「私は両親共にクリスチャン…」

私は両親共にクリスチャンの家庭に生まれました。というと小さい頃から教会の子供として育って来たのだろうと思われるかもしれませんが、実は家族揃って教会に行くというクリスチャンホームではありませんでした。父はクリスチャンスクールの校長を長くしておりましたので、学校と教会はほとんど一体で学校では生徒さんたちにお話もすることも多く、家ではよく聖書を広げていました。母は日曜日も祖母や子供達のクラブ活動などのお世話で、ほとんど教会には行きませんでした。兄は野球少年で日曜は不在、私は小学生の時は父と教会に行くこともありましたが、中高生になるとクラブ活動でほとんど教会には行かなくなりました。
大学生の時に韓国研修旅行で現地の礼拝に参加する機会がありました。その時に韓国の学生さんに両親がクリスチャンだと話すと、なぜ教会に行かないの?是非行ってみてと言われました。
いままで誰かに教会に行ったらと勧められた事がなかったので、その時の言葉が強く心に残り、また教会に通うようになりました。それでも自分は小さい頃からお祈りもしてきたし神様が守ってくれているという勝手な自信があり、洗礼を受けようと思った事はありませんでした。
社会人になり将来結婚して新しく家庭を持つことを意識するようになったとき、私は、両親の信仰により今まで守られていただけで、自分で都合の良い神様を作り上げ、本当の神様と直接つながっていなかったことに初めて気がつきました。
『私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。』(ヨハネ15章5節)誰しも一人一人が自分の信仰で神様とつながっていなければならない。結婚を意識した相手がクリスチャンでなかったこともあり(今の夫ですが)、私は自分の中にしっかりとクリスチャンの柱を立てて生きて行きたいと願い横浜の蒔田教会で洗礼を受けました。
結婚と同時(1995年)に駐在で上海に行きました。当時の中国ではキリスト教の集まりを宣伝することができず、どこに行ったら日本人のクリスチャンの方に出会えるのかも全くわかりませんでした。しかし本当に神様の導きとしか思えないように、すぐに家庭集会に出会うことができ、その後小さな礼拝に参加することができるようになりました。そこでは香港の日本語教会から送られてくる説教テープを流しながら礼拝を持ちました。中心になってくださっていたのはある銀行の駐在員の方でしたが、のちに牧師となられました。
日本に帰国後は、子供達が教会の幼稚園に通うようになると教会学校に通い始め、子供達はたくさんの聖句を覚え、私も励まされました。
『いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、どんな事にも感謝しなさい。これこそ、キリストイエスにおいて、神様があなたに望んでおられることです。』(テサロニケの信徒への手紙一 16-18)日々の生活の中で、また困難やトラブルの中にある時、弱い私には実行するにはとても難しいのですが、私が常に忘れてはいけないと思っている神様からのメッセージのひとつです。

私たちの家族(実家)に変化があったのは、父が9年前に亡くなった時です。ガンと宣告されてから2ヶ月、本当に短い時間で父は天に召されました。父の葬儀での教会員の方々の励ましや勤めていた学校での追悼礼拝などによって、家庭では見えなかった父のクリスチャンとしての歩みを垣間見ることができました。また、家庭ではいつもおだやかで優しく、よく勉強しよく働き、時にユニークで、でも反抗できないような毅然とした態度の父でしたがそれは教会や学校でも同じでした。そして天国で父が神様に『よくやったね』と喜ばれて迎えられているであろうことを心から感じました。
それから母は教会に行くようになり、教会を中心に皆さんに支えられて今は一人暮らしをしています。そして兄は父の死から1年後家族で洗礼を受けました。私は子供達がお世話になり通っていた大森めぐみ教会に転会しました。天国で父はとてもびっくりしているのではないでしょうか。それとも父は祈りが叶えられ、こうなることをちゃんと知っていたのかもしれません。
今思えば、父と神様のことを話たり、もっと色々と教えて欲しかったと悔やまれます。でも父はただ、私たちが自らの意志で聖書を読み、教会に足をむけ、聖霊の呼びかけに気がつくことを待っていてくれたのだと思います。
そしてこの度、孫娘の佳帆が洗礼を受けたことを誰よりも天国で喜んでくれていることと思います。

このニュージャージー日本語教会に来て、本当にたくさんのことを学びました。
礼拝で先生が語ってくださること、グループや様々な学びを通して、そして教会の活動を通しての教会の意味、大切さに改めて気付かされました。
『教会はキリストの体、一人一人はその器官である。』(コリント信徒への手紙一 12章27節)
それぞれが神様からいただいた賜物を用いて教会に仕える。人と比べて得意なものなど何もないと思っていた私ですが、こちらの教会での賛美の歌の奉仕、子供達のキャンプのお手伝いを通して、私にも教会で役に立てることがあるのではないかと思えるようになりました。そして自分が与えられている賜物をつまらないものであると思うのは神様に対してもとても失礼なことであることを知りました。
7月に4年の滞在を終え帰国することが決まりました。
日本の教会は転会後間もなく渡米してしまい、牧師先生も変わってしまいました。
懐かしいけれど新しい教会にいくような、そして私自身も変えられた今では、どんな教会生活になるのか期待と不安があります。新しくクリスチャンとなった娘と、まだクリスチャンではない夫と息子と共に、神様に期待してキリストにしっかりつながり、私を導いてくださるほうに歩いて行きたいと思います。

月報2015年5~6月号より

「私は小さい頃から教会…」

私は小さい頃から教会に行っていました。母がクリスチャンで、教会の幼稚園に通っていたからです。
このニュージャージー日本語キリスト教会に来たのは、小学四年生の時です。父の転勤で突然アメリカにやってきて、最初は英語もまったくわからず学校の宿題に追われる毎日で、母は教会を探す余裕もありませんでした。
そんなある日、母が聖書の会で、錦織先生と出会いました。そして、錦織先生が母と私を教会へ誘ってくださいました。それから2年が過ぎ、私は錦織先生の元で、洗礼を受ける決心をしました。
きっかけは去年の夏、「ひがきゃん」にいったことです。ひがきゃんとは、東海岸にある日本人教会に通っているユース(中高生)のキャンプです。私はここで神様と向き合う経験をして、たくさんの事を学びました。
一つは、栗栖先生が教えて下さった「神様がいるという証拠は神様によって、変えられた自分なんだ。」と言うことです。私は昔から教会に行ってはいても、神様は本当にいるのかどうかと信じられなかったり、疑ったりする事がありましたが、ひがきゃんに行って、自分が神様によって変えられたと感じました。
二つ目は、友達と大声で肩を組んで泣きながら、笑顔で心から神様を賛美するのがどんなに素晴らしいかを知りました。
そして、神様を信じると決めたのですが、なかなか洗礼を受ける気にはなりませんでした。なぜなら私はあと一、二年で日本に帰るので、洗礼は日本で受けようと思っていたからです。
でもある日、BIG(中高生の分級)で「なぜ教会に行っているのに洗礼を受けないのか」というワークシートをもらいました。その中に「先延ばしにしている人」という題があり、それはまるで私の姿だと思いました。先延ばしにしていると逃すものが多く、損をするだけだというところがすごく印象に残り、早く洗礼を受けたいと思い始めたその日の礼拝後、錦織先生が「クリスマス礼拝に受洗する?」と声を掛けて下さったのです。私はこれは絶対偶然ではなく、神様が受けなさいと私に告げているのだと思い、洗礼を受ける決心をしました。そして、昨年のクリスマス礼拝で洗礼を受けました。
私はもう先延ばしにする人ではなく、神様を受け入れ、これからたくさんのめぐみを受けることができます。この夏、日本に帰り新しい生活がスタートしますが、ここで出会った兄弟姉妹との交わり、たくさんの学び、「神にできないことは何一つない。」(ルカによる福音書1章37節)と言う御言葉などを忘れずに神様と共に歩んでいきたいです。

