「主は私を造りかえてくださいました。…」

主は私を造りかえてくださいました。私にとって大きな「奇跡」を与えてくださいました。この「奇跡」は、聖書の中にも書かれているような、主がたびたび人々の間で行っておられたもの、また今のこの世の中でも起こりうる「奇跡」といわれているものとは違って、ある日ある時突然、というものではありませんが、私の場合はそれはそれは長い時間が必要でしたが、これも私にとっては「奇跡」と言えるものです。

私が洗礼を受けるまでの歩みを振り返るときに、「母」の存在が節目節目で大きな役割を果たしていたように思います。

日本で生活していた頃、私は教会との関わりは皆無でした。教会の建物の中に入ったことはありましたが、一度も礼拝に出席することはありませんでした。もちろん、聖書を読んでみたいとも思ったこともありません。でも、そんな中で、私の母は、クリスチャンではありませんでしたが、教会、讃美歌、聖書を良いものとして捕らえていたように思います。

このような私でしたが、この地、アメリカでは、違った者へと導かれていきました。ある時、クリスチャンであった私の知人から、教会の礼拝前の音楽サービスでバイオリンを弾いて一緒にお手伝いをしてもらえないかとの申し出がありました。バイオリンは、そもそも私の意志で習い始めた楽器ではなく、母の思い入れの強い楽器でした。そして、私はその申し出を引き受けました。そこで一年くらいはお手伝いをしていました。その期間はお義理で礼拝に出席していましたが、全く十字架の意味は理解していませんでした。

しかし、このような私でしたが、牧師さんのお説教なさっている姿に惹かれるものはありました。英語の苦手な私は、ジレンマを感じながらでも、何をお話ししているのかをしっかり知りたいという思いに駆られていきました。

そんなある日、別のクリスチャンの友人から、日本語で聞ける礼拝に来られませんか、というお誘いを受けました。お説教の中身に興味がありましたそのころの私は、すぐにお誘いを受け入れました。そこはピーター島田という牧師がしている礼拝でした。初めて出席した礼拝の終わりに、先生はおっしゃいました。「来週は、私が日本への伝道のために行く前の最後の週です。洗礼を望んでいらっしゃる方は是非申し出てください。」それを伺いながら、私にとってはまるで関係ない別世界のことと思っていました。

ところが、その週、不思議なことが起りました。日本から涙声で姉から電話をもらいました。母は、寝込むことこそしていませんでしたが、以前から、決して体の丈夫な方ではありませんでした。しかし、その時、病院に運び込まれて、診察したあとの医師の話で、あと半年持つか持たないかという弱った状況だとのことでした。それを聞いて、私は姉と共に電話口でただただ泣くばかりでした。

電話を切ったあと、私はこれまでにしたことのなかった祈りを、手を合わせて主に向かって真剣にささげました。涙を流した必死な思いの祈りでした。これが私の生まれて初めての主に向けた祈りでした。その時、頭をよぎる思いがありました。「私の思いを母に伝える架け橋になってくださるのは神様しかいない、私は洗礼を受けよう」。その時の私は、あきれるほど無知な者でした。洗礼の意味もわからず、聖書の中身も全く知りません。十字架の意味、人間の罪、悔い改めなども何も知りませんでした。もちろん、信仰告白もできません私でした。しかし、そのような私をピーター先生は快く引き受け、洗礼へと導いてくださいました。

洗礼式はそれはそれは一生忘れられないほど、私にとって感激的なものでした。一生分の涙を出したようにも思われました。その場で「神は愛なり」というお言葉も頂きました。感謝の念が体中に満ちました。それから間もなくして、不思議なことが起りました。母の状態が徐々に良くなり、回復に向かいました。そして退院できるまでになり、私のいるアメリカに来ることもできるようになりました。そして、おまけとして頂いた余生を2年くらい過ごすことができました。

