「日本での新生活の意味・主のご計画を尋ねる」

私たち家族は、この3月に日本に本帰国しました。駐在に終わりが来ることは分かっていましたが、子供たちにとって「日本は遊びに行くところ」であったため日本での新生活への不安は隠しきれていなかったと思います。

帰国して数か月がたった今、フェイスブックを眺めると、夏休み入りしたアメリカの皆さんの投稿が目に飛び込んできて、楽しかった思い出が蘇ってきます。庭でのBBQ・ハンバーガー、海や公園、礼拝堂・ジムでの愛餐会、そしてマンハッタンの喧騒。まだ五感で思い出せるので、あたかも日本に一時帰国しているような気持ちにすらなります。

アメリカでの生活・経験を総括するには日が浅いものの、良い信仰の輪(教会)に加えられこと、大きな怪我、病気、事件に見舞われることが無かったことに感謝しています。しかし、何よりも妻の受洗、そして新たな命が家族に与えられたことは私が渡米した当時の期待をはるかに超える祝福でした。主のご計画が人智をはるかに超えたものであることを経験することが出来たと思います。

この半年を振り返ったとき、転勤に伴うドタバタ(5人家族の引越・家探し、仕事の引継、子どもたちの転校)だけでも大変ですが、子どもの高校受験と私の大学院の受験をこなさなければならず、「走りながら考える」とはまさにこのことだと感じる毎日を過ごしました。これだけ多くの出来事を同時並行的に進められたのは、家族が実質的な司令塔と仰ぐ妻の段取り力に他なりません。整然とした新居でコーヒー片手にホッとするとき、神様が妻の健康を守って下さったことに感謝せずにはいられません。

「えっ!これから大学院に?何故?」と質問された時に、5分も10分も使って経緯を説明するわけにもいかず簡潔な受け答えをしてきましたが、祈り求めていた進学にいたった経緯をご紹介します。

経営大学院に初めて興味を持ったのは20代の後半でした。不景気が普通の状態である学生時代を過ごし、少し上向いたと思ったらリーマンショックに見舞われ、漠然とした不安感を持っていました。思い描いたような仕事(=海外駐在)も出来ず焦りがありました。ニッチな領域の手に職的な仕事をしてきたため、経営大学院って意味があるのだろうか?手に職の方がいいのでは?決して勉強自体が好きな性分ではなく、大学時代の成績も褒められたものではなかったため、何となく気になりながらも自分に言い聞かせるように目の前の仕事と家族に集中してきました。

念願叶ってアメリカに来た当初は日本で担当していた業務領域をアメリカで担当するスペシャリスト的な仕事が与えられました。しかし、駐在の後半には経営陣を補佐する仕事が与えられ、尊敬する同僚の視野の広さ、思考の深さに魅了され、体系的にビジネスを学ぶ意欲が掻き立てられました。

一時帰国の際に学校訪問し目的と手段(進学)にズレがないかを確認したり、費用対効果を検証した上で、テスト対策・願書づくりの日々が6月から始まりました。受験は2回(年)までと決めていたため「ご計画ですよね。信じます。先取して感謝します。」と祈る日々が続きます。11月には受験のために弾丸で一時帰国し、2月には長男と一緒に3週間滞在し、長男の高校受験の傍ら、私も受験に臨みました。そして無事に合格を頂き、4月から会社員、夫・父、学生という三足の草鞋を履く生活を送るチャンスを得ました。仕事においても海外子会社を再編するプロジェクトを任され、大学院での学びを実践で活かせる役割を得られました。

今は日本での生活にもすっかり慣れましたが、片道1時間、電車に揺られて通勤・通学する毎日は案外苦痛ではなく、むしろ課題・自習の貴重な時間で座席に座ることは許されません(寝てしまいます)。自分のキャリア、家族の経済的な自由を目的に進学したことは偽らざる本音なので、一日の働きを終え寝床に入る時、「この道は神様が与えて下さったが、なぜ与えられたのか。キリスト者としての私は期待されているのか。両立が難しくて困難に至るような計画ではないですよね。試練は与えないでください。」と神様に聴きながら、気が付くと朝を迎えます。

“主は言われる、わたしがあなた方に対して抱いている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。”
エレミヤ書29章11節

一切が益となる計画を神様は用意してくださっています。主に感謝しつつ、私が御心から逸れず常に主を仰いでいられるようお祈りください。

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