- 説教者 : 錦織学 牧師
- 聖書箇所 : 創世記12章1節-9節
「911を振り返って」
ちょうど10年前の今日9月11日、忘れもしない雲ひとつない真っ青な秋空でした。私はちょうど第一機めが突っ込んだ世界貿易センターノースタワーの道を挟んで西側のワールドファイナンシャルセンターの20階、世界貿易センターに面した東向きの窓の近くの席で働いていました。
第一機目が突っ込んだとき、朝7時から働いていた私は、自分の席を離れて仕事を一緒にしていた一人のアナリストの個室にいましたが、ビルの上の階が吹っ飛んだのかと思うくらいの爆発音と激しい振動を感じました。驚いて窓をみたところ、燃えている瓦礫が滝のように降ってきていたのが見えました。これはただ事ではない。とっさにそう思いました。窓側に座っていた人達の顔が引き攣り真っ青になって“Get out!!”と叫び、一斉にみんなが非常階段に向かって走り出しました。自分のカバンを席まで取りに戻るかを一瞬考えましたが、走り出した人達のただならぬ雰囲気に圧倒され、一緒に流れに吸い込まれるように非常階段に向かいました。
非常階段から降りて外に避難したのは、私たちのビル南側のロータリーのところで、ちょうど世界貿易センターサウスタワーと同じストリート上にいました。ノースタワーからまっ黒な煙が大きく南へ流れているのが見えました。少し経って誰かが飛行機が突っ込んだらしいと言っていましたが、最初は商業用セスナ機かヘリコプターか何かだと思い、テロだとは夢にも思っていませんでした。
爆発音と同時に逃げた私たちは、何が起こったのかの事実も情報もわからないまま、ただ為す術もなくボーっと煙を見ていたのですが、そのうち何かがパラパラと落ち始めました。誰かが「あれは人だ!」と叫びました。それは紛れもなく飛び降りている人間の姿でした。信じられない光景でした。
あの人は朝、地下鉄で隣に座っていた人かもしれない。信号で止まっていたとき、前にいた人かもしれない。前を歩いていた人かもしれない。もしかしたら私が知らないだけで同じ時間に通勤してすれ違っていた人かもしれない。その人達が私となんら変わらないこと、その人を自分の生活の一部に見たように思えて見るに耐えられなくなり、ハドソンリバーの方に目を背けました。ちょうどその時対岸のNJ側で、ニューアークに行くには低い高度で飛んでいる飛行機が一機見えました。それが、後ほどマンハッタンに向きを変えサウスタワーに突っ込んだ2機目の飛行機になるとは、その時私は思いもしませんでした。
周りにいた人達は、口に手を当てながら“Oh my god!”“Oh shit!”思い思いに叫びながら見ていましたが、2機目が突っ込んだとき、サウスタワーのほぼ真下にいた私達の誰一人、声を発することができないほどの衝撃でした。一瞬の不気味なまでの静まり返った静寂、そして次の瞬間、人々は絶叫しながら南に向かって一斉に逃げ始めました。それは対岸の火事だと思っていたことが、自分の身に危険が及んでいることを感じ取った瞬間でした。かわいそう、大丈夫なの?あの人達はどうなるの?と思っていたことが、他人事ではなく、まさに今、自分に降りかかっていることなんだと認識した瞬間でした。
転ぶ人もいました、かばんを投げ捨てる人もいました。靴も散乱していました。逃げている最中は何がなんだか分かっていませんでした。しかし、ある程度南に逃げてグラウンドゼロから少し離れたところに行けば、そこはまるで何もなかったかのように穏やかなバッテリーパークシティーの住宅地域で、公園と川辺にプロムナードがあり、快晴の青空の下、暖かい日光を浴びてプロムナードの石の上に腰を下ろしていると、30分も経った頃でしょうか、落ち着きを取り戻して、明日どうやって会社に行けばいんだろう?とか、このまま家に帰ってもいいかな?とか、アパートの鍵も財布も携帯も置いてきたしどうしよう?などと呑気な事を考えていました。
