「私は2歳半の頃から…」

私は2歳半の頃からお母さんとお姉さんと一緒に教会に行っています。なので、日曜日に教会に行くというのは当たり前のことでした。小さい頃は、日曜日には特にすることもないし、礼拝の間はいつも他の子供達と一緒にジムで遊んでいたので、教会に行くことをだんだん好きになってきました。子供達は、私より2 – 4歳ぐらい年上でしたが、その当時、気にしないで、遊んでいるうちに、友達になりました。
10歳頃から、私はちゃんと礼拝に出席することになりました。でもそれは先生のメッセージを聞きたいから礼拝に出たのではありませんでした。私が普段一緒に遊んでいる友達が礼拝に出ていて、私一人でジムで遊ぶのが嫌だったので、みんなと付いていきました。その理由で私はメッセージを聞き始めましたが、先生が言っていることは全然分かりませんでした。だが、11-12歳になると、だんだん分かってきて、先生の話を聞くのが楽しみになりました。そして、その時から私は神様を信じました。

その次の2-3年間、教会の友達がみんな中高科に入って、仲間の中で、私一人がまだ上級科に残っていて、まるで置いてきぼりにされたみたいでした。一年ぐらいたって、私もやっと中高生になって、「やった!」と思いました。でも、その後、中高生のメンバーが一人一人、洗礼を受けていきました。そして、やがて、年上の中高生はみんな受洗をして、次に洗礼を受けるはずの人が私になりました!そのことからすごいプレッシャーを感じて、その上に、ときどき教会の人から「菜美はいつ洗礼を受けるの?」と聞かれる時もありました。私も正直「いつ洗礼を受けるのかな」とか、「13年間も教会に行っているのに、なんでまだ洗礼を受けてないのかな?」とかいろいろ考えていて、いつもそのことで神様にお祈りしていました。
今年の8月に私は毎年行っている中高生のB.I.G.キャンプに行きました。そこで、中高生の先生とone-on-one sessionで話した時に、先生が「神様を信じているなら、それだけでいいんだよ。信じているなら、洗礼を受けた方がいいよ」と言ってくれて、気付きました。私はいつも神様を信じていました。でも、信じるだけだと物足りなくて、もっと聖書を読んで、お祈りしたら、神の子供になれるとずっと思っていました。でも、中高生キャンプで学んだ通り、「 神様を信じているなら、それだけでいいんだよ。」本当に単純でobviousなことかもしれないけど、その一言で、私は洗礼を受けたいと思いました。
中高生キャンプが終わって、何週間後に、聖書を読んでいると、不思議にヨハネ1:12を開いて、こう書いてありました:「しかし、この方はご自分を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」私にぴったりの聖書箇所でした。神様は私の祈りに答えてくれました。
そういうことで、神様を信じて、洗礼を受けて、そして、神様から光をいただきました。そして、私はその光で、人生を生きたいと思います。私が好きな聖書箇所、エペソ5:8にかいてあります:「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。」これからは、光の子として、私が信じている神様といっしょに生きたいと思います。そして、もらった光を持って、2008年、新しい一年に私は飛び込んでいきます。

月報2008年1月号より

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