「The Brave教師に導かれて」

ニュージヤージー日本語キリスト教会で「主にある家族」としてお付き合いくださり、数え切れないほどの祈りと助けと励ましをくださった皆様へ、心より感謝申し上げます。

7月初めにカリフォルニアへの引越しを無事に終え、今ニュージャージーでの教会生活を振り返り、特に強く神様の導きと訓練を感じました「The Brave (教会学校)」の教師というご奉仕についてお証しさせていただきます。

「受けるより与えるほうが幸いです。」(使徒行伝20章35節)このみ言葉に励まされ、2009年の9月からThe Brave教師の奉仕に立ちました。しかし当初は、私の中に教師としての「自信」などは全くなく、聖書のお話やみ言葉の意味をどのように子供たちに伝えたらよいのか、毎回悩みの連続でした。

聖書の中に、イエス様のもとに5千人が集まるシーンがあります。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」と問うイエス様に対し「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」と答えた弟子の言葉はそのまま私のつぶやきでした。「この小きき者に一体何ができますか?」と。このような信仰が浅かった私に対しても、主は「それをここに持ってきなさい」(マタイ14章18節)と言われ、忍耐強く私を導いてくださいました。

月1回のThe Brave&BIG教師のミーティングである「教師会」に集い初めた頃を思い出します。みことばシェア(お証)、祈りの時、カリキュラム確認と続き、子供達のための様々なイベントについて毎回真剣に話し合い、神様の導きを求めつつ、意見を交わす、その確立した体制や熱意ある先生達の祈りに「教会の子供達は実に恵まれている」と感心したことを覚えています。

教会学校の教師がひたすら祈ることは、教会へ来ている子供達が神様の普遍の愛—無限であり無償でいただける、優しくて強い「神の愛」を知ることです。聖書にはこう書かれています。

「愛は神から出ているのです。…私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」  (第一ヨハネ4章7—10節)

さらに現代の複雑な社会の中で、思春期の子供達が不安・混乱・矛盾、心の葛藤などを経験していく時にも、神様に依り頼み、善悪を見極めて誘惑をはねのける力、問題を解決していく力、希望を失わず生きる力が神様から与えられていくことです。

「見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」  (箴言4章22-23節)

この「いのちの泉」とは、決して渇くことのない水があふれる所ですが、ある日ふと「教師会」が私にとっての「いのちの泉が湧く所」になっていることに気付きました。毎日3歳と5歳の子供の世話で忙しくしていた私に「教会学校教師」という奉仕が与えられたのは、実は「神の前に静まり、祈りの時を持ちなさい」との主の招きだったのです。聖書を開き、み言葉に親しみ、心を一つにして祈り合うことこそ、当時の私にとって必要なことでした。主を身近に感じながら、私はいつも平安を得ることができました。

教会学校では一年を通して様々な活動があります。毎週日曜日のThe Braveの礼拝に加え、主の復活を祝うJoy Joy イースター、主の御降誕を祝うJoy Joy クリスマス、夏の一大イベントであるJoy Joy キャンプ etc…。これらを担っていくため、プログラムを組み、準備に時間を割き、人々に仕えていく、それはまた自分を犠牲にすることでもあります。体と心が疲れた時に、繰り返し私の心に響いていたのは「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6章33節)というみ言葉でした。

そしてこのみ言葉は、ニュージャージーの教会での最後の礼拝で我が家の子供達が洗礼を授かった瞬間に成就したのです!同時にこの洗礼の恵みは「奇跡」でもあります。子供達の「神様の子とされて歩みたい」「錦織先生から洗礼を受けたい」との思いが現実にされたからです。一年前にも6ヶ月前にもこのようなことは考えられませんでした。今、子供達の心の中に確かに教会で培われた神様の愛、聖書の一つ一つのお話やみ言葉、神様の子供とされた喜びが着実に育っています。錦織先生、教師の皆様、教会の皆様の愛とお祈りに深く感謝するとともに、主が与えてくださった恵み、み言葉の確かさを覚え、救い主、主をほめ讃えます。

「教会学校の教師」という重荷を用いて、主は確かに私の霊性を整え、信仰を鍛え、教会に来る子供達への愛情を増してくださいました。そして子供達の中にある純粋さ、素直さをみるたびにいつも心に語られたのは、イエス様のこのみ言葉でした。

『子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。』  (マタイ 19章14節)

 

月報2016年9~10月号より

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