8月25日、牧師夫妻は休暇でアトランタに行った帰り道にノースカロライナ州Ashevilleの田中裕兄・亘代姉をご訪問して、楽しい一時を持たせて頂きました。田中兄姉の一人娘・陽子姉は1993年12月19日にJCCNJで洗礼を受けて、歩んでおられましたが、30歳の誕生日を迎える直前、1997年1月に突然主の御許に召されて行かれました。しかし、そのことを通してご両親は信仰に導かれ、今もBiltmore Baptist Churchで信仰生活を送っておられます。今回、そのお証をインタビュー形式でお伺いしてきました。2009

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<お二人の背景>
錦織牧師(P): 今日はこのような機会を与えてくださってありがとうございます。お二人が、初めて教会とか、イエスさまとか、聖書とかに初めて触れられたのはどのような時だったのでしょうか?

田中兄(Mr): 実は私は母を通して知りました。母が聖書を持っているのを知ったのは大学に行くときでした。父は早く亡くなっているのですが、その後、母は島根でカトリックの神父さんの身の回りのことを手伝っていたんですね。その時に母が聖書を持っているのを知りました。しかし、私はそれに触れたこともありませんでしたし、読んだこともありませんでした。でも、もっと早く、3歳か4歳くらいの頃ですが、「主よ、御許に近づかん」という讃美歌をいつも歌っていたことを憶えています。

P: 奥様のほうは?

田中姉(Mrs.): 私は仏教の家庭に育って、まったく聖書とか、キリストとかに触れるチャンスはありませんでした。彼岸ごと、法事ごとにお墓参りするのが習慣でした。別に仏教を勉強していた訳ではありませんが、それを習慣的にするのが当然の家庭でした。

Mr.: 私のほうは家の宗教としては神道でした。もともとは禅宗であったようですが、神道になりました。ご多分に漏れず、家には神様と仏様の両方がいました。母はクリスチャンの背景から来たのですから、複雑な思いだったと思います。伝統の中に嫁いできたのですから、それに従わないということはできなかったのです。その後、聖書を自分で手に入れたのは、大学の時に、文学の一環として、手に入れたのですが、それはそれっきりでした。信仰の書物として読んだことはありませんでした。嫌悪感とか、そのようなものは一切ありませんでしたが、ただ、関心がなかったんですね。

<生前の陽子姉の姿から>
P: そのご夫妻にとって、イエス様のことを知るためにはやはりお嬢さんの陽子さんの存在が大きかったわけですよね。

Mr. & Mrs.: はい、それがなかったら、今でも迷っていたでしょうし、イエス様のことを知ることもなかったのでは、と思います。

Mrs.: もちろん、陽子はNCに来るたびに聖書を持ってきていましたし、教会に行っていることは知っていましたけれども、それについて、娘は自分からは一言も言いませんし、キリスト教というのはわたしたちの人生とは何の関わりもないことだと思っていたのです。

P: では、陽子ちゃんが洗礼を受けるとか受けたとか、そのような話を聞いたことはなかったんでしょうか?

Mr. & Mrs.: 聞いてませんでした。(笑)

Mr.: ある時、私はニュージャージーの陽子のいたところに行った時に、聖書があることに気がついたのです。そのことには一言も触れなかったのですが、友だちの里香ちゃんが、教会に行っているというんですね。そして、ルームメートになってくれるというのですが、でも、自分が行っているとは一言も言わないわけです。その時に思ったのは、ルームメートになる人が、教会に行くような人だったら安心だなあ、と思ったことです。おまえは何するんだ?といったら何もしていないというのです。で、「土日何しているんだ?」と聞いたら、「教会で遊んでいる」と言うんですね。

Mrs.: そして、里香ちゃんの結婚式が陽子が亡くなる1年前、96年にありまして、私も招待されまして、その時、結婚式の翌日の日曜礼拝に娘が「お母さん、どうしても一緒 に行こう」と言い、強引に連れて行かれました。私はあのユニークな娘のお母さんと思われるのがいやだなあ、なんて思いながら~。教会では聖書をめくるのをてきぱき手伝ってくれたりしましたが、なかなか馴染めなかったことを覚えています。礼拝後皆さんに温かく迎えられ陽子の働きなど聞かされました。それよりも皆さんがすごくいいお顔をしていらっしゃると感じた事、何か違うように思わされました。思えばその時こそイエスさまにつながる出発点だったかもしれません。

