説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マルコによる福音書第15章16節〜41節

 

十字架は飾りではなく、アクセサリーではなく、私たちの生き方。
ただ、十字架を掲げるだけではなく、十字架を生きる。

1)イエスよ、どこまで人は罪深いのですか?
①王なる方を徹底的に侮辱するまで。
「王様万歳」「つばをかける」「十字架から降りてこい」
②自分の罪を自覚できないほどに
マルコ15:10ピラトは妬みのためであるとわかっていた
自分はわからない、でも、他人から見たら、妬み。
③私はここまでひどくないと思うまで。
私たちはこの箇所を読んで、ここまでひどくないと思う。
メル・ギブソンの「パッション」の撮影エピソード。
この人々の姿は私たちの姿。

2)イエスよ、どこまであなたは人を愛するのですか?
①徹底的な侮辱を耐えられるまで。
1)-①の侮辱をイエスは耐えられた。
「救い主ならそこから降りてみろ」
・・・イエスは降りることができた
・・・でも降りなかった。私たちの救いのため。
②父なる神に捨てられるまで。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
イエスは罪を負って罪の塊になって捨てられた。
③神殿の幕が二つに裂けるまで
聖なる神と罪をもつ人との間を隔てる幕
神が「これはもう必要ない」と真っ二つに裂かれた

<テイクアウトQuestions>
1)人はどこまで罪深いでしょうか?あなたはどこまで罪深いのでしょうか?
2)イエスはどこまであなたを愛していると思いますか?
3)あなたはこのイエスの愛に、どのように応えるでしょうか?