- 説教者 : 錦織学 牧師
- 聖書箇所 : コリント人への第二の手紙12章1節-11節
投稿者: jccnj
笹川雅弘牧師の証
10月に日本で持たれた『家の教会セミナー』に錦織牧師が参加した時に、15年ぶりに笹川雅弘師と再会しました。笹川師はビジネスマンとして1993年から1997年初めまでNJで生活され、JCCNJで共に歩んだ仲間です。その後、神学校に進み、新潟福音教会の牧師として奉仕されています。今回、どのようにして牧師になるように導かれたのか、2004年時点で書かれたお証をお送り頂きました。感謝して、ここに転載させていただきます。
献身から牧師一年目にいたるまでの証し(2004年7月時点)
1984年のイースターに受洗後、最初に直接献身への召命を意識し始めたのは、その6年後に、NEC米国法人の駐在員として、テキサス州ダラスでの生活が始まってしばらくしてからの頃でした。ダラスで与えられた教会、ダラス第一バプテスト教会は、教会全体では会員一万人以上というメガ・チャーチでしたが、その一部である日本人礼拝部は、多い時でも礼拝出席者20名程度の小さな群でした。ここで神様は私に、幾つかの経験を通し、直接献身へ向けての道を備えられました。
ひとつは、日本人礼拝部の属していたバプテスト教会を中心とする、地域全体を覆う力強い教会の働きです。日本では「少数派」としてのキリスト教会が、そこではダラスという大都会の中でまぎれもなく、社会の柱、人々の誇りとして地域の隅々に浸透し、生きて働いていたのです。 この体験はその後、日本の教会はどうしたらこれに近ずけるのか、なぜいつまでも「1%」なのか、という問いと救霊の思いが強くされる源となっていきました。もうひとつは、日本人教会員の何人かの方々から、たびたび直接献身の勧めをいただくようになったことです。冗談半分ではなく、真剣に「お祈りしています」と言われると、やはり真剣にその祈りを受け取らざるを得ません。一方、ダラスでは二人目の子供が与えられ、家族を養う責任は重くなり、それを支える、会社からの手厚い福利厚生、楽しいゴルフ生活など、それはそれで、文句のつけようがありません。しかし、この頃から、「このままで本当にいいのか」という問いかけが心の奥から聞こえてくるようになりました。
このような心の葛藤を抱えたまま、3年後にはダラスからニュージャージーのオフィスへ転勤となりました。ニュージャージーでは3人目の子供が与えられ、会社での責任も重くなり、状況としては、直接献身は現実からますます遠ざかっていくように思われました。一方、「本当にこのままでいいのか」という心の痛みは、目を向けると、いつもそこにありました。その感じは、大事な手紙を受け取った後、どのような返事を書いたら良いかを迷っているうちに時が経過し、思い出すたびに落ち着かなくなる、という、あの気持ちに似ていました。
アメリカでの、計6年半の勤務を終了し、1997年1月にNEC本社へ戻ると、今度は仕事で超多忙な毎日が始まりました。これは私にとって、仕事の成功を通して主の栄光をあらわすという道が与えられている、自分に言い聞かせるには好都合でしたが、やがて大きな転機が訪れました。それはまず、過労による3週間の入院でした。静かに自分自身の生き方について考える時が与えられました。続いて、自分の信仰の姿勢が、会社文化の中で苦況に立たされることになりました。過労で入院する程身を削って達成した実績で、会社の表彰状と記念品は手に入りましたが、それは残念ながら、主の栄光をあらわすことには、つながりませんでした。直後に行われた社内での昇進試験では、営業実績や部長の推薦よりも、「人に従うよりも神に従う」という毅然とした姿勢が、結果として役員面接などでマイナス評価につながり、昇進は見送られました。「神に従うより人に従う」ということが会社で成功する為の条件であり、仕事の成功を通して主の栄光をあらわす、というビジョンが意味を持たない、という現実に直面した時、私はこの会社を離れる決心をしました。
