2025年5月号<牧師室より>「天国の希望に生きる」

3月の最後の日曜日の礼拝が終わった後、車でノースカロライナ州の息子の一家のところを訪問してきました。第一の目的は、息子のお嫁さんが歯医者なので、1年ぶりに診てもらうためでした。月曜日に到着して検診とクリーニング、虫歯が見つかったので、火曜日に治療。それで水曜日から木曜日ににかけて、ノースカロライナ州にいる他の知り合いの方々を何人か訪ねて回りました。

最初に訪問したのが、2月半ばまでNJにおられたご夫妻。こちらのご夫妻の息子さんのご一家もノースカロライナにおられて、息子さんのそばにしばらく滞在する、ということだったのですが、出発前後に90歳のご主人が弱ってこられて、あまり歩けない状態になってしまっていました。私がお会いしたときにはもうほぼ寝たきりの状態でしたが、とても輝いた顔をしておられて、「このようなときが与えられて、人生を振り返って、神さまの恵みを思い巡らしています」と言っておられました。元々、ご主人は昔からのクリスチャンで、奥さんが3年ほど前に洗礼を受けられた方です。おそらくこれが最後にお会いするチャンスだろう、と思っていましたが、このように輝いて最期の時を過ごせるのは何という幸いかと思わされました。(ご主人は4月28日に主の御許に召されていかれました)

その後にご訪問したのが、28年前、私がまだこの教会の牧師になる前にお嬢さんを天に送られた方です。ご主人がまだご健在の頃、お証しを伺って2009年の10月号でご紹介させていただきました。https://jccofnj.org/akashi200910 で読むことができます。今回もお一人で施設に入っておられるこのご婦人が、天国の希望を持って、先に天に行かれたお嬢さんとご主人との再会を待ち望みながら、でも、この地上に生かされるならば、できることをしていこうと、新しいことに挑戦しておられる姿に励まされました。

私はキリスト教が「死んだ後に天国に行く」ということばかりに集中して、余りにも彼岸的になってしまって、「この世のことはどうでもいい」と、世界で紛争が起こってもなんとも思わなかったり、環境問題に無関心になってしまうのは間違っていると思います。ですから、「死んだ後の天国」のことよりも、「私たちがどう生きるか」「神と共に生きる幸い」を主に語ってきました。しかし、今回、天国の希望を持ちながら、この地上で平安をいただいて歩んでおられる皆さんにお目にかかって、この天国の希望は、この地上での歩みをも豊かにするのだと思わされています。

「私たちの国籍は、天にあります」(ピリピ3:20)

「赤い小さな聖書」

私は1995年の8月第1週からJCCNJの礼拝に出席するように導かれ、同年の12月17日に前任の池原牧師から洗礼を受けました。今年で30年になるとは、時の経つのはなんと早いのでしょうか。

その頃、JCCNJにはクラーク先生が協力牧師としてジェーン夫人と毎週のように礼拝に出席されていました、クラーク先生はhi-b.a.の宣教師として、1951年から長年にわたって日本で主に高校生を対象に伝道されてこられました。いつからNJにお住まいだったのかは分かりませんが、当時はジェーン夫人のご実家だったWestwoodにお住まいでした。

お二人は1996年にJCCNJでスタートした「子育てクラス」(主に子育て中のお母さん達を対象にしたプログラム)で、20分程の聖書の時間を担当してくださいました。お二人のお話は、聖書を読んだことがない参加者にも分かりやすく、その時間はいつもとても和やかなひと時でした。

その後一年くらい経ってからでしょうか、何人かの女性教会員からのリクエストに応えて、ご夫妻によるバイブルスタディがスタートしました。これは教会の主催するプログラムではなかったのですが、月に1回くらい金曜日の午前中にParamusやRidgewoodの教会員宅に3~5名くらいの女性が集まっていました。確か1度、クラークご夫妻のご自宅に招いていただいたこともありました。

ある時クラーク先生は、日本でのご奉仕時代に出会った一人の女子高校生のお話をされました。彼女は熱心な求道者で「イエス様を信じて歩みたい、教会の日曜礼拝に出席したい。でも両親がとても反対していて、どうしたらいいのか分からない。」と泣きながら先生に話したそうです。そこで先生は彼女に「これをポケットに入れてトイレに持って行って、そこで読みなさい。」と一冊の赤い小さな聖書を渡したそうです。余談になりますが、この女子高校生はその後教会に通い、受洗し、やがて牧師夫人となったそうです

