- 説教者 : 錦織学 牧師
- 聖書箇所 : ルカによる福音書19章28節-40節
投稿者: jccnj
「先月号の月報に掲載された…」
先月号の月報に掲載された住田美香姉(※)のお証しを私が最初に聞いたのは、3月のレント集会の場所でした。お証を伺いながら、「ずいぶん昔、私にも似たようなことがあったなぁ。」と、様々なことを思い巡らしていました。神様は美香姉の証しを通して、私に忘れかけていたことを思い出させ、神様がどのように私の人生に介入して下さったかを改めて確認させて下さったのです。
美香姉と同じような経験をしたと言いますのは、私にもどうしても入りたい高校があったということです。その学校でなければ駄目だと思っていました。とても仲の良かった友人も同じ高校を志望しており、入りたい部活も同じだったことから、高校生になった時の自分達の姿を想像しては将来のことについて二人でいつも語り合っていました。学校の先生からも塾の先生からも「絶対に大丈夫」という太鼓判をもらっており、自分でもそう信じていました。しかし、試験当日は、どの教科のテストを受けていても手応えがあまりないのです。「あれ?どうして?こんなハズじゃないのに、、、」と思うような問題が少しずつありました。自信のある教科でもそうでした。「え?もしかしたら、私、駄目かもしれない?!」というような思いが何度も頭の中をよぎり、焦りを感じながら問題を解いていたことを今でも鮮明に覚えています。試験が終わり、合格発表の日までの間、私は真剣に祈りました。「神様、絶対にあの学校でなければいけないんです。今まで私は一生懸命がんばってきました。どうぞ、この努力に報いて下さい。合格して神様の栄光をあらわして下さい。」と、何とも自分勝手な都合の良い祈りだったでしょうか。祈りながら、「やはり不合格なのでは?」という思いが湧いてきて、それを打ち消すかのように、ガチガチになりながら何度も何度も同じ祈りを繰り返していたように思えます。それは、とても苦しい祈りでした。しかし、ある瞬間から「やるべきことはやりましたから、あとは神様にお任せします。どのような結果が出たとしても、それが神様の御心だと思えるようにして下さい。」という祈りに変えられ、それからは一気に気持ちが楽になったのです。そして合格発表の日、私は親友と共にその高校へ向かいました。私の中には相変わらず、「もしかしたら駄目かもしれない。」という思いはありましたが、心は平安でした。その思いは見事に的中し、合格掲示板には私の受験番号は見つかりませんでした。しかし、それがわかった瞬間、不思議なように解放感と爽快感が与えられ、「あの(滑り止めで受けていた)高校へ行くのだ。」という前向きな思いに早々と切り替わっていました。そのように思えるように、神様が私の心を守って下さったことを感謝しました。一緒にいた親友は合格していたのですが、「同じ学校に行けない。」と言って泣き出し、私が友人を慰めるという始末でした。親に報告の電話をかけた時も、落ち着いていたように思います。その日の夜、中学の担任の先生から電話をいただきましたが、試験の結果に先生もショックを受けているようでした。その時の15歳の私なりに感じたことは、「人間が言う“絶対”というものは無いのだ。自分の力、人間の力というのは、いかに小さく当てにならないものなのか。神様に委ねることは難しいけれど、委ねた時に神様は平安を与え道を開いて下さる。」ということでした。私が入学した高校は、ミッションスクールの女子校で、のんびりとした校風でした。友人にも先輩にも恵まれ、やりたかった部活動にも熱中し、充実した高校生活を送ることができたのは、やはり神様が私をそこへ導いて下さったのだと思わされます。
さて、大学受験ですが、先にも言ったように、私の入学した高校はのんびりとした校風で、“受験戦争”などというような雰囲気を殆ど感じさせない学校でした。そんな中で過ごした私は、自分の実力を知っていましたし、でも妥協はしたくないという思いもありましたので、初めから現役での合格は狙っておらず、高校卒業後は予備校へ行くつもりにしていました。今はどうかわかりませんが、あの頃は「予備校に行くのは当たり前」みたいな風潮があったのです。予備校生活は本当に楽しく充実したものでした。各地の高校から集まった今まで会ったことのないような様々なタイプの人達、2浪または3浪している先輩達は経験豊かでとても大人に見えました。あっという間にたくさんの友人ができ、多くのことを語り合い、とても良い刺激を受けました。講師の先生方の講義も興味深く、学ぶことは山ほどありました。信仰の面でも、本当の救いの喜びがわかり、クリスチャンの友人が与えられ、燃やされました。たくさんの友人を教会に誘いましたし、水曜日の夜の祈祷会も欠かすことがありませんでした。ところが、私の心の中には大きな問題があったのです。