ハーベストタイムとの出会いは、私にとってはクリスチャンとして歩むきっかけを与える大きな出来事でした。
もともとハーベストタイムを見始めたのは妻でした。私は教会には興味がありましたが、ひとりで行くことには躊躇があって、妻が一緒で無ければおそらく教会の扉をノックできなかったと思います。ハーベストタイムを見るのもそうであったかもしれません。何時しか、妻と二人で毎週見るようになっていました。
ハーベストタイムでは毎回ゲストを招いてその方の証についてのインタビューと関連した聖書の御言葉の紹介をされるのが非常に印象的でした。そして毎回何か頷けるようなものを感じていました。私の帰国が決まった直後、何か寂しいものがあったのでしょう、あるいはこれが心の渇きだったのでしょうか、ハーベストタイムと関係のある教会にとにかく行ってみたいと強く思うようになっていました。そんな中で見つけたのがニュージャージー日本語教会だったのです。私が住んでいたのはニュージャージーのMadisonという町でしたが、ここから一番近いのがMaywoodのニュージャージー日本語教会でした。
とにかく私にとってニュージャージー日本語教会は不思議な力を持っていました。最初にノックした扉はなんと裏口だったのです。扉を開けてくださったのは大清水姉でした。礼拝堂に導かれた後、まず驚いたのは生演奏による讃美の時間でした。そして礼拝堂に集まっておられる皆さんが首を左右に振りながら楽しく讃美をされている光景を見たとき、Nashvilleの教会の神秘的なクリスマスミサの雰囲気と余りにも異なっていたので、とても不思議な印象さえ受けました。しかし、それもつかの間で、これまで歌ったことも無い讃美歌を口ずさんでいたのです。
暫くすると、greetingが始まり、教会に集まっている方々が誰彼となく握手を始められたのです。私はこれで礼拝は終わりなのかなと勘違いしましたが、このgreetingの時を通して、初めて出会った方々から本当に厚い歓迎のお言葉を頂くことが出来ました。初めて飛び込んで行った妻と私でしたが、皆さんは本当に友達のようにして歓迎してくださったのです。このような暖かい歓迎は、私のおぼえている限り初めてのことでした。これで私の教会に対する考え方が変ったのでしょうか、次の週も、またその次の週も何故か足を運ぶようになっていました。
月報2005年5月号より