月報2015年5~6月号より

「支援の中で感じたこと」

今月は元ニュージャージー日本語キリスト教会のメンバーで、今は日本におられる天野潤さんに、東日本大震災の後に支援活動をされた経験の中で、思わされたことを書いていただきました。

「支援の中で感じたこと」
         
NJ日本語キリスト教会の皆さま、本当にご無沙汰しています。

東日本大震災の時に、サマリタンズ・パース(2011.11~2013.8)の一員として復興について関わってきたので、今日、この記事を書くことになりました。

「なぜ神様はこれを許されたのだろう?」、「なにを見せたかったのだろう?」、「罰が下されたのだろうか?」などと自問します。しかし、まだ答えは見つかりません。この震災については、皆さまも思うところ多いと思うのですが、今日は支援をとおして、私なりに感じ、残しておきたい記憶をつぎの3点にまとめておきたいと思います。

1.終わりの日に備える
この震災では、「そのときは、ユダヤにいる人は山へ逃げなさい。屋上にいる者は家の中のものを持ち出そうと下に降りてはいけません。畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。ただ、あなたがたが逃げるのが冬や安息日にならないよう祈りなさい。」(マタイ24:16-20)というみ言葉が現実となってしまったということを感じました。生き残った人の話でも、家に戻った人がそのまま帰らなかったという証言を多く聞きました。もういちど災害について、あるいは終わりの日に向かって、こころを引き締めましょう。

この大災害をとおして、●自然の災害は人間の想定を超えることがある、●電気のない生活がどんなものか、●石油がない時どうしたか、●食べ物が不足するときの生活、また、●放射能の被害とはどんなものか…など、これまでの各種報道で何度も見てきたと思いますが、来るべき困難な時代がどんなものか、そのサワリを示してくれたように思います。現代は、Proxyの時代だと言われているとおり、電気も、石油も、食べ物も、誰かに(どこかに)依存して暮らしています。実に子供の教育から、親のお世話まで委託に頼りお金で買う時代ですから、委託先がこけると悲惨な目に会います。高層マンションでは、エレベーターの故障・停電だけでも、生活できなくなってしまうでしょう。

もちろん、苦難の日の前に、クリスチャンは携挙(天にあげられること)されるので、信じていればよいというクリスチャンも多いのですが...皆さんはどうでしょうか?この災害が来るべき艱難時代(多くの災いが起こると聖書に預言されている時代)の、神様からの警告だと思われる方はいますか?

2.クリスチャンは必要なとき一致する 
サマリタンズのキャンプでは、復旧・復興・支援とフォローアップについて、教会を超え、教派・役職にかかわらずみんなが協力していました。(起床)(朝食)(全員でディボーション)(現場でお祈り)(作業)(家主さんとの会話)(作業)(片づけ)(お祈り)(キャンプでシャワー)(食事+分かち合い)(就寝)というルーチンでしたが、アメリカ、カナダ、ドイツ、オーストラリア、韓国、ブラジルなど、国を超え、ことばの壁を超えて協力し働きました。この一体感はとても心地よく、充実していて、天国の様子を垣間見た心持でした。僕たちクリスチャンは、必要な時に一致できるというのは、大きな励ましです。

使徒の働き2:44-47には、「毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった」とあります。神様はこのことについても神の国の予告編を教えてくださったように思います。

3.愛は実践
ルカ福音書に記述されたサマリヤ人の例は実践です。旅路の途中、サマリヤ人は傷つき倒れた人に手を差し伸べ介抱しました。イエス様は、「あなたも行って同じようにしなさい」と語られました。ここにサマリタンズ・パースの原点があります。サマリタンズの働きで救われた人の証を聞くと、泥出しをする人・大工さんたちの働く姿、祈る姿を見て信じたという人が大変多く、実践は説得力であるというのが、僕の実感です。

フロリダの大工さんが言った言葉が耳に残っています、「Sweat & tears only change their hearts!」 汗を流してその人のために働くこと、また涙を流して祈ることが必要だというのです。同様に、子供は親の「やる」ことはまねるが、「言う」ことは聞かないと言われていますよね。

被災者に触れる時、イエスを信じてほしいけれど、自発的でなければ意味がない!その人のため働いていても、「どうせ ”string attach”だ」などと思われたくない!ほんとうの神さまに触れて欲しい!

「エルサレムの娘たち、私は、

かもしかや野の雌鹿をさして、誓っていただきます。

揺り動かしたり、かき立てたりしないでください。

愛が目ざめたいと思うときまでは。」 雅歌 2:7

人を愛するって、忍耐でしょ!? (祈り)日本の魂にほんとうの救いが訪れますように。

(終わりに)  東北の各地で、この4年間にいままで教会のなかったところに、新しい教会が建てられてきました。今でも石巻では、サマリタンズで働いた若い人たちが残って、ボランティア活動を行っています。2月―3月の作業内容は、海苔の収穫や牡蠣の種付け、仮設の訪問、各種フェローシップなどです。

息子(亮)は(めでたく結婚し)、公立の小中学校では宗教的な「賛美」を教える事は認められないのに「ゴスペル」は、OKというので(笑)、石巻の学校でのゴスペル・クワィアーを通じて子供たちに関わっています。ご存知かもしれませんが、仙台で2014年11月3日、ゴスペルフェスティバルに参加した時、延べ、1500人のミュージシャンが仙台の街9ヶ所でのライブで、朝から晩まで賛美していたのを見ました。1ヶ所で一日中賛美があるのは聞いても、一つの都市で同時に9ヶ所で賛美が歌われたというのは、驚くべきことで、♪御国の心地す♪の祝福でした。また、復興に関わった牧師たちの連絡網は今も生きています。

