「この世に、命を授けて頂いてから半世紀・・・」

この世に、命を授けて頂いてから半世紀以上、そしてその半分以上をクリスチャンとして生活している私ですが、洗礼を授けて頂いたボーンアゲインの頃の、純心な主への思いは、様々な困難により、強まる様でもあり、ゆるんで行く事も、多かれ少なかれ・・・のようです。
人生は、バラ色だの、楽しむものだのと、若い頃は夢多き日々を送っておりましたが、辛い日々の方が多いのでは?でも、その中で鍛えられているのです。

両親がクリスチャンだった母ですが、クリスチャンではない父と結婚をして、その父が肝癌で亡くなる2年前に、二人はアメリカに来て、NJ日本語キリスト教会の初代牧師から洗礼を授かりました。その後、母は晩年をアメリカで私と一緒に過ごして天国へ召されました。

私には、歳の離れた3人の兄がおり、兄弟みんな東京の玉川学園で、小学部からキリスト教の礼拝を受け、賛美歌を賛美し聖書を学びながら、青春時代を過ごしておりました。
ところが私はどうした事か、高等部卒業後、友達の反対をもおしきり、大阪のPL女子短大へ進みました。寮生活で、リーダー的な立場で、異教の教えにどっぷり浸かり、なんとも、変った宗教人生の、スタートを歩んで来ました。日本人の多くの方は、色々な様々な宗教や、教育を受けられて、こんなに柔軟な考え方、教育経験を持っておられる人種は、少ないのではと思います。

そんな中で、私がクリスチャンになれたのは、アメリカに元夫と来て、息子も生まれ、贅沢な人生を送っていた時でした。そんな生活だったのですが、親離れが出来ていない、お互いの生活に危機が起こり、近所に住んでいたNJ日本語キリスト教会の方に救われました。

そこで、家族3人で、洗礼を授かり、めでたしメデタシ・・・とは終わらず・・・。

元夫も、新品クリスチャンになった頃は、日本語教会の初代牧師のカバン持ちをするなど、熱心な教会活動をしていました。でも、何が起こるか、人知では計りしれません。その後、マンハッタンの日米合同教会に移籍する事になりました。
その時も、熱心に家庭集会を開いて、近所のクリスチャンでない方も招いたり、有名な、アーサー・ホーランド先生や、森祐理さんも、家に宿泊して頂いたりした事もあるほどの、信仰に恵まれていたファミリーだったのですが、その後、離婚、息子との別離が続きました。洗礼を授かりクリスチャンになって、イエス様を主として、愛の家族として生まれ変ったはずなのに・・・今の私には、全てを善き事にして下さる神様の御業は、まだまだ先が見えません。

私の証しでつまずく方も、おられるかもしれませんが、いまだに、クリスチャンではない方とキリスト教の話をすると、「だからクリスチャンって・・・」と言われると、抵抗出来ずに、なんと頼りない不信仰な私です。

でも、試練と共に祝福もあります。カルフォルニアに住んでいる兄家族が全員、義姉とお母様、娘と新婚でコリアンの夫5人全員もが、同時にクリスチャンに、なれたのです。また日本に居る一番上の兄も、強力な母の願いで、日本で洗礼を授かりました。残るは、真ん中の兄だけですが、来年の母のメモリアルに、カルフォルニアで集合する時をチャンスにと、祈り願っております。

今年は、カルフォルニアで、NJ日本語教会の牧師が講師で、「生きる」という事をテーマにリトリートがもたれました。素晴らしいリトリートでした。日本から一番上の兄も来て本当に恵まれた集会でした。
そこで、今までアメリカ人教会と日本語教会とフタマタで、ご奉仕を両教会から避けていて、ただ、礼拝と賛美の栄光だけを、毎週頂くという、なんとも、ズウズウシイ教会生活をさせて頂いていた事を、悔い改めさせて頂きました。気が変らないうちに、すぐに、転入届けを出させて頂き、又、元の古巣へ、戻って来る事が出来ました。

