聖書箇所:哀歌3章22節〜25節
聖書箇所:哀歌3章22節〜25節
説教:栗栖信之牧師
聖書箇所:ヨハネによる福音書(John) 20:24-31
◆結論・最重要点:イエス様は私たちに、とにかく信じてほしい。 なにを?:イエスが神の御子キリストであることを。 なぜ?:信じる者がイエスの名によって命を得るため。 どのように?:イエス様を「見ないで」信じてほしい。
◆「見て信じた」弟子たち ・マグダラのマリヤ(18節)・トマス以外の弟子たち(20節、25節) ・500人の弟子(第一コリント15:6)・40日間現れたイエス様(使徒1:3) ★「見なくては信じることのできない」不信仰な弟子たち。イエス様はどうしても信じてほしかった。それで姿を見せて、信じる者にして下さった。
◆「トマス」という人物(ヨハネ11:16;14:5) ・トマスはイエス様を心から愛し、特別な感性を持ち、思ったことを素直に表現し、人の評価を気にしない、妥協しない、強い意志を持った人。 ★こんなトマスだからこそ「イエス様をこの目で見たい!手で触れたい!」と思った。イエス様はとにかく信じてほしくてリクエストに応えられた。
◆イエス様の私たちへの願い「とにかく信じてほしい」 ・私たちは今、イエス様を見ることができない。でも「見ないで信じる者は幸い」であることをペテロが教えてくれた。(第一ペテロ1:8-9) ★見ないで信じる者の内側に神様の愛と聖霊が働いてくださる!
<テイクアウトQuestion>
1.イエス様を見たいですか?見たい、見たくない、見る必要がない理由は?
2.「見ないで信じる」ことは難しいですか?簡単ですか?なぜですか?
3.「見ないで信じる」ことの素晴らしさは何ですか?それを体験しましたか?(した人は今週だれかにシェアしましょう!)
4.「見なければ信じられない」と言う人に、どのように寄り添いますか?その人の気持ちがわかりますか?何を伝えますか?
説教: 錦織学牧師
聖書箇所:マルコによる福音書14章:66-72節
序)
<テイクアウトQuestion>
説教: 錦織学牧師
聖書箇所:ヨハネによる福音書13章1節〜15節
<テイクアウトQuestion>
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マルコによる福音書14章3節〜9節
説教 : 錦織学牧師
聖書箇所:マタイによる福音書16章13節〜28節
<テイクアウトQuestion>
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書6章9節〜15節
<テイクアウトQuestion>
説教:立石尚志師(NYめぐみ教会牧師)
聖書箇所:使徒の働き(Acts) 17:1-4,10-12,16-21
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書6章5節〜6節
<テイクアウトQuestion>
説教: Jodi Davis宣教師
聖書箇所: イザヤ書 6:1-8
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: ヨハネによる福音書(John) 8:31-32
<テイクアウトQuestion>
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書4章1節〜11節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: ルカによる福音書 2:41-51
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: ヨハネによる福音書20章30節〜31節
→4つの角度から見ることによって、イエスの生涯が本当に豊かなものとして分かってくる。・・・聖書を通してイエスに触れる。
<テイクアウトQuestion>
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: ヨシュア記3章11節〜17節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: ヨハネ第一の手紙3章1節
<テイクアウトQuestion>
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: ルカによる福音書2章10節〜11節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書2章1節〜12節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: ネヘミヤ記 8章1節〜12節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: エゼキエル書34章11節〜16節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: エレミヤ書29章1節〜14節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: イザヤ書46章1節〜9節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: 詩篇84編
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: 伝道の書12章1節〜14節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: 列王記上18章17節〜39節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: ヨシュア記5章13−15節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: 出エジプト記20章1節〜17節
→神様をあなたの子分にしていないだろうか?