その時です。ゴォーという地響きみたいな音に気づき、目を上げてみると目の前でサウスタワーは上から押し潰されるように崩壊し始めました。崩壊して行ったそのサウスタワーの80階で少しだけ私は働いていたことがありました。私はあそこに居たかもしれないと思いながら、これって本当のことですか?目の前で起こっていることが現実だとどうしても思えず、ショックで突っ立っていました。足が動きませんでした。もくもくと煙がこちらに向かって押し寄せてくるのが見えました。まるで映画のようでした。「戦場みたい。」戦争をしらない私が言うのも変ですが、何故かそう思えました。
そこに居た知らないチャイニーズアメリカンの女の子と、気がつくと手を繋いで一緒に走って逃げていました。どちらが言葉をかけたわけでもなく話した記憶もなく、たまたまそこに居合わせて、でも思うにきっと、同じ思いを無意識のうちに感じ取っていたのかもしれません。一人で逃げても二人で逃げても死ぬときは同じで状況は変わらないのですが、不思議と手のぬくもりが恐怖を和らげ、一人じゃないと感じることができて、そのぬくもりに何故か涙が出そうなほど励まされ勇気付けられました。
人間は一人では生きていけないものですね。実は2機目が突っ込む前、私はノースタワーから手を繋いで2人で飛び降りている人達を見ました。とてもショックでしたし、もし自分だったら、とは思いましたが、それでも全く自分のことのようには思えませんでした。なぜなら肉眼であっても、私は安全なところで見ていたからです。一人で飛び降りても二人で飛び降りても地面に叩きつけられて死ぬのは同じですが、その時、私はその人たちの気持ちがすこし分かったように思いました。どんなに怖かったでしょうか。2度のタワー崩壊の灰を2度被り、その後私はCNNのレスキューボートでチェルシーピアまで無事戻ってくることができました。
多分多くの方々は、リアルタイムで奇跡的に助かった生存者と、亡くなられた方々の話をニュースで聞いていらっしゃると思いますが、私が働いていた野村證券も2名の日本人の方が亡くなられました。皮肉なことにその2名の方は、NY支店で働いている方ではなく、世界貿易センターのノースタワーであるセミナーに参加するために、前日東京からこられた出張者のお二人でした。当日彼らは朝7時に私と同じフロアーでセールス、アナリストの人達と会っています。そしてその後、セミナー前に最上階にあるウィンドーアンダーザワールドに朝食を食べに行かれ亡くなられました。嫌な言い方を許されるとすれば、わざわざNYに死にに来られたとも取れるこの皮肉な運命に、なんとも納得できない気持ちでいました。普段なら居ない人がなぜか被害に遭われた。いつもなら居る人なのに、子供がぐずったから、出掛けに何かが起こったから、下にベーグルを買いに行ってたから等、偶然とは片付けられないようなエピソードを山ほど聞きました。一体これは何なのだろう?私たちには考えも及ばない何かがあるように感じてはいましたが、それは「運命」とか「宿命」とか、そういうもののように思っていました。
その当時の私は、宗教と政治、お金は切り離せないものだと思っていました。自分の宗教をリスペクトしないから相手を殺す。そういう宗教も存在していますし、日本で宗教とされる神道や仏教は、冠婚葬祭など伝統的な儀式的な意味合いが主であって、政治色の強い過激的なものは感じられず、宗教なんてそれでいんじゃないの程度に思っていました。ジョンレノンのイマジンの歌詞のように、天国や地獄がないと思えば、宗教がなければ、人は殺し合い死ぬこともない。戦争や飢餓、貧しさをなくす為に、すべての人類が国や宗教を超え兄弟として世界がひとつになることが、宗教より大切で必要なことではないだろうかと当時は思っていました。
しかし、10年経った今、その時と今の私の大きな違いは、私はクリスチャンであり、神様の存在を信じていることです。この世には、神様が本当にいるの?と思うようなことがあります。天災、戦争、テロ、虐待、いじめ、飢餓、貧困等があり、この先もなくならないでしょうし、人間の残虐さ、身勝手さを見る度に、この人のためにも神様は死んだの?と疑問を感じることもこれからもあるだろうと思います。自然の恐ろしさに何故こんな惨いことが起こるの、神様がいるのに?と何度もまた同じところに戻り、立ち止まることもあるだろうと思いますが、それでもクリスチャンになった今、私は信じない者ではなく信じる者になりたいと思っています。
