「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生るるに時があり、死ぬるに時があり、・・・・・・・・、神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終わりまで見きわめることはできない。」  伝道の書3章1節‐11節

1973年に洗礼を授かりましたので今年は受洗40年の年になりました。この40年間一度も受洗を悔やむことなく、私を選んでクリスチャンの一人に加えて下さった主に感謝の日々を過ごせています事を何よりうれしく感じています。そして40年の歩みの中でいろいろの事が有りましたが、冒頭の聖句に記されています「神のなさることは皆その時にかなって美しい。」ことを実感する事が出来た40年であり、それだけでなく生まれた時からの70年がすべて主の御計画の中で歩ませて頂けていると確信しています。

高校生時代から英語が大嫌いでしたので、アメリカに来る事など思っていませんでした私に、留学の思いを持たせて下さったのも深遠なる主の御計画であったと今更ながらに思わされます。アメリカに来ることが無ければ教会に足を運ぶことも無かったか、または導かれるのにもっと時間が掛かったことでしょう。その後、いろいろな理由で好むと好まないにかかわらず住む地域を変えねばなりませんでしたが、その一つ一つを主が導いてくださったことを思い知らされています。

2年間のカリフォルニアに於ける大学院での学びとその後2年間の米国企業での研修を終えて帰国しましたが、その当時は終身雇用の時代でしたので、一度就職した企業を退社してアメリカに私費留学した者の再就職は容易ではありませんでした。今でこそ当たり前に知られていますMBAという学位も知っている人は皆無で求職の役には立ちませんでした。しかしこの就職浪人期間も主の御計画の一つであったと今は確信しています。
もちろん家族の温かい理解があってこその浪人生活でしたが、帰国しました私に主が御用意下さった教会での経験がどれほどその後の信仰生活の助けになったか分かりません。その教会も本当に不思議な出会いでした。帰国して直ぐに会った妻の叔父が「先週ロータリークラブの会合で牧師がとても素晴らしい話をして下さった。アメリカでクリスチャンになったのであればそこの教会へ行くと良いと思うよ。」と言ってくれました。牧師のお名前を聞きますとカリフォルニア時代に親しくさせて頂いた牧師の弟さんでしたので、主の導きと感謝して先ずはその教会の礼拝に出席させて頂き日本での教会生活が始まりました。共に30歳代半ばで1歳年上のアメリカ帰りの牧師はとても尊敬でき気も合いましたので、仕事が無くて時間が有った私はかばん持ち兼運転手のような立場で牧師の伝道旅行に度々帯同させて頂きました。

その折に見せて頂けた牧師の主にお仕えになる姿勢は何よりも私の信仰成長の糧となりました。行かれる地方でユニークな企画で用いられている教会や、成長している教会をきちんと調べておられて、空いている時間を使われて訪問されそこから学ばれます。教会がどのような場所に立地しているのかを知るために まず教会の近辺を車で回って環境をご覧になってから訪問されます。教会にはアポイント無しで訪問しますので牧師が居られれば短時間で整理されたポイントを質問され、地方の教会ではお留守でも鍵がかかっていない会堂もあって、失礼して中に入らせて頂き、会堂の中を見せて頂く事もありました。その一つでは当時では珍しい喫茶店風のカウンターでコーヒーが飲めるようになっている会堂を見つけてとても感心されて、新会堂の参考になさっていました。また札幌郊外では教会とは別に繁華街で普通の喫茶店を開いて伝道されているニュージャージー州からの宣教師を訪問して、喫茶店伝道のご苦労や喜びをお聞きしながら一晩実際の様子を見せて頂きました。どのようにお客様にアプローチしてどのタイミングで福音を語るのかは、宣教師がアメリカ人である事がとても利していたことは事実ですが、なるほどと感心できる刺激的な経験であった事を今でも思い出します。牧師はその後東京新宿での喫茶店伝道にこの時に感じられ学ばれた事を活かされておられました。さらにこの牧師は教会を運営するには一般のビジネスでの会社経営に通じるものがあると考えておられ、私も良く読んでいない「プレジデント」「日経ビジネス」などを購読しておられて、移動中の車の中や二人だけの食事の時にはそこからの話題や質問が多くありました。組織として運営し成功するには会社も教会も共通点が多いと気付かれて、特にコミュニケーションや人事査定に大変興味を持っておられました。MBAという学位だけは持っていました私にとりましても、牧師との会話は理論を実際に活かすための良き議論と学びの場となりました。

与えられた役割(任務)を真摯にとらえその立場を有効に活かし、共に労する人々と喜びを共にしながら組織をいかに活性化させて主に喜んで頂くかという事を絶えず考えておられ、その使命のために「万事を益となるようにして下さる」(ローマ人への手紙8章28節)主に熱き祈りを日々ささげておられる牧師のお姿に身近に接する事で、聖霊様は新しい職に就く前の私にクリスチャン社会人としての仕事に対する心構えを植え付けて下さいました。
人の目から観ますと就職浪人と言う不遇の一年数か月でしたが、主は私のその後の社会人生活と信仰生活に必要な時として聖霊様を通してこの機会を与えて下さった、まさに無駄のない有意義な期間でした。その教会での信徒生活は短い期間でしたが、マーケティングの重要さ、相手の立場になって考えてみる心遣いや、自分からなんでも率先して経験すると言った組織の中での人間関係、熱き祈り等々、社会人生活の中でも大変役に立つ多くの事を理論では無く実際にこの目で見て体験でき、会社ではなく教会生活でそれを身につけさせて下さった主の御愛に心から感謝しています。

40年間の信仰生活を通して沢山の恵みのお証がありますが、その一つを書かせて頂きました。会社人間から引退してこのニュージャージー州に越してきましたのも主の導きであると信じています。これからも主の福音を伝えていく大宣教命令を示されているクリスチャンの一人として、どのような経験を聖霊様がさせて下さるのか大きな期待を持って胸をわくわくさせています。その折々では決して楽な事ではないと感じましても、主が
「愛する者たちよ、あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚きあやしむことなく、むしろキリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それはキリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたは幸いである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。」(ペテロ第一の手紙4章12-14節)
と約束して下さっていますので、続けて主にお委ねし、お従いする信仰生活を送っていきたいと祈り願っています。

月報2013年11~12月号より