2019年4月28日『とにかく信じてほしい』

説教:栗栖信之牧師

聖書箇所:ヨハネによる福音書(John) 20:24-31

 

◆結論・最重要点:イエス様は私たちに、とにかく信じてほしい。 なにを?:イエスが神の御子キリストであることを。 なぜ?:信じる者がイエスの名によって命を得るため。 どのように?:イエス様を「見ないで」信じてほしい。

◆「見て信じた」弟子たち ・マグダラのマリヤ(18節)・トマス以外の弟子たち(20節、25節) ・500人の弟子(第一コリント15:6)・40日間現れたイエス様(使徒1:3) ★「見なくては信じることのできない」不信仰な弟子たち。イエス様はどうしても信じてほしかった。それで姿を見せて、信じる者にして下さった。

◆「トマス」という人物(ヨハネ11:16;14:5) ・トマスはイエス様を心から愛し、特別な感性を持ち、思ったことを素直に表現し、人の評価を気にしない、妥協しない、強い意志を持った人。 ★こんなトマスだからこそ「イエス様をこの目で見たい!手で触れたい!」と思った。イエス様はとにかく信じてほしくてリクエストに応えられた。

◆イエス様の私たちへの願い「とにかく信じてほしい」 ・私たちは今、イエス様を見ることができない。でも「見ないで信じる者は幸い」であることをペテロが教えてくれた。(第一ペテロ1:8-9) ★見ないで信じる者の内側に神様の愛と聖霊が働いてくださる!

 

<テイクアウトQuestion>

1.イエス様を見たいですか?見たい、見たくない、見る必要がない理由は?

2.「見ないで信じる」ことは難しいですか?簡単ですか?なぜですか?

3.「見ないで信じる」ことの素晴らしさは何ですか?それを体験しましたか?(した人は今週だれかにシェアしましょう!)

4.「見なければ信じられない」と言う人に、どのように寄り添いますか?その人の気持ちがわかりますか?何を伝えますか?

“2019年4月28日『とにかく信じてほしい』” の続きを読む

『砕かれた心』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所:マルコによる福音書14章:66-72節

序)

  • ペテロは教会の最初の指導者。
  • その指導者の話は、失敗ばかり。
  • 4つの福音書に出てくるのは、このペテロの否認の話
  • どうして、最初の指導者、信仰の大先生の失敗の話をこんなにするのか
    →私たちの信仰の出発点があるから。大切な信仰の本質
  • →自分の努力の限界、弱さを知らされて、砕かれて、神を頼る。
  1. 自分の力で失敗したペテロ
  • ペテロの決意(マルコ14:27-31)
  • 女中のことば・・・正式な裁判だったら?
  • どうして、ペテロはイエスを否定したのか?・・・人間の弱さ。
  • 自分は大丈夫だと思っている人こそ危ない、と聖書は繰り返し述べる
  • コリント第一8:2「もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。」
  • コリント第一10:12「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。」
  1. 砕かれて用いられたペテロ
  • ペテロは泣いた・・・ペテロが生まれ変わる出発点。
  • 自分の弱さを思い知らされた。そこに神の力が注がれた。
  • ペンテコステの日のペテロ「あなた方がイエスを十字架につけたのだ」
  • 使徒行伝4章では大胆にイエスの救いを語った。8-12節、18-20節。
  • ペテロの殉教

<テイクアウトQuestion>

  1. 聖書はどうして、最初の教会の指導者であったペテロの失敗する姿を何度も書いているのでしょうか?
  2. この世では自分の力で生きることの大切さが語られることが多いです。どうして、自分の力で生きていくことに問題があるのでしょうか?
  3. どうして砕かれた人は神に用いられることができるのでしょうか?
  4. あなた自身が砕かれた経験がありますか?どんな経験だったでしょうか?

『足を洗うイエス』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所:ヨハネによる福音書13章1節〜15節

 

  • 最後の晩餐・・・大切な人たちと、大切な話をする。
  • イエスが足を洗われたことは、イエスの愛の現れ。
  1. 弟子たちに仕えたイエス
  • 当時の社会の中で、足を洗うのは奴隷の仕事。
  • ここには奴隷がいなかった。誰が?互いに一番格下の存在を探した。
  • イエスは自分が立って、弟子たちの足を洗われた。
  • イエスは言われた。「あなたがたも互いに足を洗い合いなさい」と。
  • 今で言うならば、どういうこと?
  • 教会でいうならばどういうこと?
  • 注目されることでもなく、感謝されることでもなく、互いに「誰かやってくれるといいけど」ということ・・・。
  1. 弟子たちの足を洗われたイエス
  • 6-11節のペテロとイエスのやりとり
  • イエスの十字架は、私たちの罪を洗い流すことを象徴的に表していた。
  • 「もしも、私が洗わなければ、あなたは私となんの関わりもなくなる」
  • 「私の足は洗わないでください」・・・自分でやります?
  • それと同じことを私たちは神様に対してしていないだろうか?
    一生懸命自分で準備をして、「さあ、イエス様を受けいれます」と。
  • イエスは今も、私たちにそのままの心で来るようにと招かれている。
  • 洗うのはイエス様。自分の力できれいにするのではない。
  • 一番隠しておきたい、一番恥ずかしいと思うところをイエスに差し出すこと。

<テイクアウトQuestion>

  1. 人々の足を洗う、ということは、今の時代に当てはめるとどんなことになると思いますか?
  2. 教会で「互いに足を洗い合う」とは具体的にどんなことが考えられるでしょうか?あなたは何ができるでしょうか?
  3. あなたはイエスに、「自分の足を洗ってもらう」経験をしたことがありますか?どんな経験でしょうか?

2019年3月3日『十字架への道』

説教 : 錦織学牧師
聖書箇所:マタイによる福音書16章13節〜28節

 

  • イエスの「公生涯」の転換点になる時。
  • ここから受難(十字架)のことを、弟子たちに語り始める。
  1. ペテロの信仰告白
  • 「あなたは何と言うか?」という問い。
    他の人の意見は聞いた。でも、あなたは何と言うか?
  • ペテロの答え・・・「生ける神の子キリスト」・・・救い主
  • この岩の上に教会を建てよう。
    ・・・教会はこの信仰ゆえに一つになっている。
  • あなたの答えは?
  1. イエスの使命
  • 十字架への道を語り始めたイエス。
  • 弟子たちはそれを受け入れることができなかった。
    ペテロ「そんなことがあってはなりません」
  • イエスはその言葉の中にサタンの声を聞いた「十字架なんかやめろ」
  • 弟子たちは自分たちの期待にイエスを当てはめようとした。
  • イエスは一貫して、そのサタンの言葉、人々の期待を退けた。
    十字架への道・・・私たちを救うため。
  1. イエスに従う者たち
  • イエスは自分が、十字架への道を歩むだけではなく、
    イエスに従う人々をも、自分を捨て、十字架を背負う歩みに招かれる。
  • 十字架を負う・・・死刑判決を受けた者として歩む。
    自分の夢、自分の願い、自分の考え、自分の主義主張にこだわらない。
  • 自分を捨てる時にこそ、本当の自分を取り戻すことができる。
  • 捨てるべきもの、結局はプライド?

<テイクアウトQuestion>

  1. あなたは自分の言葉として、イエスをどんな方だと告白しますか?
  2. あなたにとって、一番大切なものは何でしょうか?それをイエスのためにささげることができますか?
  3. 自分を捨てた時に、どんなものを得ることができるでしょうか?

 

2019年2月24日『主の祈り』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書6章9節〜15節

  • 「主の祈り」・・・イエスが「このよう祈りなさい」と教えられた。
  • 毎週の礼拝の中で祈っている。
  • 意味はどれだけわかっているだろうか?
  1. 主の祈りは何か?
  • 神の国を求める祈り
    →神様の素晴らしさ、神様の愛、神様の思いが、この地上でも、豊かに表されるようにと祈っている。
    →その視点で、後半を見ていくと、私たちの人生の中に神様の支配が溢れますように、という祈り。
  • 私を通して
  • 私を超えて
  1. 主の祈りの中心である赦し
  • 主の祈りの後で、イエスは赦しのことを改めて言われた。
    神の国、神の愛の支配の中で、大きな問題は赦しの問題。
    神の国を壊す問題・・・赦せない、という問題。
    神様の愛の支配は、赦しを通して表される
  • マタイ18:23-35・・・100デナリの借金を赦せなかった。・・・確実に相手が悪い。でも、自分はそれをはるかに超えるものを赦されている。
  1. 主の祈りの土台である神との信頼関係
  • 「父よ」からはじまる。・・・信頼の呼びかけ。
    それを可能にするイエスの十字架の恵み。
  • 山上の説教の前提は・・・「神が私たちを愛し、私たちを救ってくださったのだから」・・・あなたは10000タラント赦されているのだ。

<テイクアウトQuestion>

  1. 「主の祈り」をどのような思いで祈ってきましたか?
  2. 主の祈りの中で、どの祈りが、今あなたの心にぴったり当てはまるでしょうか?どこかに引っかかる言葉はありますか?
  3. あなたには赦すべき人がいるでしょうか?どんな人でしょうか?