このように洗礼に導かれたのでしたが、しかし、ここからがクリスチャン生活の厳しさを味わう時期でもありました。十字架の重み、御言葉に従う難しさ、祈ることの難しさ、主を仰ぐことの難しさ等が、次々に起ってくる私の人生の中での悩みが、まるで試験の中の難問への答えを生み出す時の苦しみのように耐えられないものでもありました。このような闘いの中でも、決して離れることのできない神の存在を、時には不思議に思ったりしていました。私が神を無視しようと思えば思うほど、私を離そうとしない神の愛を感じながら、まるでお米から良いお酒ができるように、主は長い長い時間をかけてゆっくりゆっくり発酵させて、私のくびきを負うために必要なものを、備え整えてくださいました。少しずつ霊の目が開かれていくような気もしていきました。成長へと導いて訓練してくださる目に見えない神の存在をまざまざと見せつけられたようでもありました。

そして、このような中で、牧師の口を通して語られる説教、聖書勉強、兄弟姉妹(※)との語らいの中で、十字架の意味、罪の赦し、恵み、御言葉のありがたさ、祈ることの大切さ、いつも感謝を忘れないでいることの大切さ、などの教えが深く深く心にしみこんでいくうちに、少しずつ少しずつ造りかえられていく自分があるという思いにかられました。今から思えば、すべての悩みが、私が造りかえられる貴重な機会であったと思います。

「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」                                  ヘブル12章11節

と同時に、私の心の中には、未だ曇りガラスのようにすっきりしていない思いもありました。あのような洗礼の受け方以外に私が洗礼を受ける機会はなかったのだろうか、何もわからないまま洗礼を受けて良かったのだろうか、という思いが、私を苦しめました。長い間、兄弟姉妹(※)の洗礼時の信仰告白を伺う度に、それが、信仰告白をしていない私を劣等感へと追いやるのでした。

そんな私に与えられたのがこの聖書の言葉です。

「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」
伝道の書3章1節

私はこの御言葉によって慰められ、私に合った時に私は洗礼を受けたのだという確信を持つことができました。

しかし、主はいろいろな出来事を通して、もっともっと私を強く訓練してくださいました。決して私の思いが主から離れなければ、主は私の道を備えてくださると。
私は元々マイナス思考の強い人間でした。それがプラス思考へと造りかえられていくのが自分でも強く感じます。もちろん、今の自分の姿が100パーセントプラス思考だというのではありませんが、御言葉の強いメッセージから与えられる慰め、励まし、戒め、愛を通じて、私は自分自身の殻を砕き、こだわりから解放されてプラス思考へと変えられていきました。まだまだその途上ですが、冒頭に書きましたように、このことが私に起った「奇跡」です。

私は、私の祈りが主に聞かれるという時は、私の信仰が主の御心にかなうものであれば、いつでもそのようになる、という思いに立たされています。私の信仰は「ウサギとカメ」の話の中のカメでありたいと常日頃思っています。到達点までの道のりを焦らずに大いに楽しんで、悩んで、独りよがりにならず、常に主にお伺いして、いつでも人に対して、喜んで差し上げる愛を与えられる人間でありたいと願っています。

まだまだ信仰に対して未熟者ですが、主にあって自分がいるんだという思いに感謝します。

※教会ではキリストにあってわたしたちは家族なのだという思いで互いのことを「兄弟姉妹」と呼ぶことがあります。

月報2009年8月号より

「小さい頃の私はとても怖がりで、…」

小さい頃の私はとても怖がりで、寝ている間に地震・雷・火事が起こらないよう、また泥棒も入らないようにと、“かみさま”(この頃はまだ聖書の示す唯一の神様のことを知らなかったのですが)にお願いをして、どこで覚えたのかわかりませんが、地震の分10回、雷の分10回、火事の分10回、泥棒の分10回、と数えながら胸の前で十字を切ってから眠りについていました。小学校4年生の時、同じクラスの友達に誘われて教会学校に通い始め、そこで教えられた神様を何の疑いもなく信じるようになり、夜寝る前のお祈りも自分で考え出した方法から、教会学校で教えられた神様へのお祈りに自然に変わっていきました。教会学校では、聖書の言葉とイラストが入った小さなカードをご褒美としてもらうのを楽しみに、毎週欠かさず暗唱聖句をしていましたが、その聖書の言葉の意味はほとんど理解していなかったと思います。それでも自分を愛し守ってくださる神様がいらっしゃるということだけは確かに信じていました。

