今年の7月は嵐が多かったですね。私たちの住んでいる牧師館は2回の停電に見舞われました。
1回目は4日。独立記念日の祝日の夜8時ごろ。土曜日だったので、日曜日の準備も途中だったのですが、ここらでNYの花火のテレビ中継を見ようかな、と思って、テレビをつけたら、バチッと切れて、近所一帯停電。外に出てみると、3軒隣の木が倒れていました。その夜は蒸し暑い夜だったので、たまらず停電していない教会に避難。道の途中あちらこちらに木が倒れていて、何度も迂回しながら、何とか教会に到着。日曜日の準備の続きに取り組んでも、なかなか電気は復旧せず、でも、さすがにそこで寝るのも・・・と夜中の12時を回った頃、準備を終えて、家に帰り休みました。幸い8時間ほどで電気は復旧したのですが、後でわかったのは、その日の嵐はかなりひどくて、同じ町の中でも、木が何本も倒れた通りもありました。
2回目は、21日。火曜日の午後でした。2時45分頃、突然、携帯のアラームが鳴り、「竜巻が発生して、そちらに向かっています」との竜巻警報の知らせです。慌てて地下の部屋にこもっていましたが、何事もなく、30分後に警報は解除され、ほっとしていたところ、3時半頃に、ドドンと大きな雷の落ちる音と共に電気が消えました。ちょうど、取りかかろうとしていた用事にはPCとネット環境が必要。今度も停電していなかった教会に行って、仕事をしていたら、4時間ほどで電気が戻ったという知らせが入り、8時頃には家に戻ることができました。
今回、停電が短い時間で終わって、ほっとしたのですが(14年前のHurricane Sandyのときは1週間停電しました)、それと共に、昔は「停電でもできることがある」「停電だからこそ、できることがある」と思っていたのですが、今回は、今まで以上に電気に頼り、ネット環境に頼る生活をしてしまって、何としてでも電気のあるところに行かなければ、という感覚になっていることに気がつきました。
私が牧師としての歩みを始めた時はまだインターネットは普及していなくて、何でも電話で連絡をして、会って話をして、手紙を自筆で書いて、切手を貼って送っていました。電気は大切なものではありましたが、牧師の働きのためになくてならぬものではなかったです。今、書いているようなニュースレターの原稿も、その頃はまだ手書きが主流だったと思います。Eメールもテキストメッセージも一瞬で相手に届く、遠くにいてもビデオ通話で話ができる、便利な時代になりましたが、その中で、見失っているものもあるのでは、と思わされます。
この8月から私のニュージャージー日本語キリスト教会での新しい3年任期が始まります。この任期の始まりにあたって、改めて、電気やネットの助けを借りながら、それに振り回されない働きを大切にしようと思わされています。具体的には神様との時間を大切にして、聖書を読み、祈ること、そして、人との時間を大切にして、お話しすること、共に祈ることを心がけていこうと思います。
新しい3年間も、皆さん、どうぞよろしくお願いします。
“イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」”(マルコの福音書12章28-31節)
