2024年3月<牧師室より>「3月は嵐の季節」

3月になりました。

今年も我が家の庭で一番最初に咲くクロッカスの芽が出てきました。朝晩は氷点下に下がっても、昼間はすっかり春の日差し。今月10日にはサマータイムが始まり、19日のthe first day of spring(日本では20日の春分の日)を過ぎると、昼間の時間の方が長くなりますね。いよいよ春がやってくるな、と楽しみになります。

でも、油断は大敵です。1993年の3月、もう30年以上前になりますが、アトランタの大学で勉強していた時、春休みにフロリダのオーランドに行きました。アトランタを出る時にはレンギョウの黄色い花が満開でした。半袖短パンで2-3日楽しく過ごして、アトランタに戻ろうと思って高速に乗ったら、あちらこちら木々がなぎ倒されています。途中でガソリンを入れようと思ったら、軒並み停電でガソリンを入れられません。そして、フロリダとは思えない寒さ。フロリダ州を抜けてジョージア州に入る頃には雪が降り出しました。アトランタに電話をしたら、吹雪でとてもじゃないけど帰れないと。あとで分かったのは、その時、アメリカの南東部から東海岸を、後にstorm of the centuryと呼ばれるようになる嵐が襲っていたのでした。ニュージャージーも大雪だったようです。

実は3月は嵐の季節なのです。アメリカには “March comes in like a lion and goes out like a lamb” (3月はライオンのようにやってきて、羊のように去って行く)という言葉があります。この時期は冷たい冬の空気と暖かい夏の空気がせめぎ合って、特に前半は、しばしばとんでもない嵐になることがあります。

聖書の中にも嵐の場面が出てきます。それはもっと小さい規模のものですが、イエスの活動していたガリラヤ湖で、何度か、イエスと弟子たちは嵐に遭っています。湖で嵐に遭った弟子たちはどんなに不安だったことでしょうか。しかし、イエスはその嵐の中でも平安を保っておられて、「しっかりしなさい、わたしである、恐れることはない」(マタイの福音書14章27節)と言われ、嵐を鎮めておられるのです。

私たちの人生にも嵐がやってきます。イエスに従う道も万事順調、順風満帆ではないのです。でも、その時にも、イエスは私たちに「恐れるな。私がいるから」と語ってくださり、平安を与えてくださいます。皆さんの中にも今、嵐の中を通っておられる方もおられることでしょう。イエスはその嵐の中にも共に行ってくださいます。「主よ、助けてください」と祈ってみてください。神さまはあなたを支えてくださいます。

神さまからのチャレンジ

 2023年の11月で、フルタイムで働くようになって丸4年が経過しました。子育てが終盤に差し掛かり、子どもたちがそれぞれに巣立とうとする中、私にこの地でできる仕事を与えてください、新たに資格を取ったりする必要のない仕事を与えてください、と祈った結果与えられた仕事でした。専念していた20年の子育て期間を経ての社会復帰は、私なりにそこそこチャレンジングでした。子育ての大半が終わったとは言え、3人の子どものうちの2番目と3番目は高校生でまだ送り迎えが必要でしたし、大学進学準備もありました。ある日を境に共働きになったからといって、仕事漬けで走り続けている夫との家事分担は難しく、家や子どもたちのことがうまく回らないことや、自分の時間が取れないことにストレスを感じながらのスタートでした。

 一方、就職した先は、植物工場で日本のおいしいいちごを生産することを目指す農業ベンチャーでした。植物工場とは、屋内で植物の生育環境を人工的にコントロールし、計画的に作物を生産することのできる未来型の農業形態です。私はもともとアウトドアが好きで野山を駆け回っていたタイプだったのですが、ポイズンアイビーを繰り返しその度に重症化していたため家庭菜園さえドクターストップがかかっていました。そんな私にとって、害虫も雑草も排除された植物工場で再び植物に触れることができる仕事は、楽しくて仕方がありませんでした。いちご摘み、葉掻き、糖度測定、パック詰めなどの農作業に加え、ホースやパイプを切って灌水設備を設置したり、コンテナの上にのぼって電気ケーブルを通したりというベンチャーならではの実際の工場づくりも皆でやりました。当時、葉物野菜の植物工場はすでに存在していましたが、受粉の必要ないちごのような果菜類の植物工場は不可能だと言われていたのです。それは、植物工場のような閉鎖空間では、ハチが野生の感覚を失ってしまいうまく働いてくれなくなるという、主に受粉の問題があったからです。それをたった10数名のメンバーで、世界初を目指して夜遅くまで試行錯誤を繰り返す職場は、やる気とパッションに溢れていて、自分がしばらく忘れていた懐かしい感覚が蘇ってくるようで、一緒に働くことでたくさんのエネルギーをもらうことができました。