それは、自尊心・プライドの高さ、価値観の貧しさです。確かに学びたいこと、入りたい学部はありました。しかし、私にとって、大学で何を勉強するかよりも、有名大学へ行くことの方が大切だったように思われます。有名大学に入れないのならば行く意味がない、東京の有名大学だけしか受験したくないと思っていました。結果を言いますと、私は予備校生活を2年間送り、東京の有名大学だけを受験し、そして見事に全敗しました。あれだけ受けたのですから、一つくらい受かっても良さそうなものですが、どの大学からも合格通知は届きませんでした。「大丈夫だろう」と思っていた大学にも受かることができませんでした。そうして、アメリカの大学に進むことになったのです。アメリカへは中学2年生の夏休みにホームステイで来たことがあり、「いつかまたアメリカへ行きたい。大学を休学してアメリカの大学に留学するか、大学を卒業してからアメリカで勉強してみたい。」などと、漠然には考えていましたが、その時の私はどうしても東京へ行きたい、日本にいたいという思いがありましたので、すぐに日本を離れるということは全く考えられませんでした。しかし、神様は私のプライドをガタガタに崩し、私に恥をかかせ、そして日本では行く場所がないというところに追い込むという方法をとって、私をアメリカに送りました。そのようなことがなければ、日本を離れる決心は到底つかなかったでしょう。
あの挫折を経験してから早いもので21年が経ちましたが、いま思えることは、もしもあの時日本の大学に行っていたならば、たとえクリスチャンであったとしても、自分の価値観はどのようなものになっていただろうか?どのような人生を送っていただろうか?ということです。私は最近まで自分の学歴にコンプレックスを持ち、日本の受験に失敗した結果アメリカの大学へ入ったことを人に話すことをしませんでした。けれど、今は違います。確かにあの時、神様が働かれ、このアメリカに導いて下さった。神様は私の人生に計画を持っておられる、ということを確信できるようになったからです。私をアメリカに送り出して下さった神様は、私をこの地へ導き、更にはこの教会へも導き、そして仕事も家族も生活の基盤も与えて下さいました。これから先、神様が私を、また私の家族をどのように導かれるのかわかりませんが、今までもそうであったように、この聖書の御言葉を心に留めて神様に委ねて行きたいと思います。
『わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ。―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』(エレミヤ29:11)
まだまだ自尊心が強く、足りない者ではありますが、最近経験したこと、職場における出来事、与えられた聖書箇所、勉強会での学び、礼拝のメッセージなどを通して、いかに自分が傲慢であるということ、砕かれなければならない存在であるということを改めて示されています。神の子であられるイエス様が、弱く小さな赤ん坊の姿をとって貧しい馬小屋でお生まれになられたように、自分を低くし仕える者とさせて頂きたいと心から願い祈らされています。
※教会では、互いにキリストにあって兄弟姉妹という意味で、男性なら~兄、女性なら~姉という呼び方をするときがあります。
月報2009年5月号より
「3月8日の礼拝で、木戸ブライアン先生の…」
3月8日の礼拝で、木戸ブライアン先生のメッセージの中で語られた「私達はいつ神様に頼ることができるのだろうか」という言葉が心に残りました。その後の中高科のクラスでの分かち合いの時にも、「神様に信頼することの難しさ」を感じました。
私は小さい頃から母と妹とこの教会に通っているので、私にとって神様とイエス様の存在は「なんとなく」当たり前と言うか、いつも存在している、神様のいない世界は考えられないくらいです。でもそれだからと言って、神様に頼るということは簡単ではありません。やはり小さな頃は感情的にだけ神様を信じていて、知識的に信じていないところがあったと思います。ファミリーキャンプの中高科の集会の時にある先生から、「感情だけで信じていると、何かの時にそれが崩れてしまう。頭でも神様を信じていないと、どこかでこけてしまう」という話を聞きました。強い信仰を持つためには、知識も持っていないといけない。それは何故かと言うと、私達の感情はいつも変化しているし、感情は何にでも変わってしまうから、感情ではなくて知識を土台にしないと、本当に神様に信頼することができないということです。