この話をされた時にクラーク先生はこの聖書のことを、”当時多くの受験生が持っていた赤い表紙の英単語集くらいの大きさのもの”というように説明してくださったんだと思います。私はそれを聞いて「赤尾の豆単ですか?私の母が、外国人宣教師からそういう聖書をもらったことがあります!」と、興奮気味に先生に言ったことを今でも記憶しています。先生によると、当時hi-b.aの集会では参加した高校生にこの赤いポケット版の新約聖書を配っていて、その聖書を毎日読み、いつも携えることを決心した参加者は、内表紙に自分の名前と日付を書いて、聖書を配った宣教師が贈呈者として署名することになっていたのだそうです。私は母から「宣教師から”赤尾の豆単”みたいな聖書をもらったことがある」とは聞いていましたが、実際にその聖書を見せてもらったことはなかったので、その時先生から「私のサインはありましたか?」と聞かれても「見たことがないのでわかりません」としか答えられませんでした。

その晩、母に電話をして件の聖書のことを聞いてみました。母が貰った聖書はまだ存在していたのですが、母の所属する教会に展示コーナーが新設されたので、戦後の日本での宣教活動の記録品として寄贈したので、母の手元にはないという答えでした。

私の母は中学の頃から教会に通い、中学卒業前に洗礼を授かりました。高校生の時、教会の友人に誘われて渋谷で行われていた集会に参加して、宣教師から聖書をもらったそうです。母は集会の名前も宣教師の名前も覚えてはいませんでした。母に内表紙のサインについて聞いてみましたが、母はそのことも覚えていませんでした。今のように携帯電話で写真を撮ってメールで送ってもらうなど普及していない頃ですし、内表紙に宣教師(願わくばクラーク先生)のサインがあるかどうかを母に確認してもらうのは無理だと諦め、次回の一時帰国の時に自分の目で確認することに決めました。

夏の一時帰国中の最初の日曜日、娘達2人を伴って母と教会に出かけました。その前日から期待と不安で落ち着かず、教会に着くと牧師への挨拶もそこそこに、会堂地下にある展示コーナーへひとり急ぎました。ガラスケースの中には、数点の展示物と並んで赤い表紙の小さくて薄い本が飾られていました。ケースを開けて手に取ってみると、古びて折れ線が入った表紙には「新約聖書」とありました。そっと表紙を開けると、母の名前が見慣れた筆跡のローマ字で書かれているのが目に入って来ました。そしてその下には、きれいな筆記体でKenneth W Clarkと記されていました。それだけを確認して、聖書をガラスケースの中に戻して、「神様、ありがとうございます!」と一言祈って礼拝堂に向かいました。

礼拝後、牧師にそれまでの経緯を話して、この聖書を私が譲り受けることを承諾していただきました。こうして、この”赤尾の豆単みたいな赤い小さな聖書” (ポケット聖書連盟刊 新約聖書)は私の宝物となりました。

私は感謝します。
あなたは私に奇しいことをなさって
恐ろしいほどです。
私のたましいは それをよく知っています。
私が隠れた所で造られ
地の深い所で織り上げられたとき
私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
あなたの目は胎児の私を見られ
あなたの書物にすべてが記されました。
私のために作られた日々が
しかも その一日もないうちに。 (詩篇139: 14-16)

聖書の内表紙には、クラーク先生の字でその日の日付 2/24/52 そして I Cor. 2:2と記されています。母はその年の3月に高校を卒業していますので、恐らくこの時が母にとっては最初で最後のhi-b.a.集会であったのでしょう。受洗して数年、ほぼ毎週のように教会に通っていた母にとっては、その日受け取った聖書はそれほど意味があるものではなかったのかもしれません。それが45年を超える年月を経て、次の世代の宝物となる。神様だからこんなことができる、しかもこの私の琴線に触れるようなストーリーで。

今回この証を書くように導かれ、準備のためにhi-b.a.の歴史と働きについて、また、戦後の連合軍占領下にあった日本におけるキリスト教宣教についてなど、いろいろと知ることができました。また、2021年にオンラインでもたれたhi-b.a. 70周年記念本大会のビデオで、クラーク先生のスピーチを聞くことができたのも感謝でした。

イエス・キリスト及びその十字架に釘けられ給ひし事のほかは、汝らの中にありて何をも知るまじと心を定めたればなり。(コリント前書2:2文語訳)

