「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」第二コリント12:9

私がキリストを受け入れ、クリスチャンとして生まれ変わるよう導かれたのは、私の家族の弱さのためでした。私の両親は、年若くして結婚し、またともに家族の愛というものをあまり知らずに育ってきたこともあり、心のすれ違いの多い夫婦でした。私自身も実家にいる頃は、これが普通だと信じてきた面がありますが、その頃は言葉にならない、心の渇きを感じていたのでした。

実家を出てから大学進学、ニューヨークで就職と次々と自分のしたいことや行きたいところで頭がいっぱいで、自分が何に渇いているのか、どこに向かっているのか、全くわからないまま進んで来た感があります。「まず地図を見て行き先を決めるべきなのに、それをせずに、自転車から車へ、車から飛行機へと進むスピードばかりを気にしている」という例えを聞いたことがありますが、まさにその通りで、人が聞いたらニューヨークで大手企業に勤めていると言えば、サクセス・ストーリーのように聞こえなくも無いですが、何の「サクセス」なのか、自分で自分に説明がつかないのです。お金のため?優越感?日本からの逃避?責任回避?

そんな疑問に蓋をして生きていた2006年に、会社の知人が日米合同教会でキリスト教のベーシック講座が毎週水曜日あるから来てみないかと勧めてくれました。それは「アルファコース」というノンクリスチャン向けに作られたプログラムで、教会とは何か、聖書とは何か、祈りの大切さやイエスの救いなどのトピックを毎回ビデオで見てから、スモールグループに分かれて感じたことを話し合うということが行われていました。知れば知るほど、すごい、これは私にはできそうに無い、と思う反面、もっと知りたいという気持ちが沸き出て、昔の青汁のコマーシャルの「まずい~!もう一杯!」状態でした。

そんな中、両親の問題がどんどん深刻化していきました。このままだと大変なことになってしまう、何とかしなければ、という焦りと苦しみばかりが膨らんでいきました。クリスチャンのカウンセラーに両親のことを相談したり、インターネットで「離婚弁護士」のことを調べたり、ニュースで事件があればうちの両親じゃないかと確かめたり、本当に苦しくて悲しい時期でした。しかし、自分の力ではどうにもならず、なんとなくキリストの教えの中に答えがあることを漠然と感じていたのも事実です。

ある時、アルファコースで知り合った人から錦織先生のゼロの会やニューヨーク面談日のことを教えてもらいました。実はNJ日本語キリスト教会へは2000年に一度サンクスギビングか何かの時にお邪魔したことがあり、その時に錦織先生ご夫婦にとても良くして頂いた事があったため、初対面でなかったことから、またまた気軽に足を運ぶようになりました。先生は子供やユース向けの説教に長けていることから、 堅苦しい話の苦手な私には新鮮で、子供のような心で楽しめたのです。一番印象深かったのが、クリスマスの劇に参加した知恵遅れの子供の話で、涙がこぼれそうなほどの暖かさを感じたのでした。

その後、2007年の寒いある日、先生との面談の後、いつものように祈って頂いた時、涙が止まらなくなってしまいました。そしてその日、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れることを告白したのでした。その時から神との対話が始まりました。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」とピリピ人への手紙4:6にありますが、実際、何も思い煩わずに信仰の道を歩める人は、恵まれた人だと思います。私の場合、この1年近く、どこの教会でいつ洗礼を受けるか、悩む日々となりました。

その年の暮れにクリスチャンの友人に勧められて、JCFN(ジャパニーズ・クリスチャン・フェローシップ・ネットワーク)の修養会「Equipper Conference」(EC)に参加することになりました。これは全米から若い日本人クリスチャンがLAに集まる修養会なのですが、彼らのエネルギーと純粋な信仰を目の当たりにして、私も「恐れ」を「恵み」に変える一歩を踏み出すよう強く示されたのです。それは、洗礼にむけて具体的に動き始めなさいということと、家族に伝道しなさい、ということでした。

LAを出発して、1月2日に東京に到着、3日に祖父を見舞った後、夜の便で北海道に飛びました。この時はECでかなりequipされていたので、これまでの帰国時とはかなり様子が違いました。特にECで購入した「日本の宗教行事にどう対応するか」という本から知恵を得ていたので、クリスチャンとして何をして良く、何をしてはいけないか、それがなぜなのかを理解していたので、家族の前ではっきりと自分の立場をあかしすることができたのが、今考えても本当に恵みでした。仏教や神道と対立するのではなく、聖書に反することは皆にきちんと説明して行わないようにし(聖書に反しない事柄に関しては受け入れる)、そのことをも証しや伝道として用いることができるクリスチャンの形を目指すべきであることを示されました。以下は実際にあった私と母のやりとりです。

母「お土産を仏壇に置いて、仏さんを拝みなさい」
私「・・・・・・・」
母「どうしたの?早く拝みなさい」
私「・・・・・・・」
隣の部屋にいた妹が様子を察して「お姉ちゃんまさかクリスチャンになったの?」
母「クリスチャンになったとしても、家族は家族なんだから、仏さんを拝みなさい」
私「お母さんが代わりに拝んで・・・・」
母「・・・・・わかった。でも本当の宗教ってのは他のどんな宗教でも受け入れるものだと思うけどね、仏教みたいに」
私「・・・・・」

