「今から10年前の春分の日に…」

今から10年前の春分の日に、千葉の海岸で洗礼を受けました。それまでには色々な「出会い」がありましたが、神様はこんな小さな私のためにたくさんの人を通して導いてくださいました。

はじめて聖書を手にしたのは、大学の入学式でした。その頃は、毎日のチャペルの時間・聖書やキリスト教概論の講義など、チャンスはいつも目の前にありましたが、表面を撫でていただけで、近所の教会へもレポート提出のためにしばらく通った私でした。

こんな私が結婚して4年経った頃には3人の子供たちの母となり、カナダのバンクーバーで生活していました。上の子がナーサリーへ行っている間に、下の子2人を連れて英語のレッスンにバプテストチャーチへ通うことになり、日本で牧師をしていたというカナダ人の先生に出会いました。日曜日の午後には日本語礼拝をしておられると聞き、家族で参加したりもしましたが、先生の体調がすぐれないために、別のESLクラスへ通うことになり、それきりになってしまいました。

日本へ帰国してから、時々聖書を手にすることも多くなった頃、エホバの証人の方々が時々訪ねて来られ、話をすることもありましたが、主人からは「近くにちゃんとした教会があるんじゃないの?」と言われ、友人にエホバの証人ってどんな人達なのか聞いたりしました。その友人がクリスチャンで、私にプロテスタントの教えとエホバの証人の違いを理解できるようにとお茶に誘ってくれ、友人宅で牧師さんに出会い、色々話してくださり、聖書学校・日曜礼拝へ誘われ、私はすぐその週から聖書の学びを始めました。それまで私は勝手に自分の神様に毎日お祈りしていましたが、学びを通して全てがパチンと合ったという思いが強くしました。その教会で、日頃遠くからステキだなあと思っていた方々と出会ったことは大きな驚きでした。喜びでいっぱいになり、御言葉を実行する人になりたいという思いを持って、海で洗礼を受けました。その頃には一緒に教会へ行くようになっていた主人が、洗礼式に深く感動し、半年後に主人も同じように海で洗礼式を迎えることができました。子供達も楽しく日曜学校へ通っていましたが、イギリスへ赴任することになり、しかも地西部のマンチェスターで、未熟な私達は不安でしたが、会社の家のある小さな町(ほとんど村)には、クリスチャンファミリーが待っていてくれました。4家族の日本人のうち3家族がクリスチャンというすごい確率でした。毎日曜日は地元のバプテストチャーチへ通い、月1回はバイリンガルサービスへ集うという恵まれた環境には本当に感謝でした。マンチェスターでは、ハワード夫妻という、神戸で宣教師をしていた方々に出会い、たくさんの日本人クリスチャンに出会い、アングロ・ジャパニーズ・クリスチャン・ミニストリーズ(A・J・C・M)という組織の始まりに参加することができ、隣の隣りに住んでいた友人の洗礼に立ち会い、日本からの留学生(17歳)の洗礼もありました。日本人が少ないこともあり、日本を紹介したり、私の教えていた粘土手芸を村のイギリス人婦人会の方々の前で作って見せたりと、つたない英語で四苦八苦しましたが、色々な場を通じ、友人を通じて新たな出会いがあり、たくさんの人を知ることができ、一歩ずつ前進できたのだと思います。

神様はこのようにいつも色んな人を通して働いてくださいます。今、私はここニュージャージーで色々な人に出会っています。自分の中に改めたい所がある私は、学ばされることがいっぱいです。これからも出会いを大切に、

「いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべての事について、感謝しなさい。」

テサロニケ第1 5章16節~18節

このように歩んで行きたいと思います。主にあって。

月報2000年5月号より

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です