「収穫は多いが、働き手が少ない」(マタイ9:37)というみ言葉が決心を迫る一方、忘れられなかったのが、アメリカで体験した、神に従う信仰と、仕事の成功が、相反しない世界でした。クリスチャン経営者によって、神に従う信仰と、仕事の実績が正当に評価され、報いられる会社。そして家族との時間も十分に確保できる会社。私は、そのような会社が日本に存在しないものだろうか、と考えて悶々としていました。そんなある日、求人雑誌をめくっていると、IT関連の新興アメリカ企業が営業マネージャーを募集していました。企業データを見ると、ベンチャー企業として10年前に起業してから急成長を遂げ、給与体系は公平な実績連動システムで、成績次第でストックオプションも与えられるという、アメリカンドリームを彷彿とさせる会社でした。日本法人経営幹部のほぼ全員を占めるアメリカ人は、私の願い通りクリスチャンで、若さと力にあふれていました。彼らとの面接の結果採用が決まり、私は、ビジネスマンとしての仕事の成功を通して主の栄光を証しするという生き方に再度挑戦することになりました。
いわゆる、日本の大企業文化の中で育ってきた私にとって、新しい職場は刺激に満ちた訓練の場となりました。アメリカ流の体系的で徹底した営業訓練とその実践は、伝道実践の知恵にもつながるところがあり、また、役職、年齢などにとらわれず、正直で風通しの良いフラットなコミュニケーションの中から生まれる活力は、日本企業のみならず日本のキリスト教会も見習うべきカルチャーでした。しかし、この会社の問題点は、四半期ごとの営業成績で社員が厳格に評価される為、短期決戦で実績を稼ぐことにほとんどのエネルギーが費やされ、購買の稟議に時間のかかる大企業を相手に、じっくりと時間をかけて信頼関係を築いていく、というゆとりが無く、結果として会社としての信頼感を失っているという点でした。私は、短期決戦の積み重ねでがむしゃらに成長する会社から、大手企業との信頼関係構築に十分時間をかけ、結果的に高度成長を長期に渡って持続できる会社へと変わる必要を幹部に訴え、結果として私自身がそのような市場、つまり、短期的には結果は得られないが、1年単位で腰を据えて取り組めば、結果として、大きく継続的な契約につながる可能性のある市場を担当することになりました。
1年以内に結果を出す、という条件のもと、私は某大手企業、及び政府機関との間で関係構築を進め、半年後には、具体的な商談とその規模、契約のタイミングなどが見え始めてきました。このプロジェクトが成功すれば、巨額の報酬と役員昇進への道も開けてくる。そんな皮算用が頭をかすめるようになった頃、私は、長い間、出せないでいた、例の、大事な返事のことを思い出しました。政府機関との信頼関係維持という意味でも、契約が成立すれば、もう会社を辞めることはできなくなる。今回の契約とともに、もう後戻りできない所へ向かって、私は走り続けることになる。このような胸騒ぎは、私が、毎日、激流のような時間の中で、すがるように聖書を読み続けていなかったならば、もしかしたら、おこらなかったのかも知れません。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」というイザヤの召命への応答のことばを読んでいると、この世での自分の人生が終わる時、なぜあの時、私はイザヤのように応答できなかったのか、と後悔している自分の姿が、頭に浮かびました。それは、何ともいたたまれない、人生の敗北者のような気持ちでした。すると、神様は実に不思議な方法で、そのまま突っ走ろうとしていた私の足を、止められました。
私の採用を決め、入社後も私を理解し、支援してくれていた会社の最高責任者が、突然ヨーロッパへ異動することが決まったのは2000年3月でした。結果を出す期日まであと数ヶ月ありました。そして、トップを任された新任のアメリカ人は、私がしばらく全く実績をあげていないことに目を留め、事情を十分に確認しないまま、「最近の実績を見ると、どうも、あなたはこの会社に向かなかったのではないかと思う。」と、私が自主的に退職することを求めてきたのです。その瞬間、私は、たとえようのない平安が訪れるのを感じました。自分でも、なぜ、こんな時に、こんなにうれしいのか、不思議でした。そのせいか、私は、その場で、事情説明や、釈明をしようという気に全くならず、その場で退職に同意し、退職条件の覚え書きにすぐサインをしてしまいました。
