「神様にあって強くなる」

あなたは何に頼って生きていますか?神様ですか?自分ですか?親ですか?友人ですか?名声ですか?社会的地位ですか?頼っているものが崩れたらと不安になりませんか?

私は母に愛されて愛されて育ちました。親の愛、と言っても様々と思いますが、私は右にも左にもこんな愛をみたことがない、それ程にたくさんの愛を注いでもらったと思います。とても幸せでした。私も母が大好きでした。

小学校低学年の時に、私をかわいがってくれた祖母が死に、高学年になって祖父が死にました。私を愛してくれた人は死んでいく、一人になるのが怖い、そんな気持ちが私の心に起こり、無性に不安になりました。いつかはお父さんも、お母さんも死ぬの?、そしたらどうして生きていけばいいの?、私も死ぬの?、死ぬのに何故生きるの?、そんなことを子供の頃から考えていました。死後はどうなるの?、と問う私の疑問に答えてくれる人はいませんでした。

私の父も母も病気持ちでした。特に父は、入院、手術を繰り返していましたし、子供ながら、父の死後を心配し、準備する母の気持ちを感じ取っては、父はいずれか死んでしまう人、と漠然と思うようになっていました。私の心の中には、父は死ぬ人=母は死なない人、という方程式ができていました。母に、「お母さんはいつか死んでしまうの?」と聞くと、よく優しく、「直子が結婚するまでは死なない、死ねない」と言っていました。それを聞いては、早く結婚してはいけないなぁとよく思っていたものです。私の方程式も母の思いも完成されませんでした。父は今も元気に生かされていて、そして、母は私が13歳のとき、亡き人となりました。

母の死は、衝撃的でした。私は、母とは仲が良く、喧嘩をしたことも、また母に我が儘を言った覚えもないのですが、一度だけ母を困らせた記憶があります。それは、母の死ぬ前夜のことでした。あの日に限って私はいらいらしていて、急に体調を崩して横になっている母の前で、次の日の家庭科の授業の宿題を終わらせるために必要なアイロンの場所を教えてくれないと困る、と泣きました。今考えたら、その時は、きっともう母には何も聞こえてなかったのではと思います。それでも私が何かを言っているので、母はだるそうに目を開けて、私を見て、そしてまた目をつむりました。それが最期、次の朝、死んでいました。母がこの世で見た最期のものが、母が愛し愛した私のそんな醜い姿だったと思うと、私は辛くなりました。こうして私は自分の中に宿る罪を知りました。母の死後は、父に言いたいことを言わないように、喧嘩をしないように努めましたし、甘えない子供へと変わっていきました。私が結婚するまで死なないと母は何度も約束してくれましたが、人の言う事や約束は頼れない、一人でも生きていける力を身につけていかなければ、そう思うようになり、高校から単身で留学することを決めました。

私の罪は、イギリスに場所を変えても、私に再び迫ってきました。私は母に愛され、また私も誰よりも母を愛していると思っていましたが、日が経つにつれ、母のいない生活に慣れ、また母のことをを忘れるようになりました。今ではどんな風に母と会話していたのか、母がどのような仕草をしていたか、どんな表情をしていたか、どんな声だったのか、ほとんど思い出せません。顔だって写真がなければはっきりと思い出せなくなっていたかもしれません。母ほど私を愛してくれる人はもうこの世にはいない、その母を自分は裏切っているような気がしました。

18歳のとき、私は人間関係で苦しみ、自分の心に宿った醜い思いが、私が罪人であることを認めざるを得なくしました。そしてそんな中、教会に行けばいいのかもしれない、何とかなるかもしれない、何故かわからないけれどそんな切羽詰った思いが与えられました。日本に一時帰国した折に、親友が通っていた教会へ行きました。そして、その日のうちに、神様に触れられて、神様を信じました。ああ、この神様だ、この神様が唯一の神様、私の罪を赦してくださる、そして私を失望させない、そうわかりました。人は私を失望させるかもしれない、でも私を永遠に失望させることのない神様が存在する。「私は決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。」(ヘブル13:5) 私は喜びに溢れ、私の人生は、がらっと変わりました。それ以来、神様を信じて歩んでいます。常に神様に喜ばれる信仰者でいられているとはとても思いませんが、神様を否んだことはありません。

2003年9月、神様の本当に不思議な導きによりニューヨークの地に足を踏み入れました。ニューヨークに来て、気付かされたのは、如何にそれまで私は、たくさんの友人に恵まれ、人に、仲間に頼って生きてきたかということです。ニューヨーク、アメリカにはあまり馴染みが無く、来た当初は、知り合い、頼れる人はいませんでした。仕事も私にとって全く新しいフィールドでした。私は、孤独、そして不安でした。恐れもありました。でも、当時の私には、他に行くところがなかったのです。私には、神様が私をここに導いたという信仰がありましたので、それだけに頼りました。時に、神様の意図が私たちにはわかりません。でも信仰というのは、私たちが理解できることを信じることではなくて、わかってもわからなくても信じることだと思っていますので、神様が与えてくださった仕事に、教会に、環境に、できる限り誠実でいよう、目の前のことを精一杯やろう、そう歩んできました。