このきっかけになった事の一つをご紹介します。

私の住んでいる部屋はコンドの8階にありますが、元々、母が日本から持ち込んだ家具や、荷物が満杯で身動き出来ない状態でした。ところがクーラーを直しに来た人が栓を閉め忘れるという考えられない事件が起き、ほとんどの物が水びたしになり、ダメージを受け、カーペットも全て取り外しとなりました。費用は相手の保険が殆んどカバーして下さいました。それは、母が亡くなってから、半年たってからの事でした。
多くのものを処分してガラガラになった部屋に、スペースが出来たところに、日本語教会の聖歌隊リーダーが、ルームメイトとなってくださいました。その方と行動を共にする事が増え、礼拝だけではなく、家庭集会や他の集会にも、顔を出すようになりなりました。この事も、主のご計画の一つでしたのでしょう。

色々様々な出来事を通して、主は導き又、たまには、試されるのです!

私には、「キリスト教の教えを伝える」というよりも、「イエス様の愛を感じて頂く様に伝える」方が、平安で居られます。イエス様が、「わたしのくびきを負ってわたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に、休みが与えられるであろう。わたしの、くびきは負いやすく、荷は軽いからである。」(マタイ11-29~30)私のために準備されたカスタムメイドのくびきは、なんと有難い事でしょう。無理する事は無い。全て疲れている人は、イエス様の所に来なさい、とも言って下さっている安心感はなんとも言えない喜びです。

再び洗礼を授けて頂いた教会に戻り、聖歌隊にも入れて頂き、新しく又生まれ変わった私のこれからの歩みは、まだまだベビーの様に危なっかしいですが、皆様の御協力を得て、一歩ずつ進歩している様ですので、宜しくお願い致します。

牧師室より2018年11月号「感謝したいこと」

「感謝したいこと」

「今からお花持っていきます!」との電話から15分くらいで現れたのは近所のNさん。教会のメンバーでもある彼は、野菜もお花も上手に育てる名手です。今回も見たこともないような立派な鉢植えのカニサボテンを持ってきてくださいました。数え切れないほどのつぼみ、これからどんな花を咲かせてくれるのかが楽しみです。

サンクスギビングが近づいて、今、自分自身が一番感謝したいこと、それは何かなあ、と考えていました。そのときに、まず、思いついたのが、「洗礼を受けて喜びにあふれて歩んでおられる方々の存在」でした。信仰に導かれて、洗礼を受けた方々の存在は本当に大きな喜びです。

でも、もっと深いところで感謝していることはないかなあ、と考えてみました。もしも、それがなかったとしても、これがあるからやっぱり感謝、と思えること、それは何かあるかなあ、と。

「健康が与えられていること」「家族が仲良くしていられること」なども感謝しましたが、たとえそれさえも失っても、自分を支えているものはなんだろうか?一つ一つのことが削ぎ落とされて、そこに残るのはなんだろうか、と。

その時たどり着いたのが、

「神様をより深く知ることができていること」

「神様を近く感じることができていること」

「礼拝メッセージの中で力を与えられていること」

でした。

10月の「eお知らせ」でも書かせていただきましたが、今年の9月から「ひびみこデイリー」を毎朝発信して、その1週間の聖書の箇所から礼拝でもメッセージさせていただいている中で、本当に神様との関係がさらに豊かに、さらに深くされて、礼拝でも力をいただいて語らせていただいます。ああ、自分にとってそれがいちばんの喜びであり、力なんだなあと感じましたのです。

「洗礼を受けた方々の存在」「教会に集う人々が与えられること」などは、植物で言えば、花や実にあたるのでしょう。しかし、立派な花や実をつけさせるためには、しっかり根を張らせ、株を充実させなければいけません。それが日々の祈りであり、そこで語られたことを分かち合っていくことだと思うのです。見える結果を出すためには見えない部分に心を留めないといけないのですよね。

これからの歩みの中でも、もっともっと神様を知っていくことができますように。そして、豊かな実を結ばせていただくことができますように。

2018年10月28日 『神を王とする歩み』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨシュア記5章13−15節