いまは、わたしは直接は復興の現場に関わっていないのですが、”Food”がキーワードだと聞いたので、農とコミュニティーに関することを始めたいと考えています。フランスのColibris(ハチドリ)運動(南米エクアドルの先住民族の言い伝えで、森火事に一滴ずつ水を運ぶハチドリのこと)にならって終わりの日、または、愛の実践のために、自分にできるひとしずくですね。

賛美主♪天野潤

月報2015年3~4月号より

「私の証」

現在、私はスペインのジローナという地中海に面したところに住んでいます。アメリカのニュージャージーに2007年から5年半住んでいました間は、ニュージャージー日本語キリスト教会に参列させていただきました。
アメリカ勤務時代は、日本の大企業の北アメリカ拠点経営責任者をしていました。その私が、2013年4月にアメリカでの荷物をまとめ、全てを捨ててスペインに渡り、現在は、こちらのバプテスト教会の教会員です。そしてJTJ(Jesus To Japan)宣教神学校の2年生です。

一体何が私にこの変化をもたらしたのか、私の決断に至るまでの経緯、今の私の人生の目標は何かについて少しお話しさせていただきます。
アメリカでは、コンシューマ部門の経営責任者でした。日本との時差が13時間ありましたので、いつも2台のパソコン、そしてスマホ、タブレットも使い、いつでも、どこでも24時間、365日、日本の事業場、本社、そして北米のお客様とコンタクト出来るようにしていました。

ご存知のように、アメリカ、カナダは広大な面積の国ですので、アメリカにいる時は国中を飛び回り、そして日本へは5年半で50回ほどニューヨークと大阪の間を飛びました。毎朝、目を覚まして最初に考えるのは「今どこで寝ているのだろう?ホテル?飛行機の中?それとも家?」でした。

このように私の生活は、超多忙で、かつ一見すると華やかに見えましたが、華やかな外見とは別に実際心の中はかなりかけ離れてすさんでいました。数ヶ月先までスケジュールが埋まっており、毎日毎日それをこなすので精一杯で、抜け出すことができない螺旋階段を登っているようでした。

そしていつも頭の中では、同じ疑問がどこに行っても、誰と会っていてもつきまとってきました。

「神様から与えられた人生で一体私は何をしているのだろうか?」「私は誰に仕えているのだろうか?」「いつまでこのような生活を続けるのだろうか?」そして「私の人生の意味は何なのか、この世での人生の後には何が来るのか?」そして大きな目に見えない「空しさ」に何もできない自分に気づくのです。

私たちはこのような状態になることがわかっていても、人生の中で立ち止まって自分の価値が誰に対してあるのかを考えることもしません。人生の意味を考えることなどをタブー視するからです。ですからどうして良いかわからない時、空しさを覚えるのだと思います。私たちは、自分では一人で生きている、自分の考えで生きていると思いがちですが本当は自分の人生の意味を考えることを避け、みんなと同じように生きようとします。何故なら、信仰のない人にはこれらの質問には答えがなく、真っ暗な空しさは結果として不幸せを呼ぶような気がするからです。しかし、年と共に必ず、私が持ったような質問はその姿を現します。そしてその空しさはドンドン大きくなるのです。

私が学んでいる神学校の先生はいつも、「その空しさは神様だけが豊かに満たしてくれます」と言われます。

これを読まれている皆様の中にもこの「空しさ」を感じ、同じような質問、体験を持たれた方がおられると思います。もしそうであれば、それはとても良い体験をされていると思います。何故なら、皆さんも気づかないうちに神様を求めておられるからです。私は、心からお勧め致します。一回立ち止まって、「神様から与えられた人生で一体私は何をしているのだろうか?」「私は誰に仕えているのだろうか?」「いつまでこのような生活を続けるのだろうか?」「私の人生の意味は何なのか、この世での人生の後には何が来るのか?」を考えて見ることをお勧め致します。

さて、私の体験に戻ります。

忙しい生活を続けている内に、私は健康の問題がおき、生検の結果、手術を受けるべく入院することになりました。先生によると手術はとても簡単で、一日入院でよいとのことでした。ところが、実際は、全く予想と違いました。血圧が急激に下がり、めまいがしてついには気を失ってしまいました。また、体が急速に冷たくなるのが分かりました。頭の中では「もしかしたら」と思いました。特別看護室に妻と一緒に入れられました。看護師がひっきりなしに部屋に来て血圧を測っていました。ところが、周りの緊張した雰囲気とは別に私は落ち着いていました。「久しぶりにこんなに寝たなあ。これも悪くないなあ。」などとトンチンカンなことを思っていました。しかし、だんだん頭の中で、「これから私はどうなるのだろう?」と考えていました。

その時です。身動きできない私に何か声がしたような気がしました。「もういい加減にしないか、いつまで自分の力で生きていると思っているのか?なぜ私を無視するのか?」という内容でした。意識朦朧の中でこれは夢かしら、それとも・・・・と考えました。と同時に、ヨハネによる福音書21章1ー15節に出てくるペテロの話の光景が浮かんできました。

ペテロは、キリストのために一旦は、網を捨てた人でした。彼は献身していました。そして彼は多くの弟子が離れ去っても、従い通してきました。ところが、キリストが十字架にかかるために囚われたと分かると、彼はキリストを捨てたわけです。そして、キリストの処刑前に「キリストを知らない」と3度も否定するのです。そして元の生活に戻っていたのです。彼はイエス様に対する言葉を裏切ったのです。それでも、イエス様はペテロを受け入れ、赦されたのです。そして信頼されたのです。そして、彼に福音宣教を委ねようとされたのです。「火を起こして、朝食を取りなさい」と言われた時に、ペテロは、神様の絶対的な愛、裏切り者をも愛する愛が分かったのです。

私は、会社生活の中で、洗礼を受けていながら、何回も、何回も「キリストを知らない」と言ってきました。本当に後悔し、悔い改めるべきことです。「もうそろそろ私の声を聞きなさい」と言われた時に、私も本当にイエス様の愛が分かりました。

私たちの生活では様々なことがおきます。たとえこれまで何の問題もなく生きてきた人でも、誘惑、交通事故、突然の病気、家族の不幸、失業、麻薬、依存症などがいつ起きてもおかしくないと思います。そして最後に登場するのが「死」です。
ところが、この世の中で、唯一死に打ち勝ったお方がおられます。主イエス・キリストです。そしてその方を自分の救い主として受け入れた時にこの世での死はキリストと共に天国いる永遠の命を与えてくださると聖書は言っています。

さて、退院してからも私はずっとあの時の「声」のことを考えていました。「あれは、夢だったのかしら?」「意識朦朧の中だったので明確にはわからないなあ」と思っていました。退院後、1ヶ月が過ぎ、日本の本社から電話がありました。それは、私に現在の仕事を全て退き、顧問になってほしいという内容でした。この時、私ははっきりとあの病室での「声」の主がわかったのです。主がベッドで動きの取れない、最悪の状況の私に現れたのです。私のそれまでの過去は全く意味をなさず、主が私に新しい人生のチャンスを与えてくださったのです。

