説教者 : 錦織学牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書17章9〜21節
- 山を降りたイエス。
山の上では栄光に輝く姿。
しかし、山の下に降りて人々に仕えたイエス 山の下では、混乱が、困惑が、不信仰が、待っていた。 - 悪霊に憑かれた子供が連れられてきた。
弟子たちは癒せなかった。
イエスにはできるけど、人間には無理? でも、弟子たちも「悪霊を追い出す権威」を与えられていた。
「どうして私たちにはできなかったのでしょうか?」 「信仰が足りないからだ」「からしだね一粒ほどの信仰があれば・・・」どういうことか? - 「信仰が足りない」という言葉
1)ペテロが水の上を歩いた時に、風を見て、恐れた時。
2)何を着ようか、何を食べようかと心配している人々に。
→神の国と神の義とをまず求めなさい。そうすれば全ては添えて。
→数量的な多さとか、少なさとか、小ささではなく、 神を見ないで他を見ている人々。 - 信仰って何?
使徒行伝3:12, 16「信心ではない」「信仰だ」
ローマ4:5「不信心な者を義とする方を信じる信仰」 自分の信仰の姿勢に注目するのではなく、 イエスに注目する。神の愛に注目する。 - からしだね一粒ほどの信仰・・・そこにはいのちがある。
ヨハネ12:24「一粒の種も死ななければ・・・」 自分ではなく、自分に死ぬ時に、命を得る。 - テイクアウトQuestion
1)もしも、あなたの周りに「悪霊に憑かれた人」がいたとしたら、あなたはどうしますか?
2)「信仰」と「信心」との違いは何でしょうか?「山を動かす信仰」とはどのようなものでしょうか?
3)「山が動いた」経験はありますか?どんなことだったでしょうか?
今日も感謝します。メッセージを聞き苦しくなりました。からし種の信仰。もつ者となりたいです。
御言葉によってチャレンジを受けるって尊いことですね。主が平安をも与えてくださいますように。