信仰及び受洗そして今回の転入会にあたっての証

努力するものは報われると信じて疑わず、子供時代から猪突猛進してきましたが、30歳直前のあるとき努力ではどうにもならないことが世の中に存在する、という初めての挫折経験をしました。それをきっかけに心身共に苦しい日々を送るようになりました。失敗やそれにまつわる全てを自分の中で消化できず許すこともできず、ただ後ろ向きな考えに満たされながら鹿児島に住む家族、心を許していた数少ない友人達に支えられながら過ごしていました。

その中の一人である、遠く離れたミラノで救われて、当時日本に一時帰国しクリスチャンとして過ごしていた高校時代からの友人が、時を間もなくして私と同様の困難にぶつかったのです。諸事情により、実家住まいであった鹿児島、そして彼女の家族から離れて、横浜で一人暮らしをしていた私の家にて、短期間だけ滞在することとなりました。

短い同居期間、彼女は私のように苦しみもがき同じ場所でじたばたせず「このことを受け入れて神様に委ねて行こうと思う」と話しながら、私から見ると明らかな失敗と思える状況を受け入れており、そのことについて話す際には感極まったり涙を流すこともなく、夜は聖書を開きながら静かに過ごしていて、私の目にはゆっくりと前進していく姿を見ることになりました。

なぜ同じことをこんなに違うように受け止められるのだろうかと、彼女の姿を通して探究心が芽生えながら、メールなどでやりとりする中にて、マタイによる福音書 7:3 『あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、何故自分の目の中の丸太に気付かないのか』 という御言葉があり、被害者意識で自己憐憫ばかりの重い気持ちでいたのに、ハッと目が覚める思いがしました。そして同時に視線が変わったことで心の重苦しいものが減ったように感じました。

もっと聖書のこと、神様のこと、愛とは何か知りたいと思うようになりました。

その友人を通じて帰省時に鹿児島市の丘の上にある単立鹿児島シティチャーチ(勝郁也主任牧師)の日曜礼拝へ足を踏み入れました。

エレミヤ29:11-12『わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。』

礼拝の中で神様は生きておられる、この方についていけばこの先大丈夫な気がする、と思うようになり横浜に戻ってから少しずつ聖書の言葉に触れるようになりました。

聖霊の働きかけと導きが備えられ、イエス様の十字架によって新しく生まれ変わりたいと思うようになり、2008年12月4日、故芳賀正牧師先生(東京フリーメソジスト小金井教会元牧師、当時イタリア・ミラノ賛美教会協力牧師)のもとイエス様を心にお迎えし共に歩んでいく決意をしました。

その後仕事のため住んでいた横浜市にあるアッセンブリー教団港南シオンキリスト教会にて受洗の道が備えられ2009年8月23日野川悦子牧師先生より洗礼を授けて頂きました。

野川先生には年の離れた姉のように信仰生活・教会生活を手取り足取りご指導いただき仕事でも絶好調、信仰・教会生活も大いに充実した生活を送っていましたが、時は流れ、夏休みにひとり旅で訪れていたNYの地にて夫と出会い結婚することになりました。

別居婚を続けていましたが主が奇跡を与えてくださり子を授かりました。祈りつつ歩む中で日本での仕事を辞め息子と3人で暮らすように道が一つずつ備えられていきました。

渡米後、夫と同じ教会に転入会することを話す機会があり主から授かった息子に信仰を継承してことが夫婦のミッションであることで一致し、親子クラスをきっかけとして通うようになったニュージャージー日本語キリスト教会へ、今回転入会を希望致しました。この新しい地にて気持ち新たに信仰の土台を固く築いてまいりたいと思います。

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