2019年2月10日『神の報い』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書6章5節〜6節

  • 一緒にいるだけで嬉しい、楽しい、って究極の関係。
    神の報いって、そういうものではないか?
  1. 神様の報いって何?
  • この世でいいことがある?天国でいいものがたくさん準備されている?
  • 「天に宝を積む」→「献金をしたら天国銀行にたくさん貯金がある」
    「神様のために一生懸命やったから、神様はたくさんいいものを天国で準備してくださる」
  • でも、祈りの報いって何?隠れて祈ったら、天国の報いがある?
  • 天国・・・神の愛に満たされていること。神とともにあることこそが、「戸を閉じた祈り」に与えられる報い。
  • 神様ご自身と、神様が与えてくださる何か、とどちらを大切にしているか?どちらを期待しているか?どちらを喜んでいるか?
  • 神様の与える平安・・・ピリピ4:6-7
  • ヤコブのペニエルの経験・・・創世記32章
  1. 戸を開けておきたい気持ち
  • イエスはあえて「戸を閉じて」と言われた。⇔開けておきたい気持ち
  • 「私は祈っていますよ」と言いたい時。誰かへの励ましならいい。
  • でも、そうではなく、自分が祈っていることを認めて欲しい気持ち。
  • また反対に「恥ずかしいから」というのも「認められたい」の裏返し。
  • 放蕩息子のたとえ・・・ルカ15章
    兄息子・・・こんなにやったのに!認めてくれ!
    でも、父は兄も弟も、そのまま受け入れた。
  • 神とともにいることを喜ぶ。人に認められて満足なんてもったいない!

<テイクアウトQuestion>

  1. 神様は私たちにどんな報いを与えてくださると聖書は語っていますか?その中で一番素晴らしいものは何でしょうか?あなたは何が一番嬉しいですか?
  2. あなたは祈りについて、後ろの戸を開けて祈りたいと思うことはありません

2019年1月27日『真理はあなたを自由にする』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨハネによる福音書(John) 8:31-32

  • 今年、教会のために与えられているみことば。
  1. 自分を縛っているものを知る
  • イエスを信じた人たち→最後はイエスを殺そうとした。
    ・・・33節「私たちはもともと奴隷になんてなったことはない」
  • 第一コリント8章2節「知っていると思っている人は知らない」
    自分が何かに縛られていると知ることがまず大切。
  • 何に縛られているのだろうか?
  • 「罪」「死」「律法主義」「過去の傷」「恨みや怒り」
  • 全ては認めるところから始まる。
  1. 神の子の自由
  • イエスを信じる者たちは自由を与えられる。
    神の子としての自由。ローマ8:15
    神の子として、神を信頼して歩める自由。⇔ 奴隷として、ビクビク歩む。
  • もう2度と奴隷のくびきに繋がれてはいけない・・・ガラテヤ5:1
    奴隷のくびき ⇔ イエスが私たちのために準備してくださっているくびきマタイ11:30「わたしのくびきは負いやすく」・・・「ぴったりフィットする」カスタムメイド。
  • 他の人とは違う。違っていい。違わないといけない。
  1. 隣人のための自由
  • ガラテヤ5:13-14
  • 私たちの与えられた自由は、自分勝手に生きるためではない。隣人に仕えるため。隣人を愛するための自由。

<テイクアウトQuestion>

  1. あなたは自由ですか?あなたは何かに縛られていますか?あなたを縛っているものは何でしょうか?
  2. イエスはどのように私たちに自由を与えてくださるのでしょうか?自分が今まで経験した「解放」はどのようなものだったでしょうか?
  3. あなたはイエスによって与えられた(与えられる)自由を、これからどのように用いていきますか?

2019年1月6日『イエスに触れる』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨハネによる福音書20章30節〜31節

  • 4つの福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)
    一つのイエスの生涯を、4人の人が書いた。
    4つの角度から書いた。・・・でも共通のメッセージもある
  • マタイ・マルコ・ルカは似ている。・・・共観福音書。
    マルコが最初に書かれて、マタイとルカはマルコを参考にした。
    イエスの伝記→「この方はほんとうに神の子だった」
  • ヨハネ・・・最初からおられた神の子→人となってくださった。
  • マタイ・・・ユダヤ人に向けて書かれた。イエスは旧約聖書に予言されてきた救い主。ユダヤ人の王。→世界の救い主。
  • マルコ・・・イエスは神の子、神のしもべ。人々に仕える方。イエスの言葉よりも、イエスの働き。「すぐに」という言葉の多用。
  • ルカ・・・テオピロというローマの高官宛。イエスは「ほんとうの人」として歩まれた。「良きサマリヤ人」「放蕩息子」「ザアカイ」など。
  • ヨハネ・・・最初からおられた神の子であり、言であり、光であり、命を与える方が、この世に来られた。私たちに命を与えてくださる。

→4つの角度から見ることによって、イエスの生涯が本当に豊かなものとして分かってくる。・・・聖書を通してイエスに触れる。

  • 共通するメッセージ。・・・イエスはご自身を与えてくださった。
  • 当時の当たり前の「王」「神のしもべ」「神の子」「救い主」「ほんとうの人」とは違う、革命的な形でご自身を表された。
  • 十字架の人々の言葉。「神の子なら、イスラエルの王なら、救い主なら、そこから降りてきてみろ」・・・サタンの誘惑の延長。
  • イエスはその期待には応えず、自分を与え尽くされた。
    →私たちはどのように応えるのか?

<テイクアウトQuestion>

  1. どうして、聖書には4つの福音書が入っているのだと思いますか?
  2. その4つの福音書に共通するメッセージはどんなことがあるでしょうか?
  3. あなたは全てを与えられたイエスにどのようにお応えしようと思いますか?具体的にお応えすることができるのはどんなことでしょうか?

2018年12月30日 『注がれた愛を知る』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨハネ第一の手紙3章1節

  • 今年のみ言葉・・・神の愛を味わう。
    →外側を飾るのではなく、内側から溢れるもの。
  • 私たちはどれだけその恵みをあじわってきただろうか?
  • キャンドルライトサービスから「関係ない」と「必要ない」
  1. 「救い主は関係ない」と感じている人への神の愛
  • 「教会は自分のような者の行くところではない」と思っておられる方がおられる。
  • イエスの誕生の場面の羊飼いたち。・・・飼い葉桶のしるし「これこそが救い主なんだ!」という神からのメッセージ。
  • 放蕩息子の弟息子。・・・自分には資格がない。
    でも、父は彼を抱きしめ、息子として受け入れた。
    洗ってこい!誠意を見せろ!ではない。
  • 神は、イエスの十字架ゆえに、私たちのことをそのように受け入れてくださる。
  1. 「救い主は必要ない」と感じている人への神の愛
  • 自分は大丈夫、と思っている人。
  • 放蕩息子のお兄さんの方。
    「自分はこんなに頑張ってきた!」
  • ほとんどの方々がこうだろう。
  • 私の使命がここにあることがはっきりした。
    自分もそうだったから。
  • 本当に神の愛がわかっていますか?
    ・・・第一ヨハネ3:1は教会の人へのメッセージ。
  • 頑張っても偽善者にしかなれない私たちも愛されている。

<テイクアウトQuestion>

  1. あなたは放蕩息子のストーリー(ルカ15章)を読む時には、兄と弟、どちらに自分を重ね合わせて読んでいるでしょうか?
  2. 神様の愛はあなたの人生のどこに注がれていると思いますか?
  3. この一年、あなたはどのように神様の愛を味わうことができたでしょうか?

2018年12月23日 『王としてこられた救い主』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書2章1節〜12節

 

 

愛の反対語は何?
  • 憎しみ?
  • 無関心?
  • 恐れ?
    「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く」(1ヨハネ4:18)
  • 今日の聖書箇所に出てくる二人の王。
  • ヘロデ=恐れに支配されている王
    多くの功績をあげて、「大王」と呼ばれている。
    しかし、恐れに支配されていた。
    自分の地位を脅かすものを抹殺していった。
    周りの人々も恐れていた。「ヘロデ王は不安を感じた」
  • 周りの人々も恐れで支配しようとする。
    自分が恐れで支配されていると、周りの人も恐れさせる。
  • もう一人の王=「ユダヤ人の王としてお生れになった方」=イエス
    権力も、軍事力もない。
  • 自分を与えることによって、人々の心を掴み、王となられた。
  • サタンの誘惑・・・豊かになって満足せよ。
  • 十字架の下の人々の声・・・他人を救ったが自分を救えない。
⇔イエスは自分を十字架に与えることによって、私たちの王となる。
  • 愛に支配されると、恐れる必要がない。自分を守ろうとする必要もない
  • 今、ヘロデを王とする人々はいない。しかし、イエスを王とする人々は世界にあふれている。あなたは誰を王とするか?
<テイクアウトQuestion>
  1. 「愛」の反対語、どんなことが心に浮かびますか?どうしてそう思うのでしょうか?
  2. 恐れに支配されている時、私たちはどのように行動するでしょうか?
  3. 愛に支配された生き方ってどんな生き方でしょうか?