4年半が経った今になってニューヨークに神様が置いてくださった意図が分かってきた気がしています。2008年年初より、錦織先生に薦められた「日々のみことば」を読んでいますが、1月3日の箇所で、御使いはマリアにイエス様の受胎を告知します。「どうして」と問うマリアに、御使いはこう言われました。「聖霊があなたに臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。」(ルカ1:35) この言葉が私を深く捉えました。私は本当に神様に全身覆われていると感じました。気が付いてみると、私はもはや孤独でも、不安でもありません。恐れもありません。まさに神様が常に私を覆って下さっているのです。私は以前の自分とは別人の如く、強くされていました。私は今、とてもハッピーです。悩みが無いわけではありません。すべての事柄がうまくいっているわけでもありません。でも神様が私を愛し、ご計画を持って、私を導き、強め、造り変えてくださっている、それで充分なのです。

「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア1:9)

私たちは大丈夫です。何があっても大丈夫です。神様の覆いがあるのです。神様の愛のゆえに感謝します。そして、神様の御名がもっともっとほめたたえられることを心から願い求めます。

月報2008年2月号より

「私は2歳半の頃から…」

私は2歳半の頃からお母さんとお姉さんと一緒に教会に行っています。なので、日曜日に教会に行くというのは当たり前のことでした。小さい頃は、日曜日には特にすることもないし、礼拝の間はいつも他の子供達と一緒にジムで遊んでいたので、教会に行くことをだんだん好きになってきました。子供達は、私より2 – 4歳ぐらい年上でしたが、その当時、気にしないで、遊んでいるうちに、友達になりました。
10歳頃から、私はちゃんと礼拝に出席することになりました。でもそれは先生のメッセージを聞きたいから礼拝に出たのではありませんでした。私が普段一緒に遊んでいる友達が礼拝に出ていて、私一人でジムで遊ぶのが嫌だったので、みんなと付いていきました。その理由で私はメッセージを聞き始めましたが、先生が言っていることは全然分かりませんでした。だが、11-12歳になると、だんだん分かってきて、先生の話を聞くのが楽しみになりました。そして、その時から私は神様を信じました。

その次の2-3年間、教会の友達がみんな中高科に入って、仲間の中で、私一人がまだ上級科に残っていて、まるで置いてきぼりにされたみたいでした。一年ぐらいたって、私もやっと中高生になって、「やった!」と思いました。でも、その後、中高生のメンバーが一人一人、洗礼を受けていきました。そして、やがて、年上の中高生はみんな受洗をして、次に洗礼を受けるはずの人が私になりました!そのことからすごいプレッシャーを感じて、その上に、ときどき教会の人から「菜美はいつ洗礼を受けるの?」と聞かれる時もありました。私も正直「いつ洗礼を受けるのかな」とか、「13年間も教会に行っているのに、なんでまだ洗礼を受けてないのかな?」とかいろいろ考えていて、いつもそのことで神様にお祈りしていました。
今年の8月に私は毎年行っている中高生のB.I.G.キャンプに行きました。そこで、中高生の先生とone-on-one sessionで話した時に、先生が「神様を信じているなら、それだけでいいんだよ。信じているなら、洗礼を受けた方がいいよ」と言ってくれて、気付きました。私はいつも神様を信じていました。でも、信じるだけだと物足りなくて、もっと聖書を読んで、お祈りしたら、神の子供になれるとずっと思っていました。でも、中高生キャンプで学んだ通り、「 神様を信じているなら、それだけでいいんだよ。」本当に単純でobviousなことかもしれないけど、その一言で、私は洗礼を受けたいと思いました。
中高生キャンプが終わって、何週間後に、聖書を読んでいると、不思議にヨハネ1:12を開いて、こう書いてありました:「しかし、この方はご自分を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」私にぴったりの聖書箇所でした。神様は私の祈りに答えてくれました。
そういうことで、神様を信じて、洗礼を受けて、そして、神様から光をいただきました。そして、私はその光で、人生を生きたいと思います。私が好きな聖書箇所、エペソ5:8にかいてあります:「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。」これからは、光の子として、私が信じている神様といっしょに生きたいと思います。そして、もらった光を持って、2008年、新しい一年に私は飛び込んでいきます。

