「最善をなさる神様 ― 9年を振り返って」

私の母が天に召されてから、7月30日で丸9年になります。この時期になると、母とのことや、母が亡くなるまでの出来事をいろいろと思い出します。今回、9年前の8月末に書いた「証」(神様を信じる中で、自分が経験したことや感じたことをお話しすること)を読み返してみました。まず、その文章の一部を紹介させてください。

「この3カ月間を振り返り、全てが神様の御手の中に置かれていたこと、神様の完璧な“とき”があったことを改めて思い、その御業の素晴らしさに圧倒されています。

母・岡崎久江が最期の2カ月間を過ごした千葉は、北海道出身で仙台に長く住んでいた母と私にとって、全く初めての知らない土地でした。母の病気の検査と治療を千葉市内にある病院でやって頂こうと決め、千葉県南部の君津市に住む叔母(母のすぐ下の妹)だけを頼りに、5月末に緊急帰国(*)しました。それから出会った数えきれないほどの人達、例えば、様々な役所関係の方々、病院の先生、看護師さん、スタッフの方々、どこへ行っても皆さんにとても良くして頂きました。また、君津に滞在していた時に集わせて頂いた木更津にある畑沢キリスト教会の皆さんも、私達を温かく迎えて下さり、数回しか礼拝に出席することができなかった母の癒しのために、熱い祈りを捧げて下さっていました。そして、その祈りのサポートはニュージャージーはもちろんのこと、仙台、日本・アメリカの各地、世界のあちこちに広がっていきました。色々なことが本当に不思議なように、そして絶好の良いタイミングで一つ一つ開かれていく経験を目の当たりにし、多くの方々の祈りの力を背後に感じずにはいられませんでした。」

* 母は2012年11月から2017年5月まで、私たち家族と一緒にアメリカで暮らしていました。

9年前に「色々なことが本当に不思議なように、そして絶好の良いタイミングで一つ一つ開かれていく経験を目の当たりにし」と書きましたが、それは決して、その時の状況が最初から順調だったという意味ではありません。むしろ、そこに至るまでには、たくさんの悩みや葛藤がありました。

母の病気は癌で、すでにいくつもの場所に転移していました。まず、癌が最初にどこにできたのか、その「原発」を調べるための検査を受けることになりました。原発が分からなければ治療方針を決めることができないとのことで、母は何度も、さまざまな検査を受けました。しかし、なかなか原発が分からず、治療を始めることもできないまま、何週間も過ぎていきました。

「この先、どうなるのだろう?」

その時の不安と焦りは、それまで経験したことがないほど大きなものでした。「途方に暮れる」というのは、こういうことなのかと思ったほどです。アメリカに残してきた子どもたちのこと、学校のこと、学校が終わった後に子どもたちを預かってもらう場所のこと、自分の仕事のことなど、心配は尽きることがありませんでした。

日本では、父はすでに亡くなっており、私は一人っ子ですので、頼れるのは千葉に住む叔母だけでした。母の他の姉妹たちは北海道に住んでいたからです。叔母の家に住まわせてもらい、母の検査のために大学病院へ通うには、高速道路を使って、かなりの距離を叔母に運転してもらう必要がありました。叔母には叔母の生活がありますし、ずっと頼り続けるわけにはいきません。どうにか母が病院の近くで生活できる場所を早く探さなければ、と焦りました。治療が始まったとしても、それがどのくらい続くのだろう?私はこれから何度、日本とアメリカを行き来することになるのだろう…?先が全く見えない不安に押し潰されそうになりながら、私は神様に祈り、助けを求め続けました。

そんな時、聖書のこの言葉に励まされました。

『私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。』コリント人への手紙 第二 4章8節

私はこの言葉から、こんなことを思いました。

「どんなに八方塞がりになって、もうどうにもならないと思っても、上(天)は空いている。困難の中にあっても、完全に追い詰められたように感じる時でも、神様は耐える力や逃れる道を用意し、一歩一歩ともに歩んで導いてくださる。」