2018年12月16日 『主を喜ぶ』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ネヘミヤ記 8章1節〜12節

 

  • 「主を喜ぶことはあなたがたの力です」
    「主を喜ぶ」ってどういうこと?
    「神様がこんなことをしてくださったから喜ぶ」とかならわかりやすい。「病気が治った」「商売がうまくいった」「学校に合格した」・・・
    「神が愛してくださったから」「イエスがお生まれになったから」
    ・・・これは近い。
    でも、「神を喜ぶ」とは?
  • ローマ5章に出てくる3つの喜び。
    「永遠の希望を喜ぶ」(2節)「患難をも喜ぶ」(3節)「神を喜ぶ」
  • 神を喜ぶ・・・経験するしかない。でも、この世にも似たようなこと。
    • 恋愛・・・どうして好きになったかわからない。存在自体が嬉しい。
    • 子供が生まれた時・・・「無条件でかわいい」
    • 誕生日・・・存在自体を喜ぶ、お祝いする。
  • まず、神様が私たちの存在を喜んでくださったから。
    罪人のために死なれたイエス。
  • インマヌエル・・・神が我らと共にいる
  • 放蕩息子のお父さん、その息子をそのまま、丸まま、受け入れた。
<テイクアウトQuestion>
  1. 「神様がこうしてくださったから喜ぶ」という場合にどんなことを思いつきますか?それらのことと「神を喜ぶ」とはどのような違いがありますか?
  2. 神はあなたを喜んでおられると思いますか?どうしてそのように思うのですか?
  3. 日々の生活の中で「神を喜ぶ」ために、どんなことをしていますか?あなたはどんな時に神を喜んでいるでしょうか?どんなことが助けになるでしょうか?

2018年12月9日 『羊飼いなる救い主』

 

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: エゼキエル書34章11節〜16節

 

 

羊は迷いやすい。
イスラエルの指導者たち、羊を養うのではなく、食い物にする
→これからは私が羊飼いだ、と神は言われる。→救い主の預言。
1)羊を養う救い主
神様は、私たちを探してくださった。
気がつかない時にも、あなたを導いてこられた。
神様は私たちを集めた。違う存在を集めた。イエスの弟子たちも。
養う。・・・泉のほとりで養う。
・・・愛で養う。愛されているなあ、という経験、肯定。
基本的信頼。「幼子のようにならなければ」
2)弱い者に注目する救い主
失せたもの、迷い出たもの、傷ついたもの、弱ったもの、そのようなものに対する神の特別な思い。・・・これが公平。
イエスがこの世に来られた時に、飼い葉桶の中に寝かされていた。・・・「それがしるしだ」(ルカ2:12)・・・このしるしは、シンボル。
羊飼いに神様はご自身をidentifyされた。
降りてきて、私たちと同じところを歩まれた。底辺を歩まれた。
イエスは「私は仕えるために来た」(マルコ10:45)と言われた。本当に私たちに仕えて、ご自身を十字架に与えてくださった。
イエス様が仕えてくださったその恵みをいっぱいに味わうこと。
イエスが弟子たちの足を洗った時のペテロに対するメッセージ。
<テイクアウトQuestion>
1)あなたは迷うことはありますか?どうして迷うのでしょうか?どんな時に迷いますか?何があなたを迷わせるのでしょうか?
2)神が、私たちの羊飼いであると宣言してくださいました。イエスは羊飼いとして世に来られました。神は、あなたにとってどんな羊飼いでしょうか?
3)神は弱い者に注目することによって公平であると言われました。そのことについて、あなたはどう思いますか?

2018年12月2日 『希望を与える神の計画』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: エレミヤ書29章1節〜14節

 

今日からアドベント
どれくらい待つことができるか?どう期待するかによる。
1)神が与える平安
平安・・・シャローム。
 問題がないことではない。波風が立たないことではない。
 問題の只中で、与えられる平安。
「神はご計画を持っておられる」
あなたを捨てるのではなく、あなたをtake careする計画
2)神の時間軸
問題・・・バビロン捕囚・・・「すぐに帰れるよ!」という偽預言者。
エレミヤのメッセージはそこに腰を落ち着けなさい、バビロンの祝福を祈りなさい。70年後に解放を与えられるのだ。
究極的には救い主が送られてくるという約束。
主の計画の中心は私たちの救いの計画。
500年以上・・・主のご計画は私たちの人生の長さには収まりきらない
3)神と共に歩み幸い
神の究極的な計画・・・イエスによる救い・・・によって神と共に生きることを知ることができた!
12−13節「神に祈りなさい」「神に求めなさい」ということ。
13節の「尋ね求める」を2回(口語訳)、「尋ね求める」「求める」(新共同訳)「捜し求める」を1回→「探し求める」「求める」(新改訳)
元々は、これは2つ違う言葉が使われている。バーカシュ(情熱的)とダーラシュ(理性的)。熱い想いと、冷静な頭で。
<テイクアウトQuestion>
1)あなたは待つことができる方ですか?できない方ですか?
2)神の時間軸と、私たちの時間軸はどのような関係になっているのでしょうか?
3)神に祈ることはどんな祝福でしょうか?どんな喜びがあるでしょうか?

2018年11月25日 『我らを持ち運ぶ神』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: イザヤ書46章1節〜9節

 

アブラハムの伝説。「こんなのに、そんなことできるわけない」
人々に運ばれる神と、私たちを運ぶ神。神はあなたを背負われる。
1)あなたをここまで運んだ神
自分の力で生きてきたと思っている私たち・・・違う。私が運んだ。
イスラエルの民・・・アブラハム、ヨセフ、モーセ「出エジプト」
あなた自身・・・子供の時から、一つ一つの出会い、神のところに導かれた。今日ここにいるのも、神があなたを運ばれた。
JCCNJの歩み・・・30年の歩みを支えられたのは神。必要を満たし続けてくださった神。私たちが神を支えているのではなく、神が私たちを支えてきた。
私たちは偶像礼拝をすることはないかもしれない。
しかし、自分が神を支えている、自分が神のために頑張ってきた、と思っているならば、それは偶像礼拝をしているのと同じ。
2)あなたをこれからも運ぶ神
「聞け」(3節)→神に聞くこと。55章「神の思いは人の思いと全然違うよ、だから、神の言葉に聞け!」
私はあなたを造ったから、あなたをここまで導いたから、ずっとあなたを負っていくよ、年老いても、白髪になっても。
「介護が必要な、自分では身の回りのことができなくなっても」私があなたを運ぶから。
Footprintsの詩
イエスは私たちの罪を負われた。死をも打ち破って、私たちを迎えてくださる。
<テイクアウトQuestion>
1)あなたが神様に運ばれたと感じることはありますか?神様はあなたをどのようにここまで運ばれたでしょうか?
2)これからのあなたの歩みについて、心にかかることはどんなことがありますか?それについて、神はどのように約束をしておられるでしょうか?

 

2018年11月18日 『谷間に泉が湧く』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 詩篇84編

 

 

幸い・・・アシュレーという言葉。
・・・語源は「導く」→「導かれている」→「幸い」
幸せは、状況で左右されるものなのか?
どんな状況の中でも、変わることのない、幸い。
実はこの詩は、離れた地にあって、エルサレムを思って書いた詩。
1)主の家に住む幸い
あなたの居場所はどこか?ほっとできるところ。
家庭、職場?
神こそが、あなたの居場所になる。神はあなたのことを受け入れる。
2)谷間に泉が湧く幸い
バカの谷を行く時もそこに泉が湧く。
バカ・・・乾燥に強い植物。・・・渇いた谷、困難の谷。
新改訳「涙の谷」新共同訳「嘆きの谷」
状況が困難であっても、そこで泉が湧くのだということ。
「乾ききった谷を通り過ぎたら、オアシスがある」というのではない
涙の谷の只中で、泉を与えてくださるのが神様。
3)神を信頼する幸い
信頼する・・・身を投げ出す、という意味の言葉。
自分の願った通りにならなくても、主は良いことをしてくださるのだと信じること。⇔自分の願い通りに神様を振り回す。
「あたりまえ」ではなく「ありがたき」こと。
イエスが私たちのために命を与えてくださったのだから。
<テイクアウトQuestion>
1)あなたはどんな時に幸せを感じますか?こうなったら幸せなのに、と思うことはありますか?
2)状況に左右されない幸せ、というものがあると思いますか?それはどんなものでしょうか?
3)谷間の中でも泉が湧く、とは実際にはどのようなことなのでしょうか?そのような経験をしたことがありますか?

2018年11月11日 『『一切は空』から『主にある喜び』へ』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 伝道の書12章1節〜14節

 

序)
まず「神が・・・」から入らない方法もある。
「伝道の書」はそのアプローチ。
始まりは「空の空、空の空、一切は空」。
平家物語のよう・・・諸行無常
結論は「神を恐れよ」。
1)神抜きで生きる意味
ソロモンの権力、富、知恵、名声。・・・一切は空。
ジョージ・フォアマン・・・力、勝利、名声、富・・・こんなことのために生きているのか?
この水を飲む者はまた渇く(ヨハネ4:13)
私たちのうちにある空洞。それを埋めるためにいろんなことをする。
なんとか埋めようとする。なんとか見つけようとする。
しかし、それでは満たされない。
私が与える水を飲む者は、いつまでも渇かず、私の与える水は、その人の中で泉となる(ヨハネ4:14)
2)人の限界と神の支配
3章・・・全てのことには時がある。
→神のなさることは時にかなって美しい。(11節)
→でも、私たちは全てを見極めることができない。
水の上にパンを投げよ(11章1節)
無駄に見えるようなことでも大胆にしなさい。
見えなくても、神様は報いてくださるから。回収させてくださるから。
ローマ8:28・・・万事を益にしてくださる
テイクアウトQuestion
1)「はじめに神が・・・」と始まる創世記と、最初に神を前提としていない伝道の書と、あなたはどちらが受け入れやすいですか?
2)あなたの心を満たすものは何でしょうか?本当に神様によって満たされているという感覚がありますか?
3)神様を信頼する時にどのような生き方ができるでしょうか?

