ない、
と聖書は繰り返し述べる - コリント第一8:2「もし人が、
自分は何か知っていると思うなら、その人は、 知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。」 - コリント第一10:12「だから、立っていると思う者は、
倒れないように気をつけるがよい。」
- 砕かれて用いられたペテロ
- ペテロは泣いた・・・ペテロが生まれ変わる出発点。
- 自分の弱さを思い知らされた。そこに神の力が注がれた。
- ペンテコステの日のペテロ「
あなた方がイエスを十字架につけたのだ」 - 使徒行伝4章では大胆にイエスの救いを語った。8-12節、
18-20節。 - ペテロの殉教
<テイクアウトQuestion>
- 聖書はどうして、
最初の教会の指導者であったペテロの失敗する姿を何度も書いてい るのでしょうか? - この世では自分の力で生きることの大切さが語られることが多いで
す。どうして、 自分の力で生きていくことに問題があるのでしょうか? - どうして砕かれた人は神に用いられることができるのでしょうか?
- あなた自身が砕かれた経験がありますか?
どんな経験だったでしょうか?
『足を洗うイエス』
説教: 錦織学牧師
聖書箇所:ヨハネによる福音書13章1節〜15節
- 最後の晩餐・・・大切な人たちと、大切な話をする。
- イエスが足を洗われたことは、イエスの愛の現れ。
- 弟子たちに仕えたイエス
- 当時の社会の中で、足を洗うのは奴隷の仕事。
- ここには奴隷がいなかった。誰が?
互いに一番格下の存在を探した。 - イエスは自分が立って、弟子たちの足を洗われた。
- イエスは言われた。「あなたがたも互いに足を洗い合いなさい」
と。 - 今で言うならば、どういうこと?
- 教会でいうならばどういうこと?
- 注目されることでもなく、感謝されることでもなく、互いに「
誰かやってくれるといいけど」ということ・・・。
- 弟子たちの足を洗われたイエス
- 6-11節のペテロとイエスのやりとり
- イエスの十字架は、
私たちの罪を洗い流すことを象徴的に表していた。 - 「もしも、私が洗わなければ、
あなたは私となんの関わりもなくなる」 - 「私の足は洗わないでください」・・・自分でやります?
- それと同じことを私たちは神様に対してしていないだろうか?
一生懸命自分で準備をして、「さあ、イエス様を受けいれます」と。 - イエスは今も、
私たちにそのままの心で来るようにと招かれている。 - 洗うのはイエス様。自分の力できれいにするのではない。
- 一番隠しておきたい、
一番恥ずかしいと思うところをイエスに差し出すこと。
<テイクアウトQuestion>
- 人々の足を洗う、ということは、
今の時代に当てはめるとどんなことになると思いますか? - 教会で「互いに足を洗い合う」
とは具体的にどんなことが考えられるでしょうか? あなたは何ができるでしょうか? - あなたはイエスに、「自分の足を洗ってもらう」
経験をしたことがありますか?どんな経験でしょうか?
2019年3月10日『全てを注ぎ出す』
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マルコによる福音書14章3節〜9節
2019年3月3日『十字架への道』
説教 : 錦織学牧師
聖書箇所:マタイによる福音書16章13節〜28節
- イエスの「公生涯」の転換点になる時。
- ここから受難(十字架)のことを、弟子たちに語り始める。
- ペテロの信仰告白
- 「あなたは何と言うか?」という問い。
他の人の意見は聞いた。でも、あなたは何と言うか? - ペテロの答え・・・「生ける神の子キリスト」・・・救い主
- この岩の上に教会を建てよう。
・・・教会はこの信仰ゆえに一つになっている。 - あなたの答えは?
- イエスの使命
- 十字架への道を語り始めたイエス。
- 弟子たちはそれを受け入れることができなかった。
ペテロ「そんなことがあってはなりません」 - イエスはその言葉の中にサタンの声を聞いた「
十字架なんかやめろ」 - 弟子たちは自分たちの期待にイエスを当てはめようとした。
- イエスは一貫して、そのサタンの言葉、人々の期待を退けた。
十字架への道・・・私たちを救うため。
- イエスに従う者たち
- イエスは自分が、十字架への道を歩むだけではなく、
イエスに従う人々をも、自分を捨て、十字架を背負う歩みに招かれる。 - 十字架を負う・・・死刑判決を受けた者として歩む。
自分の夢、自分の願い、自分の考え、自分の主義主張にこだわらない。 - 自分を捨てる時にこそ、本当の自分を取り戻すことができる。
- 捨てるべきもの、結局はプライド?
<テイクアウトQuestion>
- あなたは自分の言葉として、イエスをどんな方だと告白しますか?
- あなたにとって、一番大切なものは何でしょうか?
それをイエスのためにささげることができますか? - 自分を捨てた時に、どんなものを得ることができるでしょうか?
2019年2月24日『主の祈り』
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書6章9節〜15節
- 「主の祈り」・・・イエスが「このよう祈りなさい」と教えられた。
- 毎週の礼拝の中で祈っている。
- 意味はどれだけわかっているだろうか?
- 主の祈りは何か?