月報2008年1月号より

「ニカラグアの声となって」

半年前の5月、私は Messiah College の生徒達14人と、宣教のためにニカラグアの国に2週間行く機会が与えられました。Food for the Hungryの代表の人たちと一緒に協力し、色々な教会のプログラムや学校の授業を手伝い、建物の修理をしたり、そして地元の人の家を回ってニカラグアの人々のために祈りました。私達は出発する数ヶ月前から毎週会議をし、様々な計画をたてていましたが、旅の詳しい内容は全然分かっていませんでした。ただ祈り、神様がどのように私達を導いて遣わしてくださるかを待つだけでした。
最初からチームのリーダーに メマナ、スペイン語の通訳、頼むね。”と言われていたので、飛行場に付く前からものすごく緊張していました。でも出会えた地元の人々は、
ものすごく心の暖かい人たちばかりで、一生懸命私と話してくれました。初めの1-2日はオリエンテーションで、首都であるマナグアを観光し、歴史を学びました。
そして、2時間ほど離れたチナンデーガと言うスラム街に移動しました。その町の小さな教会の牧師さんと会って、子供たちのプログラムを手伝いました。
辺りの小学校は午前中しか授業がないため、その後はよく教会に来て皆で遊んで、短い礼拝に参加していました。ちょうど母の日の時期だったので、一緒に母のためのクラフトを作り、スペイン語で讃美の時間をリードしました。その後、辺りに住んでいる元ヤクザのメンバー達と一緒にサッカーも遊ぶ機会もありました。
でも私にとって、チナンデーガで一番印象に残ったのは、2グループに分かれて人々の家を回って祈りの時をもてたことでした。町を見歩いてみると、“こんなのでどうやって暮らしていけるの?”と思うぐらいボロボロで、台風に襲われたかの様な家ばかりでした。それなのに訪ねていくと、人々は皆“どうぞどうぞ、早く上がって! 私達の家にようこそ!わざわざ来てくれてありがとう!”と言い、喜んで家を案内してくれました。そして、“何か一緒に祈ってあげられる事はありますか?”と聞くと、出会ってから10分もたっていないのに、皆 私達に心を開いてくれて、色々な個人的な悩みを話してくれました。教会に通えない理由、家族内での問題、体の癒し。。。色々な祈りの課題が出ました。
なかでも一人の女性が次のように言ったひと言は一生忘れられません。
“長い間、私がどんなに辛い思いをしているのか、誰かに分かって欲しかったけど、話をこうして真剣に聞いてくれる人は、今まで誰もいなかったわ。本当にこんな私のことを思ってくれてありがとう・・・“
私たちが出来るのは話を聞いて一緒に祈ってあげることだけでしたが、チナンデーガの人たちにとっては、それだけでも励ましになったことが私には驚きでした。
もう一つの私達の大きなプロジェクトは、ボアコと言う山のど真ん中にある小さな村の辺りの幼稚園と小学校で歯の手入れの授業、そして讃美と聖書の時間をを手伝う事でした。マナグアとチナンデーガとは違い、ボアコの人々は、小さな馬小屋のような家に住み、床は全部土、トイレは外に掘った穴だけ、水も全部何キロも離れた井戸から毎日運ぶ、と言うような生活をしていました。そして学校ではほとんどの子供達は歯ブラシや歯磨き粉を見たこともなく、ちゃんとした歯磨きの仕方も知りませんでした。一度も歯医者に行ったこともなく、かなり歯が痛んでいた子もいました。
そのような状態だったので、私達は先生方と協力し、歯磨きのポスターや、子供たちが分かるように劇も作りました。外国人を見るのが初めてだった子供たちは大喜びで、私たちがアメリカからプレゼントとして持ってきた、歯ブラシと歯磨き粉のセットも笑顔で受け取ってくれました。そしてその後は子供たちと讃美をし、“よきサマリヤ人”の劇を発表しました。ものすごくシンプルで、たいした劇ではありませんでしたが、子供たちは目を真ん丸くしながら真剣に見てくれました。子供たちが大好きだった一曲の歌詞の一部を紹介したいと思います:
“Eres todopoderoso, eres grande y majestuoso. Eres fuerte, invincible, y no hay nadie como tu”
(あなたはは全能の神、威厳のある素晴らしい方。あなたの様に強くて
征服できないお方はいない)。
この旅に行って一番驚いたのは、あんなに貧しく暮らしているニカラグアの人たちが、どんなに私達を厚くもてなしてくれたか、と言うことでした。牧師の家、教会、そしてホストファミリーの家に泊まりましたが、皆私達のために素晴らしいごちそうを作ってくれたり、洗濯をしてくれたり、本当に家族の一員として受け入れてくれました。そして私たちが何か少しでもしてあげたら(例えば家の掃除や料理の手伝いをしたら)その十倍のものを私達に与えてくれました。それから、出会えた人たち一人一人と個人的に話をして、どういう重荷を抱えているのかを少しでも理解できた事が感謝でした。私のあまり上手でもないスペイン語を本当に辛抱強く理解しようとしてくれ、私を信頼し、悩みや祈って欲しい心配事を涙を流しながら語ってくれました。
今振り返って “なんであんなに貧しくて苦労一杯の生活をしている人たちが、毎日笑顔で私達を出迎えられたのだろう?どうして出会ったばかりの私達に色々な話をしたがり、やさしくしてくれたのだろう?”と思うと、それは人間関係を通して神様の愛に満たされていたからだと思います。アメリカでよく見る物質主義な考え方とは違って、ニカラグアの人たちにとって信頼できるのは、お互いの励ましと神様の支えでした。今の時代では自分がどんな家に住んでいて、どんな車を持っていて、どんなにお金を持っているかが一番のプライドと言う人が多いかもしませんけれど、そのような物がないニカラグア人は人との出会いと交わり、そして信仰を第一にしていました。
あと、もう一つ感じたことは、もしかしたら、大学生14人がニカラグアに行けるために集めたお金を大きな小切手にして、色々な団体にドネーションとして送った方が、簡単で役に立ったかもしれませんが、実際に現地に行って人々と出会って、顔を見ながら話をしたり、心から話に耳を傾けたりする交わりに、どれほど価値があるかと言う事が分かりました。
ボアコで出会った牧師さんが私たちが帰る直前にこう言いました:
“You are the voice of Nicaragua nowモ.  私たちが見て経験した事をアメリカに持って帰り、ニカラグア人の物語を伝えてほしい・・・ニカラグアの声となって・・・”
それが牧師さんの願いでした。
本当にこのような経験が出来た事を神様に感謝します。また、私がこの旅に行けるようにサポートしてくださった教会の皆さんに心から感謝しています。