 そんな私が入社後に立てた目標は「3年でいちご博士になる!」でした。家庭と仕事の両立で苦しんでいた私の、3年は辞めないぞという決意表明でもありました。教育専攻で、小学校教師になり、子育て中も近所の子どもたちの日本語学習のサポートに関わっていた教育畑出身の私にとって、植物工場は何もかもが新鮮で、もともと旺盛な好奇心に火がつき、明けても暮れてもいちごの謎を突き詰める毎日が始まりました。まず、いちごをより知るために植物生理学から始め、夜な夜な借りてきた文献やネット資料を読みあさる一方、植物工場の電気がつく(=植物にとっての朝)6時には農場に入り植物の健康状態を観察する早朝5時起き生活です。実地と勉強会の並走は学びが多く、知れば知るほどまた疑問が生まれます。次に肥料配合や植物の根の栄養吸収を向上させるための有機化学。そしてその次は環境制御のために、例えば人工光の白、赤、青など異なる波長の組み合わせを試すために物理が必要になり、更にそれらのデータを収集して解析するためのデータサイエンス。と、どんどん広がり、終わりがない世界にのめり込んでいって、気がついたら4年が過ぎていたという感じです。残念ながらまだいちご博士にはなれていないと思います・・・奥が深いのです。

 1人で植物と向き合っている時、いろんなことを考えます。例えばいちごの実は、1つの房にいくつものつぼみができ、順番に花が咲き、先に咲いたものから順にいちごの実になっていくのですが、1番最初の実が一番大きく、2番目3番目の実は1番目の大きさを上回ることはありません。家庭菜園を経験されたことのある方はきっとご存知でしょうが、1番目2番目3番目の実を大きくするために、4番目5番目6番の実や花やつぼみを取り除きその栄養を最初の方の実に行くようにする摘果(てきか)を行います。またいちごの実は、最初緑で硬かったものが白へ、そして赤へと色づき、柔らかくなっていきます。赤くなり始めると実の成長自体は止まり、今度は糖度を充実させることへと切り替わるのです。つまり色が変わり始めると実がそれ以上大きくはならないという判断ができるので、この段階で規定サイズ以下のものは摘果します。この作業はいちごを出荷するためには必要ですが、3人の子どもをもつ母親の私にとっては非常に酷なもので、いつも複雑な思いになります。子どもたちの顔が順番に浮かんできて、いちごであっても出現順で見切りをつけるなんてあり得ない、4番目5番目6番目のこのいちごたちだってこんなに美しく咲いているのに、もしかしたら大きくなってくれるかも知れないのに・・・と摘果をしながら何度思ったか知れません。けれども、もう実ができていても、花が咲いていても、つぼみが膨らんできていても、摘果しなければなりません。時には小さなつぼみがたくさんついている房ごと取り除くこともあります。いつもため息が出ますし心が痛みます。ふと新約聖書のマタイ7章にある「良い実を結ばない木は切り倒されて火に投げ込まれる」という聖書箇所が思い起こされ、神さまの厳しい裁きのことを考えたりもします。そして、それぞれ違う道を歩み始めた子どもたちのことを思っては差がついてきたように感じられ、3人とも神さまに喜んで受け入れてもらえるだろうかという思いで不安になるのです。けれども、『今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっとよくしてくださらないでしょうか。』(マタイ6章30節)や『あなたは私の目には高価で尊い』(イザヤ書43章4節)のみことばを思い出すと、脳裏に浮かんだ子どもたちの顔が笑顔になっていきます。子どもたちのそれは、差ではなく違いであって、神様から与えられた個性であることをうなずくことができ、それぞれをそのままの姿で喜んでくださる神さまを思い、安心します。と、次の瞬間「良い実を結ぶとは?あなたは?」ということが突きつけられてくるのです。神さまからのチャレンジです。「私は大丈夫かな。良い実を結んでいないから炉に投げ込まれてしまうんじゃないかな。」と自問自答して胸が詰まりそうになります。すると決まって、♪ Jesus, I need you. Every moment, I need you ♪ という賛美の歌詞が心の中に流れてくるのです。私はすぐに「その通りです。今この瞬間、神様、あなたが必要です!」と心の中で叫びます。さまざまな思いがよぎっては不安になる自分。懸命に努力しても追いつけない高みがある現実に心がうなだれてしまう自分。けれども”Jesus, I nee you!”「この瞬間も、神さま、あなたが必要です」と叫ぶ時、心に平安が与えられます。立ち上がる力が与えられます。私が叫ぶ時、神さまはそこにいてくださいます。摘果は今でもあまり好きなタスクではありませんが、その作業を通して、どの瞬間も私には神さまが必要であることを毎回確認することができるのは感謝なことです。きっと私がそのことを忘れてしまいやすい者であることを神さまはよくご存知だからなのだと思います。自分の力では良い実を結ぶことはできず、ただただ神さまにしっかりとつながっていることが大切だということを再確認する幸いなときとなっています。Jesus I Need You – Hillsong Worship (2015 New Worship Song with Lyrics)
 