- 神の国を求める祈り
→神様の素晴らしさ、神様の愛、神様の思いが、この地上でも、豊かに表されるようにと祈っている。
→その視点で、後半を見ていくと、私たちの人生の中に神様の支配が溢れますように、という祈り。 - 私を通して
- 私を超えて
- 主の祈りの中心である赦し
- 主の祈りの後で、イエスは赦しのことを改めて言われた。
神の国、神の愛の支配の中で、大きな問題は赦しの問題。
神の国を壊す問題・・・赦せない、という問題。
神様の愛の支配は、赦しを通して表される - マタイ18:23-35・・・100デナリの借金を赦せなかった。・・・確実に相手が悪い。でも、自分はそれをはるかに超えるものを赦されている。
- 主の祈りの土台である神との信頼関係
- 「父よ」からはじまる。・・・信頼の呼びかけ。
それを可能にするイエスの十字架の恵み。 - 山上の説教の前提は・・・「神が私たちを愛し、私たちを救ってくださったのだから」・・・あなたは10000タラント赦されているのだ。
<テイクアウトQuestion>
- 「主の祈り」をどのような思いで祈ってきましたか?
- 主の祈りの中で、どの祈りが、今あなたの心にぴったり当てはまるでしょうか?どこかに引っかかる言葉はありますか?
- あなたには赦すべき人がいるでしょうか?どんな人でしょうか?
2019年2月17日『恐れずに伝道を続けよう』
説教:立石尚志師(NYめぐみ教会牧師)
聖書箇所:使徒の働き(Acts) 17:1-4,10-12,16-21
2019年2月10日『神の報い』
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書6章5節〜6節
- 一緒にいるだけで嬉しい、楽しい、って究極の関係。
神の報いって、そういうものではないか?
- 神様の報いって何?
- この世でいいことがある?
天国でいいものがたくさん準備されている? - 「天に宝を積む」→「
献金をしたら天国銀行にたくさん貯金がある」
「神様のために一生懸命やったから、神様はたくさんいいものを天国で準備してくださる」 - でも、祈りの報いって何?隠れて祈ったら、天国の報いがある?
- 天国・・・神の愛に満たされていること。
神とともにあることこそが、「戸を閉じた祈り」 に与えられる報い。 - 神様ご自身と、神様が与えてくださる何か、
とどちらを大切にしているか?どちらを期待しているか? どちらを喜んでいるか? - 神様の与える平安・・・ピリピ4:6-7
- ヤコブのペニエルの経験・・・創世記32章
- 戸を開けておきたい気持ち
- イエスはあえて「戸を閉じて」と言われた。⇔
開けておきたい気持ち - 「私は祈っていますよ」と言いたい時。誰かへの励ましならいい。
- でも、そうではなく、
自分が祈っていることを認めて欲しい気持ち。 - また反対に「恥ずかしいから」というのも「認められたい」
の裏返し。 - 放蕩息子のたとえ・・・ルカ15章
兄息子・・・こんなにやったのに!認めてくれ!
でも、父は兄も弟も、そのまま受け入れた。 - 神とともにいることを喜ぶ。
人に認められて満足なんてもったいない!
<テイクアウトQuestion>
- 神様は私たちにどんな報いを与えてくださると聖書は語っています
か?その中で一番素晴らしいものは何でしょうか? あなたは何が一番嬉しいですか? - あなたは祈りについて、
後ろの戸を開けて祈りたいと思うことはありません
2019年2月3日『Here, I Am Lord : Making Ourselves Available』
説教: Jodi Davis宣教師
聖書箇所: イザヤ書 6:1-8
2019年1月27日『真理はあなたを自由にする』
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: ヨハネによる福音書(John) 8:31-32
- 今年、教会のために与えられているみことば。
- 自分を縛っているものを知る
- イエスを信じた人たち→最後はイエスを殺そうとした。
・・・33節「私たちはもともと奴隷になんてなったことはない」 - 第一コリント8章2節「知っていると思っている人は知らない」
自分が何かに縛られていると知ることがまず大切。 - 何に縛られているのだろうか?
- 「罪」「死」「律法主義」「過去の傷」「恨みや怒り」
- 全ては認めるところから始まる。
- 神の子の自由
- イエスを信じる者たちは自由を与えられる。
神の子としての自由。ローマ8:15
神の子として、神を信頼して歩める自由。⇔ 奴隷として、ビクビク歩む。 - もう2度と奴隷のくびきに繋がれてはいけない・・・ガラテヤ5:1
奴隷のくびき ⇔ イエスが私たちのために準備してくださっているくびきマタイ11:30「わたしのくびきは負いやすく」・・・「ぴったりフィットする」カスタムメイド。 - 他の人とは違う。違っていい。違わないといけない。
- 隣人のための自由
- ガラテヤ5:13-14
- 私たちの与えられた自由は、自分勝手に生きるためではない。隣人に仕えるため。隣人を愛するための自由。
<テイクアウトQuestion>
- あなたは自由ですか?あなたは何かに縛られていますか?あなたを縛っているものは何でしょうか?
- イエスはどのように私たちに自由を与えてくださるのでしょうか?自分が今まで経験した「解放」はどのようなものだったでしょうか?
- あなたはイエスによって与えられた(与えられる)自由を、これからどのように用いていきますか?