神を王として歩む。・・・「ははー」とひれ伏し、嫌なこともしないといけなくて、無理してやらないとダメ、と思っている?
⇔神を王として歩むことは、祝福にあふれ、平安と喜びにあふれている。
1)何を王とするのか?
自分・・・自分のやり方、自分のビジョン、自分の考え。
人の声、人の顔色・・・結局、自分の評価、自分の評判が気になる。
サウル王・・・民が去っていこうとするときに、サムエルを待てずに、自分で犠牲を捧げてしまう。(サムエル上13章8-15節)
滅ぼすべきもの中から、それには惜しいものを取っておく。「民が神様への犠牲にするために・・・」
神よりも人を恐れた。・・・自分のため。
ヨシュアも、自分の作戦を捨てて、神の作戦を聞いた。
この作戦実行のために人の声ではなく、神を王とする必要があった。
2)神の前の降伏
この主の軍勢の将の「NO」は「敵ですか?」に対する「NO」であると共に、「味方ですか?」に対する「NO」でもあった。
「足の靴を脱ぎなさい」・・・全面降伏。
「あの人を取り扱ってください」という祈りから「私を変えてください、私があなたに従います」という祈りへ。
崩されなければいけないエリコの城は何?・・・自分の心の中に。
テイクアウトQuestion
1)あなたは、クリスチャンになる前に、何を王としていましたか?今も、自分が何を王としやすい傾向があると思いますか?
2)神を王とするということはどういうことでしょうか?
3)あなたの心の中にはエリコの城はないでしょうか?それはどんな城でしょうか?それを崩していただくためには何が必要だと思いますか?

工具もネジも主人公

身の回りにある物を描いて見ましょう。
小さな部品のネジ、豆電球、分岐器具、ドライバー、じっくり観察して見ましょう。
描きやすい角度はどこでしょうか?
工具箱を開いた時、いつもと違う見え方に感動しませんか?
ただの工具だったハンマーやペンチ等が今日は絵のテーマとなり主人公となります。


空間に釘を付け加えることにより、画面の物語性がグッと出てきますね。


モデルさんは、見た事ある人ですね、お疲れ様です。
皆さんよく特徴をとらえて楽しく描けました。

クロッキー教室のあとは錦織先生によるショートバイブルメッセージ。
– – – – – – – – – – – – – 聖書のお話  – – – – – – – – – – – – – – – – – 
今日10月24日は私の洗礼記念日です。
今から42年前に油壺海岸で洗礼を受けました。
マタイ9:2でイエスは言われました。
「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」
洗礼ってこの言葉が、私たちに起こることです。
わたしたちの罪をイエスが赦してくださるのです。
神様の前にはわたしたちは罪を持っています。
わたしたち、悪人ではありませんよね、清廉潔白、善男善女ですよね。
それでも、自分の弱さ、醜さを思い知らされたことはないでしょうか?
その罪からも、わたしたちはイエスによって赦されるのです。
イエスはわたしたちの罪を背負って十字架にかかってくださいました。
だから、私たちもイエスを信じる時に、その罪が赦されて、自由な者にされるのです。
– – – – – – – – – – – – –  – – – – – – – – – – – – – – – – – 
次回は、11月7日(水曜日)です!

2018年10月21日 『神と共に歩む』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 出エジプト記20章1節〜17節

 

  • 十戒・・・十戒の全体像、十戒こそ、神と共に歩むガイドライン。
  • イエスの言葉、マタイ22:36-40「神を愛しなさい」「自分を愛するように隣人を愛しなさい」。
  1. 神を愛しなさい。
  • 私の他に何者をも神としてはならない(1)・・・神を神としなさい。
  • 刻んだ像を作ってはならない(2)・・・神様を形の中に、自分のイメージの中に、閉じ込めようとしてはなりません。
  • 主の名をみだりに唱えてはならない(3)・・・神を自分のために利用してはならない。

→神様をあなたの子分にしていないだろうか?

