この絵画はヨハネ福音書19章23〜27節を元に描かれました。

さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。 そこで彼らは互いに言った。「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた。」という聖書が成就するためであった。 兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。 イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言われた。 それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます。」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。

この聖書箇所には、十字架につけられたイエスの服をくじ引きで分け合う兵隊の姿と、
夫と息子を失い、完全な未亡人となろうとしているマリアが路頭に迷わないよう、
イエスが愛弟子に養子縁組を頼む。という2つの出来事が書かれています。

イエスは十字架につけられた時、縫い目のないとても良い服を着ていました。
当時、縫い目がない服を作るのはとても難しく、祭司しか着ることのできない高貴な服でしたので、
この服は母親であるマリアがイエスのために特別に縫ったであろう服だと言われています。

イエスを十字架につけた4人組の兵隊は、この高価な服を分け前として取り分けようと揉めていました。

我が子が十字架上で苦しむ目の前で、自分が縫った服が剥ぎ取られてくじ引きの対象になっているところを見ていたマリアはどんな思いだったでしょうか。

この絵画は十字架をテーマにした多くの絵画の中でも、史実に忠実に描かれているという点で特徴的です。

多くの宗教画では、十字架が高い位置に描かれていますが、実際は下で見ている人たちの頭ひとつ分の高さにありました。
つまり、母マリアから息子の壮絶に苦しむ姿は、ごく間近に見えたのです。

十字架をテーマにした作品の中でも、「ピエタ」という母親の悲しみに焦点を当てたジャンルがあります。
十字架から下されたイエスを母マリアが抱える。という作品を皆さんもどこかで目にしたことがあるのではないでしょうか。

この絵画はその「ピエタ」の中でも異色です。
十字架からイエスが降ろされる前のマリアの悲しみを描いています。

同じく「ピエタ」をテーマとしたミケランジェロの有名な彫刻がありますね。
まさしく美の結集であり、これ以上完璧な彫刻はありえないと賞賛されています。

 

そのミケランジェロの遺作となったのが、同じ「ピエタ」のテーマで作られたこの作品です。

最後の数年間、ミケランジェロは腰も曲がり、目も見えなくなり、手探りでこの作品を彫りました。
あの完璧な美の彫刻とは似ても似つかない仕上がりに、これは未完成だったんだと言う人もいます。
死んだ息子のイエスが母親を背負っているなんて、目が見えなくて間違えたんだと言う人もいます。

果たして本当にそうなのでしょうか?

聖書の世界は、ただ読んでいるだけではなく、私たちの完成の全てを使わないと理解できません。
聖書の中に、「愛のないものに神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」と書かれていますが、
これは絵を理解する時にとてもよく似ているなーと思います。

ではここから更に、表面だけでは理解できないもっとディープな理解へと降りていきましょう。

 

イエスは30歳まで母親の元で暮らしましたが、その間のことはほとんど聖書に書かれていません。
当時は18歳頃に結婚するのが通例でしたが、イエスはずっと独身でした。
早くに亡くなった父親ヨセフの家業である大工を継ぎ、母親と兄弟を支えてきました。
十戒の中でも「あなたの父と母を敬いなさい」という教えを、イエスはとても大事にしました。

 

その書かれていない30年を想像しながら、もう一度聖書を読み、絵を見てみましょう。
このシーンでイエスは、「女の方」「婦人よ」と、とても距離感を感じる呼びかけをしています。
最期の別れが迫った場面で、息子から母親にかける言葉としてはあまりにも他人行儀で引っかかりませんか?

実は、この時以外にも一度だけ、イエスがマリアのことを「婦人の方」と呼んだことがありました。

それはイエスが30歳になって、伝道の働きを始める時に一番最初に起こした奇跡の場面でした。
この時、イエスは水をワインに変えるという奇跡を起こされました。
大事な結婚式でワインが底をついてしまい、困ったマリアがイエスに「ぶどう酒がなくなってしまった」と告げます。
するとイエスは、「婦人よ。あなたはわたしと何の関わりがありますか。わたしの時はまだ来ていません。」と答えたのです。

マリアはこの時のことを絶対に覚えていたでしょう。
お子さんをお持ちの方はどうでしょうか?
一度でも子供から「女の方」とか「婦人よ」と呼びかけられたら、絶対に忘れないのではないでしょうか。

この時のマリアも「また出た!女の方発言!」と、水をワインに変えたあの時のことを、はっきりと思い出したことでしょう。

さて、イエスが何故2回にも渡って、最愛のマリアにこのような言い方をしたのかわかるでしょうか?
聖書の中でワインというのは、イエスが十字架の上で流された血潮を象徴する大事なモチーフです。

イエスは、十字架の上で流す血潮は、親子という関係以前に、一人の人間であるマリアのためのものでもある。
ということを伝えたかったのです。
30年余りも親子として過ごしてきたマリアにとって、息子を息子以上の存在として見ることは難しいことだったことでしょう。
けれども、これからはイエスの血潮を分けあって、民族も国籍も越えて救いを分け合うんだということを、イエスは伝えたかったのです。

この聖書の場面は、ただ養子縁組をお願いするという以上に、十字架のもとで新しい神の家族を作ろうとする瞬間です。
そうした理解を持ってもう一度この絵画を見ると、この絵が伝えたかった「良い知らせ」が見えてくるのではないでしょうか。

メッセンジャー:内村伸之師