7月16日。私達夫婦の渡米2年目に家庭崩壊寸前の状態から夫婦揃って洗礼式を迎えるまでに至った経緯を「証し」としてお話ししたいと思います。
私達夫婦が3人の子供と渡米したのは、2004年7月、夫の2年間の留学のためでした。突然の留学話。2年間自費留学するための資金は無かったものの留学のためより『家族再生』のため、(何でもいい、今の状況が変るなら!)と生命保険や学資保険を解約し、売れるものは全て売り払い、どうにかこうにか渡米準備完了。荷物は5人家族で段ボール箱4つとスーツケース2つ、犬一頭が全てでした。
友人も知人もいない初めてのアメリカでの生活を思うと不安と寂しさ、心細さで一杯。でも一方で『家族再生!』をスローガンに「家族で過ごす時間さえ有れば何とかなる」と、期待も一杯でした。
――娘が1歳過ぎた頃、夫の転勤で大学病院勤務に戻ると、夫は帰宅が週に2日の激務になりました。そして、娘が1歳半のときに2番目の子供を妊娠。単身赴任の様な状況で、まだオムツも取れていない上の子を抱えて2回目の出産を迎えるのかと思うと、嬉しさよりもまず不安でした。漠然と親の援助を期待する事などを考えて行った2回目の検診で、実は2番目の子供だけでなく3番目も妊娠している事が分かり、嬉しいのか不安なのか、もう何が何だか分からず頭の中が真っ白な状態で娘と帰宅しました。上の子の妊娠時とは比べものにならない勢いで、みるみる膨らんでくるお腹に不安を感じていた頃、ある人に「双子を授かる人は神様に選ばれた人なのよ、」と言われ、私にとってはその後、子育てで辛い時いつも思い出し、心の支えになる言葉でした。幸い経過は順調で管理入院のため3ヶ月入院したものの、予定日の2日前に出産、しっかり一人分ずつの体重で生まれてくれたお陰で4日目には退院できました。しかし、自宅に戻ると私一人の先の見えない育児の始まりでした。2歳2ヶ月の娘と双子の乳児の世話で母乳も1ヶ月で止り、毎晩1、2時間おきの授乳で昼夜逆転、心身共に疲れ時々はっと、気付くとオムツを替える時も沐浴させている時も無表情で無言の自分。かわいい盛りの娘と生まれたての赤ちゃんの成長をゆっくり見る事の出来ない仕事に追われる夫も気の毒なはずでした。でも、(望んで産んだのに。)(私だけの子供じゃないのに。)そんな思いばかりが心を埋め尽くしていました。
双子の誕生から4ヶ月後、実家の父が脳内出血で倒れ、週に一度来てくれていた母の手助けが無くなりました。一命は取り留めたものの、それ以降約2年間続く父の入院では、娘として何も力になってあげられず申し分けない気持ちと裏腹に、いつも思いやってくれる母に対し、「たまには、手伝いに来てよ。病院に居るお父さんには看護婦さんやヘルパーさんがいるけど、私にはお母さん以外、誰も頼る人がいないのよ!」と、母に暴言として吐いた時、『夫と子育て』という意識は完全に消えていました。母との子供ではないのにおかしな話です。娘は放ったらかし状態になる事が多く、それに比例するように愛情の飢えも強く感じられる様になりました。息子達も日増しに活発になり、気分転換で公園に行っても四方に散らばる子供達を追いかけに行くだけで、ストレス解消どころか逆に疲れ、次第に引きこもり親子になっていきました。(一人になりたい!せめて3時間続けて眠りたい!)そう思うばかりで、娘に抱っこをせがまれても、すでにその気力は残っていませんでした。その頃の娘の「ママー!だっこだよぉ!」と泣く声は今でも耳から離れません。と、同時に(子供より自分の方が大事なんじゃないか)という疑問がいつも着いて回り、息子達の言葉の遅れも気になり始め、“無言育児”を思い出し、苦しみました。(このまま、こんな母親に育てられる子供達は、一体どんな子になってしまうのだろう、夫の知らない間に子供達は成長を続け、分かち合う思い出もなく思春期になった頃に、父と子の会話、夫婦の会話なんて出来るんだろうか。。。)と思うとどうしようもなく不安になり、焦り、その気持ちを話したい夫は居ないという状況で、一点の光も見いだせない暗い穴の中に居る様でした。夫も相変わらず多忙を極め、お互い日々、自分のやらなければいけない事で精一杯。お互いを労り合うなんてとても考えられない状況が続いた、そんな時に舞い込んだ留学話だったので、一も二もなく飛びついたのでした。
しかし渡米3ヶ月後、元来、前向きで自信に満ちあふれていた夫が一変しました。