 4年前は20人弱だった会社も、現在は200名となり、急成長急拡大しています。喜ばしいことですが、ただそれゆえの難しさも感じています。「多様性」という壁です。スタートアップ当初の社内は日本人が主流で英語でなくてもOKでしたが、いつの間にか英語が公用語、書類やミーティング、プレゼンも英語となり、メンバーのバックグラウンドの違いからくるカルチャーギャップも多くなってきました。日本人の常識や普通が、そうではない場面に出くわして、うーんと思わずうなってしまうことがあります。働き方もさまざまです。メンバーの集中力、休憩の頻度、仕上がりの丁寧さなどを確認する必要がある時、この人たちは皆同じ給料でいいの?と思ってしまいます。そんな時思い出すのは、聖書の中には早く来た者も遅く来た者も同じ賃金を受け取るたとえが出てきて、すべての者に豊かに与えたいと願っておられる神の愛が語られています。そのたとえ話を思い出して、私自身が他の人と比べるのではなく、自分に託されたことに集中するようにと、「小さなことに忠実でありなさい」と語られました。ようやく、多様性を知ること、認めることはできるようになってきたかなあとは思うのですが、その多様性を尊重し、相手の個性と自分の個性を合わせて2ではなく3にするために上手にコラボしていくことが次の課題と感じています。これも神さまからの大きなチャレンジです。『それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。』(第1ペテロ4章10節)

 また、会社が大きくなるにつれ、全員で力を合わせてなんでもやっていたベンチャーから脱皮し、企業として成長していく時期に差し掛かっています。社内に部門が増え、業務が分化され、特定のスキルのある人が外部から雇用され、専門性が問われるようになってきました。その流れで私の所属や仕事内容も変わり、不満や不安を感じることが多くなってきている今日この頃です。この分野では全くのド素人であり、まだ自分が目指すいちご博士には届けていないと自覚しているのに、任された仕事内容に対する不満、任されないことに対する不満、一緒にプロジェクトをするメンバーへの不満などが積もってきています。最初はあんなに植物をさわれることへの喜びでいっぱいだったのに、いつの間にか、不平不満が溢れて止まらなかった出エジプトの民(旧約聖書)と同じように自分もなってしまっていることに気づき、このみことばによって立ち止まらされています。そう、詩篇103篇『主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』です。けれども、私が仕事に没頭している間にも、神さまは働き続けてくださっており、たくさんの良いことをしてくださっていました。コロナ禍でも、農業はエッセンシャルワークということで私は毎日出勤していて、リモート授業となっていた子どもたち3人(2人の大学生と1人の高校生)が週2回ずつ6日間の夕食を作ってくれる日々が1年ちょっと続きました。そのおかげで私は早朝からファームに入っていちごの観察をすることができ、一般業務の前に勉強の時間を確保できました。子どもたちは毎回5人分の食事を準備するのに最初は悪戦苦闘していましたが、次第にレシピの材料が揃っていなくても冷蔵庫にあるもので準備できるほど腕が上がっていきました。今は3人とも自宅を離れましたが、十分自炊できるようになってくれたので、ある意味安心して見ていられます。またコロナ禍の閉鎖的な日々も、子どもたちが作ってくれた夕食を囲みながら、その日私の会社であったことをシェアしみんながそれに突っ込んだりダメ出ししたり質問したりと、たくさん話をするのが日課となりました。新しく知ったいちごの植物のあれこれや、ハチの受粉の難しさ、垂直農法のシステムや競合他社との攻防、起業あるあるやシンガポールの大学インターン制度、同僚の20代男子にもっと効率を考えて動くように怒鳴られて凹んだことや、まるでTVドラマのような大人同士の激しい本気のディスカッションがあったことなどです。たわいもないことでしたが、このような分野に長男は興味を持ったようで、私の会社で夏のインターンシップをし、そのまま就職することになりました。小学1年生の頃からFarmerになりたいと彼が言っていたこと、けれどもそれをどのようにサポートしていいかわからなかったことなどをその時思い出しました。娘は、私の研究開発部門での実験の話に影響を受けてか、大学入学直後から生物系の研究に目覚め、それを突き進めるためにこれから研究の道に進もうとしています。立ち上げ初期のメンバーとCEO宅で一緒に食事をする機会が何度かあった次男は、アメリカ育ちですが噂に聞いていた日本的な体育会系のノリというベンチャーの雰囲気を肌で感じ、色々と学ぶこと思うところがあったようです。夫も数年経った今では、自分で洗濯機を回したり洗い終わった食洗機の食器を棚に戻したりと、共働き夫婦らしく家が回るように無言で動いてくれています。私が社会とつながり奮闘していることもまた、家族それぞれに安心を与えているのかもしれません。この4年の間、目に見えること見えないこと、たくさんのことを主がしてくださってきており、これからもしてくださる、働き続けてくださることを確信しています。最近この賛美の歌詞が心を離れません。♪ You are Waymaker, Miracle worker, Promise keeper, Light in the darkness・・・Even when I don’t see it, You’re working. Even when I don’t feel it, You’re working. You never stop, You never stop working ♪ 4年前は、この歳になって、この地で、自分がいちご研究に携わることになるとは、ほんの1ミリも想像していませんでした。けれども、私がこうして植物工場に導かれたことが、このあともきっと何かにつながっていくのだろうと思うと、そのタネあかしが楽しみでなりません。今いるところでどうあることが神さまに喜ばれることなのか、これも神さまからのチャレンジです。まどろむことがない(詩篇121篇3節)神さまが、これからしてくださることに大いに期待し歩んでいきたいと思います。そして日々喜びが口から出る者でありたいと願っています。Leeland – Way Maker (Lyrics)