こうして私は3月末日から4月30日の正式退社日まで、未消化分の有給休暇を消化することになりましたが、この最後の一ヶ月間は、サタンとの激しい闘いがありました。妻は、会社に対しても、私に対しても、大いに憤慨していました。今、連絡を入れて詳しく事情を話せば、まだ会社へ戻れるかも知れない。そんな思いとの格闘の中で、ダビデのあの告白が、騒ぎ立つ心の波を鎮めてくれました。詩篇16編2節、「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」
弱音を吐いては献身の思いから逃げ回っていた私は、同じように往生際の悪かった、モーセの召命の記事に慰めを感じます。そのモーセが召命に従ってエジプトに向かい出発した直後、モーセは、なぜか、主に殺されかけた所を、妻のチッポラに助けられました。次は私の勝手な想像です。「チッポラは、モーセが突然エジプトへ帰ってイスラエル民族を救い出す、と言い出すのを聞いて、最初は唖然とし、次第に憤慨し、毎日ぶつぶつと文句を言っていってモーセを悩ませた。モーセは、そんなチッポラを、何という足手まといだろう、この先が思いやられるわい、と思っていた。そんな矢先に、この事件が起きて、モーセとチッポラの心は、再びひとつに結ばれた。」少し強引に、このように解釈することで慰めと希望を見出そうとしたりしていました。私が会社を辞めたことを残念に思っている妻と、そんな妻に、つい、苛立ちを感じてしまう私のこころがひとつにされ「私と私の家族は、主に仕える」と喜んで告白できる日が来るのを、日々祈り求めました。
私が意を決して神学校へ通い始めても、妻は断固として反対の姿勢を崩しません。私は仕方なく、授業のある日は神学校の独身寮に身を寄せることに。思いがけない「単身赴任」生活の始まり。このときは互いに真剣に離婚を考えるほどの、史上最大の夫婦の危機でした。妻は祈る。「神様、どうか主人が神学校で挫折して、砕かれて、再び会社員に戻れますように。」一方、私も祈り返す。「主よ、どうか妻が砕かれて、主と私に従うことができますように。」こんな「砕き合い合戦」の末、勝利を収めたのは_そのどちらでもなく、二人揃って主の前に砕かれる、という結果に。妻が反対を続けていたとき私は内心、「とうとう召命に従ったモーセの最初の危機を救った妻チッポラとは正反対だな」と心で裁いていたのだが、自分自身が何年もかけて格闘してきたところを、妻もまた通っているのだ、という配慮もなくただ裁いていた自分を恥ずかしく思いました。ただ今振り返ると、あの時の反対があったからこそ、より真剣に召命の確信を求めつつ学ぶことができたのだと思います。神学校最終年次には、その妻も聴講生として神学校の授業に参加するようになっていました。解決を待ち続ける忍耐の時は長く感じられますが、その忍耐の期間を無理に縮めようと焦らず「主に立ち返って静かにする」(イザヤ30:15)ことの大切さを互いに教えられたように思います。
神学校卒業後派遣された新潟福音教会は、今までキャリア豊かな人格者である牧師によって牧会されてきた、百人教会。社会人経験が17年あるとはいえ、「新卒」教師にとって、受け取ったバトンはずしりと重かったというのが正直なところでした。でも、これまでのさまざまな試練の中で、主のご計画を信じて主にのみ従い、ただ主に委ねることの大切さを心に刻み込まされてきたせいか、この1年間、そのバトンの重みに押しつぶされることから守られてきました。あれほど反対していた妻も、私よりもよっぽど元気に明るく群れに気を使っています。また、派遣されてからこの1年の間に受洗へと導かれた9名の方々のことを思うとき、胸がいっぱいになります。この魂のために、そしてこれから導かれようとしている魂のために、今までの試練があったのか、と思うと。また、自分が主の前に砕かれ、主に謙虚に従うようにされることだけが試練の目的ではなく、その究極の目的は福音による救いが人々の魂に届いていくためであったのだ、と思うと。
この一年間に新潟福音教会で受洗へと導かれた方々の上にも、例外なく、悲しみと試練がありました。けれどもそれらすべてが、イエス・キリストのうちにある新しい永遠のいのちへ移されるために用いられたこと思うとき、耐えがたい悲しみに涙するときにそれが「永遠の祝福のために与えられた天からの賜物」であるということを知ることのできる神のことば、福音の尊さを改めて噛みしめます。