神様により近づき、たとえこれから大きな試練が来ても主は私を満たしてくださる、ここに私の人生の意味があると確信しました。私は主の召命を受け入れ、献身の決意をしました。早速、私の思うところを家内、息子、そして母親に説明しました。驚いたことに彼らは、安心したように私の思いを支持してくれました。

入院から2ヶ月後には神学生になるべく申請書を提出しました。どうしても主のことをもっと学び、真理を学びたいと思ったのです。そして主を近くに感じながら、主のために働きたいと思いました。

ほぼ同タイミングで、アメリカからスペイン(私の家内の国)に荷物を送り、入院して2カ月半後にはスペインでの生活が始まりました。今は、Rosesというところにある教会に参列し、教会のために奉仕しています。また、毎日、神学校の勉強も楽しみながら励んでいます。現在の私はとても充実しています。主がいつも一緒におられることを実感しながら信仰生活を送っています。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

ヨハネ3章16節

月報2015年1~2月号より

「東海岸日本語教会合同ファミリーキャンプ」

キャンプから早1ヶ月が過ぎ、もう秋が駆け足で忍び寄る今日この頃です。今回は8月30日から9月1日の3日間、いつもの広大なNew York upstateにある美しい山間のホテルにて行なわれました。「まことの豊かさを求めて」というタイトルで、著名な川崎の招待キリスト教会主任牧師の趙南洙牧師から4度のメッセージをいただき、賛美は透明感と力強い声の持ち主、向日かおりさんをお招きしての至福の時間でした。
全体集会の始めの賛美は、今年は各教会の担当、大勢が主にあって心をひとつにして、賛美するのはキャンプならではの恵みです。中では2日目夜のNew York の日米合同教会によるゴスペルは聞かせる賛美で、さすがでした。
集会の合間々々には、あちこちでなつかしい他教会の仲間との再会、無事を喜び合う嬉しい会話と笑顔が飛び交いました。こんな恵みって、合同ファミリーキャンプ以外にありましょうか。
ここで私は充実したプログラムの中から、特に趙先生の説教を主に書きたいと願っています。

1.サムエル上1:17~18

初日の説教で内容に入る前に趙牧師は20代始めに韓国で苦労のうちに奥様と牧会を始められたこと、自宅のアパートで礼拝を始めたもののだれも来ず、3ヶ月たって主に“もう止めます”と泣いて訴えたら、お婆さんがひとり見えたこと。その後序々に受けた数々の大きな恵みのこと、そしてこの日の説教の締めくくりに30代で日本に宣教に行くようにとの神から召命を受け来日、今日があると締めくくられた。
祭司達によって預言書が書かれたずっと以前に、エフラムという所に住んでいたエルカナの妻、ハンナは子がないことで2番目の妻に苛められつらい日々を過ごしていたが、そのことで必死に主に男の子を授けて下さるように、授かったらその子の髪に決してカミソリを当てません、そして一生その子を主に捧げます、と祈った。傍らでハンナのこの必死の祈りを聞いていた祭司エリは、「イスラエルの神があなたの願いを聞き入れられますように。 安心して行きなさい。」と声をかけた。 その後ハンナはみるみる元気になり、やがてサムエルを授かり、彼が乳離れするのを待って、「主は私の願いを聞いて下さったので、私もこの子を神に捧げます。」と夫と共に宮に行き、主を礼拝した。
このたった2節の聖書箇所に、それまでの苦しいハンナの物語がこめられていて、サムエル記の見事なスタートになっている。 ハンナほど必死になって主に祈ることが出来るだろうか。これまでなにかを主に祈って大きな恵みをいただいた人々は,どれ程必死の祈りを捧げたのだろうか。 主に頼み祈る大切さをまざまざと見せ付けられる箇所である。

2. サムエル上 2:25~35

祭司エリが、主に罪を犯す息子たちに“何故か”と問いただすが、一向に直らない息子たち。それは確かに私達の姿。(こういう私達の為にイエスは自らを犠牲になさった。)神は我々に何度も礼拝のメッセージや、聖霊を通して必要なことを気付かせて下さろうとしている。 その神の時を見過ごしてはならない。
不良の息子達の故に決してよくはないエリの環境の中でも、サムエルは立派に神にも人にも愛される若者に成長した。 必ずしも人は環境によって左右されない。 罪のある者は今ここで神に悔い改めることが必要だ、と趙牧師は述べられる。

3.サムエル上 3:1~10

目の前に情景がはっきり浮かんでくるような、私も大好きな個所である。 わらべサムエルが神の契約の箱のある主の神殿で休んでいた時、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれ、サムエルはエリが呼んだと思って行くと呼んでない、と言う。 それが3度繰り返された時、エリはそれが神と悟り、サムエルに「今度呼ばれたら、ハイ、ここにおります、とお答えするように」と諭す。 主がサムエルに語られたことは11節以下に書かれているのだが、主のみ声を聞く、聞こえる、ということは最高の祝福である。 その後もサムエルは、神さまに見守られてすくすく成長し、やがてイスラエルの全ての人々にサムエルが主の預言者と定められたことを知らしめた。
人は上からの大きな神の助けによって恵みを受け、霊的に成長できる。大きな大きな神と小さな少年との出会い、それがイスラエルの歴史をここに変えようとしている。私達は日々全身全霊で主に祈り、聞き仕えていくことを、ここから気付かされる。