“主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。モ  -詩篇18:2

月報2007年12月号より

「待ちつづけてくださった神様」

私がどのようにイエス・キリストを救い主として受け入れたか、書きたいと思います。

私の家はクリスチャンホームで、物心ついた時は、すでに神様の存在を信じていました。小学校時代は近所の子に聖書の話をしたり、教会へ誘い、連れて行ったり、積極的でした。特に「みことばカード」をもらうのがうれしくて、もらったカードを大切にし、暗唱していました。
しかし、中学校くらいから、友達の誘いを受けることも増え、映画や他校の学校祭、試験の前の勉強等があると、教会を休みたい、と思う気持ちも出てきました。母に聞くと、「日曜日は神様に礼拝をささげる日。神様には余った時間をささげるのではなく、第一にしなければならないんだよ」と許されませんでした。「お父さんやお母さんは自分で選んでクリスチャンになったからいいけど、私はキリスト教を選んだわけじゃないのに・・・」とふくれながら教会へ行ったこともありました。

18歳の時、私は進学のため、札幌で一人暮らしをすることになりました。我が家はけっこう厳しい家庭だったので、私は不安よりも期待と解放感でいっぱいでした。
でも、日中は私の行っていた教会の開いていた救世軍の保育園で、見習いとして働き、夜は学校で3年間学び、保母と幼稚園教諭の資格を取るという生活で、午後9時に授業が終わって、ピアノの練習、バドミントンのサークル、そしてお風呂屋さんへ10時半頃駆け込み、本当に枕に頭が着くともう眠っているという毎日でした。それでも日曜日は、毎日顔をあわせる園長が教会でメッセージなので、もちろん休むことなく、毎週教会に行っていました。(これは一人暮らしの条件として両親との約束でもあったのです)
しかし、私の気持ちは、神様は信じているけれど、イエス様の十字架は遠い昔の物語のようであり、自分と繋がっている実感がありませんでした。

そんな21歳のある特別集会の夜、イエス様が私たちの罪のために十字架で死なれたことが語られていました。いつもは「またその話か・・・」という気持ちでいるのですが、その時は、心の中で「神様、あなたがわたしを求めておられるのは、わかっています。でも勇気がありません。K先生を遣わしてくださったら、私は前へ踏み出します。」と祈ってみました。
すると、離れた所にいたK先生が、私の隣に来ていて「私と一緒にお祈りしませんか?」と声をかけてくださいました。
「神様は私の祈りを聞いてくださっている!!」と心が打たれ、素直な心でK先生から話を聞きました。そして、私の罪のためにイエス様が十字架で死なれたこと、私の罪が赦されたということを信じることができました。
その時、与えられたのは、ヨハネによる福音書15章4-5節の
「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。もし、人がわたしにつながっており、わたしが、その人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」との御言葉でした。

神様はなんと気が長いお方でしょう。21年もわたしがしっかり神様に向き合うのを待っていてくださったのです。
それまで神様は私にとって、いつも見られている、厳しい、息苦しい存在でした。でも、それからは、赦された、愛されている喜びでいっぱいになりました。

神様が私を新しくしてくださったのです。

今、私は教会学校の教師の一人に加えて頂いています。子供たちに聖書が語られ、御言葉を暗唱しているのを見ながら、今、まかれているこの種が、いつ、この子たちの人生で花を開くのかと思うと、希望でいっぱい、うれしくなります。

テモテへの第2の手紙3:15
「幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。」

神様は生きておられ、豊かに私たち一人一人に働きかけ、日々、つくり変えてくださることに感謝しつつ、神様と共に歩んでいきたいと思います。

月報2007年11月号より

「B.I.G.キャンプ 2007 GOD is soooo BIG! – 神様は無限大!」

8月3日(金)から5日(日)まで二泊三日、Shiloh Bible CampにてB.I.G.(*注1)キャンプがもたれました。今年は、プリンストン日本語教会の栗栖牧師を講師としてお招きし、”Think BIG! Live BIG! GOD is BIG!”をテーマに、ダビデの生涯を中心にみことばのときを持ちました。
JoyJoyキャンプ終了後の金曜日、午後6時半過ぎに教会を出発。途中、ナビゲーションシステム(?)の故障(??)に見舞われ道を何度か間違えつつも、無事にキャンプ場に到着、現地集合組だった栗栖牧師及び津波古姉(プリンストン日本語教会)と合流しました。

