『本音の祈り 「時を忘れて」』

次の歌も私の代表曲となった歌です。 『時を忘れて』と言う歌です。 イエス様を信じたのは1978年。病気を通して、またキリスト教のラジオ番組を聴いて聖書を頂き、 その番組を通して教会を紹介していただきました。 山口県生まれの岡山育ちですが、 その当時は岡山に住んでおりましたので、 岡山聖約キリスト教会を紹介していただきました。 そしてその年のクリスマスに洗礼を受けました。 当時、 私が持っていた悩みは、病気で将来に対する不安があったということ、 両親が中学3年生の時に離婚しまして、 親に対して憎しみを持っていました。さらにその憎しみや病気のことを取り除いたとしても、 私にはもう一つ大きな問題がありました。 それは罪責感ということでした。 罪の意識、 どうしてあんな事をしてしまったんだろう、という思いにかられておりました。 心の奥の奥から変えられなければ、私は幸せにはなれないと思っていました。 そのような心で聖書を読み始めて、 最初に心の中に入ってきたみことばは、『だれでもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』(コリント人への手紙第二5:17)でした。 この聖書のことばをいただいて、「確かに変わることができるかも知れない」という一筋の希望を持ちました。 「もっと聖書を読んでみよう、イエス様ってどんな神様なのかしら、 知りたい!」 という思いを強く持ちました。 そしてイエス様を知る中で、 私が心に持っていた罪の問題「どうしてあんなことをしてしまったんだろう」という思いから解放してくださるのはイエス様だということを知りました。 「罪から解放されたい、罪責感から解放されたい」ということが私にとって一番の問題だったのです。 イエス様が十字架にかかって、 私のそうした罪のすべてを赦してくださることをわからせてくださったことをとても感謝しています。教会に導かれ、 もっと深く罪のことを知りました。 まことの神様から離れていることが、 人間にとっての一番大きな罪であること、 そして個々に犯している罪、 罪には刑罰が伴うこと、イエス様が身代わりに私の罪と刑罰を負ってくださったこと、 救われたことの大きさや、 神様の愛の深さは、 今も私の人生を変え続けています。

【上京し、テレビ伝道に携わる】

その後、 1981年に「イエス様と一緒に働きたいな」 という思いが与えられて、 聖契神学校で学ぶために、 上京しました。きっかけは岡山で行なわれた聖会でのメッセージでした。 古山洋祐先生が講師でした。 ハガイ書を開いてくださったのですが、『あなたがたの現状をよく考えよ』 聖書ハガイ書1:7)、 このみ言葉が心に残りました。 自分の現状を考えて、 病気であるけれども、 身体が弱いという以外、 学ぶことには支障が無いのではないかということで上京して来ました。 そして3年間学ばせていただいて、 その後、 PTLクラブというテレビ伝道に導かれて中川先生とご一緒に働くことになりました。 でもそのテレビ伝道もいろんな問題を抱え、 現在PTLクラブはありません。 また私はその頃、 体調がとっても悪くなったことと、人間関係にも行き詰まって、 テレビ伝道団体を辞めました。 しかし辞めたくなかったと言うのが本音です。 でも、 今では神様のご計画だったことを確信しています。