2018年11月4日 『炎をもって答える神』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 列王記上18章17節〜39節

 

序)
民は神と共に歩まない。神に背く、神を捨てる。
そんな中で、神と共に歩む人々。このエリヤもその一人。
神と共に歩むとはどういうことなのか、それをここからお話しする。
1)壊れていた祭壇を繕う
・祈りの祭壇・・・あなたの祈りの生活はどうなっているか?
 壊れていた祭壇・・・人々に忘れられていた/軽んじられていた。
 気にはなっていたのだけれども・・・実行しないとダメ。
・自分自身の献身
 ささげもの。
 最高のものを主に捧げる。
・イエスの十字架の恵み
 しかし、結局のところ、私たちの祭壇は、イエスの十字架。
 イエスの十字架に感謝すること、その恵みに応えること。
 →悔い改め。
2)天からの火を求める
・天からの火・・・聖霊様。
・聖霊様はどんなことをなさるか?
 罪を示し、救いを示す ヨハネ16章8節
 イエスを証しする ヨハネ15章26節
 私たちに力を与え、イエスの証人とする 使徒行伝1章8節
 み言葉を私たちの心に分からせてくださる
 平安を与えてくださる。
  不純なものを燃やし尽くしてくださる。
テイクアウトQuestion
1)「壊れていた祭壇」というところで、あなたは何が壊れた祭壇だと思いましたか?
2)聖霊様はどんなことをしてくださるでしょうか?今までどんなことをしてくださいましたか?今日は祈っている中で、どんなことを語ってくださいましたか?

 

2018年10月28日 『神を王とする歩み』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨシュア記5章13−15節

神を王として歩む。・・・「ははー」とひれ伏し、嫌なこともしないといけなくて、無理してやらないとダメ、と思っている?
⇔神を王として歩むことは、祝福にあふれ、平安と喜びにあふれている。
1)何を王とするのか?
自分・・・自分のやり方、自分のビジョン、自分の考え。
人の声、人の顔色・・・結局、自分の評価、自分の評判が気になる。
サウル王・・・民が去っていこうとするときに、サムエルを待てずに、自分で犠牲を捧げてしまう。(サムエル上13章8-15節)
滅ぼすべきもの中から、それには惜しいものを取っておく。「民が神様への犠牲にするために・・・」
神よりも人を恐れた。・・・自分のため。
ヨシュアも、自分の作戦を捨てて、神の作戦を聞いた。
この作戦実行のために人の声ではなく、神を王とする必要があった。
2)神の前の降伏
この主の軍勢の将の「NO」は「敵ですか?」に対する「NO」であると共に、「味方ですか?」に対する「NO」でもあった。
「足の靴を脱ぎなさい」・・・全面降伏。
「あの人を取り扱ってください」という祈りから「私を変えてください、私があなたに従います」という祈りへ。
崩されなければいけないエリコの城は何?・・・自分の心の中に。
テイクアウトQuestion
1)あなたは、クリスチャンになる前に、何を王としていましたか?今も、自分が何を王としやすい傾向があると思いますか?
2)神を王とするということはどういうことでしょうか?
3)あなたの心の中にはエリコの城はないでしょうか?それはどんな城でしょうか?それを崩していただくためには何が必要だと思いますか?

2018年10月21日 『神と共に歩む』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 出エジプト記20章1節〜17節

 

  • 十戒・・・十戒の全体像、十戒こそ、神と共に歩むガイドライン。
  • イエスの言葉、マタイ22:36-40「神を愛しなさい」「自分を愛するように隣人を愛しなさい」。
  1. 神を愛しなさい。
  • 私の他に何者をも神としてはならない(1)・・・神を神としなさい。
  • 刻んだ像を作ってはならない(2)・・・神様を形の中に、自分のイメージの中に、閉じ込めようとしてはなりません。
  • 主の名をみだりに唱えてはならない(3)・・・神を自分のために利用してはならない。

→神様をあなたの子分にしていないだろうか?

  1. 隣人を愛しなさい
  • 6つ目から9つ目は、明らかな周りの人との関係における戒め
    殺すな(6)、姦淫するな(7)、盗むな(8)、偽証をするな(9)
  • 人格を大切にしなさい・・・「神のかたちは人格である」
  • 「自分がしてほしいように、人々にもしなさい」マタイ7:12
  1. 自分を愛しなさい
  • 「自分を愛するように隣人を愛しなさい」
  • 安息日を覚えなさい(4)・・・ただ、主の前に愛されている存在として、主に作られて、受け入れられている存在として「ある」。
  • 隣人のものをむさぼってはならない(10)・・・神様が与えられたもの、神様が託されたもの、そこに感謝をしなさい。
  • 父と母を敬え(5)・・・神があなたをあの両親のところに送られた。
  • 全ては最初の言葉が土台・・・「私はあなたを導き出した者である」
  • いつも神様の愛、神様の恵みが先。
  1. イスラエルの民はエジプトから解放されて、十戒を与えられましたが、あなたは神様からどんな解放を与えられているでしょうか?
  2. 神を愛すること、自分を愛すること、隣人を愛することの中で、一番難しいと思うことは何ですか?

 

2018年10月14日 『海を分けられる神』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 出エジプト記 14:10-31

 

言葉だけではなく、いろんな方法で私たちに語られる神。
アブラハムとその子孫を通して、「神と共に歩む」ことを伝える。
1)人のピンチが神のチャンス
神と共に歩む・・・万事順調、順風満帆・・・ではない。
イスラエルの民・・・エジプトから解放される。
でも、海に向かって進むように導かれる
+そこにエジプトの軍隊が追いかけてくる。
人のピンチは神のチャンス(神を知るチャンス)
前後挟まれて、どうにもならない・・・神こそが助け!
800年後、アッシリアの脅威の下にあったユダ王国
神の助けではなく、エジプトの助けを得ようとした。
神は静まりなさい!落ち着きなさい!私を頼りなさい!と言われる。
イザヤ書30:15-18
「悔い改めて神を信頼する」
2)静まることってどんなこと?
民は「エジプトで奴隷であったほうがよかった!」と文句を言う。
「神が戦われるから見ていなさい」「あなたがたは黙っていなさい」
→詩篇46:10「静まって私こそ神であることを知れ」
こちらはsink, relax, withdrawなどの意味。
出エジプト14:14の「黙っていなさい」
「いろいろ言いたいことはあるだろうけれども、黙りなさい」の意味。
乱暴な言葉?
私たちは納得いかないことがあるかもしれないけれども、神に従っていく。私たちには見えていないこともある。そこでも神様を信頼すること。
<テイクアウトQuestions>
1)神と共に歩んでいるのに、どうしてこんなことになるのだろうか?と思うことはありますか?どんなことでしょうか?
2)困難の中で、私たちに求められているのはどんなことでしょうか?
3)納得できないときにも神を信頼することはできるでしょうか?どんな難しさがありますか?

2018年10月7日 『祝福の約束』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 創世記12章1節〜3節

 

「三つの願い」のストーリー。
あなたならば、何を願う?
私たちが願うべき「神の祝福」
1)「祝福」って何?
状況ではない。内側にあふれて外側に流れていくもの。
アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、イスラエルの歴史。
「祝福」は困難の中にあっても神によって与えられる力。
ブドウの実が熟して触ると果汁があふれてくる様子。
あなたは触ると何が出てくるか?
愚痴や文句、怒りが出てくることはないか?
2)呼ばれたら応える!
アブラハムは招かれて、神様に答えた。その通りに従った。4節。
自分を支えているもの、それを神様ゆえに手放した。
安定した生活、人の繋がり、慣れた土地
→頼るものは神なんだというところに立った。
神の約束を信頼した。
約束の子供が与えられるまでこれからさらに25年
ガタガタした時もあった。でも、そこでも神との関係に生きた。
3)やっぱりイエス様!
神の祝福はアブラハムとその子孫に。
その子孫というとユダヤ人、ユダヤ民族?でも究極的にはイエス
ガラテヤ3:16
そして、イエスを信じる者たちへ(ガラテヤ3:6-9)
イエスの十字架によって、神と共に歩む。
<テイクアウトQuestions>
1)あなたは今、何を求めているでしょうか?
2)「祝福」は何でしょうか?祝福されている人は周りにいますか?どうしてそう思うのですか?あなたは祝福されていますか?
3)祝福をいただくためには何が必要でしょうか?

