「悲しみの淵より」

昨年12月に、突然、丈夫で元気だった母が脳梗塞で亡くなった。
日本時間で深夜、救急車で運ばれたと父からの電話を受け、私はその頃体調を崩して寝込んでいたのだが、翌日慌てて飛行機に飛び乗った。教会でもすぐに連絡網で祈りの緊急課題がまわされたが、雪で飛行機は欠航、母は亡くなってしまった。
「神様、今、なぜ母なのですか?」最近は父の方が具合が悪く手術や入退院を繰り返し、その世話を母がしていたからだ。アメリカに来て17年、次女も9月には大学に入るので、ようやくこれから両親と共に過ごせる時間がもっと出来ると、そんな話を楽しく母と電話で話したのは1週間ほど前だろうか。空港から葬儀場の霊安室に直行して、眠っているとしか思えない母と会った。「ごめんね、でも今までありがとう」と泣きながら頬ずりをしたその頬は冷たく、レモンの匂いがした。消臭剤だ。しかし母のいない家に戻り玄関を開けたとたん、いつもの母の匂いがした。「神様、こんなことは耐えられません」どうやってこの試練を乗り越えたらよいのか、まったくわからなかった。ショックと悲しみと後悔でもはや信仰さえ失ってしまうかもしれない、と思うほどだった。
翌日から待っていたのは、どこに何があるかわからない家の中の探し物から始まり、身も心も傷心し切った父を励ましながら、家の片付け、遺品の整理、山ほどある事務手続き等、日本の事情もよくわからない、自分も具合が悪い中、まるで戦場だった。自分の身に起きた事が信じられなかった。ただ、祈られていることだけが感謝で、それだけが支えであり、共に悲しんでくれる人たちの存在がありがたかった。親を亡くすことは誰でも通る道だが、愛する人を“突然”失うことがこんなにも辛く大変なことだと初めて知った。これは体験した事がある人でないとわからない苦しみだ。自分はこのまま鬱になってしまうかもしれないと思った。

しかし、神様はおられないと思えるような場所でも神様は働いておられた。きっかけは送られてきた2冊の本だった。一冊は『素晴らしい悲しみ』送ってくれた彼女も数年前NJの教会にいた頃に突然の転落事故でお母様を亡くし、私と同じ経験をされていた。ここにはあらゆる種類の喪失の悲しみから癒されるまでのステップが書かれてあり、喪失体験後に 陥るひとつひとつの症状が、どれも私に当てはまる事ばかりで、‘自分はおかしくなってしまったわけではない、これでいいんだ’と思えたことは救いだった。しばらくして教会の別の友人から『慰めの泉』が届いた。これは、特に家族を失って深い悲しみの中にある人へのショートメッセージが日ごとに書かれてあり、毎日少しずつ読んだ。そのうちに、天国がどのような所か、神様はどのようなお方かに、だんだん目が向くようになり、この地上の悲しみから神様、イエス様がおられる天を見上げる事が出来るようになり、そして母は今どんな所にいるのかが見えてくるようになった。確かにこの地上では母の死は喪失なのだが、天国では新しい仲間をひとり迎え入れた喜びとなる。地から天に視線を移すこと、自分が合わせるべき焦点はどこかがはっきりとわかった。

実は母が亡くなる少し前にどういうわけか、電話でこんな会話をした。「お母さん、もしどこかで倒れちゃうような事があったら、“イエス様、信じます”って言ってね」と言うと、クリスチャンでない母は「あら、難しいわ。ちゃんと言えるかしら」と言うので、私は「大丈夫だよ、今からちゃんと練習しておいてね」と言ったのだ。その話を父から母危篤の連絡を受けた時、沖縄の妹に電話で伝えた。彼女が病院に着いた時、母は酸素ボンベをつけたまま意識不明の状態だったが、私の話を思い出し「お姉ちゃんが言ってた事、今からでもいいからねー」と言うと母の目から涙が流れたそうだ。母は、きっとイエス様信じます、と言ったに違いない。イエス様は信じたその瞬間に、天国の切符を下さるお方だ。
また、母の遺品を整理していた時、毎月の月報の束を見つけた。ちょうど12月号の証が長女の真奈がニカラグアに行った時のものだった。「お母さんがそれを読んで、真奈も大人になったのねえ。と言っていたぞ」と父が言った。日本に届いたのは母が倒れる直前のはずだ。母がこの世で最後に見た月報は孫の書いた証だった、最後の最後まで確かに福音は届いていたのだ。
母に何もしてあげられなかったという後悔と罪悪感にずいぶん苦しんだ。しかし最近になって、一番しておかなければならなかったこと、それは神様の事を伝える事だったのではないか、と気がついた。もっと共に時間を過ごせれば楽しい思い出ができたし、病気になって看病する事ができれば良かっただろう、しかし、とどのつまり永遠の命の事を伝えなかったら、この世の幸せもそれまでなのだ。イエス様の事を伝え、これさ
え握って天国に入ってもらえたら、後は御国で再開した時に何でもできることなのだ。

そうして、2ヵ月半日本に滞在してNJに帰ってきた。母が死んで全ては変わってしまったかのように思われた。確かに状況や計画は変わってしまった。しかし変わらなかったもの、それは神様はおられたという事実だ。人間の目にそうは見えなくても神様の時は確実だ。神様は一番良い時に一番良い場所に母を連れて行ってくれたはずだし、この地上においても最悪な状況が続く中、必要な助け手をいくつも備えてくれた。神様はいないと思える時でも、振り返ればそこに初めから共にいてくれたのだ。母が死んだ時「もう伝道できない」と思ったが、気がつくと今、苦しみの中にある人と一緒に祈れるようになっていた。『わたしはあなたの信仰がなくならないように祈りました。だから立ち直ったら兄弟たちを力づけてやりなさい。』ルカによる福音書22章32節。今回多くの人の祈りに支えられたが、イエス様ご自身も私の信仰がなくならないように祈ってくれていたのだ。そして、あの深い深い悲しみの淵からここまで引き上げてくださった神様の力、これこそがまさにイエス様を死からよみがえらせた神様の力なのだとわかった。

まだ母のことを思い出すと泣けてくるし、残された父の事も心配だ。試練はまだこれからかもしれないし、いくつもの喪失体験が待っているだろう。しかし起こった出来事に焦点を合わせていく限りこの世は「なぜ。どうして?」の連続だ。でも出来事にではなく、神様に焦点を合わせていけば、今はわからなくてもいつか、神様がすべての事を神様の目的を持ってされていると思える時が来ると思う。聖書の中で信じられないような試練に会った人たちがどうやって歩んできたか。それはどんな最悪の状況の中でもただひたすら神様を信じ、神様に忠実に歩んでいる、今その姿に心が惹きつけられる。私もそのように歩めたらと。
『人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを知らなければならない。あなたの神、主の命令を守って、その教えに歩み、主を恐れなさい。あなたの神、主があなたを良い道に導き入れようをしておられるからである。』申命記8章5~7節。

月報2008年5月号より

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