Mr.: ある時NYから車で一日でNCに来たことがありました。明くる日、見ましたら、聖書があるんですね。あれ、教会に行っているって言っていたけど、本当に行っているのかな、と思いましたが、ただ、まだ野球したり、遊びに行ったりしていると思っていましたから、聖書に触れている、ということはわかりましたが、娘が教会に行くと言うようなことは想像していませんから、読んでるって、そんな読む資格があるのかよ、と言った覚えがあるのです。

Mrs.:  NY生まれの娘が難しい漢字が読めるとは思っていませんので、どうして聖書が読めるのか、と思ったら、全部カナがふってある、って言うんですね。その時、聖書を初めて見ました。ああ、全部カナが振ってあるんだなあって。(笑)

Mr.: 飾りで持っているのかなあ、と思いましたが、また、ひょっと見ましたら、印がついているんです。ああ、読んでいるんだ、と思いました。だけど、自分からは全然、一言も言わなかったです。

Mrs.: でも、一つだけ抵抗したことがありました。毎年、お正月に交通安全のお守りのお札を日本から取り寄せて陽子にも送っていたのですが、ある時、NJに行ったら、それが放ってあるんですよね。「どうしてそんなことをするんだ」と思いました。未だ私は神様のことを知りませんでしたから、ケンカではないですが凄く怒ったんです。その時は彼女は何も言わなかったのですが、後で、だんだん神様のことがわかるようになって、ちゃんとどうして説明してくれなかったのか、と思いましたねえ。説明されても、その時は反発したと思いますが。

Mr.: 私は娘が何か変わったな、と思ったのは、それまで私がいろいろと頼みごとをすると陽子は一番にしてくれていたんですが、ある頃から、やってくれていないんですよね。「何でやっていないんだ」って聞くと、「忙しいから」と答える。「教会で忙しいんだ」って言う。それで、変わってきたかなあ、と思いました。年と共に変わってきたのかなあ、人間が成長するんじゃなくて、生意気になってきたなあ、と思った、その程度でした。
初めて、本当の意味で陽子がどのように変わったのかを知ったのは、陽子の死の時でした。その時に初めて知ったのです。

Mrs.: もっとクリスチャンのかおりを出してくれていたらよかったんですがね。(笑)

Mr.: でも、もし、あのときに本人がわたしたちに言ってきた場合、果たしてそのように率直に受け入れて、動くことができたかというと、わかりません。あれだけ大きな、彼女の死ということが起こって、初めて動いた、動かされたということの中に神を感じますね。

<陽子姉の召天>
P: そうですか、その陽子ちゃんが亡くなられたのは突然だったんですよね。

Mr.: そうです。土曜日の朝に僕が電話したんです。そうしたら、風邪声だったんで、「大丈夫か」って言ったら、「大丈夫、ちょっと休めば直るから」と言うんです。「ママ呼ぼうか」と言ったら「いい」って言うもんですから、「後から電話するからね」と切ったんです。

Mrs.: そして、私は後から電話したんですが、その時は苦しかったみたいで「後から電話するから・・・」と言って切れたんです。そして、翌日、電話したら、皆さんが集っていて、ギルさんが話してくれたんです。

Mr.: 妻の電話に出ている声が止ったので、「これは何かあったな」と心の中に思いました。

Mrs.: 前の子供の時もそうだったのですけれども、体調に問題はあったんです。やはり薬がずっと必要な体で、一応日常生活には問題はないんですけれども、大病とか熱が出たときは特別なケアをしなければいけなかったのです。普段の薬も忙しい、とか言って飲んでいなかったり、すぐにドクターに連絡しなかったりで、手遅れになってしまったんじゃないかなと思います。それも神様の御手の中にあったんだと思いますが。

Mr.: 忙しかったことは忙しかったようですね。机の上に薬も出ていて、飲まなければいけないと思っていたようです。

Mrs.: 定期的にもちろんお医者さんには行っていたことは確かだったのですが。

Mr.: 今から思うと、行くべき地に召されたんだと思います。30年の短い間でしたけれども。

Mrs.: またそれと共に長かったとも思います。遺伝的な問題があって、前は助けてもらえなかったのですが、アメリカでいいお医者さんに巡り会えて、治療ができて、30年生かされたと思うと、感謝ですね。

<教会に導かれる>
Mrs.: しかし、娘が亡くなった時に、皆さんから励まされたのが、「天国で会えるんだよ」ということだったのです。教会に初めて行った後、その頃から聖書に対する興味というか、あったようにも思ったんですが、やはり、本当に読み始めたのは陽子が亡くなった後です。陽子の聖書を読んでいました。でも、教会には行っていませんでした。ある日、会社のクリスチャンの人に「教会に行きたいんだけれども・・・」と言ったときに、今の教会を紹介して頂きました。それからもう、12年通っています。主人共々もう10年ほど、奉仕もさせていただいています。