この時娘は6歳、「このあいだ産まれたはずの赤ちゃん達」もいつの間にか4歳になっており、夫にとってほぼ“初めての子育て”は“初めて思いどおりに行かない対象”だった様です。“初めて”の事は他にも、子育てを通して“初めて向き合う自分の感情”にも戸惑い、“初めて心底向き合った夫婦問題”、“初めての慣れない環境と言葉”、これらの“初めて”によるストレスから体も心も荒んでいきました。常に体調が優れず、気持ちはマイナス思考、自己否定モードに入ってしまった夫。子供達は次第に夫を恐れる様になり、私自身もそんな夫の姿を初めて目の当たりにし、パートナーとして何もしてあげられない無力感と、夫自身のこの問題を(彼は乗り越えられるんだろうか?)という不安。ようやく一人ぼっちの子育てから解放されるはずだったどころか、夫と子供の仲介役。(なぜ?)(どうして?)(どうすればいいの?)の繰り返しでした。実はその過程は、私達の『家族再生』のために不可欠だった通るべき道で、神様が用意して下さっていた試練であった事はまだ知る由もなく、実際はすでに家族再生のために前進していたのに「家族再生はどうしたの?!」と、夫を責めました。(こんな状態になるために渡米したんじゃない!)と。それだけでなく、息子達の言葉の遅れや、型にはまらない二人は学校で問題児に。今まで見ない振りをしてきた小さな心配事が、後から後から大波になって押し寄せて来る様に感じていた時、小さな出会いがありました。
このアメリカ留学自体が、我が家にとっては長期旅行と決め込んでいたので旅行も観光も無し。同じ週末の繰り返しに煮詰まりつつあった渡米1年後のある日、
犬の散歩で大清水姉(*)と出会ったことがきっかけで、JOYJOYキッズクラブや日本語教会に、気が向いたときだけ行く様になりました。錦織先生のメッセージや中高生の面倒見の良さに触れ、(自己否定どっぷりの夫のために!)(子供達に隣人愛を!)という私の勝手な理由で行っていたものの、実は、夫や子供達を変えようとばかりしていた私へのメッセージだった事に気付いたのです。私自身の今までの傲慢な気持ちを神様はずっと見透かしていらしたのだ、と思うと恥ずかしく情けない気持ちでした。そして、何度となく聞いていた「人は生まれながらの罪人」ということばも、次第にその意味が自分のものとして実感する様になりました。確かに“何かモにすがりたい気持ちでいました。(信仰を持てたら楽になれるんだろうなぁ、)と。しかし、私も夫も多くの日本人の様に無宗教に近い環境で育ったため、信仰を持つという事に今ひとつ、積極的にはなれませんでした。しかし、錦織先生のメッセージ、教会の方との交流を通して自然な気持ちで神様、イエス様の深い愛に触れ、(聖書の事、神様の事をもっと知りたい!)という気持ちになり、バイブルスタディを始めて1ヶ月程経った頃、息子達の緊急入院がありました。親としての至らなさ、バイブルスタディも自分が救われる事ばかり考えているんじゃないか、と子供達に申し訳ない気持ちと自分を責める気持ちでいっぱいでした。そんな中、私や私達家族のために、お礼拝で教会の皆さんがお祈りして下さったそうです。以前から私達家族のために祈って下さって、私の学びを導きサポートして下さっていた小林葉子姉(*)、錦織先生ご夫妻の熱いお祈り、全てが私にとって衝撃的でした。私が神様の愛を実感するという事は、こうしてクリスチャンの方を通して実感出来たのです。
今思えば、双子を授かったのは「子供は3人欲しい、」と願っていたわたしがもしあの時、双子でなかったら夫の激務が続く中、3人目は望まなかったでしょう。私達が『家族再生』の為にアメリカに来たのも、私達が選んだのではなく、私達が知る前から、神様が全てを備えておいて下さった事を強く感じずにはいられない事ばかりです。日本から犬を連れて来るのにバックヤードにはフェンスが必須でした。
百件ほど見て語学力に自信の無い私達の借りたフェンス付きの家は、日本語ペラペラの大家さん。日本人なんて誰もいないだろうと思っていた娘の学校には同じクラスに日本人の女の子。しかも歩いて2分のお家。この方達には学校の事から犬、前述の息子達の入院など本当にお世話になってます。そして、どん底状態だった私達のために神様は、近くに教会や一緒に苦しみを分かち合ってくれる教会の方達まで用意しておいてくださったのです。まるで、「不自由しない様に色々揃えてあるから、とにかくいらっしゃい。」と。それでも神様を信じずに、「私がなんとかしなくちゃ、」という傲慢な心を悔い改めずにイエス様を救い主として受け入れない理由は、もうどこにもありませんでした。
私の少し後から夫も学びのときを持ち、私達の長女として、いっぺんに双子の弟の姉として我慢を強いられる事ばかりだった娘の8回目の誕生日に、私達夫婦も洗礼の恵みに預かる事ができました。本当に感謝です。もう一人で、夫婦で悩む必要も無く、それどころか祈りの先輩、祈りの友、まで与えられ聖書やメッセージを通して神様からのラブレターをいただき、どんな時も希望を持っていけるのです。
本当に感謝です。。。
『あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものは無かったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共にそれに耐えられるよう、逃れる道をも備えていて下さいます。』 第一コリント10:13
(*) 教会では、キリストのもとに互いに兄弟姉妹、という気持ちで、お互いのことを「~兄」「~姉」と呼ぶことがあります。
月報2006年8月号より