2018年9月30日 『人の弱さ』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 創世記11章1節〜9節

 

過ちを犯した人の言葉「自分の弱さと未熟さを自覚しました」
星野富弘さんの言葉「私は自分の弱さを自ら認めたくなかった・・・」
私たちは弱い存在。聖書はそのことをどのように語っているのか?
その中で私たちはどのように生きるべきか?
1)私たちの弱さ
アダムとエバの罪・・・神のように。逃げる、隠れる、責任転嫁をする。→それから罪が広がっていった。
カインの罪・・・妬み。
ノアの時代の罪・・・神に従うよりも、自分の好みを優先する
バベルの塔の罪・・・力を合わせて神に届く。
私たちの弱さ・・・もっと良く生きたいのだけれどもどうにもならない
でも一番弱さは、自分の姿を認めないこと。
2)弱さを持って生きる
弱さは克服しなければいけないような先入観。
→弱さを隠す。攻撃されると怖い。
⇔でも、聖書は弱さに神の恵みが注がれ流のだということを語る。
バベルの塔を建てた人々、「みんなで力を合わせる」
 力を合わせることによって、神に届こう
力を合わせることによって、散らされるのを防ごう
・・・地に満ちよ、と言われた神の言葉に対する不従順。
弱いから、神が必要。「神を信じるなんて、弱い人だ」?
神の前にひれ伏す。(ヨシュア記5章13−15節)
「一つになる」ことが変わる・・・神の前にへりくだることによる一致
<テイクアウトQuestions>
1)人は弱いものでしょうか?強いものでしょうか?強くなるべきでしょうか?そのままでいいでしょうか?どうしてそう思いますか?
2)バベルの塔を建てた人々の問題はなんだったでしょうか?
3)弱さを抱えて生きる私たちにとって、大切なことはなんでしょうか?

2018年9月23日 『罪の始まり』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 創世記3章1節〜13節

 

 

・神が造られた世界・・・ならば、なぜ悲惨や不条理があるのか?
・神が造られた人間・・・ならば、どうしてこんなに問題があるのか?
・聖書の答え・・・罪が入ってきたから。
1)罪の本質
・サタンの誘惑「すべての木の実を食べてはいけないと?」
「あなたの目が開けて神のようになることを知っている」・・・神は意地悪、偽り者・・・神への信頼が揺るがされる。
・「あなたが神になる」
・・・神を神としないで、自分を神とする・・・これが罪の本質。
2)罪の結果
・恥ずかしい・逃げたい。
→「必ず死ぬ」・・・そこで倒れて死んだのではなかった。
・
神から離れてしまう・・・霊的な死。肉体の死も世の中に入って来た。
・責任転嫁・・・人に対して、神に対して。マタイ7:3
3)一筋の光
・15節・・・サタンに対する救い主の勝利。
・21節・・・皮の衣。
⇔アダムとエバのイチジクの葉・・・自分で自分の恥を隠そうとした。・・・すぐに萎れてしまう。
神はそれに代えて、皮の衣を作った。・・・動物が犠牲になった。
これはイエスの予表だった。神は救いの道を準備しておられた。
<テイクアウトQuestions>
1)罪の本質は何でしょうか?それが自分の中にもあると思いますか?
2)罪の結果、私たちにはどんなことが起こったでしょうか?それが自分にも影響を与えていることを感じますか?
3)その罪に陥ってしまった人間のために神様はどんな道を備えてくださったでしょうか?

2018年9月16日 『私たちの使命』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 創世記2章4節〜9節

 

先週の休暇→「良い休暇というのは、その休暇が終わった時に、やる気を持って仕事に戻りたくなっているようにさせるものである
日曜日の夕方、月曜日の朝の気持ちは?金曜日の夕方の気持ちは?TGIF?
なんのために仕事をしている?
「生活の糧」「教会や牧師を支えるため」「職場で伝道するため」

「早くリタイアして、もっと教会のために・・・」
私たちの使命は「福音を伝えること」
・・・「全世界に出て行って全ての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)など。
しかし、世の始めからの私たちの使命・・・創世記1:28「地を管理する」創世記2:15「アダムにエデンの園を守らせ、耕させた」
→仕事をしなさい、この地を管理しなさい、土を耕しなさい。
「神のかたち」・・・「霊的な部分」「人格」(先週)
→神の代わりに地を治める。
それが変わってしまったのが、罪を犯して、神から離れたことの結果。
「一生苦しんで地から食物を取る・・・額に汗をしてパンを食べ、ついに土に帰る」(創世記3:17-19)
・・・労働が苦痛になり、人生の意味を見失う。
イエスによって、私たちを愛で満たし、神と共に歩み、労働の祝福を経験させてくださる。
祝福を運ぶ器として、仕事の中でも、祝福を持ち運ばせてくださる。
<テイクアウトQuestions>
1)あなたにとって仕事はなんでしょうか?どうして仕事をするのでしょうか?なんのために仕事をするのでしょうか?
2)神様は天地創造の時に、人にどのような意味で仕事を託されたのでしょうか?神はあなたにどんな思いで仕事を託されたのだと思いますか?
3)罪によって、苦痛となってしまった仕事を、もう一度祝福として受け止めるためには何が必要でしょうか?あなたが今の仕事を神からの使命として受け止める時に、どんなことができるでしょうか?

2018年9月9日 『世界への神の情熱』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 創世記1章1節〜4節


 

聖書は神の存在の議論ではなく、「はじめに神が」でスタートする。
神がこの世界を造られた。偶然ではない。
神は愛をもって、情熱をもって、この世界を造られた。
1)喜びをもって世界を造られた神
2節:世界が始まる前、混沌の時から神の霊が、世界を覆っていた。
そして、神は「光あれ!」という言葉から、世界を造られた。
一つ一つ「これはよかった」「ああ、これは素晴らしい!」と感嘆の声をあげながら、造られた。
ちゃちゃっと造られたのではない。一つ一つゆっくりと造られた。
2)ご自身のかたちに私たちを造られた神
26節:自分に似せて造る・・・自分に似た存在は嬉しい。
「神のかたち」・・・霊的な部分・・・神との交わりに生きる。
神を愛したり、礼拝したり、祈ったり、従ったりできる存在。
外側ではない、内側の問題。
関先生・・・「神のかたちは『人格』」・・・人格的に生きるのは人が幸せになること。傷つくのは人格が支配されること。
その神のかたちが神と共に歩んでいく時に、一番満たされるように造られている。強制ではなく、無理やりではなく、自分の決断で、自分の判断で、「あなたを愛します。崇めます。従います」と歩む時に、私たちの心は一番満たされる。
そのために、神は私たちと歩むために、イエスを与えた。
それが神の情熱。イザヤ9:7
<テイクアウトQuestions>
1)はじめに神が天地を創造された、という聖書の最初の主張は、あなたにどんなことを語りかけてきますか?
2)神のかたちが「霊的な部分」「人格」というときに、それが誰かに支配されるときに深い傷を受けるということは感じたことがありますか?どんなときですか?
3)神がこの世界に対してもっておられる情熱はどのようなものでしょうか?あなたはそれにどのように応えますか?

 

2018年8月26日 『愛されたから』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書22章34節〜40節

規則はいつの間にか一人歩きし、目的を見失う。
律法はまさにそういう状態。→イエスは本質を教える。
神を愛し、自分を愛し、隣人を愛する。
申命記6:5とレビ記19:18
神を愛する
心を尽くして・・・intention, 意志、心の方向性。
精神を尽くして・・・全存在をかけて
思いを尽くして・・・知性、intelligence
これは、まず神が愛してくださったから。

神が私たちに心を向け、全存在をかけ、最高の愛を表された。
第一ヨハネ4:10
自分を愛する
自分を愛する・・・あたりまえ?
自分が愛せない問題→周りの人との問題へ。
比較?幼児体験?人の言葉?

⇔いろいろあるけれども、自分はこれでいい。と受け入れる。
神に愛されている自分を愛する。イザヤ43:4
隣人を愛する
神を愛する人は隣人を愛する・・・第一ヨハネ4:20
隣人とは誰?・・・レビ記19:17-18
憎んではならない、ねんごろにいさめなさい、

彼のゆえに罪を身に負ってはならない、
仇を返してはならない、
恨みを抱いてはならない
・・・愛しなさい。
テイクアウトQuestions
1)あなたは神を愛していますか?それを妨げているものはあるでしょうか?
2)あなたは自分を愛していますか?それを妨げているものはあるでしょうか?
3)あなたは隣人を愛していますか?愛せない人はいませんか?愛するために何が必要だと思いますか?

2018年8月19日 『時間を超える神の愛』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨハネの第一の手紙3章16節

今年のJOYJOYキャンプのテーマ
「さあいこう!タイムマシン『アガペごう』の大冒険」
「アガペ」・・・アガペーというギリシャ語「神の愛」
ギリシャ語の4つの愛
フィリア・・・友愛
ストルゲー・・・親子の間の愛
エロース・・・男女の間の愛、価値のあるものを愛する愛
アガペー・・・無償の愛、犠牲の愛
世には色々の愛がある。素晴らしい愛がある。
しかし、イエスが十字架にかかったことによって、私たちは「アガペー」の愛を知った。
私たちが神に背を向けている時から、神は私たちを「アガペー」の愛で愛している。(ローマ5:6-8)
神に愛された者は、今度はわたしたちの周りの人々に愛を注いでいく。命を与えていく。日々、命を与えていく。
テイクアウトQuestions
1)自分の愛と、神の愛はどこが似ているでしょうか?どこが違うでしょうか?
2)神はあなたの人生にどんな素晴らしいことをしてくださいましたか?感謝すべきことは何でしょうか?
3)神の愛に応えて、私たちは何ができるでしょうか?あなたが愛すべき人は誰でしょうか?その人のためにできること何でしょうか?