聖書を学ぶようになってこの世が本番ではなくリハーサルのようなもの、この世が全てではないことを学びました。キリスト教とされる私たちが信じている神は、宗教ではなく真実であることを知りました。
何故信じる者になりたいと思うようになったかというと、それは、礼拝のメッセージを通して繰り返し繰り返し聞く神のみ言葉と、真実で正直なクリスチャンの証の中に、ただの知識や絵空事ではないものを感じ取ることができたからだと思います。
人は他人を100%理解することはできません。相手の立場に立つことも難しいです。同じものを見ても聞いても、人それぞれ感じ方も心に残るポイントもリアクションもそれぞれです。しかし、テロリストも含め亡くなった全ての人に共通していることは、その一人ひとりに生きてきたストーリーがあり、一人ひとりの思いがあり、産んでくれた母親がいて父親がいて家族友人がいること、神様から命を受けこの世に存在していたこと。正義と悪だけで単純に片付けられないひとりひとり命の重みがあったこと。を思います。生も死も私たちの理解を超えて、神のみの領域のように思えてなりません。洗礼を受けるまで多くの疑問をぶつけては、納得できないと神を信じられないと思っていた私ですが、私たちの理解や納得自体が、すごく小さなことで、私たちの理解を遥かに超えた大きなものがいっぱいあることを、自分の理解力をどれだけ過信していたのかも思うようになりました。
アブラハムのように行き先(将来)が見えなくても、ノアのように何の兆しが見えなくても、自分が何ができるわけでもなく何も変えられなくても、自分が願っていることが叶わなくても、それを超えてもっとずっと先にある、神様が用意してくださっているものを信じて、神様と共に働く者になりたいと思いました。信じること(信仰)にしか得ることができない希望を、私も持ちたいと思いました。
最後に、イマジンではなく、このマザーテレサの祈りを911と震災で亡くなられた方々と遺族に捧げます。911と震災を通して私たちがさらに神様に近づけますように、私たちが愛ある人へ導かれますように、そして、神様と共に働く者とさせていただきたいと願いを込めて、お読み致します。
『兄弟姉妹の中にあなたを』マザーテレサ
主よ、私たちの目が
兄弟姉妹の中にあなたを見出しますように。
主よ、私たちの耳が
苦しむ人々の叫びを聞き取りますように。
飢えと寒さ、恐怖と抑圧に
さいなまれる人々の嘆願を。
主よ、私たちの心が
互いに愛し合うことを学びますように
あなたが私たちを愛されたようにその同じ愛で。
主よ、あなたの“霊”を
今日も私たちにお与えください。
あなたの名において
私たちがひとつの心
ひとつの魂となれますように。アーメン。
月報2011年10月号より
「一人の人のために立ち止まる」
この夏、私はIris Relief Japanというクリスチャン伝道チームのボランティア活動に2週間参加して、3月の地震と津波で大きな被害を受けた仙台と石巻に行きました。この体験は、私の人生において最もすばらしい体験と言っても過言ではないような、驚異的なものでした。
アイリス・チームの活動は、福音を伝えることを第一としています。毎日私たちは避難所や仮設住宅に出かけたり、仙台の街を歩き回って、多くの人々と話をして、傍らに座って話を聞き、祈り、御言葉を語り、時には癒しや奇跡も行いました。私達は聖霊に完全に覆われて、神様は常に私達の行動の中心にいてくださいました。
この2週間の間とても多くのすばらしい出来事が起こりましたが、その中から仙台の路上で伝道中に出会った一人の男性についてお証ししたいと思います。私達は2回、夜中の仙台の繁華街を歩き、酔っぱらいや売春婦達に伝道しました。少し怖い経験でしたが、2週間の体験の中で一番心に残るものになりました。