4. サムエル上 16:13~14

修養会最後の説教は、これまでから下がって16章から。 13節は、主の命によってサウルの次の指導者を求めに出たサムエルが、ベツレヘムで羊飼いをしていたダビデを探し当てた所。14節は主の霊が離れたサウルに悪霊がとりつき、苦しむサウルにダビデが得意の竪琴を聞かせて、悪霊を追い払うシーンに続く。聖霊に満ちていたサウル王が何故変わってしまったのか。それは彼自身が神に十分聞かなくなってしまった。そして祭司の役までやるようになってしまった事が原因。 一方ダビデ王も周知のように、たくさんの悪いことをしては後悔し悩み多い人生を送ったが、そんな時でも今我々が多くの詩篇にみるように、主の前に即必死で詫び、狂おしくも神に救いを求めている。
主から語られる人になるには、このダビデのように失敗したら、言い訳をせずにすぐに神に悔い改めること、そして“私からどうぞ、離れないでください”とお願いすること。 聖霊に満たされて日々生活すること、それがまことの豊かさだ、と趙牧師は纏められた。
さて新旧2巻の聖書は、全て聖霊によって書かれたものです。 だからこの膨大な神の物語は、全てが真実であり、一貫してイエス・キリストの誕生の予言と言われています。旧約は神々や英雄たちの物語、あるいは預言者達の話が主なので、どうしても筋だけを追って楽しんで終わってしまうことが多いのですが、本当の中味を理解するには聖書全般からの引用と、解き明かし、リードがどうしても必要です。
旧約からのメッセージが少ないとの意見がある中で、今回趙先生からじっくりサムエル記からの解き明かしをお聞きできて、参加者は最高の恵みをいただいて、各々帰宅できたことと確信しています。 特に趙先生のユーモアを交えたにこやかな語り口は、私達の気を削がずに引き止めておくのにも最高でした。
5,6年前までの私は、旧約をそれこそ物語として読んでいたものですが、最近は旧約の凄さを実感し、自分だけでは読めないもどかしさを感じています。そしてこれに気付いたのをわずかでも成長したと言えるならば、この私達の教会で長年に渡って、熱心に聖書の通読、勉強を指導してくださっている錦織牧師のお蔭と言わざるを得ません。 その土台が私にあって、今回の趙牧師のメッセージからより多くの恵みを受けられたのだと思います。聖霊に満たされて生活することは、常に祈り求めることから始まると思いますが、教会にいる時以外は常にこの世的な目まぐるしい状況の中にいて、時には周りとの調和に気を遣いつつ、過ごしているのが私達です。日々時間を取り分けて、静かなときを必ず持つことの必要性をしみじみ思います。 神様の御用をなさる聖霊さまの力なしには、なにもできないことを私も知っていますから。
今回この大きな群れを導くために、企画・準備からこれら修養会のすべてを導いてくださった主と牧師先生方に、心から感謝いたします。 ありがとうございました。
「神よ、私のために清い心を作り、わたしのうちに新しい正しい霊を与えてください。」
詩篇 51:10
「主よ、私のくちびるを開い「神よ、私のために清い心を作り、わたしのうちに新しい正しい霊を与えてください。」
詩篇 51:15
キリストに近ずき、探り求めた者達は皆等しく、豊かさと完全さと究極の満足とを間違いなくキリストの内に見出したのである。
(Dr. D. M. ロイドジョンズ、1947年)

月報2014年11~12月号より

「御言葉を行なう人になりなさい」

夏の大イベントであるJOY JOY Campが終わった直後にこの原稿を書いています。本当に多くの方々の祈りとご協力によって、51名の子供たちを受け入れて、神様の話をしてきました。楽しい一週間でした。元気な子供たちの笑顔に励まされた一週間でした。
その一方で、「ちゃんと私たちの伝えたいメッセージは伝わっただろうか?」という思いも持っています。今年のテーマは「ジョイジョイキングダム~地球は神様のテーマパーク」でした。神様は熱い情熱をもってこの世界を作り、私たち人間とともに歩もうとしておられて、一人一人は神様にとって大切な存在であり、また、神様に背を向けてしまった人間と、もう一度共に歩むために、一人子イエスを与え、その十字架の死によって、私たちはあがなわれたのだ、というメッセージを伝えたかったのです。
言葉としてはそれを伝えました。劇をやったり、お話をしたり、子供たちにわかるように一生懸命に伝えました。多くの方々が時間をささげ、労力をささげて、このことをしてくださいました。子供たちも一生懸命聴いてくれました。そして、中には、その内容について応答をしてくれた子供たちもいました。しかし、その一方で、私たちは、いや、もっと言うならば、私自身は、本当にそのように生きているだろうかと、問われているように思わされたのです。
中には傷を負って歩んでいる子供たちもいるかもしれません。「一人一人は神様にとって大切」と言われても、それが本当にわからない、という環境の中にいる子たちもいるかもしれません。言葉で伝えるだけでは、伝わらないし、もしも言っていることとやっていることがチグハグだったら、子供たちは本当に混乱するだろう、聖書のメッセージを伝える私たちが、その姿、態度、行動でそれを表していかないといけない、と思います。
「そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。」ヤコブの手紙1 章22節
このことは、決して、単に子供たち対する姿勢だけではありません。教会のあり方、また自分の人間としての生き方に関わる問題です。本当に聴くだけ、語るだけではなく、そのように生きるものとならせていただきたいと思います。

月報2014年9~10月号より

「石賀睦美先生の思い出」

ニュージャージー日本語キリスト教会に導かれて、4年目に、正木先生の後任として来てくださった石賀先生ご夫妻にお会いした時、とても親しみを覚えました。というのも、私達夫婦と年齢も同じ、特に、お二人が兵庫県の能勢から来られたことに、私の子供時代を思い出したからでした。私の父は兵庫県能勢村出身で、姓も、結婚前は能勢だったこと、子供のころ、ちかくの猪名川で遊んだ思い出などがあったからです。
石賀先生ご夫妻はNJの教会では2年間の御奉仕でしたが、御言葉の学び、祈り会など、本当に充実した楽しい2年間でした。礼拝前の睦美先生からの信仰の基礎の学びでは、信仰を持ってまだ短かった私には、本当に必要な学びでした。礼拝後、牧師館にお邪魔しては、食事まで頂いて、さぞ睦美先生も忙しかったと思います。
2年間はあっという間に過ぎて、私達ももっといて頂きたい、との願いもありましたが、帰国されることになりました。私達も日本に帰国の都度、先生が新しく始められた教会での礼拝に参加し、ご一緒に温泉に連れて行って頂いたり、先に帰国された信仰の友たちとの再会も楽しみの一つでした。
2012年の夏に、突然の睦美先生の入院、それも肺がんの末期だと聞き、本当に驚きました。教会の祈祷会でも皆さんにお願いして、祈って頂きました。そして素晴らしい癒しの奇跡を見せて頂き、どんなにうれしかったことでしょう。主の御業をあがめて、ただ感謝でした。癒されて、輝いて、ただただ主の御業を御証して日本の各地、またアメリカにも来られて元気に飛び回っておられるお姿に、これからも長く、生涯、主のために用いられる、と信じていました。
昨年の11月に4年ぶりに日本に帰り、どうしても先生ご夫妻にお会いしたく、ご自宅での礼拝に参加しました。睦美先生がお元気にメッセージされているのに、本当に主の御業を崇めて感謝しました。お元気で、輝いて、若返られたように見えました。そして、それから何ヶ月もたたないのに、再び入院、そして間もなく召された、との知らせにはただ信じ難く、何故?あの癒しは何だったの?と呆然としてしまいました。でも私達は知っています。主がなさることは最善だということを。睦美先生は命をのばされた1年余りを全力で、主の素晴らしさを伝える為に走りぬかれて、主から、「よくやった、忠実な僕よ。」と、栄光の冠を受けて、イエス様にお会いした喜びいっぱいの笑顔が目の前に浮かびます。イエス様が本当に大好きで、イエス様に喜ばれることだけを考えておられた睦美先生は、御言葉を身をもって実践された、と本当に感慨深く思わされます。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって、神があなたがたにのぞんでおられることです。」(I テサロニケ5:16~18) この御言葉をそのまま実践された睦美先生の信仰と、生き様を見せて頂きました。主に心から感謝します。病の苦しみの中でも、ただ主に信頼し、感謝と喜びで一杯だった睦美先生の言葉は、召される時も「感謝、ハレルヤ」だった、と伺いました。
私達には天国での再会の希望があります。一足先に御国に行かれた睦美先生、多くの人達に励ましを与え、また、主に信頼し切る信仰を見せてくださったことを心から感謝します。
(4月25日に主の下に召されました石賀睦美先生の思い出を、元当教会のメンバーで、今はホノルルキリスト教会で信仰を守られておられます加藤慶子姉に書いて頂きました。)

