説教: 錦織学牧師
聖書箇所:マタイによる福音書18章21節〜36節
18 章のテーマ・・・教会はどんなところか。
1-14・・・一人一人が神の宝として受け入れられているところ。
15-20・・・罪と悔い改め
21−35・・・赦し合い
罪が軽んじられるのではない。悔い改めに招かれている。
そして、どこまでも赦し合う。
- 神の豊かな赦し
1万タラントの赦し・・・5000回の人生=自分では返せないもの。
「あわれに思って」・・・原語では「ハラワタが痛む」 神は、私たちの痛みをご自身の痛みとして受けてくださった。
赦されたことが事実。豊かに赦されたことが事実。 - 赦し合うために
ペテロの「7回までですか?」・・・普通は3回だった。 イエスの答え・・・7を70倍するほどに・・・どこまでも。
100デナリ・・・100日分の稼ぎ。・・・赦せない。 ・・・それはお互いの関係だけで見ているから。 全体が見えていない・・・主人から1万タラント赦されている
私たちも豊かに赦されていることを忘れていないか?
私たちの人間関係は神のもとになければならない。
「愛の正三角形」神とあなたとわたし
- テイクアウトQuestions
1)私たちは人が赦せない時、どういう理由で赦せないのでしょうか?
2)互いに赦し合うために必要なことはなんでしょうか?
3)神様との関係が変わった時に、人との関係も変わったということがありますか?それはどんなことだったでしょうか?
どうもありがとうございました!
trishさん
コメントありがとうございます。一言のコメントが私たちにとって励みになります!