  1. 隣人を愛しなさい
  • 6つ目から9つ目は、明らかな周りの人との関係における戒め
    殺すな(6)、姦淫するな(7)、盗むな(8)、偽証をするな(9)
  • 人格を大切にしなさい・・・「神のかたちは人格である」
  • 「自分がしてほしいように、人々にもしなさい」マタイ7:12
  1. 自分を愛しなさい
  • 「自分を愛するように隣人を愛しなさい」
  • 安息日を覚えなさい(4)・・・ただ、主の前に愛されている存在として、主に作られて、受け入れられている存在として「ある」。
  • 隣人のものをむさぼってはならない(10)・・・神様が与えられたもの、神様が託されたもの、そこに感謝をしなさい。
  • 父と母を敬え(5)・・・神があなたをあの両親のところに送られた。
  • 全ては最初の言葉が土台・・・「私はあなたを導き出した者である」
  • いつも神様の愛、神様の恵みが先。
  1. イスラエルの民はエジプトから解放されて、十戒を与えられましたが、あなたは神様からどんな解放を与えられているでしょうか?
  2. 神を愛すること、自分を愛すること、隣人を愛することの中で、一番難しいと思うことは何ですか?

 

広がる輪、美味しくおしゃべり牧師館

10月10日、今月のカフェが牧師館にて開催されました!いつもと場所を変えての開催でしたが、
アットホームな雰囲気の中、情報交換やおしゃべりに花が咲き、楽しいひと時となりました。
スタッフも一緒になって楽しんでいたら、あっという間に終わりの時間に。
カフェを通じて広がっていく輪。今月も感謝な1日となりました。
スイーツはスイートポテト、チョコレートケーキ、シュークリーム


サンドイッチは豪華!具沢山サンドです。


カフェ当日の朝。綺麗な朝焼けです。(撮影:錦織牧師)

来月のカフェは11月14日@Studio T-7です。
皆様のお越しを、スタッフ一同心よりお待ちしております!

牧師室より2018年9-10月号「神の愛に満たされて」

「ああ、大変だ、もうアガペがない!」
「アガペを探しに行かなければ!」

今年のJOYJOYキャンプでは、「アガペ」をエネルギーに動くタイムマシンを舞台にしました。「アカペ」とは「神の愛」を表す「アガペー」というギリシャ語から名前を取りました。神様が私たちを愛してくださったその愛をエネルギーにして生きている、その私たちの思いを子どもたちに伝えたいと思ったのです。

また、その前、7月末から8月の初めまで、南カルフォルニアでのリトリートの講師のご奉仕に行って参りました。そのリトリートでいただいたテーマはずばり「生きる」。生きるためのエネルギーの源は、神の愛であることを思わされていました。

私たちは「オギャー」と生まれた時から、愛されなければ生きていけない存在です。親に愛され、周りの人に愛されて、それで生きていけます。それが生きるためのエネルギーになります。でも、成長していく中で、その人からのエネルギーが足りなくなる時があります。自分の中のエネルギーが枯れてしまって、誰か他の人にそれを期待するときに、期待を裏切られてがっかりするときもあります。そんなとき、他のところからの愛をもらう必要があるのです。

「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。」第一ヨハネ3:16

イエスは私たちのために十字架の上で命を与えてくださいました。そこに、私たちが生きるためのエネルギーの源があります。そして、その愛をいただいて、私たちも周りの人々を愛することができるようになるのです。神の愛を求めていきましょう。

2018年10月14日 『海を分けられる神』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 出エジプト記 14:10-31

 

言葉だけではなく、いろんな方法で私たちに語られる神。
アブラハムとその子孫を通して、「神と共に歩む」ことを伝える。
1)人のピンチが神のチャンス
神と共に歩む・・・万事順調、順風満帆・・・ではない。
イスラエルの民・・・エジプトから解放される。
でも、海に向かって進むように導かれる
+そこにエジプトの軍隊が追いかけてくる。
人のピンチは神のチャンス(神を知るチャンス)
前後挟まれて、どうにもならない・・・神こそが助け!
800年後、アッシリアの脅威の下にあったユダ王国
神の助けではなく、エジプトの助けを得ようとした。
神は静まりなさい!落ち着きなさい!私を頼りなさい!と言われる。
イザヤ書30:15-18
「悔い改めて神を信頼する」
2)静まることってどんなこと?
民は「エジプトで奴隷であったほうがよかった!」と文句を言う。
「神が戦われるから見ていなさい」「あなたがたは黙っていなさい」
→詩篇46:10「静まって私こそ神であることを知れ」
こちらはsink, relax, withdrawなどの意味。
出エジプト14:14の「黙っていなさい」
「いろいろ言いたいことはあるだろうけれども、黙りなさい」の意味。
乱暴な言葉?
私たちは納得いかないことがあるかもしれないけれども、神に従っていく。私たちには見えていないこともある。そこでも神様を信頼すること。
<テイクアウトQuestions>
1)神と共に歩んでいるのに、どうしてこんなことになるのだろうか?と思うことはありますか?どんなことでしょうか?
2)困難の中で、私たちに求められているのはどんなことでしょうか?
3)納得できないときにも神を信頼することはできるでしょうか?どんな難しさがありますか?