2025年4月<牧師室より>「共に歩まれる方」

先月の月報でのホームレスの方との関わりのこと、個人的に何人かの方から、「その後、どうなりましたか」と質問を受けています。皆さんが心にかけて、祈ってくださっていることに感謝します。実はそれから会えていないのです。毎週、彼のいるところを訪問しているのですが、暖かくなってきて、歩き回っているのでしょうか?サポートしてくださっている方々いるのでしょうか?荷物はあるのですが、私が行くときには、本人はそこにいないのです。でも、一回は、「いないなあ」と思って、帰ろうとUターンできるところまで行って戻って来たら、そこにいて、「あ、いた!」と思って今度はまた車をパーキングして、戻って来たら、またいなかった、ということもあったので、まだ、そこで生活をしておられると思います。車で片道30-40分かかるところなので、1週間に何度も行くことはできないのですが、例えば、朝早い時間とか、夕方遅い時間とか、ご訪問できればと思わされています。

前回の月報では書かなかったのですが、彼と最後に会ったときのことを思い出します。その日は冷え込みが緩んで、前の週は寝袋の中に潜り込んでいた彼が、少し起き上がって、座ることができたので、私も横に一緒に座って、持ってきたホットココアを一緒に飲んで話をしていました。ほんの10分ほどの時間だったのですが、歩道に座ってそこから見える風景が、立って話をしていたときとは全然違っていました。歩道に落ちているごみや彼自身か他の誰かが吐いた唾。立って見下ろしていたときには気がつかなかったものが、目に入ってくるのです。ああ、分かっていなかったな、と思いました。いや今も分かっていないと思います。

よく、JOYJOYキャンプのヘルプをしてくれる中高生に「子どもたちの視線で話せよ。君たちと子どもたちは全然視線が違うんだからね」と話をするのですが、自分もそれができていないことを思い知らされました。

今年もイエスの復活をお祝いするイースター(復活祭)がやって来ます。復活されたイエスと出会った弟子たちの証言の一つに、「エマオへの途上」と言われる記事があります。2人の弟子たちがエルサレムから郊外のエマオへの道を歩いていました。彼らはイエスが神から遣わされた救い主だと信じて、イエスが彼らをローマ帝国から解放してくれると期待していたのです。そのイエスが十字架で処刑されて、自分たちの夢が破れて、トボトボと歩いていたのです。そこにイエスが共に歩まれました。聖書はその時の様子をこのように語っています。「話し合ったり論じ合ったりしているところに、イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた。」(ルカの福音書 24章15節)そして、イエスは彼らの言葉に耳を傾け、その心の叫びに耳を傾け、そして、「救い主は人々の罪のために死んでよみがえることは聖書に預言されていたじゃないか」と彼らを諭すのです。

復活のイエスは私と同じ歩調で歩いてくださる方です。全く違った視野を持っておられるのに、私たちの視線で見てくださる方です。私たちの弱さや愚かさもすべて受け止めて、共に歩んでくださる方です。しかし、それだけで終わらずに、私たちの心を燃やし、力を与えてくださる方です。この復活のイエス様の愛と力をいただいて、歩んでいきたいと思わされています。

4月20日にはイースターの礼拝と愛餐会(食事会)が持たれます。今年のイースターが、皆さんにとって、そのイエス様の復活の愛と力を知って歩み始めるときとなりますように。

<集会紹介>「The BRAVE(教会学校)」(2025年4月)

私たちは教会学校を“The BRAVE”と呼びます。アメリカで暮らす日本人の子どもの多くは、月曜日から金曜日までを現地の学校で学び、土曜日は日本語学校に通います。それに加えて日曜日まで“学校”と名の付くところへ行くのは可哀そう・・・という思いから、当時の教会学校教師たちで話し合い、名前を変更しました。

The BRAVEという名前は、信仰生活に大切なものを英語で表記し、その頭文字を組み合わせて作りました。B=Bible(聖書)、R=Rock of Salvation(救いの岩)、A=Awesome God(すばらしい神様)、V=Victory(勝利)、E=Empowerment(神様から力を受ける)です。名前にちなんだテーマ聖句も選びました。ヨシュア記1章9節の「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにいるのだから。」です。へブル書12章2節から着想したテーマソングも作り、「♪イエスさまから目を離さないでいなさい~♪」と当時は毎週のように歌ったものです。(是非また復活させたいです!)

The BRAVEは小学生以下のグループと中高生のグループ(B.I.G.)に大きく分かれます。現在、小学生以下のグループは大人の礼拝と並行して開き、中高生グループは大人の礼拝前に開いています。

教会学校には様々なスタイルがありますが、小学生以下のグループではこの時間を“礼拝”と位置付け、大人の礼拝と同じように、お祈りで始め、賛美をささげ、献金をし、それから聖書のお話という構成にしています。聖書のお話を年齢相応にするため、小学校3年生以下を下級科、4~6年生を上級科とさらに2つのグループに分けています。