早速第1回目の集会を持ち、自己紹介の後、ダビデが王として選ばれる過程(サムエル記上 16章6-13節)に学びました。
「わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」 (7節)
人が目で見ているものと、神さまのVISIONとは必ずしもいつも同じではない。そして、God is BIG!、なのだから、神さまが最高のVISIONを持って導いておられるのだから、逃げないで、一歩一歩を歩んでいこうと、みことばから励まされました。私たちはGreen Orange (*注2)です。

参加していた中高生のうち、JoyJoyキャンプスタッフをしていたメンバーは、さすがに疲れていて早く寝るだろうとの予想は見事にはずれ、賛美をし、語りあい、あるいはゲームをともにしつつ、1日目の夜は更けていきました。

翌土曜日、朝7時から祈りのときを持ちました。年齢別に三つのスモールグループに分かれ、ローマ5章6-11節からみことばを分かち合い、またともに祈るときとなりました。

朝食後、第2回目の集会、ゴリアテに立ち向かうダビデ(サムエル記上 17章)の姿から、「神さまはBIGな方だから、どんな敵にも勝つ」ことを学びました。
周囲や味方の声に束縛されて、逃げてしまうのではなく、勇気を持って、神さまを知って、歩んでいく。いつでも、どこにいても、「みことば」と「祈ること」とを握りしめて、歩んでいく。
「神がわたしたちの味方」(ローマ 8章31節)であり、「わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある」(ローマ 8章37節 -新改訳では「圧倒的な勝利者」)、そして、これはただの「理想論」ではなくて、神さまの祝福の約束のみことばなのだから、必ずその通りになるのだと、熱く語られました。

午後はレクリエーション。クイズタイムの後、外に出て「逆かくれんぼ」(?-詳しくは最寄のキャンプ参加者まで)を楽しみました。隠れてもいい範囲の外に出て隠れる者、毎回必ず見つけ出すエキスパート、最後にひとりだけ取り残されてもあわてない者など、各々の個性が、よく見えました。
その後はフリータイム、キャンパーとスタッフが一対一でゆっくり語りあうときを持つなど、恵まれたときとなりました。

賛美のときを持った後、夕食、第3回目の集会をもち、サムエル記下 12章・13章及び詩篇51篇 から、「罪」と「イエス・キリストの十字架と復活」に思いをはせました。
他の誰かが、自分の罪のために死んでくれたのだとしたら、自分は、生きているのなら、生かされているのなら、生きていく。ある北朝鮮のクリスチャンの話をうかがいました。また、栗栖牧師が証をしてくださいました。こころ打たれ、また、確かに神さまの栄光を見ました。

集会後、キャンプファイヤー。今までの罪、忘れたいこと、自分が縛られていることなどを、各自が紙に書き、燃える炎の中に投げ入れ、ひとり一人が、神さまの前にこころを注ぎだすときとなりました。(マシュマロも、とってもおいしかったです。)

翌主日のご奉仕がある栗栖牧師と津波古姉はキャンプファイアー後、帰宅の途につかれ、2日目の夜、さぞ疲れがたまっていたであろうはずのキャンパーは(そしてスタッフも)、しばしのときを惜しむかのように語りあうときをもちました。

最終日、祈り会の後、朝食。土曜の夜の集会に引き続き、錦織牧師が合流され、第4回目の集会がもたれました。参加者ひとり一人が証を語り、ともに賛美し、また祈りのときをもちました。
その後、ヨハネ15章1節-7節から、錦織牧師を通して語られました。イエスにつながっていること、イエスがひとり一人を綺麗にすること、用いられるために選ばれたこと、「行って実をむす」ぶこと(16節)。
最後に来年のキャンプには、少なくとも今年の倍以上の参加者があることを祈りつつ、集会を終えました。

集会後、例年お楽しみの男子グループ対女子グループの掃除対決。部屋及びシャワー・トイレの掃除の出来具合を競います。今年は、公正な審査の結果、男子グループが勝利!連勝中です。(女子グループ、来年はがんばれ!)

それぞれがそれぞれの思いを大切に抱えて、二泊三日を過ごしたShiloh Bible Campを出発、教会へ直行し、主日礼拝をもってB.I.G.キャンプは終了しました。
みなさまの尊いお祈りに感謝します。
プリンストンから駆けつけてくださった栗栖牧師、津波古姉、その他、さまざまのところで祈りとご奉仕をもって支えてくださったお一人お一人に、スタッフ一同感謝しています。
5日(日)の昼食を用意してくださったみなさま、ありがとうございました。(毎週食べたいぐらいにおいしかったです。)
そして、キャンプに参加してくれたひとり一人にも、感謝しています。

栗栖牧師がキャンプ後1週間ほどして参加者宛てにメールをくださいました。
「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」
ヘブル 13章8節

主に在ってひとつ

*注1:B.I.G. :中高生クラスは呼称を変えました。これからは正式名称B.I.G.です。よろしくお願いします。B.I.G.とは、モBelieve in God and Make it Big,モ、メBelieve in God and Make it Grow,モ、メBelieve in God and Be Big,モと、いろいろな説がありますが、ともかく、モBelieve in Godモ - 神様を信じる輪を大きく広げていこうという思いが込められています。