<集会紹介>「レント集会」(2024年3月)

「レント」というと、アパートやお家を借りること・・・ですよね。だから「レント集会」というと、何か場所を借りて集まるの?なんて考える方もおられるかもしれません。でも、そのレントは「Rent」で(ちなみにブロードウェイのミュージカルの題名もこちら)、一方、私たちの教会の「レント集会」は「Lent」。元々は「春」を意味する言葉。「L」と「R」の問題、日本育ちの私には、何年アメリカに住んでもなかなか抜け出せないです・・・。

イースターまでの日曜日を除く40日間、教会ではイエスの十字架の苦しみを心に留める「レント」の期間を過ごしています。今年のレントは2月14日から始まりました。イースターの3月31日の前の日まで続きます。

そのレント期間の毎週金曜日7週にわたって、午後7時半から「レント集会」を持っています。イエスの十字架や苦しみをテーマに学んできました。今から36年前の教会創立当初の資料を見ると、教会が始まった最初の年のレントにも今と同じように集まって「レント集会」を持っていたことが分かります。それから変わらず毎年持たれてきています。

イエスの十字架の意味を学ぶこと、そのイエスの苦しみを思い、自分自身の苦しみの意味を見つけること、そして、そこに表された神の愛に応答すること、これはクリスチャンの歩みにとって、とても大切なことです。

そのレント集会の中で、毎年何人かの方々に「証し」をしていただいています。クリスチャンとして歩んでいる中で悩むことや困難にぶつかることの中で、神さまがどのように導いてくださったか、また、現実社会の中で聖書の言葉にどのような力があるか、体験をお話していただくのです。

今年もすでに3回、教会に数名が集まり、オンラインの同時中継にも十数名が集まり、良い学びの時となっています。今年残すところはあと4回。是非、教会でも、オンラインでも参加してみてください。毎回のテーマ等、詳しくはこちらから

世界の小澤征爾先生を偲んで、描く。

描く事により、今まで見えないものが見えてくる事、
観察するようになる事ってありますね。


画面を縦横4x4に分割して、写してみましょう


音楽が聞こえてきそうですね。


知っているキャラクターも見ないで描いてみると、難しい〜ですね。
よーく見て描いてみましょう。

実技の後は、錦織先生による聖書のお話です。
今日の聖書箇所は

こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。
その中で一番すぐれているのは愛です。
コリント人への手紙 第一 13章13節

私達の教会でよく歌っていた讃美歌の生まれた背景を聞き
歌詞のように、神様から愛されている事をあらためて感じました。

「君は愛されるため生まれた 
君の生涯は 愛で満ちている
永遠の神の愛は
われらの出会いの中で実を結ぶ
君の存在が 私には
どれほど大きな喜びでしょう
君は愛されるため生まれた
 今もその愛受けている」

人物クロッキー、先生モデルお願いします!

人物を描くのは、難しいと思いますが、
まずは丸い顔と四角い身体でバランスを考えてみましょう。


スーツ姿が素敵ですね。


皆様、ハンサム描いてくれて、ありがとうございます。


皆で作品を見せ合うのも楽しいですね。
日常から離れて集中できる時間って本当に大切だなって思います。

モデル終わって錦織先生、聖書のお話をお願いいたします。

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今回はモデルをさせていただきながら、自分の今までの歩みについてお話をさせていただきましたが、自分にとって転機となった出来事はこの聖書の言葉に表されています。

キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。(ヨハネの手紙 第一 3章16節)

親からの愛を受けてきました。周りの人々の愛も受けてきました。しかし、本当に愛されていることを実感したのは、自分のような者のためにいのちを捨ててくださった方がおられたのだ、ということが分かった時でした。