2018年8月5日 『神のものは神に』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書22章15節〜22節


 

 

「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」政教分離?
ヘロデ党・・・親ローマ⇔パリサイ派
この対立する2つのグループが反イエスで協力。
ローマに納税すべき?
イエスの答えは「納税にはYES、でももっと大切なことがある」

→神のものは神に返しなさい
1)何が神のものか?
全てのものの十分の一・・・マラキ3:8-12
神様への信頼。神様を第一とする信仰告白。
才能・・・マタイ25:14-15
私たちの時間、人生、周りの人々、神様が私たちに託されたもの。
私たち自身・・・神のかたちの刻まれた者(創世記1:27)
2)どうやって返すのか?
十分の一献金は単純。
神のもとに帰る。自分の考えで生きてきたことを悔い改めて、神に帰る。
一瞬一瞬、神がほめたたえられることを求める。
神に身をささげて生きる=修道院や伝道者になることではない。
与えられたところで神を第一として歩んでいく。
仕事を通しても神の栄光を表す。
3)何がそうさせるのか?
神がそのように造られたから。そこに祝福があるから。
イエスが全てを与えてくださったから。
第一コリント6:19-20
テイクアウトQuestions
1)あなたが神に返すべきものは何でしょうか?どうしたらいいと思いますか?
2)私たちが神に全てをお返しすべきなのはどうしてでしょうか?どうしてそれができるのでしょうか?
3)私たちが神に返すべきものを自分のものにしてしまうことはあるでしょうか?神に返すのが難しいものはあるでしょうか?

2018年7月29日 『婚宴への招き』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書22章1節〜14節


 

パーティーに招かれるのも、来てもらえるのも。うれしい。
神様は楽しみにして、準備をしてこられた。
しかし、人々は2つの反応で神の招きを拒んだ。
1)招きを受け入れなかった人々。
ユダヤ人に向けたメッセージ。
神はあなた方を招いたのに、あなた方はそれを侮辱で返した。
→エルサレム滅亡の預言。
私たちはどうだろうか?
畑、商売・・・仕事。神様より仕事?

仕事は神様が与えてくださっているもの。創造の初めから。

問題は神様から任された仕事が、神様よりも大切になること。
お金も、才能も、家族も神様から与えられたもの。
で
もいつの間にか、神様よりも大切になる。
アブラハムに「約束の子」イサクを捧げなさいと言われた神。

アブラハムはいつの間にか、イサクが神よりも大切になっていた。
神はひとり子を与えて、私たちを婚宴に招いておられる。
2)礼服を着なかった人々。
礼服を着てこなかった人が追い出された?どうして?
礼服は入り口に準備されていた。・・・その礼服を着なかったということは、自分の服に自信があった。礼服を着たくなかった。
私たちのために備えられた礼服はキリストの十字架。
「キリストを着る」ガラテヤ3:26-27
それを着ないということは、自分の力で神に受け入れられようと思っている。自分は大丈夫と思っている。
テイクアウトQuestions
1)王の招きに応えなかった人々はどうして応えなかったのでしょうか私たちも同じような理由で神の招きに応えないことはないでしょう
2)礼服を着なかった人はどうして着なかったのだと思いますか?私たちに当てはめるとどのような気持ちでしょうか?
3)神様は私たちにどのようなパーティーを準備しておられるのだと思いますか?

2018年7月22日 『砕かれた心』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書21章33節〜46節

 

砕かれた心・・・信仰生活の中でとても大切。
⇔傲慢な心、「プライド」
私はあの人よりも信仰深い、結構良い線いっている
 自分はわかっている・・・
砕かれた心に神の恵みが注がれる。
1)神の思いと人の思い
ユダヤ人に向けたメッセージ。
神はあなたがたにこの世界に祝福を運ぶ使命を与えられたのに、それに従わなかった。預言者たちを送ったのに従わなかった。ひとり子さえも殺そうとしている・・・そのことを指摘した。
私たちに対するメッセージでもある。あなた方はどうなのか?
神は私たちに愛をもって使命を与えられた。
裏切られても、裏切られても、招いておられる。ひとり子さえ送られた。
私たちはその神様の愛に対して、神を退けて、この世界を「私たちのものだ」と主張している。人生も、時間も、お金も、才能も。
そこに気づいて砕かれることが必要
⇔自分が砕かれない→神を砕こうとする
2)隅のかしら石イエス
「隅のかしら石」詩篇118:22-23の引用。・・・イエスのこと。
他に土台はない。他のもので代用することはできない。
この石によって砕かれる。イエスに出会う時に砕かれる。
「
罪を犯すから罪人なのではない。罪人だから罪を犯さないではいられない」
詩篇51:16-17 「神の受け入れられるいけにえは砕けた魂」
テイクアウトQuestions
1)神様は私たちに対してどんな思いを持っておられますか?どんなことをしてくださったでしょうか?今日の聖書箇所と、自分の今までの歩みから考えてみましょう。
2)私たちは神様からこの世界をどのように任されているでしょうか?
3)神様によって砕かれた経験はありますか?それはどんな経験だったでしょうか?

2018年7月15日 『悔い改めへの招き』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書 21章28節〜32節

 

兄が「行きます」→行かなかった
弟が「嫌です」→心を変えて行った
なのか、その反対なのかは写本の問題。
いずれにせよ、指導者たちへの悔い改めへの招き。

→私たちに対する悔い改めへの招き。
1)義の道への悔い改め
「義」は神様との正しい関係。
神は私たちを神と共に歩む者として造られた。創世記1:26-27
「罪」は神と信頼関係が壊れてしまう。
「神は意地悪で、本当は私たちを愛していなくて、私たちを騙していて」
(創世記3:4-5)
悔い改めは「神との関係に戻りなさい」ということ。

正しいことをする、間違いを犯さない、ではなく、
神との関係によって、平安をいただいて、自由を与えられて、生き生きとした歩みをする。
「義」は「羊」の下に「我」がいる・・・十字架の元に自分を置く。
2)神の国への悔い改め
「悔い改め」:普通は「メタノイア」:思いを方向転換する
ここの30, 31節は「メタメレオー」:関心の向くことを変える
自分のことから、神のことへ。
「神の国」は「神の愛の支配」「神の愛に満たされる生き方」
神の愛に感謝して歩む生き方へ。
「悔い改め」・・・罪を犯さないように頑張る???
「罪を犯すから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯す」

だから、悔い改めは、神の前の全面降伏。⇔自分は大丈夫
テイクアウトQuestions
1)「義」とは何でしょうか?それによって、私たちは何を得ることができるのでしょうか?
2)「悔い改め」とは何でしょうか?
3)悔い改めをためらわせるものは何でしょうか?どうしたら、悔い改めることができるでしょうか?

2018年7月8日 『何を恐れるか』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第21章23節〜27節

 

スポーツのゲームでの審判・・・権威を持っている。
それに従うことによって、秩序が守られ、ゲームが成立する。
神殿でイエスが商売をしている人を追い出したり、人々を教えたりしている。
・・・神殿の管理をしている祭司長や長老は「何の権威で?」
イエスは彼らの権威に中身がないこと、そして、自分は神から遣わされていることを言いたかったのだろう。
しかし、ここではストレートにそれを言うのではなく、質問をすることを通して、彼ら自身の姿を問うている。
・・・悔い改めへの招き。
しかし、彼らは恐れなくていいものを恐れ、恐れるべきものを恐れないで、結局逃げてしまった。
1)恐れなくていいもの
①人を恐れた
群衆が恐ろしい。
聖書の中には人を恐れて失敗をする人がたくさん。

創世記12章 アブラハム
ルカ23章 ピラト
②今まで築いて来たものを失うことを恐れた

バプテスマのヨハネを認める・・・
自分が悔い改めなければ
→自分が権威あるものとしてイエスに文句を言いに来たのに、自分が悔い改める側に
・・・それはできない。
結局はプライド。
2)恐るべきもの
神を恐れる(畏れる)
箴言1:7, 伝道の書12:13
テイクアウトQuestions
1)どうして人を恐れると、失敗をするのでしょうか?
2)今まで築いて来たものを失うことが恐れになるのはどうしてだとおもいますか?
3)神を恐れる(畏れる)とは具体的にどういうことでしょうか?

 

2018年7月1日 『見た目ではなく』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第21章18節〜22節

 

難解な箇所:いちじくの実がなっていなかったから枯らしてしまった?
→イエスは奇跡を通して、メッセージを伝えた。
「葉だけ繁らせていて、実を結ばないならば、切られる、枯らされる」
・・・当時のイスラエルの民への警告。
ルカ13:6-9のたとえ話「もう少し待ってください」と取りなす番人。
2つのストーリーをまとめる
→「実を結ばなくても憐れみの時があるが、いつまででも、ではない。」→実を結ぶ歩みへと招かれている。
1)実を結ぶとは?
①悔い改めの実(ルカ3:7-14)
 悔い改め・・・方向転換・・・自分中心から神に従う道へ
 
悔い改めの実・・・それにふさわしい歩みをする
②伝道の実(ヨハネ15:16)
 出て行って、伝えていくときに、救われる人が起こる。
③御霊の実(ガラテヤ5:22-23)
 聖霊が住んでくださる中で、与えられる品性。
2)実を結ぶために
実を結ばなければ・・・と、頑張って、実に注目して、実をつけようとすると「クリスマスツリー」状態に。
実を結ぶために必要なのは、
ヨハネ15:4-5「イエスにつながっている」

ルカ13:8「周りを掘って肥料をあげる」
詩篇1篇「流れのそばに植わった木」・・・みことば
山も動くことを信じて主に従って歩んでいく。
テイクアウトQuestions
1)実を結ぶとはどういうことでしょうか?あなたは実を結んでいると思いますか?
2)あなたは3種類の実の中で、どの実を結ぶことを大切にしたいと思いますか?
3)実を結ぶために、あなたの生活の中で何が必要だと思いますか?