昨今の傾向として、教会学校に集うこどもの数は決して多くはありませんが、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」(伝道者の書12章1節)とあるように、心が柔軟な頃に神様と出会い、神様を信じることはとても大切だと考えます。聖書の価値観が受け入れられ、大切にされ、教会学校に通わせたいという保護者の方々や、通いたいというお子さんが増えることを願い、The BRAVEではいつでも新しいお友だちを歓迎しています。

 

証し

 2025年2月23日、私は準会員としてニュージャージー日本語教会に転会致しました。そこに至るまでの神様の導きを証させていただきます。

 

「お父さんの母親がカトリック信者で、お母さんの両親はプロテスタントのクリスチャン。母方で数えると、私は四代目。それで、お父さんは私が中学に入る時に脱サラして牧師になったんだー。」「実家が教会だからさ。私もクリスチャンなの。教会の二階が家なんだよねぇ。」そう言うと、びっくりしながらもほぼ全員が納得した顔をしてくれるので、いつからか家族のことを聞かれると、そう答えるようになっていました。

 両親は熱心に奉仕する信徒で、私は小学六年生まで埼玉県の大きな教会で育ちました。朝から夕方まで奉仕で忙しい両親を待つ間、世代や性別を問わず多くの方に可愛がってもらったことを覚えています。教会は小学校以外の大切な居場所であるのと同時に、自分が愛されていることを実感できる場所。私は教会も、神様も大好きな子供として育ちました。

 中学受験を終え、晴れて第一志望のミッションスクールへの入学が決まった冬、父は私に「牧師になろうと思うんだけど・・。」と切り出しました。正直驚いたし、その言葉は具体的にどんな未来を示しているのか、当時の私には想像もできませんでした。けれども「サラリーマンとしてではなく、クリスチャンとして生きる方が父に似合っているのではないか。」そう強く思えて、「いいんじゃない?」と答えました。ふいに涙があふれて、不思議に感じたのが印象的でした。幸い祖母からの支援もあり、春からは希望の中学に進学が許され、6年間温室のような環境でぬくぬくと過ごしました。高校卒業と同じくして父も神学校を卒業し、千葉で開拓伝道を始めることとなりました。

実家=教会となった後も、両親と教会員の皆さんの優しさから「のんちゃんは礼拝に出ているだけでいい。」と甘やかされ、奉仕もろくにしなかったように思います。いえ、しませんでした。たまに、PK(牧師の子供)の方と出会い、「子供の頃から奉仕が当たり前だった。」などと聞くと、非常に恥ずかしく、肩身の狭い思いをしています。

 「礼拝に出ているだけでいい。」の後には、続きがありました。「まずは神様の愛に養われなさい。心の器が愛であふれるように、今は神様に向き合い、愛を思い切り味わおう。」父の説教で繰り返し聞いた言葉は、小さな教会に浸透しているようでした。

大学に進学し、社会の荒波に揉まれ、時に味わう挫折や、様々な人との出会い。私は神様に向き合うどころか、遠く離れては泣きついてを繰り返していました。『涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。(詩編126:5)』私の信仰は赤ちゃんレベルも同然でしたが、神様はどんな時も私を離さず、いつの間にか涙を静かな喜びに変えて下さるお方なのだ。私は少しずつ気づき始めました。

 

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩編103:2)』

ニュージャージー州は、私たちが子育てする4番目の地です。転勤の多い夫について、家族友人知人がいない地に引っ越すのはいつも不安です。子ども達が新しい環境になじめるのかを考えると尚更でした。しかし、東京・ロサンゼルス・神奈川のどこへ行っても、私は多くの助け手に出会い、喜びや悲しみを分かち合うことが許されてきました。それぞれの地に、神様の家族が増えていくのは何とも言えない喜びです。私は姉妹たち(※)の生き様からキリストの香りを感じています。感謝し尽くせないほど、祈り支えられてきました。そして、クリスチャンとして、新米母として、育てていただきました。

だから私は今回も「良い教会に繋がれたらきっと大丈夫。」という思いを与えられ、新居に到着してすぐの日曜日、ニュージャージー日本語教会の礼拝に出席しました。牧師先生ご夫妻・教会員の方々に温かく迎えられ、渡米直後の不安が少し晴れたのを覚えています。

ニュージャージーでの生活の中でも、神様は今までと同じように恵みを用意して下さっていました。寂しさや不安がある中でも、エッグハントのように日常の中に見つかるのです。振り返ってみればずっとそうでした。神様の愛と恵みは一度きりではなく、長い時間をかけて、私がわかる形で、私が気づくまで続いている。毎週教会に集うなかで、私の心に喜びと感謝があふれるようにと、長い間愛を注ぎ続けて下さった神様の姿に気づかされていきました。本当に『主は良いお方』です。

 