Mr.: 本当にタイミングよく、と言いますか、たまたま僕の部下に紹介してもらったんですね。カトリックだけはわかりましたが、メソジストもバプテストもわからない自分が教会に行くとは思っていなかったんですが、とにかく行ったところが今の教会なのです。初めて行った時には、びっくりしました。音楽はやかましいし、人は親切なんだけど、教会に対するイメージと違って・・・。

Mrs.: 太鼓やボンゴやギターやタンバリン 、でもプロ級の方のAmazing Graceよかったです。

Mr.: いやあ、耳が痛くなるほどで、ショックでしたね。

Mrs.: でも、今でも教会はそうですが、好きですね。教会は好き嫌いじゃないんですが・・・。でも、オルガンだけの教会よりも賛美している気持ちになります。英語がわからないからかもしれません。

Mr.: 私の場合は、その時の説教が心に残っているのですが、その基本はどこにあるかというと、NJの教会での1年目のメモリアルサービスと、その前の葬儀の時に与えられた言葉が残っていましたね。後から、ヨハネの14章の言葉だとわかるわけですが、「私はあなた方のために場所を準備して帰ってくる」という言葉でした。その時は単純にそれを受け取りました。普通だったら、そんな夢物語みたいなこと・・・と思っていたと思います。しかし、子供の死に直面して、どこに行ったのか、ということを自信を持って語っておられる、皆さんが本気で信じている、どうしてそうなんだ?という思いがありましたね。

Mrs.: 私が決心したのは、1周年のメモリアルサービスをした時なんですが、いま考えると、どうして1年以上も時間がかかったのかと思うくらいです。でも、その時はまだこだわっていました。親戚とか、友だちとか、その人達に対して、言わなければ言わないで済むのかもしれないのですが、それが気になってのばしのばしになっていました。主人は半年前にこちらで洗礼を受けたのです。こちらの教会でメッセージを聞いて、前に出たんです。でも、私は英語はわからないし、、まだその時は主人は、おまえも来い、とも、行こうとも言わなかったし。未だ先だ先だと思い込んで、1年経って、中野雄一郎先生が背中を押してくださって、一晩で決心しました。「いつまでも廊下で教室を眺めていても進級しないよ」と先生に言われて、飛び込んだのです。もちろん、それまで、聖書は読んでいましたから、すぐに決心出来たのですが。だから、皆さんがおっしゃるように感動して涙が流れて、とか、そういう経験はできなかったのですが、でも、やがてイエスさまの前に立たせて頂けるときには感動で涙があふれるだろうことを思い浮かべます。

Mr.: 私の方は全然妻とは違いまして、おっちょこちょいと言いますか・・・。

Mrs.: だから、主人が洗礼を受けてから、少しは変わってくれるかなあ、と思っていたのですが・・・。(笑)もう、亭主関白は変わらないし・・・。教会に行くと、みんなご主人達は奥さんのドアを開けてあげるのを見たりしているんですよ。椅子を引いてくれるとかね。ああ、クリスチャンってああいう風になるんだって。(笑)

Mr.: 私の場合は、教会に行き始めて、2ヶ月くらい経ったころですか。教会のメンバーの方が訪問して来られたんです。最初は断ったんです。教会のReach Outというプログラムで、最初に教会に行ったときに、住所と名前を書いたのですが、クッキーか何かを持って来られておいて行かれたと思います。その時は事前の連絡もなく、準備もできていなかったので、お断りしたのですが、それからまたしばらくしたら、また訪問があったのですが、今度は牧師が夫婦で来られました。それでお話をしたのです。わたしたちのことをお話ししましたら、「とにかく、飛び込みなさい、信じなさい、後はそれからでいい」ということを言われたんです。私も「こんなところでくよくよしているくらいなら、まず信じることだ」と思ったのです。そして、その時に信じるお祈りをしたのです。その瞬間に思ったことは、私は伝統も周りの人々もすべて失うんだということでした。そう思うと周りが真っ暗のように思えました。しかし、「信じます」と思ったときに、真っ暗な中に白い光のようなものが見えたように思いました。あとはまっしぐら、かどうかはわかりませんが、とにかくやっております。それが65歳くらいの時ですから、若い方々と違って、人生の大半をすごしているわけですから、それはもう一回生まれ変わるつもりになるのは大変なことです。

