「私は31歳の時に…」

私は31歳の時にまだ結婚する前の家内を通して、イエス様に出会いました。

今振り返れば、小学校のYMCAのキャンプや、高校の予備校もYMCA、また大学もミッション系でしたので、本人がその気になれば、もっと早くからイエス様を知り得たのかもしれません。しかし当時の自分にはずっと、天の父なる神様の存在は、よく言う「苦しい時だけの神頼み」でしかありませんでした。

逆に、肉親である父親の存在は私の成長に大きく影響しました。父は地元のPTAの会長を長い間務め、私への躾やモラルの教育には大変熱心でした。そして「人様には絶対迷惑をかけるな、そして社会の役に立つ人間になれ」と口ぐせの様に私にいっていたのを今でもおぼえています。そんな比較的恵まれた家庭でひねることなく育てられた私でしたが、社会人になり、資本主義の競争社会の波に飲み込まれていくと、父親から教わった事とは全くちがう社会の現実が待っていました。 名古屋で営業部に配属になると、「競争社会では食うか食われるかのどちらかだから、お人好しでは負ける、図太く生きろ。」とか、「他人の事よりはまず自分、仕事相手は信用する前にまず疑ってかかれば、だまされることはない。」などと先輩や上司に教わりました。自分自身では、疑問をもちながらも、当時、出世意欲旺盛だった私はいつしかそれを受け入れ、染まっていきました。

家内との出会いは、そんな人間社会の欲の中にどっぷり漬かってしまって、もうすっかり昔の自分を忘れてしまっている時でした。

彼女は学校を卒業して、私と同じ会社に入ってきたのですが、入社早々のあいさつで、いきなり「わたしはクリスチャンです。」と信仰告白をしていました。でも当時の私は、そんな彼女のことも 「何がクリスチャンや。」と取り合わず、むしろ その明るく天真爛漫ぶりに疑いの目を持っていました。

その後、何年間も親しく会話することはなかったのですが、ある仕事をきっかけに、話をする機会を持ち、彼女が幼くして、お父さんを亡くし、お母さんひとりの手で育てられた事を聞き、その逆境での生い立ちにもかかわらず、真っ直ぐな心を持っている彼女に自分の心の歪みを気付かされました。

それから、彼女との交際がはじまり、その天真爛漫ぶりが、どうやら彼女がクリスチャンであることに関係しているを知り、そこで、イエス様の事にはじめて興味を持つようになりました。以来私は進んで、「はじめてのキリスト教」とか、「キリスト教入門」など聖書以外のキリスト教書籍を読んだりしました。でも聖書は辞書みたいでとても読書嫌いの私には読む気にはなれず、何とかインスタントにキリスト教を知ろうとしたのです。また同時にデートの時には、キリスト教のことばかり話しするようになりました。

夕立ち後のデートで、虹の出現に、いきなり神様との約束を思い出すと言っておどろいた逸話が私たちにはありますが、それはこの頃の事です。幸い会社のすぐ横に教会があったので、日曜日以外にも金曜夕拝に仕事の終わった後、積極的に足を運ぶようになりました。でも既に自我と先入観念を確立していた私には、どうしても理解できないことや、一般常識では受け入れ難いことが多々あり、教会には行くけれども、全て納得できないととても洗礼を受ける気持ちにはなれなかったので、洗礼は一生受けないかもしれないと思っていました。

例の虹の事についても、虹は雨が降った後の大気中に残った水分に太陽光線が反射して虹ができると科学的に証明されているので、神様の意志で作ったものではなく単なる自然現象だとしか考えられませんでした。しかし神様は、そのような私の事もご存知でちゃんと私の為に特別な導きを用意していてくださいました。

皆さんは偶然が3回立て続けに起こることがあると思いますか。

私への神様の救いの導きは、そのような起こり得ない3回の偶然を用いて、はじめて人知を超えた神の意志もしくは計画の存在を教えて下さいました。

1つ目はあるキリスト教系の病院への通っていた教会からの献金でした。その病院とは、わたしの妹がまだ幼くして亡くなった病院です。大阪にあるのですが、医療ミスにより亡くなった疑いがあった為、その病院の名前は家族の中では、暗黙のうちに禁句となっていましたが、突然礼拝中にその名前がわたしの耳に飛び込んできました。私は「何で名古屋の教会がわざわざ大阪のしかもわたしの家族に少なからず関係するこの病院に献金をするのか。」と驚きました。それから、今度は1週間後の礼拝で、実家のすぐ近くにある教会で牧師が礼拝奉仕をするという報告。「また何で、名古屋の教会の牧師がわざわざ大阪のしかもその中で私の実家に一番近い教会なのか。」と思いました。聞けばその牧師がまだ駆け出し頃(私が中学生の頃)、その教会で伝道師をしていた関係で、会堂新築の記念礼拝で説教をなさるということでした。

その教会は中学校に行く途中にあったので、もしかすると、その牧師とは、以前ニアミスをしていたのかもしれません。わたしは、だんだん偶然の連続が恐ろしくなってきました。

そして、極め付けの3つ目は、それからまた1週間後に起こりました。それは、その年のイースターに向けての受洗希望者の案内が週報に載っていたことです。それだけでは、普通はあまり驚くことではないのですが、わたしにとっては、非常にインパクトがありました。それはその年のイースターは私の誕生日と重なっていたのです。

その前からの2週続きの偶然と、このことは、すべて自分に個人的に関わっており、この3つのことはとても偶然とは思えず、自分の過去を振り返ると、神様は私が生まれる前から計画をもって、この時に至るまでのあらゆること全てをもって、救いに導いてくださっていたと信じることができ、今までの迷いを振り払いこのタイムリーな神様の導きに洗礼を決意しました。

聖書の中にも、詩篇139篇には、このように書いてあります。

「あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」

そして、ヨハネ15章16節には、「あなた方がわたしを選んだのではありません。わたしがあなた方を選び、任命したのです。」とも書いてあります。

このように、普通の人とは違い、非常に短期的に救われた私でしたので、人の罪やイエス様の十字架という意味では当時信仰はまだ薄かったように思います。

でも、わたしの場合、この受洗をきっかけにもっと神様を求めるようになり、そこから本当の信仰生活がはじまったような気がします。イエス様の事がどうしても信じられないと悩む日々もありましたが、信じられないではなく、祈って信じたい、信じようと思えば、神様は御手を差し伸べてくださいました。先ほどの虹の話にしても、今では、それができるプロセスは科学的には確かにそうかもしれないが、雨を降らすことも、その後に太陽を出すことも神様の意志により、簡単にできると思えば、虹を架けることも意志をもって契約のしるしとしてそれを作ることはできるんだと思えるようにかえられました。

 

月報2002年2月号より

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