2018年10月7日 『祝福の約束』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 創世記12章1節〜3節

 

「三つの願い」のストーリー。
あなたならば、何を願う?
私たちが願うべき「神の祝福」
1)「祝福」って何?
状況ではない。内側にあふれて外側に流れていくもの。
アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、イスラエルの歴史。
「祝福」は困難の中にあっても神によって与えられる力。
ブドウの実が熟して触ると果汁があふれてくる様子。
あなたは触ると何が出てくるか?
愚痴や文句、怒りが出てくることはないか?
2)呼ばれたら応える!
アブラハムは招かれて、神様に答えた。その通りに従った。4節。
自分を支えているもの、それを神様ゆえに手放した。
安定した生活、人の繋がり、慣れた土地
→頼るものは神なんだというところに立った。
神の約束を信頼した。
約束の子供が与えられるまでこれからさらに25年
ガタガタした時もあった。でも、そこでも神との関係に生きた。
3)やっぱりイエス様!
神の祝福はアブラハムとその子孫に。
その子孫というとユダヤ人、ユダヤ民族?でも究極的にはイエス
ガラテヤ3:16
そして、イエスを信じる者たちへ(ガラテヤ3:6-9)
イエスの十字架によって、神と共に歩む。
<テイクアウトQuestions>
1)あなたは今、何を求めているでしょうか?
2)「祝福」は何でしょうか?祝福されている人は周りにいますか?どうしてそう思うのですか?あなたは祝福されていますか?
3)祝福をいただくためには何が必要でしょうか?

2018年9月30日 『人の弱さ』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 創世記11章1節〜9節

 

過ちを犯した人の言葉「自分の弱さと未熟さを自覚しました」
星野富弘さんの言葉「私は自分の弱さを自ら認めたくなかった・・・」
私たちは弱い存在。聖書はそのことをどのように語っているのか?
その中で私たちはどのように生きるべきか?
1)私たちの弱さ
アダムとエバの罪・・・神のように。逃げる、隠れる、責任転嫁をする。→それから罪が広がっていった。
カインの罪・・・妬み。
ノアの時代の罪・・・神に従うよりも、自分の好みを優先する
バベルの塔の罪・・・力を合わせて神に届く。
私たちの弱さ・・・もっと良く生きたいのだけれどもどうにもならない
でも一番弱さは、自分の姿を認めないこと。
2)弱さを持って生きる
弱さは克服しなければいけないような先入観。
→弱さを隠す。攻撃されると怖い。
⇔でも、聖書は弱さに神の恵みが注がれ流のだということを語る。
バベルの塔を建てた人々、「みんなで力を合わせる」
 力を合わせることによって、神に届こう
力を合わせることによって、散らされるのを防ごう
・・・地に満ちよ、と言われた神の言葉に対する不従順。
弱いから、神が必要。「神を信じるなんて、弱い人だ」?
神の前にひれ伏す。(ヨシュア記5章13−15節)
「一つになる」ことが変わる・・・神の前にへりくだることによる一致
<テイクアウトQuestions>
1)人は弱いものでしょうか?強いものでしょうか?強くなるべきでしょうか?そのままでいいでしょうか?どうしてそう思いますか?
2)バベルの塔を建てた人々の問題はなんだったでしょうか?
3)弱さを抱えて生きる私たちにとって、大切なことはなんでしょうか?