 

2018年6月24日 『神と共に歩む喜び』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第21章12節〜17節

 

クリスチャンの歩みで一番大切なものは何?

礼拝に来ること?聖書を読むこと?お祈りすること?
「神と共に歩む喜び」「神の愛に感謝して歩むこと」
宮で商売していた人たち
両替
・・・ローマ皇帝の肖像付きのコインは神殿ではダメ。偶像礼拝。

     祭司たちの認めた肖像のないコインに両替する。
鳩・・・貧しい人々のささげもの、でも完全でなければならない。
    「いらないもの」ではなく、最高のものを神にささげる。
    「これは完全だ」と祭司が認めたものを売っていた。
どちらも手数料で祭司たちが儲けていた。
イエスは「わたしの家は祈りの家」だと神は言われた、と追い出す。
「神が子ども達の口に賛美を与えた」と子ども達の賛美を受け入れる。
神と共に歩む喜びは祈りと賛美の中に。
1)祈り
祈りは特別なことではない。神と語り合うこと。神と過ごす時間。
私たちが祈ることができるのは、イエスがいるから。

イエスの十字架によって、神との関係がつくられた。
祈りの中に主はおられる(マタイ18:19-20)
2)神と共に歩むところにある賛美
賛美は神様をほめたたえること。
神様は私たちの賛美を喜んでくださる。
賛美は天国に行っても続いている。・・・伝道も、説教も必要ない。
神は賛美の中に住んでおられる。(詩篇22:3)
テイクアウトQuestions
1)イエスはどうして、神殿で商売をしている人々に対して厳しい態度を取られたのでしょうか?どうしますか?
2)信仰生活の中で、一番大切なことは何だと思いますか?
3)祈るのが難しいと思う時はありますか?どうして、そう感じるのでしょうか?
4)あなたが好きな賛美の曲は何ですか?それはどうしてですか?

 

2018年6月17日 『あなたをつかんで離さない!』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書21章1節から11節

 

 

イエスが馬ではなく、ロバに乗ってエルサレムに入った思い。
平和の王として・・・軍馬に乗る勝利者ではなく。

軍馬に乗る勝利者は・・・私が勝ったんだから、私のいうことを聞け!
イエスは、事なかれ主義の平和ではなく、
誰かが我慢して実現する平和ではなく、
「シャローム」を与える方。
・・・内側から溢れる喜びと力。
そのためにはどうしてもロバが必要だった。
馬ではいけなかった。

馬がいなかったから仕方なくロバにしたのではない。
「主がお入り用なのです」
・・・平和の王として来られたイエスを示す存在。
「柔和」・・・日本では美徳のように思われている。
・・・ここでは、「惨めな」という意味を持つ言葉。
惨めな思いになる私たちのことをわかってくださる。
上から見下ろすのではなく、同じところに立ってくださるお方。

→究極は十字架。この箇所から、イエスの十字架までの1週間が始まる。
私たちを愛によって離さない神。ローマ8:35-39
テイクアウトQuestions
1)イエスはどうしてロバの子を用いられたのでしょうか?
2)平和の王としてこられたイエスは、当時の社会の支配者たちとどのように違っていたでしょうか?
3)このイエスを私たちの人生の王とする、とはどういうことだと思いますか?
4)私たちは神に従う時に、その動機は、恐れによって支配されていますか?愛によって支配されていますか?

2018年6月10日 『何をして欲しいのか』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第20章29節〜34節

 

「何をして欲しいのか?」
叫び求める目の不自由な二人の人に「何をして欲しいのか?」
彼らの答えは「目を開けていただくことです」
21節でもヤコブとヨハネに「何をして欲しいのか?」と聞かれる。
イエスは今日も、私たちに「何をして欲しいのか?」と聞かれる。
あなたは、「何をして欲しいのか?」と聞かれたらどう答えるか?
1.認めてください!
ヨハネとヤコブの「大臣にしてください!」
19章27節のペテロの言葉から繋がっている。
→こんなにやったんだから、こんなに有能なんだから認めてください!
私たちは認められないと生きていけない。
イエスの答えは「あなたが頑張ったから、こんなにやったから、有能だから認められるのではない、その前から、存在自体が認められている」
私たちが罪人である時からひとり子を与えるまで、私たちを愛した神
・・・私たちの存在自体を認めてくださっている。
2.目を開いてください!
この目の不自由な二人の求めは、弟子たちの求めとは対照的。
何も「これだけやりましたから!」というものがない。
自分の貧しさ、足りなさ、それを知っていた。
ヨハネ9:41「見えると言い張るところに、罪がある」
わかっている、見えている、と思っている時にはわからない。
マタイ5:3「心の貧しい人は幸いである」
神の恵みは低いところに流れる。
<テイクアウトQuestions>
1)私たちの「私を認めてください!」との叫びにはイエスはどのように答えられますか?あなたはそれをどのように感じますか?
2)イエスは今日も私たちに「あなたは何をして欲しいのか?」と尋ねられます。あなたはどう答えますか?

2018年5月13日 『賛美による大逆転』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 使徒行伝第16章25節〜34節

 

どんな時に賛美をするか?どんな環境で音楽を聞くか?
・・・「普通の状況」とは正反対の「牢獄の中での賛美」
1)賛美はあなたを変える
濡れ衣を着せられて投獄されていた。

・・・愚痴が出てきても仕方ない。
・・・出てきていたかもしれない。
・・・しかし、賛美をする時に、私たちの内側も変えられていく。
賛美の中で、焦点が変えられていく。
神を賛美する者に変えられる。
自然と湧いてくるまで待っていなくていい。賛美を始めよう。
2)賛美は状況を変える
囚人たちはパウロとシラスの賛美を聞いていた。
牢獄の扉が開いてしまっても、逃げなかった。
牢屋番はパウロとシラスの賛美を聞いていた。
「私は救われるためにどうすればいいですか?」と尋ねる。
ドイツの強制収容所で、日本軍の捕虜収容所で、文化大革命の労働改造所で、
賛美が人々の心を変え、環境を変えていく。
テイクアウトQuestions
1)讃美歌は自然と湧いてくるまで待ったほうがいいですか?それとも、賛美できない時にも賛美したほうがいいのでしょうか?どう思いますか?
2)好きな讃美歌はありますか?どんなところが好きなのでしょうか?賛美によって自分が変えられたことがありますか?どんな経験だったでしょうか?
3)状況が厳しい中で賛美をすることは難しいでしょうか?それを乗り越えるためには何が必要でしょうか?

 

2018年5月6日 『神の国の秩序』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第20章17節〜28節

 

「神の国の秩序」

エルサレムに向かって行く時のイエスの3回目の受難予告
↔︎弟子たちは自分たちの夢の実現が近づいたと思った。
ゼベダイの子ら(ヤコブとヨハネ)は「イエスの右と左に」
他の弟子たちも同じ思い。
イエスは・・・「違うよ、私の国では正反対だよ」と言われた。
神の国の秩序・・・この世の秩序と違う。互いに仕え合う生き方。

イエスの杯を飲む
イエスに従う道はイエスの杯を飲む道。
神の愛をいただいたが故に、喜んで苦難を受ける。(コロサイ1:24)
イエスに従うが故に経験する悲しみ、苦難もある。
信じているから、平気、ではない。
マタイ26:36-39:イエスも悲しみ、悩まれた。
しかし、その価値がある、のが神の国の歩み。

しもべになる
イエスが歩まれたように歩む。
→自分の存在を与える。認められなくても、神の前に忠実に歩む。
「ちいろば」先生の保育園のおばちゃん。
誰も見ていなくても、無駄に思えても、給料が増えなくても。
「自分」のこだわりの問題。・・・「自分を捨て、イエスに従う」

イエスは私たちのために命を捨ててくださった。しもべとなってくださった。
・・・その愛をいっぱいに受けて、その愛に感謝して、しもべになる。

テイクアウトQuestions
自分の考えと、神様のみこころが違っていると思ったり、知ったりすることはありますか?どんな時ですか?
「イエスの杯を飲む」覚悟はできていますか?弟子たちも覚悟はできていましたが、イエスを捨てて逃げました。イエスに従うために必要なのは何でしょうか?
しもべとはどんな人でしょうか?あなたはしもべとして、具体的に何をしていきたいと思いますか?