その神様が私を罪の刑罰から救うためにイエス様を身代わりとして十字架につけられたことを心から信じたのは、中学生のために持たれた夏休みのバイブルキャンプに参加した中学2年生の時でした。自分が罪人であることを聖書を通して示され、その罪の刑罰から救うために、私の身代わりとなって十字架で苦しみを受けられたイエス様を自分の救い主として受け入れました。

幼い頃から心の中に蒔かれた信仰の種は、それからしばらくは純粋に神様の望まれるように生きたいという思いを与えられ、何の障害もなく育てられて行きましたが、次第にいくつかの問題にぶつかっていくようになりました。野球が大好きだった私は、高校で野球部のマネージャーとしてはりきっていましたが、春から秋まではほとんど毎週日曜日に試合があり、礼拝に出席できない日が多くなっていきました。礼拝をしばらく休むと教会に行きづらくなり、試合のない日でも礼拝に行かない時がありました。教会の高校生会の先生から礼拝に出席するようにと電話がかかってきますし、何よりも神様が私に望んでおられることはわかっているのですが、言われれば言われる程、それをうっとうしく思うようになり、不遜にも「私のことはもう放っておいてください。愛してくださらなくて結構です。」と思うようにまでなりました。それでも教会の先生や友達からの連絡は続き、心の中で色々な葛藤を覚えながら聖書を読んでいたある日、「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ2章8節)という御言葉を読んだ時に、神様の愛にギブアップせざるを得ませんでした。なぜか心が素直になり、神様が賜物(プレゼント)としてくださるものを黙って受け取ろうと思いました。
その後、できる限り教会に行くようになり、しばらくして洗礼を受ける決心を促されました。当時一緒に暮らしていた祖母がとても熱心な仏教徒でしたし、日常の生活の中で多くのことが当たり前のように仏教のしきたりで行われていた7人家族の中で、高校生の私がただ一人のクリスチャンとしていくつかの問題にぶつかることは容易に予想できましたし、とてもそのことを戦い抜く勇気がありませんでした。祈りつつも、「自信がありません。」と告げると、教会の先生は「クリスチャンとして完全になったから洗礼を受けるのではなく、イエス様を自分の救い主として信じ、神様から助けをいただきながら、神様とともに歩んでいく決心を表すことが洗礼を受けるということなのです。本当に神様に頼って生きるなら必要な助けは与えられます。」と教えてくださり、洗礼を受ける決心をしました。

洗礼を受けるまでも、また受けた後でさえも、捨てきれない自我やプライド、その裏返しのコンプレックスに苦しんだ時期が多くありましたが、ありのままの私を「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」(イザヤ書43章4節)と言ってくださる神様の愛により、また、「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力がわたしをおおうために、むしろ大いに喜んでわたしの弱さを誇りましょう。」(第2コリント12章9節)の御言葉により、小さく弱い自分を受け入れることができるように変えられました。また自分の思い通りに事が進まないと気がすまなかったのですが、「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。-主のみ告げ。-天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ書55章8~9節)と言われる神様に全てを委ねることができるようになり、平安が与えられるようになりました。

こどもの頃、教会学校でよく歌っていた賛美歌の中に「やさしい主の手にすべてをまかせて旅ができるとは何たる恵みでしょう。」という歌詞があります。小学生の時に教会学校に通い始めた頃から主の手に引かれてここまで導かれてきたことを心から感謝します。今までもこれからも変わらず愛し導いてくださる神様を信じて、平安の中に歩み続けたいと願っています。

月報2009年7月号より