私は、米国に来て3年目の1993年5月に洗礼を受けました。いとこが30人以上いる大家族の出身で、初穂としてクリスチャンとなった者としては、大好きなイエス様を家族に伝えたいという思いをいつも持っていました。 たまに里帰りをすると、家族を教会に誘い、母は何回か来てくれましたが、説教中に居眠りしてしまう姿を見てはがっかりしていました。 錦織先生が日本に行く際は、『家族を訪問しますよ。』と言って下さっていましたが、母に勧めても、『今回はいい。』と言うのでした。 教会に来られた人や、同僚・友人などにイエス様を伝える機会は多くありましたが、私はまだ一番身近な家族に福音を伝え切れていない、という思いが常にありました。
それから時は流れ、70代半ばになった母に認知症の症状が現れ始めた、と弟から聞くことになりました。 アメリカから電話をすると、会話は極めて普通でしたので、まさかと思いましたが、里帰りし、実際会ってみると、5分間に同じ質問が何度も繰り返されました。 フレンチ・レストランでは、こどものように無邪気な笑顔で、ごはんとみそ汁が欲しいと駄々をこねる有様でした。 私はずっと親から庇護されてきた存在でしたが、今やそれが逆転し、これからは親をサポートしなければならない、そして時間は有限なのだと悟ったのでした。
主の慈しみは決して絶えない。 主の憐れみは決して尽きない。 それは朝ごとに新たになる。(哀歌3:22)
時とともに母の認知症は進行し、家での世話が難しくなり、弟は母を実家近くの施設に入居させました。 COVIDで里帰りが難しい時期には、よく施設にいる母とビデオ通話をしました。 そんな中、私は2023年5月に失業しました。 私は、大きな喪失感の中にいましたが、急に時間が出来たので、その月に母に会いに日本へ行きました。 母は私と息子の来訪を喜んでくれました。 そして、心がとても柔らかく素直になっていました。 私は何かに促されるように、イエス様の十字架と復活や、罪からの救いが必要であることを話し、母の手を握って、『イエス様を信じようね。』と、勧めました。 母は、『とてもいいお話だね、そうするね。』と言い、一緒に罪が赦されたことを感謝するお祈りをしました。 失意の中にいた私に、神様は大きな慰めを与えて下さいました。 米国に戻り、錦織先生に母の信仰告白を報告すると喜んで下さり、どのように次(洗礼)に進めていくかを話をし始めました。
その後再就職し、2024年7月に日本に出張する機会がありました。 奇しくも(いえ神様のご計画で)錦織先生も日本への出張があり、先生の日程の最後と、私の日程の初めが一日だけ重なっていました。 そこで、私たちは一緒に母の施設に行き、信仰を確認出来れば、洗礼を授けようと計画したのです。 これこそ神様が備えてくれた千載一遇のチャンスだと思い、施設訪問の予約を行い、その日を数えて待っていました。 教会の友人は、サタンの邪魔が入らないように、そして高齢者施設でコロナが広まって訪問できなくなるような事態が発生しないようにと祈ってくれていました。
ところが、何と私の出発直前に錦織先生から、『コロナに感染した。申し訳ないが、その後の予定は全て中止せざるを得ない。』と連絡が入ったのです。 『えー。本当? こんな機会は二度と来ないでしょうに。神様、どうしてこのようなことになるのですか!?』 私は高齢の母の洗礼を心待ちにしていたので、大きなショックでした。 母がコロナにかからないようにとは祈っていましたが、錦織先生のコロナの為には祈っていなかったのです! このことを悔いました。
これを聞いた友人は、『錦織先生のご家族や、地元の牧師先生に施設に来てもらえないか相談してみれば?』と言ってくれました。具合が悪い先生に調整をお願いするのは気が引けて、すぐ行動できませんでした。が、2-3日後には考えを改め連絡すると、先生はすぐに動いてくれました。 錦織先生の日本のご家族は教会の修養会に参加され、そこでコロナになってしまった方が多かったようでしたが、感染を免れた兄上の錦織寛牧師が代わりに来て下さることになりました。