*注2:「KOの証人」さんのコメント(以下)ご覧ください。

キャンパーからの声を紹介します。

-「はじ」さんから
『3日間という短い期間の中高生キャンプに参加した時、その初日のうちからいらいらしていた。
この夏の間そのキャンプとその週の間に行われた Joy Joy Camp 以外は、サッカーと遊び(息抜き?)と勉強とで毎日がただただ過ぎていた。この夏に大きく期待を抱いていた僕にとっては正直信仰の面でとても物足りない気がしていた。その自分の期待に応えられる程の成長をしていなかった事に恐らく苛立っていたんだろう。自分のゴール、自分が作ったハードルを越えることの出来ない事について苛立ちを感じ、その感情を抱きながら参加した中高生キャンプでした。
しかしその僕の心を神様はそのままにはされなかった。

何かキャンプなどのイベントがあると「ボワ」っと燃えるという悪い習慣がいつの間にか身についてしまったのか、「毎日の生活の中で神様との時間を持つ」という事をしていてもいい加減だったり、「何か一つ足りない」と言う思いを常に持っていた日々が続いていた。しかし、神様はその僕の心と姿勢を問いかけ、何かのイベントの時だけ燃やされるのではなく、毎日のありふれた生活の中での神様との交わりの時が、聖霊に満たされた時が必要なのだと思わされました。』

-「あっこ」さんから
『最後の夜私は天の川を見ました。
初めて見た天の川、真っ暗な空を宝石箱に変え、本当に空に輝く道がありました。
その天の川を見ながら本当に神はなんて大きいんだろうと感じました。
このキャンプで神の愛、みんなの愛を本当に感じました。
栗栖先生の証を聞いて、何でこの人はこんなに自分の汚かった過去をこんなガキ12人にも言えるんだろうと思いました。本当に自分たちは愛されてるんだ、栗栖先生にも、みんなにも、神様にも愛されてる。
私はこんなに幸せでいいのだろうか???なんて思いました。

キャンプで神の偉大さ、素晴らしさ、大きな愛を学びました。
自分は愛されてる、この大きな神様が自分を見ていてくれる、本当に心の奥底から喜びがあふれる体験を私はこのキャンプでしました。
キャンプで学んだこと、感じたこと、大学でも忘れずにがんばります。
ありがとうございました。』

-「KOの証人」さんから
『 – ダビデと自分 –
�@ダビデは仲間(兄弟や周囲の人)から『お前はだめだ』とか『勝てるわけない』といわれても頑張った。
�A僕は、心の自分から『お前じゃ無理だ』とか『負ければいい』といわれる。→頑張れる

�@ゴリアテからすごい侮辱を受ける。→でも頑張った。
�A僕らの壁・敵からダメージを受ける。→頑張れる。

�@神様からのプレゼントは勝利
�A神様からのプレゼントは勝利

神様がダビデにビジョンを与えてくれたように僕達にもビジョンを与えてくれる。
神様がダビデに勝利を与えてくれたように僕達にも勝利を与えてくれる。

頑張るとは?
→神様の計画に沿って生きると決心し、神様を信頼すること。

神様の望んでおられること?
→今僕が考えているのは神様の愛している人々に仕えることで神様に喜んでもらうこと。
このキャンプを通してさまざまなことを聞くことが出来た。仕えて生きることも大切だ。

そして神様の計画をかみしめながら(味わいながら)※グリーンオレンジであることを認め生きていくことが大切だとわかった。
※注:まだ熟したみかんではないが、熟した美味しいみかんになるために通る道であるということ。』

-「りょうすけ」さんから
・ Donユt worry about the future: God already has a vision for us
・ Donユt look at the past to see regrets, but to see blessings
・ Our weapons: Godユs word/prayer/faith: defeat our Goliath
→ Made more than conquerors
・ Break our pride

・ Live so that a testimony explaining the love of Christ remains / is made
← Greatest offering to God
・ Stay tied to the tree
・ Felt I need to recharge
– God is NOT most present at retreats and camps
– God is most present EVERYDAY
– When I need to メrechargeモ: I can look to him anytime
・ Bible Verse: 「ところがイエスは、『なんということでしょう!それでも神を信じているのですか?そんなにこわがったりして。』」マタイ8:26
・ He replied, メYou of little faith, why are you so afraid?モモ Matthew 8:26 (LivingアニメBibleより)

<おまけ>
スタッフたちから、ひと言二言。

『キャンプ中、同じ御言葉を何度も与えられました。「これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。」 ローマ人への手紙8:37』

『燃えるようなあつ~いキャンプというよりは、じっくりじわ~とみ言葉を温めるあったか~いキャンプでした。
私のために犠牲になった方がおられるなら、私はその方のために生きなければいけない!
そんなキャンプで感じた思いは、今でもしっとりと、しかし強く感じています。
参加した中高生一人一人にもそれぞれ、心に温かな思いを持ち、キャンプを去ったようです。
神さまは本当にBIGなのです。
そして、このニュージャージーの中高生のB.I.G.は何て祝福された愛された集まりなんだろうと改めて思わされました。
神さま、一人一人を、そしてこの集まりを祝福し続けてください。』