それまでは、「自分の力で何とかしなければ」と頑張っていたと思います。でも、その時は苦しくて仕方がありませんでした。そして、「もう神様にすべてをお任せしよう。神様は必ず道を開いてくださる。それを信じていこう。」と思うようになりました。もちろん、母の病気が癒やされることを願い、祈りました。しかし、それと同時に、「私の願い通りになること」よりも、「神様が私たちにとって最善のことをしてくださいますように」と祈るようになりました。だからといって、すぐに不安がなくなり、心が楽になったわけではありません。それでも、少しずつ、周りの状況が動き始めていったように感じました。

そうこうしているうちに、一カ月が経ちました。病院の先生も「癌が最初にできた場所はまだ分からないけれど、とりあえず治療を始めていきましょう」と言ってくださり、7月初旬から抗がん剤治療が始まりました。その時点では、母の治療がどのくらい続くのか、これからどのような状況になるのか、全く分かりませんでした。そこで、長期間にわたって日本とアメリカを行き来する可能性も考え、会社の上司や人事の方に相談しました。すると、特別に許可をいただき、日本からでもリモートで仕事ができるようにしてくださいました。

また、母が病院へ通いやすいように、千葉市内で高齢者向けの住まいを探しました。何カ所も見学した末、最後に訪れた場所で、「ここだ」と思えるような素晴らしいホームに出会うことができました。叔母の住む君津を離れ、母が全く知らない土地で一人で新しい生活を始めることには、大きな不安がありました。それでも、「ここなら母を安心してお任せできる」と思える場所でした。そのホームを選ぶ大きな理由の一つになったのが、千葉栄光教会の存在でした。そこでは、以前から錦織先生がご存知だった大前先生ご夫妻が奉仕をされていました。そして驚いたことに、教会と母が住むことになったホームは同じ町にあり、歩いて6~7分ほどの距離でした。そのことが分かった時、私は鳥肌が立つほど驚きました。「ここにも神様の導きがある」と強く感じた瞬間でした。

母に寄り添い、手厚くお世話をしてくださったホームのスタッフの皆さんには、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。ホームで暮らしていた方々や、食事を作ってくださるスタッフの方々も、母のことを気遣い、優しく助けてくださいました。残念なことに、母がそのホームで暮らすことができたのは、たった3週間でした。

人間的な気持ちからすれば、「なぜこんなに早く?」「神様、どうして病気を癒やしてくださらなかったのですか?」と思う方々もおられたことでしょう。私たちには、神様のご計画のすべてを理解することはできません。それでも私は、「神様がなさることには必ず意味があり、私たちには今は分からなくても、最善のことをしてくださっている」と信じることができました。母が亡くなった時も、私たちには分からない神様の愛と配慮があったのだと思います。そのように信じることができたことを、私は本当に感謝しています。

そして今、私自身もある願いを持って祈っていることがあります。それが神様のご計画なのか、自分自身の勝手な思いなのかは分かりません。だからこそ、「もし神様が望んでおられることでないのなら、その道を閉ざし、私にも分かるように教えてください」と祈っています。たとえ神様が私の願いとは違う道へ導かれたとしても、神様は私たちにとって何が最善なのかを知っておられるお方だと信じています。

聖書には、このような言葉があります。

『神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。』ピリピ人への手紙 2章13節

また、こんな言葉もあります。

『人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。』箴言 19章21節

『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。』伝道者の書3章11節

9年前、母の病気を通して、私は「自分の力だけではどうにもならないことがある」ということを身をもって経験しました。先が見えない中で神様に助けを求め、すべてをお任せすることで、少しずつ心に平安が与えられていきました。今も、これから先も、思い通りにならないことや、理解できないことがあると思います。それでも、9年前の経験を思い返しながら、「神様はそれぞれに最善の道を準備してくださる」と信じて、神様にすべてを委ねて歩んでいきたいと思います。

皆さんの上にも、神様の豊かな祝福と、神様が備えてくださっている素晴らしいご計画がありますように。

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