『しかし、弟子たちはイエスに言った。「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。するとイエスは言われた。「それを、ここに持ってきなさい。』(マタイ14:17-18)」

そんな時、錦織先生の説教でこの御言葉に出会いました。長い間愛だけ注いで待っていて下さった神様が、ついに招いてくださったのだと感じました。そのときの気持ちを言葉にするのが難しいのですが、自分の心に届いた神様からのメッセージが、あまりにタイミング良く、まっすぐだったので、「はい。」と応えるのが自然でした。もしも去年どこかの教会で「準会員になりませんか?」と訊かれたとしたら、断っていたかもしれません。今が、神様の完璧なタイミングであったと確信しています。神様は、良い意味で用意周到で、本当に粋なことをされると思います。

これが、転入会しようと思い至るまでの出来事です。私が持っているものはほんの僅かですが、神様の愛に応えようと思わされています。今は、神様が用意してくださった親子クラスでの奉仕に関わることができて、とても嬉しいです。これから、教会に集う皆様と交わり、一緒に祈り、神様を賛美して過ごせたら感謝です。

(※教会では同じ信仰を持つお互いを神のもとにある家族として、「兄弟姉妹」と呼ぶことがあります)

2025年3月<牧師室より>「神様からのチャレンジ」

先月の半ば頃、私たちの教会のHPを通して、一人の方から英語での問い合わせがありました。

「私が仕事に行く途中の道で、ホームレスの方を見かけます。こんな寒い中、何かできないかと思って、ある日、声をかけたら、英語が通じなくて、どこから来たのか聞いたら、日本からだと言っていました。それからスマホの通訳アプリで話をしているのですが、コミュニケーションが難しいので、日本語の分かる皆さん、助けてくれませんか」

世の中には、そういう話でお金をせびる詐欺を働く人もいるので、少しだけ疑いながら、その方にお会いすることになりました。教会に来られたその方は40代の女性。医療関係の仕事をしている、ポルトガルからの移民だと言っておられました。そして、その日本のホームレスの方のところに連れて行くから、ついてきて、というのです。その女性にお会いして、少しガードが下がりましたが(これがまた危ない可能性もあるのですが・・・)、実際に自分が行って何ができるだろうか、と思いながら、でも、少なくとも通訳はできるなと思いながら、現地に向かいました。

そこには、寝袋とバックパックだけで生活している男性がいました。私よりもずっと若く、背も高く、がっちりとした体格。髪がボサボサとか、服が汚れているとかを別にしたら、普通のホームレスの方のイメージとはかけ離れた感じでした。日本語で話しかけると、うれしそうに返事をしてくれました。アルコールやドラッグの中毒になっている様子もありません。でも、「どこから来たの?」と聞いても、何も覚えていないとのこと。「寒いから暖かいところに行こう」と言っても、「いや・・・」と言葉を濁します。その時は「また来るからね」と「これでいいのかな・・・」と思いながらその場所を後にしました。

それから、週に1回のペースで、温かいものを手に3回ほど訪問させていただきましたが、本人は「何も覚えていない」「自分の身元につながるようなものは何も持っていない」との話。もちろん、本当のことは何も知られたくなくて、とぼけているのかもしれません。そして、もっと心が通うことができてきて、何かが分かっても、私たちには何もできないかもしれません。でも、これも、この地域で生きていく私たちに神様が与えてくださった出会いだと思わされて、何ができるだろうかと自分に問い続けています。

その中で、この聖書の言葉が心に響いています。

私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。

ヤコブの手紙 2章14~17節

この地域社会とのつながりを持って歩んでいくということは、私たちに与えられている使命です。日々チャレンジです。神様が助けを与えてくださいますように。この使命に忠実に歩んでいくことができますように。

「ECでの恵みと振り返り」

私は今回初めて年末年始のEquipper Conference(EC)に参加しましたが、その中で経験したことを、分かち合いたいと思います。

Equipper Conferenceは、海外でキリストに出会った日本人クリスチャンたちが、キリストによって遣わされる者として、日本に帰国する前に、彼らをequipすることを目的としたカリフォルニアで行われるキャンプです。実を言うと今年のECはあまり行く気がありませんでした。知っている人が多くいるわけでも無く、講師もあまり知らない人ばかりでした。

もともとは去年のEC2023に参加するはずでしたが、新しい職場で体調を崩し急遽いけなくてなりました。去年のECは朝岡先生が講師としておいでになるはずでした朝岡先生の話は、ポッドキャストWTP(What The Pastors!!)で、よく家族で聴いていたので、去年はすごく参加を楽しみにしていたのに諦めざる得ませんでした。しかし、なんと、その朝岡先生も直前に体調を崩し、今年再チャレンジとのことだったので、これは神様が与えてくださったチャンスなのでは、と思い行くことを決意しました。今回のECの参加のために祈ってくださった皆様に感謝します。