『栗栖先生に、「なんで受洗したの?」と問われて、「そこに手が差し伸べられているのなら、その手を握り返したい。そう思いました。」と、素直に(?)答えた自分のことばが、何度もなんども自分の中を、あれからぐるぐる回っています。この、僕の右の手を、イエスさまが、今までも、今も、これからも、いつも、握っていてくださる。僕に、握り返す力がないときにも、イエスさまは、しっかりと握っていてくださる。自分の右の手を見て、開いたり閉じたりするたびに、そこにイエスさまの手の温かさを感じます(イザヤ 42:6-7)。 B.I.G.キャンプに、このメンバーとともに、この時に集えたこと、神さまに、ひとり一人に、感謝しています.。 ありがとう。 これからもよろしく。です。 主に在ってひとつ。』

『本当に私自身が楽しみました。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ 29:11』

月報2007年9月号より

「教会に入って特に印象に残ったものは…」

教会に入って特に印象に残ったものは、人々の、特に子供達の(歓迎の?)笑顔でした。皆さんのお優しい歓待にも感銘を受けました。そして、礼拝が始まってからの十数年ぶりのオルガンの賛美歌の音色。聖句、説教、、、とにかく、涙を隠すのに必死でした。涙の理由はその時は分かりませんでした。「心が癒されているのかな」ぐらいです。

けれども、その日以来、私に芽生えたものがありました。欽定訳の聖書は持っていたので久しぶりに読み進め、やはり難しいので途中で日本語のものを買い求め、日曜日のレッスンを何とか調整して礼拝に参加出来るように試み始めたのです。

そして、決心、というか我慢が出来なくなった感じですが、何回か礼拝に参加して後、1月のある礼拝が終了してからフラフラと錦織牧師のもとへ近づいて言いました。「あのー、2月28日が誕生日なんですけれども、その時に洗礼を受けさせてもらえたらと思いまして、、、」

その時も気持ちが一杯一杯で、どのように洗礼というものをお願いしたらよいのか分からず、皆が生まれ変わるものなんだと言っているし誕生日が近かったので、とりあえず思いつくまま言ってしまったのです。思い起こすと半笑いのシーンで、当然ながら先生は「こいつはミーハーなんじゃないか」と心の中で思われたのかもしれません、返す刀、「いやあ、洗礼って言うのはね、、」と始められ、最後に「いくら望んでも(洗礼を)してあげられないんです」と仰られました。

先生は、ただクリスチャンが最低限信じなければならないことを説明されただけなのですが、最後の言葉でショックというか焦ってしまい、私の次の句を継げずにいると、先生はそれを察したのか「とりあえず話でも」と礼拝堂の中へ招いて下さいました。

そこで前述のような出来事や自分の状況を、上手く説明できませんでしたが、先生にお伝えして、自分が生まれ変わりたいことを訴えました。途中から涙涙で情けなかったのですが、先生はご理解くださり、その場で「最も純粋な福音」であるローマ人への手紙を奉読した後に、自分の言葉で信仰告白を致しました。イエスに執り成しの恵みを信じ祈ることを誓ったのです。

そして、先生のNY面談日に信徒としての基本的な勉強をさせて頂いた後、私の誕生日ではないものの、嬉しい偶然にも尊敬するルターの誕生日にあたる2月18日に受洗させて頂いたのです。コンサートで良い演奏が出来た時のように、その時の事はほとんど覚えていません。

私には何が起こったのでしょうか?

既に書いたとおり、うつ状態の私でした。元来が積極的に外へ出ることのない性格ですから、仕事と学校以外は荒れ放題の部屋に篭っていたわけです。何事もバランスですから、礼拝に初めて参加した時分の私の心は、いわば太陽の光を極端に浴びないモヤシか深海魚の形のように歪になっていたわけです。

今では断言することが出来ます。あの時、私の歪な心は「癒されていた」という次元ではありませんでした。実に、主が心にお触れになられたのです。イエスの磔刑による贖罪を良く知らなかった時でさえ、私の事をご存知だったのでしょう、また丸い形に戻してあげようとなさったのです。それを体験した私には分かります。あのような単純極まりないことが、このように感嘆調で書くのがバカらしくなるくらいのことが、神との出会いであり、奇跡の御印であるということが!そうでないと説明が出来ないのです。まったく理屈じゃないのですから。

もちろん、ヨブの時のように嵐の中に主の声が木霊したわけでも、あの有名な神の弁論を開始されたわけでもありません。しかし、それが何でしょうか?奇跡は目に見えなければならず、神は見えて聞こえなければならず、誰にでも分かるものでなければならないのでしょうか?同じく、私達は神に触れられるためにはなるべく辛い経験をしなければならないのでしょうか?善行を、はたまた悪行を積まねばならないのでしょうか?