月報2014年7~8月号より

「Joy2 Camp」

「この迷路かんたんだよ!」 巨大迷路の出口から出てきた5歳のぼくは、息を弾ませながら得意そうに叫んでいたのをよく覚えている。2005年の夏、(ぼくは初めてニュージャージー日本語キリスト教会の夏のキャンプに参加した。その年のキャンプのテーマは「カラダだからだ」、人間の体についてだった。キャンプスタッフたちの寸劇やお話から、人間の体がいかに不思議かを学んだ。初参加のぼくには何もかも新しく、教会ジムに所狭しと張り巡らせられた段ボールの巨大迷路はものすごくインパクトがあった。行っても行っても出口が見えない巨大迷路。怖さをこらえながら何とか闇の中を突き進み、出口に近づいて明かりが見えてきた時は達成感でいっぱいになった。一度完走できるとあとはすっかり自信満々、その後ぼくは何回も何回も迷路を制覇した。もう一つ気に入ったのはテーマソングとダンスだ。早いテンポの曲と早い振付についていこうと必死になって踊りまくった。ぼくは、日本語で自分と年の近い子たちとともに神様のことを学べる、今までにないこのキャンプがすっかり好きになって、その年から毎年、ジョイジョイキャンプが待ち遠しい夏の一大イベントとなった。
ぼくは幼いころから教会っ子だった。母親が熱心なクリスチャンであるため、毎週日曜日、生まれた時から教会に行っていた。ぼくの通っていた教会はウェストチェスターの英語の教会だったので、当時日本語しか分からなかったぼくは、何のことを話しているのか、どんなお話なのかさえも分からないまま、ただ教会にいた。礼拝後のコーヒーアワーのおいしいクッキーが唯一の楽しみだったかもしれない。3歳になる3日前、ぼくは家族とともにニュージャージーの今住んでる町に引っ越して来た。教会も同じ町の教会に変わった。この地元の教会もまた英語の教会だったのでよく話が分からずにいたが、物心もついてきて、母親が家でいろいろ日本語で神様、イエス様、教会のことを話してくれるようになった。また小学一年生になって現地校にも行き始め、英語がだんだん分かるようになってくるにつれ、英語でも神様のことについて徐々に理解することができるようになってきた。ちょうど同じ頃、ぼくは日本語教会の存在を知った。キッズクラブやシンガーズ、ジョイジョイイースターやジョイジョイクリスマスなど日本語教会に行く機会も増えた。生まれた時から日本語環境で育ったぼくは、やはり日本語の方が得意で、楽で、楽しい。すぐさま日本語で神様のお話を聞ける日本語教会が気に入った。
ぼくが小学一年生の時のジョイジョイキャンプのテーマは「ジャングルぐるぐる探検隊」、ジャングルに隠された秘宝を探しに行くというお話だった。壁の様々なカラフルな飾りが印象的だった。教会ジムにジャングルのように青々とした木が茂り、動物の姿や手作りの洞窟もあって、まさに本物のジャングルのようだった。その年は特に工作が楽しかった。自分でブーメランを作ったり、作ったものでほかのキャンパー達と競争したりして盛り上がった。来年も絶対来る!そう思っていたが、残念ながら、その翌年と翌々年は、一時帰国などがあり参加できなかった。
その頃のぼくは、表面的にはいい子でも、本当の自分はそうではないことに気づいていて苦しんでいた。それに、いくら「ごめんなさい」と謝って心を入れ替えても、すぐに同じ間違いを繰り返してしまい全然いい子になれない自分に対して、ものすごく落ち込むことがあり、小学1年生にして死んでしまいたい、消えてしまいたいと思ってしまうこともあった。そんな中、ジョイジョイキャンプで教えてもらった「神様がぼくのそのままの存在を『高価で尊い』と思って下さっている」ことがぼくの心を支えてくれていた。英語が分かるようになっていたぼくは、英語の教会の教会学校やVBS(Vacation Bible School)を通して、また3つの日本語教会合同の2泊3日のキャンプジーザスを通して、日本で牧師をしていた祖父のバイブルクラスを通して、神様の愛とイエス様による救いを教えてもらい、ぼくが死ななければいけない代わりにイエス様が十字架で死んでくださったことを知り、イエス様をぼくの救い主として心にお迎えして2008年8月10日に洗礼を受けてクリスチャンになった。
2回目のジョイジョイキャンプ参加から3年後、2009年のキャンプにぼくは久しぶりに参加した。その年のテーマはHard Rock Caf_ならぬ「Heart Rock Caf_」だった。 テーマソングが格好良く、すごく気に入った。その年のもそれまでのも、ジョイジョイキャンプのテーマソングは全て教会オリジナルであるという事実にも初めて気づき、改めて感動した。その年は初めてキャンパーもスタッフも全員男の高学年グループに入ったので、お互いにちょっとじゃれてふざけあったり、ランチの時には誰が一番早く多く食べれるかを競争して急いでお替わりをしに行ったりもした。毎日の男クッキングは、実に楽しかった。また、ランチの後は、高学年キャンパー限定の外グラウンドでのサッカーにも行けるようになって、友達やスタッフと一緒に汗を流し、久しぶりのキャンプは前回、前々回とはまた一味違うとても楽しいキャンプとなった。
翌年はマタイ7章7節 (“Ask and it will be given to you; seek and you will find; knock and the door will be opened to you.” Mathew 7:7) にちなんで「A.S.K.」という題で探偵のテーマで、2011年小6のぼくにとって最後のキャンプは「Joy2 Factory」だった。その頃のぼくは、高学年になり反抗期が始まっていた。口うるさい親のことも嫌ではあったが、ぼくはついつい反抗的な態度をとってしまう自分のことに嫌気がさしていた。学校での勉強も量が増え難しくなり、楽器の練習やスポーツ、日本語学習の時間のやりくりが大変でイライラすることも多くなった。それぞれに関して自分の理想や目標を掲げていたが、遊びやテレビや漫画の誘惑に負けてしまう精神的な弱さと、やりたいことがいっぱいありすぎて疲れてしまう肉体的な弱さにいつも負けてしまい、目標には程遠い自分が悲しかった。そんなふうに360日闘いの日々が続き、夏になって5日間のジョイジョイキャンプに戻ってくると、このままの自分でいいんだ、このままのぼくを神様は愛してくださっているんだという安心や平安が与えられた。落ち込んでうつむいていた自分が、神様の愛に包まれてまた顔を上げて前に進むことができる、どん底から引き戻される強い神様の愛の力、愛の支配を感じる充電の時、ジョイジョイキャンプはいつしかぼくにとってそのような、ただ楽しい時を過ごす以上の存在になっていた。
「神様はいつも、どこでも、いつまでも、そばにいてくださる」「神様がいるから大丈夫だ!」「求め続けることが大事」これがぼくがジョイジョイキャンプで学んだ、ほかのキャンパーたちにも知ってほしいことだ。キャンパーを卒業しスタッフになったが、ぼくはこれからもすべてを満たして下さる神様に心の必要を求め続け、ほかのキャンパーや愛が必要なすべての人に、ぼくがキャンプのスタッフに教えてもらったように、この神様の最強の「愛」のことを知ってもらいたいと思う。