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」(ヤコブ1:2)
「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。」(第一ペテロ4:12,13)
笹川雅弘プロフィール
1959年、神奈川県横浜市生まれ。1983年日本電気(株)入社、翌年に受洗。その後約6年半のアメリカ駐在を含む計17年間の会社員生活の後、伝道献身者としての召命を受け東京基督神学校へ入学。2003年3月同校卒業後、日本同盟基督教団・新潟福音教会へ派遣され、現在に至る。
月報2009年12月号より
「キリストの体」
「大恐慌以来の経済危機」のさなか、今年一月、私は金融機関からレイオフされた。希望通りの社内転職を果たし、「もう一生これでいける」とまで思ったドリームジョブ(産業調査のアナリスト)を手にしてから、僅か三ヶ月後のことだった。その社内転職から三ヶ月ほど前のこと、私が職場で担当していた顧客のファイルが紛失するという事態が発生、私は上司に、そのファイルが元々存在しなかったと証言するよう、圧力をかけられた。「そもそも存在しなかったのだから、紛失したのではない」との論理を貫きたいがための裏工作である。彼もクビが懸かっているから必死である。私は一瞬たじろいだ。だが、嘘をついてその場を凌いで神様を泣かすよりは、たとえ責任を問われたとしても、寧ろ真実を語る方が正しいと感じた。だから敢えて圧力を撥ね除け、「私はこの目で確かに見た」と主張。果たして、「紛失」は東京本部にも重大視され、私が所属する部全体が始末書を出す破目に・・・。
金融業界におけるリストラに歯止めはかからず、私は求職期間中、労働市場が丸ごと消滅してしまったかのような無力感を覚えた。面接もあるにはあったのだが、反応が悪い。以前と違って、求人側の職務要件に応募側の経歴が完全に合致しない限り、どこも採用には踏み切らない構えだ。長期戦の悪い予感。一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月・・・。これといった話が無いまま、時間だけが過ぎていった。求職中は会社に行かない。勿論残業も無い。だから肉体的には仕事をしている時と比べて楽なことは確か。また、見かけ上は家族と過ごせる時間も多い。ところが実際にはそれを心底楽しめない。早いところ仕事を見つけなければ家族が路頭に迷う・・・。そんな精神的なプレッシャーは想像を遥かに上回った。それとともに夫婦喧嘩も極まってゆき、幼い子供たちへの発達心理学的な悪影響も心配された。分かっていても、お互い罪深い者同士のこと、止めるに止められない・・・。こんな「嵐」のような日々が続いた。
五月始めのある日のこと。いつものように、自宅の地下室にある、私が「会見の幕屋」と呼ぶ一角で、「神様が示される最善の土地で、最善の時に仕事を与えて下さい」、と必死に祈っている最中、聖霊から、「仕事はお前に与えるから心配はいらない」との約束と平安が与えられた。更にその瞬間、私のために祈って下さっている方々一人一人の顔が連続写真のように浮かび上がって見えた。聖霊はその時、「この人たちはキリストを構成する体」であり、「お前(=私)もその一部」なのだ、というメッセージを私に伝えた。「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか(第1コリント3:16)」。「あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい(1ペテ2:5)。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである(ヨハネ15:5)」。これらの御言葉が互いに混ざり合って一つのイメージとして伝わってきた。祈りのネットワークを拡張してもらい、キリストの「体の働き」を利かせた矢先の、天的啓示である。わたし的には、ダマスコへ向かう途上、自分が迫害していたクリスチャンが実はキリストの体なんだというパウロが神様から見せられた啓示に匹敵するほどの劇的なものだった。