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: 出エジプト記 14:10-31
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: 創世記12章1節〜3節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: 創世記11章1節〜9節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: 創世記3章1節〜13節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: 創世記2章4節〜9節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: 創世記1章1節〜4節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書22章34節〜40節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: ヨハネの第一の手紙3章16節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書22章15節〜22節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書22章1節〜14節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書21章33節〜46節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書 21章28節〜32節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書第21章23節〜27節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書第21章18節〜22節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書第21章12節〜17節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書21章1節から11節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書第20章29節〜34節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書第6章25節〜34節
説教: 栗栖信之牧師
聖書箇所: 使徒行伝2章37節〜47節
説教: 栗栖信之牧師
聖書箇所: 使徒行伝2章1節〜36節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: 使徒行伝第16章25節〜34節
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書第20章17節〜28節
「神の国の秩序」
エルサレムに向かって行く時のイエスの3回目の受難予告
↔︎弟子たちは自分たちの夢の実現が近づいたと思った。
ゼベダイの子ら(ヤコブとヨハネ)は「イエスの右と左に」
他の弟子たちも同じ思い。
イエスは・・・「違うよ、私の国では正反対だよ」と言われた。
神の国の秩序・・・この世の秩序と違う。互いに仕え合う生き方。
イエスの杯を飲む
イエスに従う道はイエスの杯を飲む道。
神の愛をいただいたが故に、喜んで苦難を受ける。(コロサイ1:24)
イエスに従うが故に経験する悲しみ、苦難もある。
信じているから、平気、ではない。
マタイ26:36-39:イエスも悲しみ、悩まれた。
しかし、その価値がある、のが神の国の歩み。
しもべになる
イエスが歩まれたように歩む。
→自分の存在を与える。認められなくても、神の前に忠実に歩む。
「ちいろば」先生の保育園のおばちゃん。
誰も見ていなくても、無駄に思えても、給料が増えなくても。
「自分」のこだわりの問題。・・・「自分を捨て、イエスに従う」
イエスは私たちのために命を捨ててくださった。しもべとなってくださった。
・・・その愛をいっぱいに受けて、その愛に感謝して、しもべになる。
テイクアウトQuestions
自分の考えと、神様のみこころが違っていると思ったり、知ったりすることはありますか?どんな時ですか?
「イエスの杯を飲む」覚悟はできていますか?弟子たちも覚悟はできていましたが、イエスを捨てて逃げました。イエスに従うために必要なのは何でしょうか?
しもべとはどんな人でしょうか?あなたはしもべとして、具体的に何をしていきたいと思いますか?
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書第20章1節〜16節
「ぶどう園の主人」のたとえ話
朝早く、「1日1デナリ」で働いてくれと労働者を雇った主人。
その後も、9時、12時、3時、5時と労働者を雇う。
夕方、最後に来た人たちから1デナリずつ払う。
朝から来た人は持ってもらえると思ったが、やはり、1デナリだったので主人に文句をいう。しかし、主人は「私はあなた方と1デナリの約束をした。この最後に来た人たちにも同じようにしたいのだ!」と答える。
1) 神の国の生き方
経営を教えているのではない。
「天国は・・・」・・・つまり神の支配はこうなのだということ。
「天国」・・・死んだあとに行くところ、と考えると、最後にちょっと頑張ればいい、ということを教えているかのように誤解する。
「天国」・・・「神の国」→「神の支配」→「神の愛の支配」
→「神の愛に満たされること」「神の愛に満たされた歩み」
2)一方的な恵み
あなたはどこに自分の身を置いている?
朝から来た人の立場だと、「ずるい」と思う。
夕方来た人の立場だと「ありがたい」と思う。
・・・本当は私たちはみな、「夕方から来た人」なのだ。
ローマ6:23「罪の支払う報酬は死、神のギフトは永遠の命」
「先のものはあとになる」・・・自分が先の人だと思っていると神様の恵みの大きさがわからない・・・大切なものを見失う。
損をしたのは誰?・・・主人!神は犠牲を払い、リスクをとって、私たちを愛し、用いてくださる。
テイクアウトQuestions
1)あなたは自分をどこに置いてこのたとえ話を読んだでしょうか?
2)自分はこんなに頑張っているのに・・・と思う時はありますか?どんな時でしょうか?そのときに、あなたの目はどこに向いているでしょうか?
3)神様はあなたのためにどのような気前のいいことをしてくださったでしょうか?