月報2014年7~8月号より

「『中風の癒し』と救いの恵み覚え続けるために」

マルコによる福音書2章1~12節には、4人の友によって、イエス様のもとに運ばれてきた中風の者が、癒され、起きあがる記事があります。ここでイエス様は、まず「子よあなたの罪はゆるされた」と、「罪の赦しの宣言」をされました。「病よなおれ」より先に赦しでした。私は、高校生のときに、友人関係で悩み、人を心から愛せないでいる、自分の心の醜さや罪に苦しんでいました。でも、教会でこのメッセージを聞いたとき、『ここに罪を赦してくださるお方がいらっしゃる』と知ったのです。自分の力で動くこともできず、長い間の孤独と悲しみに闘う日々の中風の姿は、まるで私の心の状態と重なるようでした。イエス様の罪の赦しは、言葉だけではない、やがて十字架を背負い、罪の身代わりとなって、ご自身の命を与えるということでした。私は、イエス様の十字架が私の罪の身代わりと知り、そしてこの赦しの宣言を信じ、救いの恵みにあずかりました。こんな私を十字架にかかるほど愛してくださるお方、神様の愛に目が開かれ、解放され、大きな喜びと感謝の賛美があふれ、生きる力が湧いてきました。それは脱線した電車が、本来走るべきレールに戻され、真に自由に走れるようになったような経験でした。
またこの記事で、イエス様が癒されたのは、4人の友の「彼らの信仰を見て」と記されています。彼らが立派だからというのではなく、ただ、イエス様なら立ち上がらせてくださるという信頼でした。またその熱意は常識を超えるような愛の行動、4人が一つ思いになってもがく魂に仕える姿でした。しかし、私たち人間の愛の力は、ほんのわずかであることを、認めざろうえません。3年前、奥田先生という、ホームレスのケアーをされておられる牧師を囲んで、語り合った日のことが、私の心に残っています。「先生、でも裏切られることもありますよね。」と語りだす人がいました。愛する行為の中で疲れた姿のようでした。先生は「うん、でも・・・僕もたくさん裏切ってきたからな・・・」と語るのでした。私はその対話の中から、ペテロのことを思わされました。
ペテロが「どこまでもイエス様について行きます。」と告白しながら、イエス様が十字架にかかられる直前に3度も「イエスを知らない」と否んだ出来事、それは人間の弱さそのものです。そんなペテロが立ち直ったのは、限りなく赦してくださる、イエス様の十字架の愛の力でした。著者マルコはこのペテロと親しく、メッセージの通訳もされていたようです。ペテロの失敗談も聞いていたことでしょう。その中から「イエス様の完全な赦しと愛の力」を知り、信頼すべきお方がイエス様であることを正に伝えたかったのでしょう。「彼らの信仰を見て」と記しています。
昨年のこと、働き者で、どこへでも自転車で出かけるほど元気だった私の母は、3月に心臓病と呼吸不全で倒れ、緊急入院しました。幸いにも神様に守られ、やがて酸素も点滴も取れ、リハビリをし、1ヶ月後には退院、自宅療養となりました。姉夫婦が毎日のように母を見舞い、食べられそうな食事を作り、共に祈って、本当に良く支えてくれました。
私が5月の末に母の看病のために一時帰国した時、食事と排泄以外布団に伏す母は、今までとは全く違い、小さく、弱く見えました。姉と一緒に、時には教会に行っていた母でしたが、いろいろな理由と戦争で深く傷つき、苦労を重ねた母にとって、受洗の決心は簡単なものではありませんでした。私は母のためにひたすら祈る中、「彼らの信仰を見て」との言葉が私の心をとらえました。同じときに水郷めぐみ教会の平山牧師夫人もその言葉が心に示されたそうです。母の様子を見ながら、しかし、今のこの時を逃しては、遅すぎてはいけないのでは・・・と思い、平山牧師に訪問をお願いしました。すると以前は訪問を拒んでいた母の心が不思議と解かれ、驚いたことに、布団から這うように進み出、身を低くし牧師夫妻の導きで、病床洗礼にあずかることができました。5月29日が長い間祈っていた母の受洗日となりました。
母は、恐れや、心配から、解放されたからでしょうか、布団の中でもまるで幼子のような笑顔を見せてくれました。また、「お母さん、受洗おめでとう」「祈っています。」のお便りを頂き、多くの方に祈られていることに「ありがたいね。」と、何度も繰り返し、幸いな時を共に分かち合うこともできました。また、母は長男である兄のために祈り、久しぶりに家に戻った兄を迎えては、布団の中でもそれはそれは大きな喜び様でした。まるで「嘆きを踊りにかえてくださった。」詩編30編20節のみ言葉の約束を見たようでした。
8月に病院で検査後急変し、昏睡状態となり、姉と私は毎日泣きながら、葬儀の相談をすることもありました。その1週間後、意識を回復したものの、電話の母の声は、ろれつが回らず、全身から力を振り絞るように「が・ん・ば・る・よ」と答えが返ってきました。8月半ば、教会の皆様からのご理解とサポートを頂き、母の病院に付き添う時が与えられました。弱った母は、ゆっくりと、「イエス様・信じてるから・大丈夫。最高の人生だった。」と、ベットの中でにこっと笑みを浮かべるのでした。真夜中に「イエスさまの歌、歌ってよ」と嬉しい我がままも言ってくれました。多くの方に祈られていること、愛されていることを「あ・り・が・た・い・ね。」と何度も繰り返す母の言葉や顔は、平安そのものでした。「点滴を刺す血管ももう限界です」と告げられ、牧師夫妻の面会とお祈りを頂き、その夜には、姉と3人で賛美し祈る中、母は天に召されて行きました。イエス様の十字架が母を救い、心の傷を癒し、永遠の命を与えて、天国へと導いてくださいました。
神様の愛にそして皆様のお祈りに心から感謝致します。
月報2014年5~6月号より