ECとその後のカリフォルニアでの時間を通して、神様の働きをすごく実感できました。今回の部屋は一番年上の部屋で、26歳から23歳までの、異なる経歴を持った男性たちと一緒でした。東京から来ている音楽業界の韓国人、マサチューセッツ州の大学ミニストリーの奉仕者、カルフォルニアからの中国系のハーフ、テキサス州のバイブルカレッジの生徒達、そこのOB,とあまりにも共通点がない人達が集まっていました。そのような7人でしたが、ECでは、毎回スモールグループの終わりに手を取り合い輪になって祈りあう、また礼拝ではお互いのために泣きながら祈るなど、あまり日常生活では経験することのない、言葉では表せない愛と恵に溢れた時を過ごせました。最近の教会での学びとして、日曜日の礼拝と個人での礼拝について学んできましたが、ECではいわゆる日曜日の礼拝、心許せる信徒達との礼拝がいかに大事なのか、というのを実感しました。

カルフォルニアでの時間を通し懐かしい出会いもありました。ニュージャージーの教会に集っていたメンバー達、またその人達を通しての新しい出会い、多くの出会いにも恵まれました。何も知らない地で、このように新しく、また懐かしい出会いがありえたのは、神様という共通点が我々をめぐり合わせてくれたからだと思いました。

第一 歴代誌 16:10

主の聖なる御名を誇りとせよ。主を慕い求める者たちの心よ、喜べ。

今回のECのテーマは「誇人」でした。5日間の中でバプテスマのヨハネ、エパフロデト、そしてパウロ、朝岡先生が言うには「神様の働きを助ける人たち、脇役」について学びました。彼らを通して学んだのは我々が今何を誇りに思い、クリスチャンとして本当に何を誇るべきなのかを考えさせられました。簡潔にいうと、クリスチャンとして、誇るべきものはクリスチャンとしての完璧さ、ではなく、人間としての欠点、愚かさを誇るべきものだと伝えられました。我々は自分の信仰深さ、神様の前での謙虚さという「偽りの誇り」を掲げるのではなく、キリストの十字架を誇るべきだと学びました。神様は我々に必要なものはすべて与えてくれ、弱さの中で力を与えてくださいます。キリストの十字架を誇りとできるから、人間としての弱さを誇るべきなのです。

少し政治的な話になりますが、今のアメリカの政治環境はキリスト教が根強くなってきています。クリスチャンが正しいと言い、迫害を正当化する光景が多くなってきてます。クリスチャンであることの「誇り」を大々的に宣伝し、そうでない者を脅し、軽蔑し、傷つけ、陥れます。聖書に言及されてないから否定的になることもあります。これがクリスチャンとしてあるべき姿なのでしょうか?これは自分も含め、クリスチャンの多くが「誇り」を自己満足と履き違えてるのではないでしょうか。救われたから、謙遜でいるから、一方的に神様から愛と恵みをもらい、それだけで満足しているのではないでしょうか。本当にすべきことなのは、静かに神様の愛に応え、用いられるべきなのでは、と思いました。クリスチャンとして、自分の愚かさを受け入れ、誇りの原点となるべきものは自分の信仰の強さではなく、神様であるべきだと思わされました。

今、自分は進路選択で戸惑っています。今後のキャリアを考え、どのような選択をしていけばいいのか、と迷ってしまいます。自分の中で何度も何度も色々と考え、模索しています。ただ、自分の知恵と力だけで人生を左右しようとしてもうまくはいきません。

コリント人への手紙第一 1章 25 節

25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

コリント人への第二の手紙12章9, 10節

9 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

このように、人間の限界や、人間の不完全さをはるかに超えるのが神様です。それを自分で解釈しようとし、自分で自分の道を作り替えようとするのはあまりにも難しすぎます。逆に、我々はその人間の限界や、人間の不完全さをクリスチャンだから克服しようとするのではなく、クリスチャンだからこそ誇るべきなんだと学びました。

今回古き信仰の友たちとも進路選択の話ができました。彼らもまた、進路選択で迷っていた、迷っている人たちですが、神様の愛に応えそれぞれいるところへと行きました彼らがこうできたのはやはり、自分の弱さを誇り、自分の力では成しえないことを神様がしてくださると信じているからです。神様の愛を一方的に受けるのではなく、それに応え、行った先々で神様に仕えに行ったのです。今回もNJの教会の元メンバーが、ECでの奉仕を通しまた一人救いへと導きました。また、新しい地で伝道開拓の一環として、新しい教会を立ち上げました。また、もうひとりのメンバーは西海岸へ行ったことで仕事だけでなく、人間関係、信仰の恵みの実感を伝えてくれました。神様がともにいてくれるから、どこにいても祝福してくれると知っているからこそ、不安の中でも選ぶことを恐れず、その選択を神様は祝福しました。このようにキリストを誇り、神様の愛に応えて用いられるキリストに従う人々に教会を通して会えたことに感謝しています。