私が実家をでてから十数年も続けてきた習慣をはっきりと断ち切るのには、かなり勇気が入りました。正直、父と母に怒鳴られることを覚悟していましたが、そのときは意外とすんなり受け止めてくれました。父も隣の部屋にいて全て聞いていたはずなのに、何も言いませんでした。しかしこのやりとりは母の心にしっかりと刻まれたようです。

その後、母と父との現状について、母と二人きりで話す機会があったときに、母の苦しい立場を聞いてあげていたのですが、今しかないと思い、「お母さん、これからいつも私がしているように祈るから、お母さんは何もしなくていいけど私の祈りに 心を合わせるようにしてて」というと、分かったと言うので、神様に対して父と母のことを声に出して祈りました。

「神様、父はまだ自分の罪に気づいていません、あなたの愛を知りません。どうか私を使って父が、神様あなたの望む人間本来の生き方を求めるように、示してください。神様、母が父の過去の罪も、現在の罪も、将来の罪も赦すことができるように助けてください。そして母が背負っている傷をあなたが癒してください・・・・・」祈り終わって母を見ると、涙ぐんでいました。「ありがとうね・・・・」

その後、ECで知り合った同郷の女性に教えてもらった私一人で教会に行き、牧師先生と話しをしました。アメリカ生活の長い先生なので、とても話しやすく、また純粋な信仰をもっておられる先生でした。母のことを話すと、「教会の婦人会が行っている家庭集会があるから、タイミングが良い時にお母さんにも来てもらったらどうだろう」という話しになりました。

その家庭集会のことを実家に戻ってから母に話すと興味を示し 「教会がメールしてくるって?電話してくるって?」と聞いてくるのです。数ヶ月前に電話口で洗礼だけは絶対にやめてくれと言った母がここまで砕かれたことは、正直びっくりしました。私が出発する日の朝、母が私に「この間のように、お父さんの前でも祈ってくれない?」 「いいよ」 この時は信じられない思いでした。

朝食の前に、両親と一緒に祈りの時間を持ったのですが、父は初めてのことでとまどったようです。そのときの父の一言は「日本にいるときは日本式でやれ」でした。

その後、米国に戻ってから、教会を変え、洗礼を意識するようになりました。またニュージャージーの新しい教会に通うようになった直後に、錦織先生が日本伝道の旅に出発すること、先生のスケジュールが許す限りは日本にいる家族への伝道もお願いできることを知りました。

私「先生!北海道まで母のためだけに、伝道に行くのは難しいですよね?」
先生「うーん、ちょっとまだわかんないなー。祈ってみようね」
私「はい、もし無理だったら、電話だけでもしてもらえませんか?」
先生「電話なら、いつでも喜んでするよ!」

その数日後、先生に青森で面接することになり、函館までその足で行けることを知らされた時は、神様が実際におられ、私達家族の救いへの道を開いてくださっていることを、目の当たりにしたのです。

母と先生が2月4日に面接した時に、先生はヨハネの4章を用いて、神の水を飲む者は誰でも心に泉を持つようになり、決して渇くことがなくなることを母にわかりやすいように、話してくださいました。母は、その話にたいそう興味を持ち、また心に何かを感じたようでした。そして手紙をくれていた地元の教会のメンバーに自分から電話をかけ、婦人会の家庭集会に進んで足を運ぶようになったのです。
そこで母は、クリスチャンの生き方、聖書の持つ知恵やパワー、本当の愛、自分の罪と父の罪、自分が幼い頃から飢えていたこと、様々なことに目が開かれ、スポンジが水を吸収するどころじゃない、
紙おむつが抜群の吸収力で横からもらしませんとテレビで宣伝しているけど、例えるとあんな感じで、学んだこと、感じたこと、一つも漏らさず一字一句覚えていったのです。私など比べ物にならない真剣さと真摯さでした。

「婦人会の家庭集会」と字で書くとぼやーっとした印象しかありませんが、これも神様が母に用意してくれたものでした。母が導かれたグループは、40代から70代くらいの主婦の集まりで、恵まれていたことに彼女らは本当に成熟したクリスチャンたちでした。傷ついている母を心から受け止め、愛で包み、また聖書の言葉を一口一口母の口にスプーンで食べさせるように、伝えてくれたのです。

さらに、私達が今でも驚いているのが、グループの名前が「泉」だったことです。母が錦織先生の話で最も深い印象を受けた「心の泉」という言葉がその会の名前だったことに、グループのメンバーも母も偶然を超えた「導き」を感じたようです。

今、私は母と、過去の傷や父のこと、家族のあり方などを聖書や神様の視点で話すことができることに深い恵みと癒しを感じています。無数の心の傷を受け、自分たちの弱さに打ちのめされていた私達母娘は、この弱さゆえに一段と深い絆で結ばれることができました。今、日本人の家族の多くは、弱さの中でもがき苦しんでいるように見えます。これは、神様の救いが広がる前段階なのかもしれません。私も同じような苦しみを味わっている方に一人でも多く、神様の救いの業を伝えたいとの思いが与えられています。

月報2008年9月号より