<信仰者としての歩み>
P: そして信じてから学ばれる、ということだったんですね。こういうことだったのかと。

Mr.: そうですね。悩んだこともありました。知れば知るほど重くなることもありました。クリスチャンになったら、もうわかっているものだと思っていろいろ話しかけてこられるわけですね。私はこれからいろいろ学びたいと思ってクリスチャンになったわけなんですが、周りはみんなわかっていることを前提に話してこられるんです。子供の頃から教会に来ている人々がたくさんいるアメリカの教会で、みんなの前で、「この田中さんは仏教、神道の世界から、すべてをなげうってクリスチャンになった」と非常にユニークな存在として、貴重な存在として紹介されて、期待を持ってみんな話しかけてくるんです。それは重荷でした。(笑)自分はどうかって自分ではある程度わかっている訳ですからね。そして、相談する人が近くにはいなかったですから・・・。

P: クリスチャンとして歩んでいる中で、神様がこういうことを通して支えてくださった、ということはありますか?

Mr.: 私の場合はこういう病気(小脳変性症)を持っていますから、いつ主に召されてもおかしくないので、この人生の中で生かされている中で、神の助けがなかったら、今ここにいないと思います。毎日毎日が生かされているなあ、という思いです。どのようにこの恵みにお応えしたらいいのか、わからないのが今の自分自身です。感謝しているのは、日常の小さなことから、アメリカに来たことも感謝だし、またこうしてノースカロライナに来たことも恵みでしたね。子供が亡くなったことも、子供は天国に行けたし、私も行くのだ、という大きな希望がありますね。ここは教会も近いし、教会を通して神を信じる人たちが、集って一つの場に生き、そこに私が置かれているのも大きな恵みだし、私生活に帰って、この神を信じる人たちのケアセンターにおられることも、この中で生きることを与えられていることも、「与えられている」と信じる僕を造っていてくださることも、妻と共に歩めることも、・・・私はクリスチャンになっても、ホントに余り変わっていないのですが・・・(笑)、彼女と共に歩めるのも、大きな恵みだと思います。こうやって先生達と仲良くなれるのも、誰かが作ったんじゃないですからね。

Mrs.: 私はイエスさまが共にいてくださるということだけで十分ですね。病気の時でも喜びの時でも恵みを数えることができるのですからね。恐れないでいいことですね。これからいろいろなことが起こるでしょうが、イエスさまが共にいてくださる、ということが何ものにも換えられないことです。こういうところ(Deerfield Retirement Community)ですから、お休みの度に家族の方が来られますが、いいなあ、と思ったりすることもあるのですが、喜ぶ人と共に喜び、悲しむ人と共に悲しみたい、とそのような願いが与えられたことが幸せだと思います。

Mr.: 市民権を取ってアメリカ人になるなんてことは、クリスチャンになる前には考えられませんでした。日本人は日本人、アメリカ人はアメリカ人だと思っていました。でも、クリスチャンになって、そんなことは全く問題ではないんだということがスムーズに受け入れられるようになりました。もちろん、日本は愛していますが、もっと広い意味で、神の国に生きるんだ、ピリピ3章20節にあるように、わたしたちの国籍は天にある、わたしたちの市民権は天にあるんだと思わされています。

Mrs.: この世ではわたしたちは旅人なんですよね。市民権は天にあるんですね。そんな気持ちを抱けるのは幸せですよね。私は4歳前に母親を亡くしたり、娘の死を経験したり、それらが試練だと思っていましたが、エレミヤ29:11「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」の言葉が励ましになり、支えになりました。戦争で家が焼けて、集団疎開をして、つらい思いをしたこともありました。父が再婚した母がとてもよい人で、守られたり、いい経験もあるのですが、どうして私はこんななのかなあと思ったこともあります。絵に描いたような幸せな人がいるのに・・・。それも神様のご計画のうちに置かれていたんだと思うとやはり希望が持てます。そして今、最近英語で覚えた聖歌、Turn Your Eyes Upon Jesusを愛唱しています。
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今回、このようにゆっくりお話をさせて頂くときが与えられて、信仰者としての田中兄姉の姿に励まされて帰ってきました。そして、陽子姉が天に召されたこと、それは本当にヨハネ12章24節の「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」その御言葉通りのことだったんだと思わされます。遠く離れて信仰を守っておられる兄姉のために続けてお祈りください。

月報2009年10月号より