寛先生と施設に訪れ、再び母にイエス様の話をしました。 『お母さん、何も心配することはないよ。イエス様が私やお母さんの失敗や罪の為に死んでくれたから。 イエス様を信じれば神様の子どもとして、死んだあとも天国で永遠の命をいただくことができる。』 『このことを信じて 洗礼を受けますか?』との問いに、母ははっきり『はい。』と答えました。 そして、2024年7月25日に母の部屋で洗礼の恵みにあずかりました。 あれほど明確に答えられたことは驚きであり、心から神様に感謝しました。 その時、寛先生は『たとえお母さんが忘れたとしても、神様はお母さんが信じると言われたことを決して忘れませんよ。』と言ってくださり、私の目には高価でたっとい(イザヤ43:4)という聖書の言葉を書いて下さいました。
母はそれからすぐ要介護4となり、車椅子での生活になりました。昨年の6月には、食べられなくなったので、終わりが近いようだと連絡があり、すぐに日本へ飛びました。 施設に着くと、申し合わせていなかったのに、寛先生と奥様が母の部屋にいてお祈りをされていました。 暫くすると弟も到着し、寛先生を弟に紹介する機会となりました。 弟に、母はクリスチャンになったので、葬儀は教会でしたいと言うと、同意してくれました。
残りの日は短いと思っていましたが、神様はその後も半年ほど生かしてくださいました。12月に入ってから昏睡状態となり、弟はその頃から寛先生に連絡を取るようになり、葬儀のことなどを相談していたようです。そして、12/14に苦しむことなく、88才で老衰により召されていきました。
神を愛する人たち、すなわち神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)
私が12月に帰国できなかったので、1月に寛先生が牧会される東京中央教会でメモリアルをしていただくことになりました。 この為に里帰りし、打合せも兼ね、弟と共に東京中央教会に行きました。 弟にとっては教会デビューであり、初めて共に主日礼拝に出席することができました。
1/21のメモリアルでは、弟とその家族、父が他界して以来40年ぶりに会う、従兄弟、従姉妹たち、錦織先生のご両親など、約二十名が参列しました。 讃美歌が流れ、聖書の言葉が読まれる中、私は、母の人生を振り返りながら、どうして葬儀を教会で持つことになったのか、そして今は母が天国で永遠の命を生きていることを証ししました。
葬儀の後、弟は遺骨を父が入っている浅草の寺の墓に入れようと考えていたようです。 ところが、住職に依頼すると、『お経とお参りをしないといけません。戒名も必要。一番安いものは30万円ですが、一番安いものにする人は殆どいないんですよ。』と言われたのです。
それを錦織先生に伝えると、『教会にお墓があるのではないですか?教会員なのだから、聞いてみたら?』とのこと。 『えっ、教会員?』考えもしなかった言葉でした。 教会に行ったこともない母でしたが、寛先生に洗礼を授けていただいたがゆえに、東京中央教会の教会員になっていた母。 お伺いしてみると、教団のお墓があり、入れていただくことが出来るとのこと。 弟は、母の納骨手続きをしていただく中で、教会は拝金主義ではなく、イエス様を伝える為に全てのことを行っていると理解したようでした。
母に洗礼をと計画していたあの時、錦織先生がコロナに感染してしまい、落胆しました。 しかし、神様は私の思いを遥かに超えて働かれていました。 代わりに寛先生を備えて下さり、母の受洗から始まり、日本にいる家族や親族が福音を聴く機会が何回も備えられてきました。
弟夫婦は、教会の合同納骨式にも参加します。 納骨式は4/4(土)でイースターの前日ですから、永遠の天国の希望が高らかに語られることと思います。
弟は、かつては母のように、教会に行くように勧めても、耳が閉じられていた者でした。 しかし、今や彼にとって教会の敷居は高いものではなく、いつでも行くことが出来ます。 いつでも牧師先生に連絡することが出来るのです。 母を救った神様は、ほかの家族をも神様の時に神様の方法で救ってくださるのです。 そのことを今、先取りしてイエス様に感謝します。 アーメン。
信じるなら、神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。(ヨハネ11:40)
