私はクリスチャンファミリーに生まれ、物心がついた時には教会に行っておりました。日曜の午前は私と兄は日曜学校、その後両親の礼拝が済むまで遊んで待つと言う日曜日でした。ところが小学校二年生の時、母が脳腫瘍というその当時(昭和三三年)では大変な病気になり、我が家の平和な生活は一変しました。その時から私たち一家は教会に行かれる状態ではなくなりました。手術で一命はとりとめたものの多くの後遺症に母は悩まされ、その上一部の信者より、信仰が薄いせいで病気になったと陰口をたたかれ、心身ともに傷ついていました。幼い私には何の力もなく、両親の喧嘩の絶えない、暗く淋しい、逃げ出したくなるような家庭でした。母の一歩も家から出ない生活が始まりました。毎日の買物は私の担当でした。「あの時死んだ方が良かった」と言う母を慰める術も知らない私は、母の愛にひたすら飢えていました。
神様から離れた生活が何十年も続いたでしょうか。すっかり教会から遠ざかり自分勝手な生活をしていました。親に頼らず何でも自分で決断し、受験・入社と頑張って来たつもりでした。早く嫌な家を出て、暖かい家庭を作ろうと思っていました。やがて職場で出会った人と結婚し、子供二人に恵まれ、主人も優しく、何不自由ない生活、私の思い描いていた家庭でした。しかし何だか物足りない、何かが違う空虚な気持ちを埋めてくれるのは主人でも子供でもありませんでした。
そんな時、近所の人に誘われ何十年ぶりに教会の門をくぐりました。”Youth With A Mission”というアメリカの宣教師団体が農家を借りて牧会をしていました。彼らのつたない日本語を通して主の御言葉と賛美にふれ、心が満たされ、これが私の求めていた主と分かりました。小さいからし種程の信仰が多くの祈りに支えられ実を結び、二年後受洗することができました。三七歳の時でした。主はこんなに弱くて罪深い私を忘れずに赦してくれて、再び暖かく迎えてくださいました。
「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない。」
ヘブル 一三章五節
そして私の受洗を誰よりも喜んでくれたのは、信仰生活から離れていた両親でした。母はあの大手術で命を得ることができたのに、主に感謝せずに呪ってばかりいたのです。しかし、現在母も家族も命を得たことをどんなに主に感謝しているかわかりません。両親は教会にはつながっていませんが、再び主を受け入れているので私はクリスチャンだと思っています。
「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。
ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」
ヨハネ九章三節
主人・娘たちはまだクリスチャンではありませんが、必ず祈りがききいれられる日が来ると信じています。
「主イエスを信じなさい。
そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」
使徒一六章三一節
この御言葉が成就する日を楽しみに主に支えられて生きる毎日です。
月報1998年6月号より