今振り返ると、自分は神様の愛に応えられていたのでしょうか。大学、インターン、職場、自分で選んでおきながらも全て自分では想像もしてなかったように神様は祝福してくださいました。それに対して自分は神様のために仕えていたのでしょうか、その呼びかけに応えられていたのでしょうか。振り返りの時間をこのECは与えてくださいました。ECを通し、クリスチャンとしてあるべき誇り、また生き方を改めて学びました。この先何があるかわかりませんが、神様はどれをとっても祝福してくれます。それに対し自分もまた、キリストを誇り、どこに行っても静かに神様の愛に応えて用いられるることが与えられますように。今回EC のために祈ってくださった人々、出会えた人々の今後も恵まれ、守られますように祈ります。

2025年2月<牧師室より>「それを、ここに持って来なさい」

「それを、ここに持って来なさい」(マタイ14章18節)

私たちの教会は、この言葉をいただいて、2025年をスタートしました。

その日、イエスの周りには、男だけで5000人、女性や子どもを入れると1万人とも1万5千人とも言われる人々が集まっていました。日が傾き始めたとき、イエスの弟子たちは「もう夕方です。この群衆を解散させて、それぞれで食物を買いに行かせてください」と進言しました。しかし、それに対するイエスの答えは信じられないものでした。イエスは言われたのです。「あなたがたの手でこの人々に食物をあげなさい」と。「そんなこと言われても・・・」と、自分たちの手の中にあるものを見て、弟子たちは「私たちには5つのパンと2匹の魚しかありません」と答えます。それに対してイエスが言われた言葉が、その言葉でした。

「それを、ここに持って来なさい」

日本の企業の競争力が落ち、また円安が進む中で、駐在や留学のために来られる方々が減っている中で、私たちの教会に集う方々も減ってきています。また、長年にわたり教会を支えて来られた皆さんも、また私自身も10年、20年前のような動きができなくなってきています。そんな現状を見るときに、「私たちにはこれしかありません」と言いたくなります。しかし、そんな私たちに対して、今日も、イエス様は同じように言われているのではないかと思ったのです。

「それを、ここに持って来なさい」

私たちの手の中にあるものは何でしょうか?「これっぽっちでは・・・」「何もできませんよ・・・」そう言わないで、神様のために用いていただくのです。

「あなたがたの手で食物をあげなさい」とイエスは弟子たちに言われたのですが、実際に起こったことを見ると、弟子たちは自分の手の中にあるものを、ただイエスのもとに持って行っただけでした。イエス様はそれを受け取って、神様に感謝して、弟子たちに渡して、人々に配らせられました。その時に人々は満腹したというのです。人々を満腹させたのは弟子たちではなく、イエスご自身でした。

「それをここに持ってきなさい」といわれたイエスは、私たちの手の中にある小さなものを喜んで用いてくださり、人々の心をいっぱいに満たしてくださるのです。イエスの招きに応えて歩んでいきたいと思います。

2025年の皆さんの歩みにも神様の祝福をお祈りしています。

「私の居場所」

私は、2024年12月24日に信仰告白し、翌年1月19日にニュージャージー日本語キリスト教会で洗礼を受けました。そこに至るまでのことを、少しお話ししたいと思います。

いつの頃だったかはもう思い出せませんが、仕事柄、欧米の方とよりよくコミュニケーションを図りたいという思いから、聖書に手を伸ばしました。岩波文庫の個人訳聖書(創世記と福音書)で、初読の私にとって親しみやすいものでした。福音書の方は、たくさんのブックマークと書き込みで、だいぶ愛着のあるものになっています。
また、敬虔なプロテスタントクリスチャンであったカール・ヒルティの著書をいくつか読みました。今思えばちょうど、私が長いメンタルダウンに苦しんでいて、すがりたいものを探していた時期と重なるように思います。

日本での数少ないクリスチャンとの出会いの中で、忘れられない方がいます。ある学会の仕事をしていた頃に、事務局長の交代によりHさんに出会いました。Hさんはバリバリ仕事をされる方でしたが、不思議なほどいつも笑顔で、思いやりがありどなたにも気さくに接していました。プロジェクトが思うように進まないと悩んでいたある日、「私クリスチャンなんですけどね」とHさんが、全て神様が整えてくださる、そんなことをお話くださったように記憶しています。私が学会を離れた後に、Hさんは学会総会に向けた準備の最中に天に召されました。ご葬儀には参列できませんでしたが、ご家族から後日いただきましたお手紙に愛が溢れていたことを覚えています。

