半年前の5月、私は Messiah College の生徒達14人と、宣教のためにニカラグアの国に2週間行く機会が与えられました。Food for the Hungryの代表の人たちと一緒に協力し、色々な教会のプログラムや学校の授業を手伝い、建物の修理をしたり、そして地元の人の家を回ってニカラグアの人々のために祈りました。私達は出発する数ヶ月前から毎週会議をし、様々な計画をたてていましたが、旅の詳しい内容は全然分かっていませんでした。ただ祈り、神様がどのように私達を導いて遣わしてくださるかを待つだけでした。
最初からチームのリーダーに メマナ、スペイン語の通訳、頼むね。”と言われていたので、飛行場に付く前からものすごく緊張していました。でも出会えた地元の人々は、
ものすごく心の暖かい人たちばかりで、一生懸命私と話してくれました。初めの1-2日はオリエンテーションで、首都であるマナグアを観光し、歴史を学びました。
そして、2時間ほど離れたチナンデーガと言うスラム街に移動しました。その町の小さな教会の牧師さんと会って、子供たちのプログラムを手伝いました。
辺りの小学校は午前中しか授業がないため、その後はよく教会に来て皆で遊んで、短い礼拝に参加していました。ちょうど母の日の時期だったので、一緒に母のためのクラフトを作り、スペイン語で讃美の時間をリードしました。その後、辺りに住んでいる元ヤクザのメンバー達と一緒にサッカーも遊ぶ機会もありました。
でも私にとって、チナンデーガで一番印象に残ったのは、2グループに分かれて人々の家を回って祈りの時をもてたことでした。町を見歩いてみると、“こんなのでどうやって暮らしていけるの?”と思うぐらいボロボロで、台風に襲われたかの様な家ばかりでした。それなのに訪ねていくと、人々は皆“どうぞどうぞ、早く上がって! 私達の家にようこそ!わざわざ来てくれてありがとう!”と言い、喜んで家を案内してくれました。そして、“何か一緒に祈ってあげられる事はありますか?”と聞くと、出会ってから10分もたっていないのに、皆 私達に心を開いてくれて、色々な個人的な悩みを話してくれました。教会に通えない理由、家族内での問題、体の癒し。。。色々な祈りの課題が出ました。
なかでも一人の女性が次のように言ったひと言は一生忘れられません。
“長い間、私がどんなに辛い思いをしているのか、誰かに分かって欲しかったけど、話をこうして真剣に聞いてくれる人は、今まで誰もいなかったわ。本当にこんな私のことを思ってくれてありがとう・・・“
私たちが出来るのは話を聞いて一緒に祈ってあげることだけでしたが、チナンデーガの人たちにとっては、それだけでも励ましになったことが私には驚きでした。
もう一つの私達の大きなプロジェクトは、ボアコと言う山のど真ん中にある小さな村の辺りの幼稚園と小学校で歯の手入れの授業、そして讃美と聖書の時間をを手伝う事でした。マナグアとチナンデーガとは違い、ボアコの人々は、小さな馬小屋のような家に住み、床は全部土、トイレは外に掘った穴だけ、水も全部何キロも離れた井戸から毎日運ぶ、と言うような生活をしていました。そして学校ではほとんどの子供達は歯ブラシや歯磨き粉を見たこともなく、ちゃんとした歯磨きの仕方も知りませんでした。一度も歯医者に行ったこともなく、かなり歯が痛んでいた子もいました。
そのような状態だったので、私達は先生方と協力し、歯磨きのポスターや、子供たちが分かるように劇も作りました。外国人を見るのが初めてだった子供たちは大喜びで、私たちがアメリカからプレゼントとして持ってきた、歯ブラシと歯磨き粉のセットも笑顔で受け取ってくれました。そしてその後は子供たちと讃美をし、“よきサマリヤ人”の劇を発表しました。ものすごくシンプルで、たいした劇ではありませんでしたが、子供たちは目を真ん丸くしながら真剣に見てくれました。子供たちが大好きだった一曲の歌詞の一部を紹介したいと思います:
“Eres todopoderoso, eres grande y majestuoso. Eres fuerte, invincible, y no hay nadie como tu”
(あなたはは全能の神、威厳のある素晴らしい方。あなたの様に強くて
征服できないお方はいない)。
この旅に行って一番驚いたのは、あんなに貧しく暮らしているニカラグアの人たちが、どんなに私達を厚くもてなしてくれたか、と言うことでした。牧師の家、教会、そしてホストファミリーの家に泊まりましたが、皆私達のために素晴らしいごちそうを作ってくれたり、洗濯をしてくれたり、本当に家族の一員として受け入れてくれました。そして私たちが何か少しでもしてあげたら(例えば家の掃除や料理の手伝いをしたら)その十倍のものを私達に与えてくれました。それから、出会えた人たち一人一人と個人的に話をして、どういう重荷を抱えているのかを少しでも理解できた事が感謝でした。私のあまり上手でもないスペイン語を本当に辛抱強く理解しようとしてくれ、私を信頼し、悩みや祈って欲しい心配事を涙を流しながら語ってくれました。
今振り返って “なんであんなに貧しくて苦労一杯の生活をしている人たちが、毎日笑顔で私達を出迎えられたのだろう?どうして出会ったばかりの私達に色々な話をしたがり、やさしくしてくれたのだろう?”と思うと、それは人間関係を通して神様の愛に満たされていたからだと思います。アメリカでよく見る物質主義な考え方とは違って、ニカラグアの人たちにとって信頼できるのは、お互いの励ましと神様の支えでした。今の時代では自分がどんな家に住んでいて、どんな車を持っていて、どんなにお金を持っているかが一番のプライドと言う人が多いかもしませんけれど、そのような物がないニカラグア人は人との出会いと交わり、そして信仰を第一にしていました。
あと、もう一つ感じたことは、もしかしたら、大学生14人がニカラグアに行けるために集めたお金を大きな小切手にして、色々な団体にドネーションとして送った方が、簡単で役に立ったかもしれませんが、実際に現地に行って人々と出会って、顔を見ながら話をしたり、心から話に耳を傾けたりする交わりに、どれほど価値があるかと言う事が分かりました。
ボアコで出会った牧師さんが私たちが帰る直前にこう言いました:
“You are the voice of Nicaragua nowモ. 私たちが見て経験した事をアメリカに持って帰り、ニカラグア人の物語を伝えてほしい・・・ニカラグアの声となって・・・”
それが牧師さんの願いでした。
本当にこのような経験が出来た事を神様に感謝します。また、私がこの旅に行けるようにサポートしてくださった教会の皆さんに心から感謝しています。
“主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。モ -詩篇18:2
月報2007年12月号より