祈りが終わり、即、妻に伝えた。彼女もすんなり受け入れた。我が家に再び平安が戻ってきた。それからの私たちの祈りは、感謝の祈りに変わり、私たちを平安で満たして下さる神様に賛美を捧げた。就職に関する不安がなくなった後、家内と二人で、再就職に関する具体的な希望をそれぞれ書き出して、それを互いに持ち寄って祈ることにした。祈祷課題は、「通勤・勤務時間が短くなること」、「向こう三年間、妻が家で子供の面倒を見られるように、私一人で家計を支えられること」、「仕事が性格と能力にあったもの」、「興味が持て、やり甲斐を感じつつも、忙殺されないこと、」等。「どんな願い事であれ、あなた方のうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、私の天の父はそれをかなえて下さる(マタイ18:19)」との御言葉に従った。
当初、職のあるところだったら何処へでも引っ越すつもりでいた。だから日本やカリフォルニアにも就職活動は及んだ。いいと思える話も無い訳ではなかったが、いずれの場合にも神様は不思議と道を閉ざされた。しかし、キリストの体に関する啓示を受けた後、当地NJ/NY地域での就職を祈って下さっていた「祈りのセル」の姉妹たちと心が一つになり、NY・NJ地域での仕事が与えられるように祈り始めた。今の仕事につながった第一面接が設定されたのは、それから間もなくのことであった。それはそれまでに持ち込まれた話とは違い、神様が一歩一歩を導いておられることが随所に感じられた。問題もあった。例えば、条件面では以前の水準を大きく下回ること。そして保険業は未知の分野であること。だから、始めのうちは、ただひたすら黙々と神様の導きに従うだけだった。けれども、面接が進み、上席者と会ってみると、その人は「この人の下で働きたい」と思えるような魅力的な人だった。結局、プロセス全体が昨今の常識では信じがたいとんとん拍子で進捗し、あれよあれよという間に採用通知を得た。レイオフから既に7ヶ月が経とうとしていた、8月初旬のことだった。
また、私の職歴の一部分が評価されたのではなく、私のキャリアパスの始めから終わりまですべてが気に入られたので、「この人でもいい」ではなくて、「この人しかいない」という種類の採用となった。条件面でも、求人広告からかなりアップグレードしてくれた。お陰で基本給だけで言えば以前の水準を上回る条件提示をもらった。平安で満ち満たして下さる神様が与えて下さった素晴らしい転職となった。この就職難の時代にあって、万軍の主は、多くの天の御使いを忙しく働かせてくれたことは想像に難くない。逆に、レイオフされなければこんないい仕事は得られなかったであろう。オファーが出た日、私たち家族4人は輪になって座り、手をつないで心を合わせ、神様の御手による大いなる御業を褒め称えた。
蓋を開けてみれば、妻と共に書き出した祈祷課題は全て叶えられていた。「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、その通りになる(マルコ11:24)」との御言葉が、身近な形で成就した。
休職中の「嵐」の吹きすさぶ時にも、皆さんの励ましにも支えられ、主イエスが「船長」である限り、「船」は沈没する訳はないと信じ、毎日荒波を乗り切っていた。しかし、嵐の中を航海したこの経験は、試練を通して救って下さる主イエス・キリストの恵み・憐れみだった。実は、それは主が私たちを愛してくださっているが故の祝福であった。「(私たちは)それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。(ローマ5:3-5)。」
教会内外の兄弟姉妹からの励まし、祈りのセルでの「二人または三人による」祈り、祈りのネットワーク展開、キリストの体の啓示体験、妻との祈りを通して叶えられた具体的な祈祷課題の数々・・・。この7ヶ月間で、私はキリストの体をより深く体験し、クリスチャン生活は一人だけでは成立しないことを学んだ。今後とも、キリストの体の奥義を更に深く知り、自らも「生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられ(1ペテロ2:5)」たいものだと願わされる。
月報2009年11月号より