神の臨在の個人的な証言という証の本来の目的に加え、私は、自身と関わりの深いヨブ記と自らの体験を通して、これらの疑問はすべて否ではないかということも提起したいのです。

前半部分の掲載後、「驚いた」「すごい」という感想があったことに少し違和感があります。私は、私小説を書いたわけでも、スキャンダラスに体験告白もしたつもりは全くありません。誇張も虚構もありません。努めて客観的に書いてきました。そして、私の人生経験もごく普通だと思うのです。恋愛し、失敗し、悩み、調子に乗り、好きな事にのめりこみ、、、程度の差はあれど、私が経験してきた事は誰もが一度は通り、または通らなければならないものではないでしょうか。

ヨブは、私なぞとは違い非の打ち所のない義人でしたが、想像を絶する苦しみを受けます。勧善懲悪、因果応報的な教訓でもってヨブを慰め悔い改めさせようとする友人達(青年エリフが私にとり未だ謎ですが)も登場し、深遠な神義論が展開されます。しかし、身に覚えの無いヨブは遂に神への疑問を呈します。

人生の不条理から生ずる神への疑念、そして神の「沈黙」。遠藤周作が描かずとも、クリスチャンであれば誰もがぶつかる難問だと思います。幸運なことに、ヨブの場合には「沈黙」が続きに続いたところで主の声が聞こえます。しかし、それはヨブの問いや関心を全く無視したものです。それにもかかわらず、突然ヨブは悔い改めて救われるわけです。普通の人が見ると、答えの無いドラマです。「不合理」なのです。

私の場合、「神(日本的な概念での、またはヨブの友人達のような捉え方での)」を畏れてはいましたが、無論ヨブ程ではないでしょうし、まず彼よりも罪人であることは確かです。同時に、少なくとも私自身が思うに普通の人生を送ってきました。しかし、沈黙の主は確実に私の心に触れてくださいました。そう、ヨブ記が、救いや苦しみは善悪の量とは無関係であると私達に教えるように。そこに言葉の理による「答え」などありません。主の臨在に圧倒されるのみです。

今の私は、昔のように因果応報的に考えることは少なくなり、また、神へ現世利益を願うことはまずありません。けれども、受洗以来、何気ないことに主の祝福を感じています。例えば、今日は天気だ、とか。

受洗からまだ日も浅いですが、愚かな私は既に何度か御心を問うような真似をしました。もちろん、その度に主は沈黙しますが、一度でも突然救われる「不合理」を体験した身には、全く構わないのです。それよりも、単純素朴な事にでも主の祝福を感じられること、共に居てくださるのが分かる歓びが、何百倍もの心強さなのですから。「不合理」は些細なレベルでも起こっているのですし、来るときには再び衝撃的に訪れるのでしょうから。

ゲーテはヨブ記を下敷きに畢生の大作「ファウスト」を書きました。冒頭で、悪魔メフィストフェレスと神が賭けをする設定はそのままです。もちろん、ヨブにあたる人はファウスト博士です。「人間は努力する限り迷うものである」として、神は寛大にもファウストを闇に引き入れることを悪魔に許し賭けが開始されます。

その最終場面、悪魔の所存で悪行も善行も重ねた挙句に今は盲目になったファウストが、死霊が自分の墓を掘っている音を、人々が未来の為に努力している工事の音だと思い込んで、最高の至福の瞬間を味わい(「この瞬間よ、止まれ!お前はいかにも美しい。」)絶息します。悪魔との契約で彼の魂は闇に捕われるはずのところですが、天使たちが唐突にも悪魔より横取りして天に上げるのです。この件は、ヨブの物語と同じく、いつも人生と神との関係について投げかけます。

この稿の目的である神の臨在の証を真に行なおうとすれば、恐らくこの紙面や文字を以ってでは不可能で、それは私自身のこれからの人生によってなされねばならない事です。その人生も、ヨブやファウストが暗示するように、悪魔的なものに突き動かされ邪魔されながら、墓を掘る音か工事の音かも分からず盲目の暗闇を歩いていくようなものなのだと予想します。

罪人であり義人でもあるファウストの魂が天上へ昇った後に歌われる天使達の合唱、―「絶えず努力して励む者を、我らは救うことができる」

残念ながら、これは聖書の言葉ではないですし、イエスの贖罪により救われるという原点からも外れている言葉のように見えます。しかし、愛するイエスの仲介よる神の救いの道が善悪の量に関係なく開かれていることを体験した今、これ以上イエスに私の為の血を流させないように努力し、悪魔の陥穽が待ち受けている実生活を懸命に、けれど今からは笑顔で生きていきたい私には重要な含蓄です。

神とこれからの自分の人生との関係を見つめるとき、聖と俗を象徴するようなヨブとファウストという二人の姿は、私の中で絶えず重なり合い、指針となるだろうと考えます。そして、いつの日か、聖霊の助けとイエスの執り成しにより、私の魂も神に許されて救われることを心から希うのです。(終わり)

訂正:前回の最後、私が始めて礼拝に参加したのは感謝祭の日と書いていますが、感謝祭の週の愛餐会があった日の礼拝です。お詫びします。

月報2007年8月号より