お証し: 宮嶋裕子姉
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: ルカによる福音書第10章24節〜37節
三浦綾子さんの作品の中には、聖書のメッセージ、神様からのメッセージが込められている。
「塩狩峠」の中にこの聖書の箇所が出てくる。
この聖書の通り、隣人を愛そう、誰かの隣人になろうと思った主人公
→問題のあった同僚の隣人になる。
その背景にあったのは、「自分のためにイエスが十字架にかかった」ということがわからない、自分の罪というのがそれほど深刻だとは思わない
・・・牧師のアドバイス「聖書の言葉を一つ徹底的に実行してごらん」
その同僚の隣人として生きる主人公。しかし、同僚は「うっとおしい」「見張られているようだ」と文句を言う。
→自分はこんなにやっているのに・・・と彼を憎む。
→自分は彼の隣人になろうとしていたけれども、ただ見下していた。
→この倒れているのは自分だったのだ。
→このサマリヤ人はイエス・キリストだったのだ。
自分は傲慢にも神の子の地位に自分を置き、友人を見下していた。
・・・これこそが罪だった。
倒れている人・・・周りの誰か。 サマリヤ人・・・私
倒れている人・・・自分 サマリヤ人・・・イエス
イエスは私の痛みをわかってくださり、飛んできてくださった。
テイクアウトQuestions
1)「塩狩峠」に出てくる牧師は「イエスを十字架につけたのは私だと思っている」と言いました。そのように感じたことはありますか?どうしてでしょうか?
2)あなたは良きサマリヤ人の話を読むときに自分をどこに置きますか?
3)良きサマリヤ人はこの倒れている人にどのようにしたでしょうか?それはイエスがあなたのためにしてくださったこととどのように重なりますか?
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書第19章16節〜30節
イエスのところに来た青年
「永遠の生命を受けるためには・・・」
永遠の生命・・・いつまでも生きる・・・量の問題?
それだけではなく質の問題も大切。・・・神と共に生きる。
→結局「天国」→「神の国」→「神の愛に満たされること」
16節では「永遠の生命」23節「天国」
→死を超えて神の愛の中で生きること。
「お金と信仰」というよりも、「何を頼りにするか?」という問い。
財産ではなく神を頼る
「何でも守って来ました」というこの青年に「財産を売り払って、貧しい人々に施して、わたしに従って来なさい」と言われた。
もう一つのしなければならないこと、というよりも「神を頼りますか?お金、財産を頼りますか?」という問い。
持っている人はそれを頼りに生きてしまう。持っていない人は神を頼りにして生きることができる。・・・富む人が天国に入るのが難しい。
でも、「人にはできないが神にはできる!」
自分の功績ではなく、神の恵みを頼る
ペテロ「ごらんなさい!私たちは全てを捨てて従いました!」
残念ながらペテロも勘違い。
「捨てる」という行動ではなく、神ご自身を信頼して歩むということが大切。
神の愛、神の恵みを感謝して歩むのか、自分がこれだけやったということを誇って、
報いを求めて生きるのか?・・・天国はどっち?
→20章に続く。
テイクアウトQuestions
1)この青年は悲しみながら去って行きましたが、いったい何が問題だったのだと思いますか?
2)ペテロはどうしてこのようなことを言ったのでしょうか?イエスはどのように答えられましたか?
3)私たちは永遠の生命を受けるために、どうすればいいのでしょうか?
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マタイによる福音書第19章13節〜15節
子ども達を連れて来た母親たち。
→弟子たちは諌める。
→イエスはその弟子たちに対して憤られる。
「子どもたちが私のところに来るままにさせなさい」
マルコ10:15「あなたがたも幼子のようにならなければ」!!?
でも、聖書には「考え方では大人になれ」とある。
1コリント14:20, ヘブル5:11-14
イエスの「幼子のようになりなさい」はどんな意味か?
「天国」の先入観を取り除く。
「天国」→「神の国」→「神の支配」→「神の愛の支配」
→「神の愛に満たされること」「神の愛に満たされた生き方」
「幼子のようになる」とは?
