「支援の中で感じたこと」

今月は元ニュージャージー日本語キリスト教会のメンバーで、今は日本におられる天野潤さんに、東日本大震災の後に支援活動をされた経験の中で、思わされたことを書いていただきました。

「支援の中で感じたこと」
         
NJ日本語キリスト教会の皆さま、本当にご無沙汰しています。

東日本大震災の時に、サマリタンズ・パース(2011.11~2013.8)の一員として復興について関わってきたので、今日、この記事を書くことになりました。

「なぜ神様はこれを許されたのだろう?」、「なにを見せたかったのだろう?」、「罰が下されたのだろうか?」などと自問します。しかし、まだ答えは見つかりません。この震災については、皆さまも思うところ多いと思うのですが、今日は支援をとおして、私なりに感じ、残しておきたい記憶をつぎの3点にまとめておきたいと思います。

1.終わりの日に備える
この震災では、「そのときは、ユダヤにいる人は山へ逃げなさい。屋上にいる者は家の中のものを持ち出そうと下に降りてはいけません。畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。ただ、あなたがたが逃げるのが冬や安息日にならないよう祈りなさい。」(マタイ24:16-20)というみ言葉が現実となってしまったということを感じました。生き残った人の話でも、家に戻った人がそのまま帰らなかったという証言を多く聞きました。もういちど災害について、あるいは終わりの日に向かって、こころを引き締めましょう。

この大災害をとおして、●自然の災害は人間の想定を超えることがある、●電気のない生活がどんなものか、●石油がない時どうしたか、●食べ物が不足するときの生活、また、●放射能の被害とはどんなものか…など、これまでの各種報道で何度も見てきたと思いますが、来るべき困難な時代がどんなものか、そのサワリを示してくれたように思います。現代は、Proxyの時代だと言われているとおり、電気も、石油も、食べ物も、誰かに(どこかに)依存して暮らしています。実に子供の教育から、親のお世話まで委託に頼りお金で買う時代ですから、委託先がこけると悲惨な目に会います。高層マンションでは、エレベーターの故障・停電だけでも、生活できなくなってしまうでしょう。

もちろん、苦難の日の前に、クリスチャンは携挙(天にあげられること)されるので、信じていればよいというクリスチャンも多いのですが...皆さんはどうでしょうか?この災害が来るべき艱難時代(多くの災いが起こると聖書に預言されている時代)の、神様からの警告だと思われる方はいますか?

2.クリスチャンは必要なとき一致する 
サマリタンズのキャンプでは、復旧・復興・支援とフォローアップについて、教会を超え、教派・役職にかかわらずみんなが協力していました。(起床)(朝食)(全員でディボーション)(現場でお祈り)(作業)(家主さんとの会話)(作業)(片づけ)(お祈り)(キャンプでシャワー)(食事+分かち合い)(就寝)というルーチンでしたが、アメリカ、カナダ、ドイツ、オーストラリア、韓国、ブラジルなど、国を超え、ことばの壁を超えて協力し働きました。この一体感はとても心地よく、充実していて、天国の様子を垣間見た心持でした。僕たちクリスチャンは、必要な時に一致できるというのは、大きな励ましです。

使徒の働き2:44-47には、「毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった」とあります。神様はこのことについても神の国の予告編を教えてくださったように思います。

3.愛は実践
ルカ福音書に記述されたサマリヤ人の例は実践です。旅路の途中、サマリヤ人は傷つき倒れた人に手を差し伸べ介抱しました。イエス様は、「あなたも行って同じようにしなさい」と語られました。ここにサマリタンズ・パースの原点があります。サマリタンズの働きで救われた人の証を聞くと、泥出しをする人・大工さんたちの働く姿、祈る姿を見て信じたという人が大変多く、実践は説得力であるというのが、僕の実感です。

フロリダの大工さんが言った言葉が耳に残っています、「Sweat & tears only change their hearts!」 汗を流してその人のために働くこと、また涙を流して祈ることが必要だというのです。同様に、子供は親の「やる」ことはまねるが、「言う」ことは聞かないと言われていますよね。

被災者に触れる時、イエスを信じてほしいけれど、自発的でなければ意味がない!その人のため働いていても、「どうせ ”string attach”だ」などと思われたくない!ほんとうの神さまに触れて欲しい!

「エルサレムの娘たち、私は、

かもしかや野の雌鹿をさして、誓っていただきます。

揺り動かしたり、かき立てたりしないでください。

愛が目ざめたいと思うときまでは。」 雅歌 2:7

人を愛するって、忍耐でしょ!? (祈り)日本の魂にほんとうの救いが訪れますように。

(終わりに)  東北の各地で、この4年間にいままで教会のなかったところに、新しい教会が建てられてきました。今でも石巻では、サマリタンズで働いた若い人たちが残って、ボランティア活動を行っています。2月―3月の作業内容は、海苔の収穫や牡蠣の種付け、仮設の訪問、各種フェローシップなどです。

息子(亮)は(めでたく結婚し)、公立の小中学校では宗教的な「賛美」を教える事は認められないのに「ゴスペル」は、OKというので(笑)、石巻の学校でのゴスペル・クワィアーを通じて子供たちに関わっています。ご存知かもしれませんが、仙台で2014年11月3日、ゴスペルフェスティバルに参加した時、延べ、1500人のミュージシャンが仙台の街9ヶ所でのライブで、朝から晩まで賛美していたのを見ました。1ヶ所で一日中賛美があるのは聞いても、一つの都市で同時に9ヶ所で賛美が歌われたというのは、驚くべきことで、♪御国の心地す♪の祝福でした。また、復興に関わった牧師たちの連絡網は今も生きています。

いまは、わたしは直接は復興の現場に関わっていないのですが、”Food”がキーワードだと聞いたので、農とコミュニティーに関することを始めたいと考えています。フランスのColibris(ハチドリ)運動(南米エクアドルの先住民族の言い伝えで、森火事に一滴ずつ水を運ぶハチドリのこと)にならって終わりの日、または、愛の実践のために、自分にできるひとしずくですね。

賛美主♪天野潤

月報2015年3~4月号より

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