こうした経験を経るにつれて次第に教会に興味を持つようになりましたが、日本にいた時には敷居が高く感じられて戸を叩くことはありませんでした。コロナ禍の気分転換に、近所を散歩していた際に見つけた教会がありましたが、文字通り扉の手前まで来て戸を叩かずに帰りました。

その後、長い間希望していた海外赴任が叶い、2023年3月末からNJで単身生活を始めました。生活立ち上げが落ち着いた6月、自然と教会を探(検索)し始め、ニュージャージー日本語教会を探しあてました。日本人コミュニティが恋しかったこともあってか、今回はドキドキしつつも教会の扉を開けることができました。
タイミングを同じくしてマンハッタンで男声合唱を始めました。後日、錦織先生も参加されている合唱団ということを知ることになります。手帳を読み返すと、6/16(金)に合唱練習を、6/18(日)に教会を訪ねていて、錦織先生とは教会で初めてお会いしました。今思えば、また尻込みするかもしれない私のために、神様は二重の道を整えてくだっさていたのだと思います。

初めて経験する教会での礼拝は、その様式に戸惑いを感じましたが、聖書に学んで讃美歌を歌うことに楽しみを感じて、また、お茶時間には「ここには日本がある」という安心を感じることができました。教会の皆さんにはとても優しく接していただき、時には食事にお誘いいただいて家族の温かさを感じたりしていました。

少し時間が経ち、赴任初年の冬に仕事に忙殺され、年が明けて訪れた出張先にて恐らくストレスによって声が出なくなった時には、自然とイエス様にすがっている自分に気づきました。聖書の言葉がなかったら、そのままホテルで悶々と過ごすだけだったでしょう。ただ結局、そのまま体調悪化の波に飲まれ、自責の念に駆られ(海外赴任までしてやるべき事ができない)、人と触れ合うことに負担を感じてしまい、半年ほどの間、教会から足が遠ざかってしまいました。

そんな中、合唱仲間と昨年の夏に訪れたメイン州への旅行は、とてもリラックスできた思い出深いものになりました。旅行からの帰り道は、私の単身生活をよくケアしてくださっているYさんと2人のドライブでした。その道中にYさんから、信仰はパーソナルなものであって、教会は自分と神様との関係を見つめる場所だよね、と気付かされ、何か引っかかっていたものが取り除かれた気がしました。
マルティン・ルターの著した論文「キリスト者の自由」にある二命題(キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない/キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する)を理解できるようになったことも、この気づきをサポートしてくれました。
この旅行をきっかけに体調がだいぶ回復し、人と関わることに安心を覚え始めたことも手伝って、また教会に通うようになりました。変わらず温かく迎えてくださった兄弟姉妹に、ただただ感謝です。

今考えると、何か義しい行いをしなくてはいけないという思いにずっと縛られていたのだと、思い知らされています。そういえばこれまで生きてきた中で、自分の考えを人に押し付けることが多かったように思います。信仰を持って自由に、そして愛を以って奉仕する、そうした信仰生活を送りたいと今では願っています。

ルカの福音書2:7
男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

錦織先生との学びの中で、またクリスマスを迎えるアドベントの中で、この聖句に目を開かれました。居場所がないと感じている者にとっての大きな慰めーーー私も長い間、自分の居場所を求めていた気がします。自分の努力でどうにかなる、どうにかしなければならないと頑張っていたあの頃、無理が祟ってうつ病を患い、聖書に手を伸ばした時、初めての単身赴任にて気持ちが安らぐ場所を求めていた時期。

学びの途中で、個人的に心の奥底にしまっておいた罪を神様に告白しました。この罪がこれまでの私を形作り、私の人生となって現れ、またイエス様と出会う道であったのだと思います。私の代わりにイエス様が十字架にかかってくださったことを、今では覚えて感謝しています。

伝導者の書3:15
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることはできない

言い過ぎかもしれませんが、私の心には後悔というものがなくなりました。これから何が起こるか知る由もありませんが、全てにおいて神様を信頼して歩んでいこうと思います。まずは3月の本帰国に向けて、神様のお心に適う仕方で全てを整えてくださることをお祈りしたいと思います。兄弟姉妹と歩んでいく中で目が開かれ、より強められますように。残り短いNJ生活で、良い働きを持って奉仕できる事が与えられますように。日本でも居場所が与えられますように。