「日本に帰国後に感じたこと」

 2024年3月、私達家族は8年間のアメリカ生活を終えて、日本に本帰国しました。当初5年くらいかなと予想していた夫のアメリカでの仕事は、1年ずつ延長していき、気がつけば結婚生活の約半分はアメリカで過ごすことになりました。渡米当時、まだ幼かった長男と次男は、それぞれ高校生と小学校高学年に、そこに2年前に生まれた三男も加わり、家族5人で久しぶりの日本生活のスタートです。

 日本での拠点は以前住んでいた家から程近く、子供達との思い出も沢山ある慣れ親しんだ地域です。ここでなら、土地勘や学校の情報もあるし、子供達も自分も安心して過ごすことができるだろう。そう思って帰国しました。変わらない景色に、アメリカでの生活は夢だったのかしら?と思うことも。しかし、それも束の間、時間が経つにつれ、少しずつ、街や人々、そして日本全体の雰囲気の変化を肌で感じるようになりました。

 平日、以前は親子連れで賑わっていたショッピングモールは、今はシニア世代の方たちの方が多くいらっしゃっています。また、上の子達とよく通っていた公園や児童館に三男と一緒に行くと、1歳以上の未就園児はごく少数。聞けば、今は待機児童問題も解決し、1歳になると保育園に預けて職場復帰する方が多いそう。少子高齢化や人手不足が深刻なせいか、テレビでは転職や短時間バイトなどのCMがとても多く流れています。

 これらは決して悪い変化という訳ではありません。保育園に預けやすくなったり、色々な働き方ができることは、とても良いことです。ただ、私にはそのように変化していく8年間の過程がすっぽり抜けてしまっています。そのため、まるで自分が浦島太郎になって取り残されているような、なんとも不安な気持ちになるのです。アメリカでは、とにかく子供のことが最優先、学校や習い事への送迎と日本の勉強のサポートに追われる日々でした。そんな生活に、うっすら終わりが見えてきたころに与えられた第三子、また0からの子育てです。今の日本では、子供がいてもいなくても、老いも若きも、みんなが経済活動をするのが良いという風潮を強く感じます。そんな中、三男を預けて働くこともできるけれど、まだもう少し一緒にいたいと、子供と手を繋いで公園や児童館に来ている私は、8年前から時が止まっているよう。自分は、社会の変化についていけない価値のない人間なのではないかと、気持ちが落ち込むことが増えていきました。

 そんな時、私の手を握り、ぐっと引き上げて下さるのが、神様のみ言葉です。

何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

                ピリピ4:6-7

 8年間のアメリカ生活では、大きな事故も病気もなく、それどころか、第三子という素晴らしいギフトまで与えられて、家族5人で無事に本帰国できました。日本の家族の健康も守られました。上の子供達は、アメリカでの楽しい思い出を胸に、毎日元気に日本の学校へ通っています。心配だった夫の仕事と大学院の両立も、今のところ問題なさそうです。三男との公園や児童館通いを通じて、少しずつ、地域に知り合いが増えてきました。8年経っても私達を覚えてくれていて、帰国を喜んでくれる友人もいます。祈りを通じて、どれだけ多くのものを神様が与えて下さったかを示され、感謝と平安で心が満たされるのを感じます。と同時に、世の中の風潮はうつろいやすく、神様から離れ、そこに自分の価値を求めると、とたんに足元が暗く不安定に思えてくるということにも気付かされました。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたに望んでおられることです。

           テサロニケ信徒への手紙一5:16-18

あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。

               詩篇119.105

アメリカでの生活で得た何より素晴らしいものは、神様との出会いです。私がこれから進むべき道は、世の中の風潮によってではなく、祈りを通じた神様との対話の中で見つけていきたいと思います。

最後になりましたが、神様が与えてくださる愛と恵み、そして沢山の素晴らしい出会い、いつも私達家族に思いを寄せて下さるニュージャージー日本語教会の兄弟姉妹、すべてに感謝しつつ、これを私の証とさせて頂きたいと思います。

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