2018年4月29日 『気前のいい神様』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第20章1節〜16節

 

「ぶどう園の主人」のたとえ話
朝早く、「1日1デナリ」で働いてくれと労働者を雇った主人。
その後も、9時、12時、3時、5時と労働者を雇う。
夕方、最後に来た人たちから1デナリずつ払う。
朝から来た人は持ってもらえると思ったが、やはり、1デナリだったので主人に文句をいう。しかし、主人は「私はあなた方と1デナリの約束をした。この最後に来た人たちにも同じようにしたいのだ!」と答える。

1) 神の国の生き方
経営を教えているのではない。
「天国は・・・」・・・つまり神の支配はこうなのだということ。
「天国」・・・死んだあとに行くところ、と考えると、最後にちょっと頑張ればいい、ということを教えているかのように誤解する。
「天国」・・・「神の国」→「神の支配」→「神の愛の支配」
→「神の愛に満たされること」「神の愛に満たされた歩み」

2)一方的な恵み
あなたはどこに自分の身を置いている?
朝から来た人の立場だと、「ずるい」と思う。
夕方来た人の立場だと「ありがたい」と思う。
・・・本当は私たちはみな、「夕方から来た人」なのだ。
ローマ6:23「罪の支払う報酬は死、神のギフトは永遠の命」
「先のものはあとになる」・・・自分が先の人だと思っていると神様の恵みの大きさがわからない・・・大切なものを見失う。
損をしたのは誰?・・・主人!神は犠牲を払い、リスクをとって、私たちを愛し、用いてくださる。

テイクアウトQuestions
1)あなたは自分をどこに置いてこのたとえ話を読んだでしょうか?
2)自分はこんなに頑張っているのに・・・と思う時はありますか?どんな時でしょうか?そのときに、あなたの目はどこに向いているでしょうか?
3)神様はあなたのためにどのような気前のいいことをしてくださったでしょうか?

2018年4月22日 『愛されている』

お証し: 宮嶋裕子姉

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ルカによる福音書第10章24節〜37節

 

三浦綾子さんの作品の中には、聖書のメッセージ、神様からのメッセージが込められている。

「塩狩峠」の中にこの聖書の箇所が出てくる。
この聖書の通り、隣人を愛そう、誰かの隣人になろうと思った主人公
→問題のあった同僚の隣人になる。

その背景にあったのは、「自分のためにイエスが十字架にかかった」ということがわからない、自分の罪というのがそれほど深刻だとは思わない
・・・牧師のアドバイス「聖書の言葉を一つ徹底的に実行してごらん」

その同僚の隣人として生きる主人公。しかし、同僚は「うっとおしい」「見張られているようだ」と文句を言う。
→自分はこんなにやっているのに・・・と彼を憎む。
→自分は彼の隣人になろうとしていたけれども、ただ見下していた。
→この倒れているのは自分だったのだ。
→このサマリヤ人はイエス・キリストだったのだ。
自分は傲慢にも神の子の地位に自分を置き、友人を見下していた。
・・・これこそが罪だった。

倒れている人・・・周りの誰か。 サマリヤ人・・・私
倒れている人・・・自分     サマリヤ人・・・イエス
イエスは私の痛みをわかってくださり、飛んできてくださった。

テイクアウトQuestions
1)「塩狩峠」に出てくる牧師は「イエスを十字架につけたのは私だと思っている」と言いました。そのように感じたことはありますか?どうしてでしょうか?
2)あなたは良きサマリヤ人の話を読むときに自分をどこに置きますか?
3)良きサマリヤ人はこの倒れている人にどのようにしたでしょうか?それはイエスがあなたのためにしてくださったこととどのように重なりますか?

2018年4月15日 『何を頼るか』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第19章16節〜30節

 

 

イエスのところに来た青年
「永遠の生命を受けるためには・・・」
永遠の生命・・・いつまでも生きる・・・量の問題?
それだけではなく質の問題も大切。・・・神と共に生きる。
→結局「天国」→「神の国」→「神の愛に満たされること」
16節では「永遠の生命」23節「天国」
 →死を超えて神の愛の中で生きること。
「お金と信仰」というよりも、「何を頼りにするか?」という問い。

財産ではなく神を頼る
「何でも守って来ました」というこの青年に「財産を売り払って、貧しい人々に施して、わたしに従って来なさい」と言われた。
もう一つのしなければならないこと、というよりも「神を頼りますか?お金、財産を頼りますか?」という問い。
持っている人はそれを頼りに生きてしまう。持っていない人は神を頼りにして生きることができる。・・・富む人が天国に入るのが難しい。
でも、「人にはできないが神にはできる!」

自分の功績ではなく、神の恵みを頼る
ペテロ「ごらんなさい!私たちは全てを捨てて従いました!」
残念ながらペテロも勘違い。
「捨てる」という行動ではなく、神ご自身を信頼して歩むということが大切。
神の愛、神の恵みを感謝して歩むのか、自分がこれだけやったということを誇って、
報いを求めて生きるのか?・・・天国はどっち?
→20章に続く。

テイクアウトQuestions
1)この青年は悲しみながら去って行きましたが、いったい何が問題だったのだと思いますか?
2)ペテロはどうしてこのようなことを言ったのでしょうか?イエスはどのように答えられましたか?
3)私たちは永遠の生命を受けるために、どうすればいいのでしょうか?

 

 

2018年4月8日 『幼子のように』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第19章13節〜15節

子ども達を連れて来た母親たち。
→弟子たちは諌める。
→イエスはその弟子たちに対して憤られる。
「子どもたちが私のところに来るままにさせなさい」

マルコ10:15「あなたがたも幼子のようにならなければ」!!?
でも、聖書には「考え方では大人になれ」とある。
1コリント14:20, ヘブル5:11-14
イエスの「幼子のようになりなさい」はどんな意味か?

「天国」の先入観を取り除く。
「天国」→「神の国」→「神の支配」→「神の愛の支配」
→「神の愛に満たされること」「神の愛に満たされた生き方」

「幼子のようになる」とは?
「主の祈り」のよびかけ。・・・私たちの父よ。
「アッバ」・・・父親を信頼して呼びかける言葉。もともと幼児語。
マルコ14:36,
当時の人々はそのように神に呼びかけることは考えられなかった。
ローマ8:15, ガラテヤ4:6
奴隷の霊ではなく、神の子としての霊を受けている。
→イエスを信じる人々は神のご機嫌をとってビクビクする生き方ではなく、
神の子として、神を信頼して、その胸に飛び込む生き方へ招かれている。
⇔放蕩息子の兄のように「私はこれだけやったのに・・・」
この続きのペテロの言葉「私は全てを捨ててあなたに従いました・・・」

テイクアウトQuestions
1)「天国」「神の国」はどんなところだと思いますか?
2)あなたは大人になって、何か失ったものはありますか?子どもから学ぶことはあるでしょうか?
3)「幼子のようになる」ことはどういうことでしょうか?あなたにとって、そのために難しいことはありますか?

2018年4月1日 『信じるものになりなさい』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨハネによる福音書第20章19節〜31節

イエスの復活は信じられる?
昔だから信じられたのではない、イエスの時代の人も信じられなかった
→トマス「十字架の釘の跡に指を入れて、脇腹に手を入れてみないと」
そのトマスが信じられた・・・私たちも信じる者への招かれている。

トマスはどうしてこんなことを言ったのか?
取り残されたような?
どうして私がいない時に?
信じさせてくれ!
信じたいけど信じられない!

イエスはトマスにも現れた「さあ、あなたの指を、あなたの手を」
トマスは「我が主よ、我が神よ」と。
イエスを信じられなくて、仲間を信じられなくて、申し訳なさ。
神を神としないで、自分の考えにこだわって生きる・・・罪。
それを悔い改めた。
1週間前の自分の言葉「指をいれて、手を入れてみないと」を
イエスは聞いておられた。
見えない時にも、イエスは確かにそこにおられて、聞いておられた

トマスは私たちの代表。トマスがいてくれてよかった。
トマスへのメッセージは、私たちへのメッセージ。
トマスの信仰告白は、私たちの信仰告白。
カラバッジョや他の画家たちの絵・・・本当に入れたのか!?
そ
の手を引っ張っている手・・・イエスが信じなさいと招かれる。

テイクアウトQuestions
1)イエスの復活を信じてますか?どうして信じることができましたか?どうして信じることができないのですか?
2)トマスはどうしてこんなことを言ったのだと思いますか?
3)「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」とのイエスのメッセージは私たちにどのような意味を持っているでしょうか?

2018年3月25日 『イエスよ、どこまで』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マルコによる福音書第15章16節〜41節


 

十字架は飾りではなく、アクセサリーではなく、私たちの生き方。
ただ、十字架を掲げるだけではなく、十字架を生きる。

1)イエスよ、どこまで人は罪深いのですか?
①王なる方を徹底的に侮辱するまで。
「王様万歳」「つばをかける」「十字架から降りてこい」
②自分の罪を自覚できないほどに
マルコ15:10ピラトは妬みのためであるとわかっていた
自分はわからない、でも、他人から見たら、妬み。
③私はここまでひどくないと思うまで。
私たちはこの箇所を読んで、ここまでひどくないと思う。
メル・ギブソンの「パッション」の撮影エピソード。
この人々の姿は私たちの姿。

2)イエスよ、どこまであなたは人を愛するのですか?
①徹底的な侮辱を耐えられるまで。
1)-①の侮辱をイエスは耐えられた。
「救い主ならそこから降りてみろ」
・・・イエスは降りることができた
・・・でも降りなかった。私たちの救いのため。
②父なる神に捨てられるまで。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
イエスは罪を負って罪の塊になって捨てられた。
③神殿の幕が二つに裂けるまで
聖なる神と罪をもつ人との間を隔てる幕
神が「これはもう必要ない」と真っ二つに裂かれた

<テイクアウトQuestions>
1)人はどこまで罪深いでしょうか?あなたはどこまで罪深いのでしょうか?
2)イエスはどこまであなたを愛していると思いますか?
3)あなたはこのイエスの愛に、どのように応えるでしょうか?