2回目に夜の繁華街に出ていった時のことです。私のチームが裏道に入ってパチンコ店の横を通り過ぎた時、メンバーのうち二人がそのパチンコ店に入るように神様から語られるのを感じました。正直なところ、私は怖くて中に入りたくありませんでしたが、通訳をしなくてはならないので、仕方なく彼らについて中に入って行きました。パチンコ店に入るのは初めてで、そこはまるで地獄のような情景でした。ずらりと並んだパチンコ台の前で、人々は催眠術にかかったかのようにスクリーンに見入っている。スクリーンには怪物や燃えたぎる炎などが次々と映し出される。そして凄まじい音!小さな金属の玉が機械からジャラジャラと流れでて、タバコの煙と体臭が混じってひどい悪臭が充満していました。
それでも私達は神様に「誰に話しかければいいのですか?」と問いかけながら進んで行きました。ぐるっと一周して入口近くに戻ってくると、そばに漫画が並んだ本棚があり、その横のソファーで一人の男の人が漫画を手に座ったまま眠っていました。私達が彼を見ていると、急にその手から漫画が落ちて彼は目を覚ましました。今から思えば、あれはきっと「この人に語りかけなさい」という神様からのGOサインだったのでしょう。
その人は、津波で自宅が全壊してしまい、自宅付近の避難所で2ヶ月生活した後、生活を立て直そうと仙台市内に出てきたのだそうです。私達が訪れた頃、仙台市の中心地はかなり平常に戻っていて、東京と同じようでした。しかし、彼は仙台で住む所を見つけられず、ただ市内を放浪していたのです。話を聞くうちに、私達3人は神様から同じようなことを語られました。それは、この人は行き場がなくてさまよっているだけじゃなく、心も魂も失ってしまっていて、何かを求めているのだということでした。彼は答えを探していました。どうしてあんな津波が起こったのか、何故善人が死んで悪人が生き残ったのか、何故自分は死ななかったのか。もし死んでいった人々を生き返らせることができるのなら、自分は死んでもかまわないと彼は話してくれました。
私達は彼に、神様は津波の被害に深く悲しんでおられる、決して津波が起こることを望んでおられたのではないと伝えました。神様が天地を創造された時、地震や津波は造られなかった。平和だった世界に罪が入ったことで、すべてが変わってしまったということ、そして、神様は私達に自由な意志を与えてくださったから、人は善と悪の両方を行うのだということも話しました。
彼に聖書を手渡してお祈りをして、近くの教会の連絡先を教えました。最後に彼はこう言いました。「電話するよ。この聖書読んで分からないことがあったら、この番号に電話するよ。」私は彼が、聖書を読んでみよう、電話してみようと思ったのだと信じています。
このパチンコ店の男の人の話は、災害に見舞われた多くの人々がたどってきた道と似ているのではないでしょうか。だからこそ、この話は私にとって一番思い出深い話なのだと思います。彼には神様が必要です。地獄のような状況で疲れ果て、心に深い傷を負い、多くの疑問を抱えているのです。仙台では多くの人々が同じような状況にあります。しかし、神様は働き手を送られます。イエス様を送られたように、人々を愛するようにと私達を遣わされます。そして、私達が人々を愛し、寄り添い祈る時、神様が私達のうちに働いてくださるのです。
この他にも病気やケガの癒しや奇跡など、もっとすごいことも体験しました。でも、このパチンコ店でのでき事のような体験のほうが、私の心には強く響いています。私達がIris Reliefでしたこと、人々と話をしたり寄り添うこと、それは2000年前にイエス様がされたことを思い出させてくれました。マタイ、マルコ、ルカ、そしてヨハネの福音書にはイエス様が一人の人のために立ち止まり、その人の横に座り、苦しみ悩みを聞き、祈り、その人を愛したという記述がたくさんあります。これこそが、神様が私達一人ひとりに求めておられる務めなのだと思います。一人の人のために立ち止まり、その人と話をするためならパチンコ店にでも入っていく、そしてその人を愛して救いへと導く。
Irisのメンバーは確信をもってこの方法で活動しています。一人ひとりのために立ち止まり、ハグして、神様の愛を降り注ぐ。もう一度繰り返しますが、その人を私達が愛した時、神様が私達のうちに本当に働いてくださるのです。最後にIris Reliefのリーダー、Yonnieが私達に教えてくれた言葉で締めくくりたいと思います。
「私達の仕事は人を愛すること、その人を癒すのは神様のみわざ」
月報2011年9月号より