「主の祈り」のよびかけ。・・・私たちの父よ。
「アッバ」・・・父親を信頼して呼びかける言葉。もともと幼児語。
マルコ14:36,
当時の人々はそのように神に呼びかけることは考えられなかった。
ローマ8:15, ガラテヤ4:6
奴隷の霊ではなく、神の子としての霊を受けている。
→イエスを信じる人々は神のご機嫌をとってビクビクする生き方ではなく、
神の子として、神を信頼して、その胸に飛び込む生き方へ招かれている。
⇔放蕩息子の兄のように「私はこれだけやったのに・・・」
この続きのペテロの言葉「私は全てを捨ててあなたに従いました・・・」
テイクアウトQuestions
1)「天国」「神の国」はどんなところだと思いますか?
2)あなたは大人になって、何か失ったものはありますか?子どもから学ぶことはあるでしょうか?
3)「幼子のようになる」ことはどういうことでしょうか?あなたにとって、そのために難しいことはありますか?
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: ヨハネによる福音書第20章19節〜31節
イエスの復活は信じられる?
昔だから信じられたのではない、イエスの時代の人も信じられなかった
→トマス「十字架の釘の跡に指を入れて、脇腹に手を入れてみないと」
そのトマスが信じられた・・・私たちも信じる者への招かれている。
トマスはどうしてこんなことを言ったのか?
取り残されたような?
どうして私がいない時に?
信じさせてくれ!
信じたいけど信じられない!
イエスはトマスにも現れた「さあ、あなたの指を、あなたの手を」
トマスは「我が主よ、我が神よ」と。
イエスを信じられなくて、仲間を信じられなくて、申し訳なさ。
神を神としないで、自分の考えにこだわって生きる・・・罪。
それを悔い改めた。
1週間前の自分の言葉「指をいれて、手を入れてみないと」を
イエスは聞いておられた。
見えない時にも、イエスは確かにそこにおられて、聞いておられた
トマスは私たちの代表。トマスがいてくれてよかった。
トマスへのメッセージは、私たちへのメッセージ。
トマスの信仰告白は、私たちの信仰告白。
カラバッジョや他の画家たちの絵・・・本当に入れたのか!?
そ
の手を引っ張っている手・・・イエスが信じなさいと招かれる。
テイクアウトQuestions
1)イエスの復活を信じてますか?どうして信じることができましたか?どうして信じることができないのですか?
2)トマスはどうしてこんなことを言ったのだと思いますか?
3)「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」とのイエスのメッセージは私たちにどのような意味を持っているでしょうか?
説教: 錦織学牧師
聖書箇所: マルコによる福音書第15章16節〜41節
十字架は飾りではなく、アクセサリーではなく、私たちの生き方。
ただ、十字架を掲げるだけではなく、十字架を生きる。
1)イエスよ、どこまで人は罪深いのですか?
①王なる方を徹底的に侮辱するまで。
「王様万歳」「つばをかける」「十字架から降りてこい」
②自分の罪を自覚できないほどに
マルコ15:10ピラトは妬みのためであるとわかっていた
自分はわからない、でも、他人から見たら、妬み。
③私はここまでひどくないと思うまで。
私たちはこの箇所を読んで、ここまでひどくないと思う。
メル・ギブソンの「パッション」の撮影エピソード。
この人々の姿は私たちの姿。
2)イエスよ、どこまであなたは人を愛するのですか?
①徹底的な侮辱を耐えられるまで。
1)-①の侮辱をイエスは耐えられた。
「救い主ならそこから降りてみろ」
・・・イエスは降りることができた
・・・でも降りなかった。私たちの救いのため。
②父なる神に捨てられるまで。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
イエスは罪を負って罪の塊になって捨てられた。
③神殿の幕が二つに裂けるまで
聖なる神と罪をもつ人との間を隔てる幕
神が「これはもう必要ない」と真っ二つに裂かれた
<テイクアウトQuestions>
1)人はどこまで罪深いでしょうか?あなたはどこまで罪深いのでしょうか?
2)イエスはどこまであなたを愛していると思いますか?
3)あなたはこのイエスの愛に、どのように応えるでしょうか?