私なりの考え方はこんな感じです。私達は皆「重力」を信じています。今ここでボールを持ってテーブルの上に放すとそのボールは落ちてしまうから、それを見て「ああ、重力は本当にあるんだな」と信じている。けれど、何故そうなるのかは学校で重力について勉強しないとわからないし、物理を勉強して地球と太陽の関係を学んで重力の法則を理解することができて、それで初めて確信をもって「このボールは落ちるんだな」と信じることができるのです。
でもそれとは違って、知識的に神様を信じるということは、やはり難しいことだと思います。学校では理科の時間に「進化論」のような非聖書的なことも習っているし、友達と宗教について話をすると異なった考えの人もいて、自分の中でもどこかで説明できていないところがあるとフラストレーションを感じていました。ファミリーキャンプの先生から、「旧約聖書の中には、キリストの誕生から復活までとても多くの預言が書かれているけれど、それを一つ一つ読んでみるとどれも本当にキリストにあてはまっている」と言われました。確かにすべての預言は無視することのできないほどの多くの証拠となっていることに気づいて、それによって私はキリストを確信することができたんだなと思います。私をこのように導いてくれたキャンプの先生にとても感謝しています。
神様に頼るということは本当に難しいことだと思います。錦織先生もメッセージで何度も話してくださいますが、トラブルや思い煩いだけではなくすべてを神様にお捧げしなければだめだし、自分の夢や希望、計画もすべて捨てて神様に頼るということは、私にとって難しくてとても怖いことに思えたからです。
私はあと3ヶ月で高校を卒業します。振り返るとこの4年間は私にとってとても楽しい4年間でした。多くの友達に出会えたし、いろいろなクラスでたくさん勉強することができたし、いい経験もたくさんしました。しかし、実は私は8年生の時、今通っている高校には絶対進学したくないと思っていました。Bergen Academyという学校がとても気に入っていて、それ以外の学校には行きたくありませんでした。入学試験があって私は筆記試験は合格しましたが、その後の面接と楽器演奏のオーディションで落ちてしまいました。学校の先生や友達からも「美香なら入れるよ」と言われたりしていたこともあって、不合格となった時はとてもショックで、「神様、どうして?なんで?」としか思えませんでした。そして不本意ながら、町の公立高校へ進学することになりました。
今になって振り返ってみると、Bergen Academyに進学していたらそれなりに高校生活を楽しんでいたと思うけれど、Pascack Hills(通っている高校)で経験できたようなことを得ることはなかったのではないかと思います。Pascack Hillsは公立高校だからいろいろな人達がいます。いい人もいれば、ドラッグをやっているような生徒もいます。様々な違った考えを持った人達にたくさん出会えたことがPascack Hillsでのすばらしい経験のひとつです。4年間すばらしい先生の指導の下でコンサートバンドのメンバーとして演奏することができ、また今年はマーチングバンドの指揮者になったり、リンカーンセンターのユースコンサートでの演奏と大好きな音楽でもすばらしい経験ができました。8年生の頃の私にはこんなすばらしい4年間が待っているなどとは当然予想することはできなかったし、たとえできていたとしても、自分が思い描いていたのと違う学校に進学するということに納得できていなかったと思います。今になって考えると、あの時の私は神様のことを聞いていなかったし、神様を信頼することができていなかったと思います。自分で自分の将来を決めようとしていたのだと思います。
去年の夏、6週間の数学キャンプに参加しましたが、その2週目の時、「私はそんなに数学できてなかったんだ。数学ってこんなに難しかったのか」と心細くなった私は、友達が与えてくれた御言葉にすごく励まされました。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道者の書 3章11節)
今、私はどの大学に進学するかという大きな選択をしなくてはなりません。「あそこに行ったらこういうことをしよう」と計画を立てるのが好きな私には、神様にゆだねるということはとても難しいことに思えます。たくさんある夢や計画をすべて神様にゆだねるのはやっぱり怖いです。しかし、8年生の時、私は自分の望んでいたのとは違った道に進むことになったけれど、それは神様が私に与えてくれた道であって、その道を進んだことによってとてもすばらしいことがたくさんあったし、後になってみるとそれは美しいということがわかります。そして、その経験によって現在のこういう自分が在るのだと思います。今、私はそのことを神様に感謝しています。この経験があるので、進学する大学を決める時も8年生の時のように「絶対この大学」とは考えずに、神様にゆだねて、神の導きを信じて進んでいきたいと思っています。
月報2009年4月号より