「覚え続けるために」

ニュージャージー日本語キリスト教会の皆さん、震災以来の継続的なご支援に心より感謝申し上げます。未曾有の危機に直面し、戸惑い、疲労しながら必死で堪えてきた松田牧師とオアシスチャペルにとって、錦織先生およびニュージャージーの皆さんとの出会いは、何より大きな助けとなりました。9.11と3.11。違いがたくさんありますが、似ているところもたくさんあります。ニュージャージー日本語キリスト教会とオアシスチャペルは、大きな被害を受けた地域のただ中に置かれた教会として、同じような痛みや困難、悩みや葛藤を分かち合える『友』とされたのだと思います。松田牧師が錦織先生と出会った頃に語っていたことばが、私の胸に印象深く刻まれています。
「被災した今の自分の状況、大変さをぜんぶ分かってくれたように感じた。そのような人にはじめて出会った。とても有り難かった。」
現在の東北の状況を知り得る範囲でお分かちしたいと思います。
震災当時47万人にのぼった避難者の数は、2014年1月現在、約27万4千人となりました。仮設住宅にいまだに約10万人の方々が生活されています。災害公営住宅の着工・完成が遅れています。ある地域では3年、別の地域では4、5年かかるとも言われています。津波により生じた瓦礫が、いまだに片付いていない地域もあります。宮城、岩手では2014年の春、福島では2015年の春が政府発表による完全撤去の目処となっています(復興庁www.reconstruction.go.jp 「復興の現状と取り組み」参照)。
震災から3年。大きな支援団体が働きをどんどん縮小して撤退していきました。メディアに取り上げられる頻度は下がり、被災地を訪れる人々の数も減りました。震災前からの課題である「過疎」に拍車がかかっている沿岸地域もたくさんあります。「忘れられてしまうのでは・・・」という新たな不安が被災地を覆っています。
様々な領域における「ギャップ」が広がっています。被災地と被災地「外」のギャップ。沿岸部と内陸部のギャップ。復興が進んでいる地域とそうでない地域のギャップ。活動が活発な仮設住宅と、そうでない仮設住宅のギャップ。在宅の被災者の方々と家を失った方々のギャップ。復興プロセスの中でも様々なギャップが生じ、広がっているように思います。
また、あれほどの大災害でしたから、被災した方々は心に深く、大きな傷を負いました。生活も一変しました。経済や環境、状況に余裕があるときには感じなかったようなストレスや悪感情に苛まれている方々がたくさんおられます。上述の「ギャップ」も苦しみを大きくします。人間関係の破壊が起こりがちです。これから先、5年、10年を生きていくための希望や力をどこから見いだせばよいのか? 心すこやかに生きていくこと自体が、大変なチャレンジです。
ニーズ、課題が多様化しています。物資に困っているところもあれば、心のケアを必要としている人々もいます。経済立て直しの知恵が必要とされているところ、コミュニケーションや人間関係に助けが必要なところ、教育の課題、住宅の課題、原発エネルギーの課題、復興遅延ストレスの広がり・・・。
小さな私たちに出来ることは限られていますが、神様が私たちにどのような実を実らせたいと考えておられるか、注意深く求めながら歩ませていただきたいと考えています。
復興への歩みは10年単位、まだまだ先の長い道のりとなります。これから先、特に遠方にいらっしゃる皆様には「東北を覚え続けていただくこと」が大きな助けになると考えています。『覚え続ける』取り組みです。大きなインパクトをもたらした東日本大震災ですが、情報過多の時代に『覚え続ける』ことは至難のわざで、気を抜くとあっという間に風化してしまうのではないかと感じます。風化防止のために5年、10年といった長いスパンで『覚え続ける』ことが大切なのですが、たくさんの方々に息の長い関わり方を模索していただくために『資源ベースの支援』をお勧めしています。
震災発生当時はニーズがシンプルでした(生き延びるための水や食料、衣服や毛布、避難する場所、医療環境など)。緊急支援の期間であり、自衛隊や救援団体、医師や技術者などの専門技術を持った方々が活躍しました。被災地、被災者からのニーズを中心とした要請とそれを受けた支援活動がマッチした期間です。世界中からたくさんの感謝なご支援をいただきました。このような支援を『ニーズベースの支援』と呼びたいと思います。すばらしい助け方です。しかし、こうした支援状況はやがて終息していきます。支援したいと考えている人たちが山ほどおり「どのような支援をするか」がより重要だった時期は過ぎ、「どのような支援でもいいから、継続すること」の価値が高まっていきます。これからは、たとえ専門技術を持っていなくても、あきらめずに関わりを継続しようとする人々が求められます(教会がより力を発揮できる時がやって来たと感じています)。
さて、そのような「継続すること」に主眼を置いた支援を行うために、『資源ベースの支援』がとても有効です。支援する側の人々が元々持っているものや強みを活かした支援です。どこかから手に入れてきたり、新しく勉強したりしなくても出来る支援です。
一例を挙げますと、音楽が盛んでトップクラスの実力を誇るクワイアを擁するアメリカのある教会は、震災を受けて、そのクワイアを10年間、日本に派遣し続けることを決めたそうです。外国からの歌の支援は、震災発生当初はあまり大きな効果を期待出来なかったかもしれません。しかし音楽を用いたこの支援は現在も継続されていますし、今後も続いていきます。この息の長い支援の価値は、これからどんどん高まっていくはずです。彼らならではの資源を活かしたすばらしい支援です。
神様がニュージャージー日本語キリスト教会にお与えになった資源には、どのようなものがあるでしょうか? 冒頭に錦織先生と松田牧師の出会いについて記させていただきましたが、9.11を巡る貴重な経験や痛みは、多くの人々を助けるために備えられた皆様ならではの貴重な資源のひとつなのではないかと思います。
あの震災から3年が経ちました。皆さんが経験された9.11からの3年後はどのような日々を送っておられたのでしょうか? ちょうど10年前(2004年頃)、皆さんは何を感じ、どのような生活をしておられたのでしょうか? どのようなことから慰め、励ましを受けておられたのでしょうか? 時が経つにつれて、心や体、霊的な領域にどのような変化が起こってくるものなのでしょうか?
大変な危機的状況に置かれ、しかし立ち上がり、立ち続けてきた皆さんのご経験や証しに、私たちは大きな関心を持っています。成功も失敗も、恵みも痛みも分かち合ってくださるならば、大きな助けになると感じています。
善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。(ガラテヤ 6:9-10)
今後とも、信仰の家族としてのお付き合いをどうぞよろしくお願いいたします。神様が結び合わせてくださった皆さんとの関係を感謝いたします。皆さんの存在は、私たちの励ましであり、希望です。心からの感謝を込めて・・・。

月報2014年3~4月号より