2025年2月<牧師室より>「それを、ここに持って来なさい」
「それを、ここに持って来なさい」(マタイ14章18節)
私たちの教会は、この言葉をいただいて、2025年をスタートしました。
その日、イエスの周りには、男だけで5000人、女性や子どもを入れると1万人とも1万5千人とも言われる人々が集まっていました。日が傾き始めたとき、イエスの弟子たちは「もう夕方です。この群衆を解散させて、それぞれで食物を買いに行かせてください」と進言しました。しかし、それに対するイエスの答えは信じられないものでした。イエスは言われたのです。「あなたがたの手でこの人々に食物をあげなさい」と。「そんなこと言われても・・・」と、自分たちの手の中にあるものを見て、弟子たちは「私たちには5つのパンと2匹の魚しかありません」と答えます。それに対してイエスが言われた言葉が、その言葉でした。
「それを、ここに持って来なさい」
日本の企業の競争力が落ち、また円安が進む中で、駐在や留学のために来られる方々が減っている中で、私たちの教会に集う方々も減ってきています。また、長年にわたり教会を支えて来られた皆さんも、また私自身も10年、20年前のような動きができなくなってきています。そんな現状を見るときに、「私たちにはこれしかありません」と言いたくなります。しかし、そんな私たちに対して、今日も、イエス様は同じように言われているのではないかと思ったのです。
「それを、ここに持って来なさい」
私たちの手の中にあるものは何でしょうか?「これっぽっちでは・・・」「何もできませんよ・・・」そう言わないで、神様のために用いていただくのです。
「あなたがたの手で食物をあげなさい」とイエスは弟子たちに言われたのですが、実際に起こったことを見ると、弟子たちは自分の手の中にあるものを、ただイエスのもとに持って行っただけでした。イエス様はそれを受け取って、神様に感謝して、弟子たちに渡して、人々に配らせられました。その時に人々は満腹したというのです。人々を満腹させたのは弟子たちではなく、イエスご自身でした。
「それをここに持ってきなさい」といわれたイエスは、私たちの手の中にある小さなものを喜んで用いてくださり、人々の心をいっぱいに満たしてくださるのです。イエスの招きに応えて歩んでいきたいと思います。
2025年の皆さんの歩みにも神様の祝福をお祈りしています。
「私の居場所」
私は、2024年12月24日に信仰告白し、
いつの頃だったかはもう思い出せませんが、仕事柄、
また、敬虔なプロテスタントクリスチャンであったカール・
日本での数少ないクリスチャンとの出会いの中で、
こうした経験を経るにつれて次第に教会に興味を持つようになりま
その後、長い間希望していた海外赴任が叶い、
タイミングを同じくしてマンハッタンで男声合唱を始めました。
初めて経験する教会での礼拝は、
少し時間が経ち、赴任初年の冬に仕事に忙殺され、
そんな中、合唱仲間と昨年の夏に訪れたメイン州への旅行は、
マルティン・ルターの著した論文「キリスト者の自由」
この旅行をきっかけに体調がだいぶ回復し、
今考えると、
ルカの福音書2:7
男子の初子を産んだ。そして、
錦織先生との学びの中で、
学びの途中で、
伝導者の書3:15
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、
言い過ぎかもしれませんが、
卵が頭、目鼻の位置確認し〜先生を描こう〜!
毎年1月は先生を描こう〜、で始まります。

角度を変えた2つのポーズでお願いします。

卵を使って、顔の書き方の基礎を練習しましょう

身体に頭が乗りましたか?

デッサンの基礎を理解すると、人物がリアルになりますね。
聖書のお話は、ヨハネによる福音書4章13 -14節
イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、私が与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。私が与える水は、その人の内で泉となり、永遠の命への水が湧き出ます。」
私たちは周りの人に満たしてもらいたいと思うと、思い通りに行かなくて、つい文句が口から出てくるものです。そんな私たちに、イエスは「私はあなたの心のうちに溢れる泉を与えるよ」と言われるのです。心に溢れる泉をいただきましょう。
寒さが厳しいですが、暖かく過ごしましょう。
