私とキリスト教の最初の出会いは大学に入学した年です。それは私が自ら求めたものではなく、大学がカナダのミッション系だったことによることからです。今考えますと、その時神様は私にイエス様への信仰の扉を開けてくださったと思います。

大学時代、聖書の授業はありましたが、残念なことに私はまったく聴く耳を持っていませんでしたので、内容は何も覚えていません。でも今使用している讃美歌はその時に買い求めたものです。

卒業後、私は教会付属の幼稚園に勤務しました。子供たちが登園する前の毎朝のお祈りと毎日曜日のお礼拝は仕事の一部でしたが、キリスト教を理解していない私には大変なことでした。牧師先生のお説教は心地良い子守歌でした。でも今は何というもったいないことをしたという気持ちと恥ずかしさでいっぱいです。

その後幼稚園を退職して、あるきっかけで美術の仕事に就くようになったと同時に、キリスト教からはまったく遠ざかるようになりました。当時日本はバブルの最盛期。その中で私は同業の美術関係の男性と知り合い結婚をしました。彼の強い希望もあり、本当は家庭に収まりたかった私の気持ちに反しながらも、一生懸命に働きました。バブルの時期でしたから、美術業界は大変な勢いで潤っていました。私も片隅でそのあおりを受けて、彼の出張についてNYのアートオークションに参加したり、ブランド物を着飾り、高級レストランで食事をしたりする毎日でした。外見は誰から見ても幸せそうな夫婦でしたが、中身はまったく違っていました。そして次第に私の心にはぽっかりと穴があいていきました。

どの位仕事をしても、おしゃれをしても、おいしい食事をしても、心はちっとも満たされない日々が続きました。たまらない虚しさと寂しさを感じていました。「私は一体何のために生きているのか。」「人間とは一体何なのか。」を考えるようになり、毎日が辛く、苦しく、悲しく、死を考えることもありました。

その後、何年か苦しんだ末に離婚をしました。その過去を引きずりながらも仕事を続けているうちに、NYにやって来ました。しかし仕事はそう簡単には上手く行くはずもなく、その中で多くのことを考えさせられました。私は心から人に感謝の気持ちを持ったことがなく、自己中心極まりなく、放漫な思いに満たされていたと。

その後、試行錯誤の中で、やっとこの地で本来の私の職に就くことができ、友人に誘われ二、三の教会にも行くようになった後に、こちらの教会を紹介されました。洗礼を受けることは考えていませんでしたが、聖日礼拝のお説教に毎回感動を覚え、錦織先生より勉強を受けさせていただくうちに、人間は生まれながらにして罪人であることを知り、そのことについて深く考えさせられました。そして今まで私が犯してきた多くの罪があれもこれもと思い起こされて、反省の毎日でした。更にイエス様が私たちの罪のために十字架にかかってくださったことを知った時に、こんなに罪深い私でもクリスチャンになれるのかという迷いはありましたが、何故か自然に洗礼を受ける決心がついたと思います。

またこのような私でも神様は愛してくださる。そして私たちはこの地では旅人であるということを学んだ時、がんじがらめだった気持ちが軽くなり、癒されていくのを感じました。

神様は私に苦い経験を通して、その存在を気付かせてくださったと確信しています。今過去を振り返り、あの辛く苦しかった時は、私にとってはなくてはならない必要な時であったとつくづく思い知らされます。神様はすべて道を作ってくださったのです。

「わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試練に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。」

(ヤコブの手紙 第1章2節)

どのような時でも神様は私たちと共にいてくださることに感謝します。

最後に、私を愛情いっぱい育ててくれた日本にいる両親をいつも守ってくださっている神様に心より感謝致します。そして、これからの一歩一歩をイエス様の愛の御手に導かれて歩んで行きたいと思います。

月報2001年4月号より