でも辞めた後はとても辛い思いをしました。またクローン病の症状が本当にひどくて大変でした。今年のように’88年も寒い夏だったんですね。 思い出すと、色々な方がアドバイスをしてくださいました。 「甘いものを食べたら駄目、白米駄目」、「それでは、玄米食はいいかしら」 と玄米食にしたのですが、 圧力鍋も無いので普通に電気釜で炊いて、 硬いんですよね。 それでもあごの運動になるからと一所懸命噛むんですけどあごが痛くなって、 今でこそ笑い話ですが涙が出てきて、 食事をする時に悲しい思いをするのは嫌ですよね。 食事をする時は楽しい方がいい。 そしてたくさん食べることが出来ることがいいですね。 私は情けなくて神様に祈りました。 「私、食いしん坊ですから、食べて治します。よろしくお願いします」 と祈りました。 その時以来何でも食べることが出来ますが、 さすがにお腹の具合が悪い時は、 自分の内から控えなさいという信号が出るみたいです。 今日もしっかり「控えなさい」という信号が出て、 食べることが出来ませんが、 良くなりましたら取り返しますので、 その時はお食事に呼んでください。 このように、辞めた後はしばらく心の状態が良くなくて、 それでまた落ち込む。 でも信仰があるから落ち込むんですよ。 信仰がなかったら、 憂さ晴らしにお酒の一杯でも飲んで皆とパーッと騒いでね、帰ってきてワーッと泣いてね、 たぶんその繰り返しだと思うんです。 でも、 信仰があるから踏みとどまらないといけないという思いがあります。 人に対する批判的な思いも、 許さなければいけないと思いますよね。 しかし、 感情の闘いがありますね。 これが苦しいですね。 こんな本音の話しをしながらいつも歌っていますが、 私は、 本音の中に神様が働いていてくださる、 ということを固く信じています。 ですが、

皆さんは本音の部分を誰にも話さなくてもいいです。 ただ「本当の気持ちは、 こうなんです。 この私の本音のところにイエス様、来てください」 とお祈りして欲しいと思いますが・・・。 『時を忘れて』は、 10月号の『百万人の福音』のフォト&ポエムに掲載していただきました。 ’86年か’87年に書いた歌です。 長く歌っています。 私としては、 この『時を忘れて』の状態からはもう卒業していると思っています。 それでも歌うと、 まだまだ皆さんの心に届くということは、 それだけ多くの方が厳しい中を歩まれていることを思います。 その大変な中にイエス様が働いてくださいますように・・・。 卒業している、 といっても真理は変わることがありません。 目を閉じなければ見えないこと、 口を閉じなければ言えないこと、耳をふさがなければ聞こえないこと、 がありますね。 歩みを止めなければ会えない人が、 会えないお方がいらっしゃいますね。 このことを知ったことは私にとって貴重な体験でした。

_『時を忘れて』_

目を閉じなければ、見えない世界がある。
口を閉じなければ、言えない言葉がある。
耳をふさがなければ、聞こえない声がある。
歩みを止めなければ、会えない人がいる。
少しぐらい遅れたとしても
大切なものを見つけたいから
道であり、真理であり、いのちである主に
尋ね求める 時を忘れて

(山口博子姉のコンサートでのお話の中から、 ご本人の了解を得、 一部を掲載しています。 山口姉のコンサート・略歴は報告・お知らせをご覧下さい。)
月報2005年10月号より

「4月にワシントンDCからボストンに引っ越す時には…」

4月にワシントンDCからボストンに引っ越す時には、3ヶ月そこらでボストンを離れ、NYに戻ってこのようにおあかしを書くということは全く予想していませんでした。神様は本当に人間の考えも及ばないことをなさる方だと改めて思います。

3年間働いた会社を辞め、意気揚々とボストンに引越し、新しい生活と仕事を始めて間もないうちに様々な問題が出てきてしまいました。弁護士にも相談する事態になり、その結果新しい仕事を見つけて早急に転職するしかないとのことで、ボストンに引っ越して早々、再び仕事探しを始めることになりました。いつ仕事が見つかるのかわからず、本当につらい毎日でしたが、思い返すとGod is faithful and never abandon you.という言葉は真実だと思います。

―サブレットさせてくれている人がクリスチャンで、私の状況を考慮し、柔軟にサブレットの期間などに対応してくれました。8月中、面接の結果を待っている間Homeless状態になる私の荷物を快く地下に置かせてくれたりなど、もしもこんなに柔軟に対応してもらえなかったら、リースやらストーレッジやらでもっと大変なことになっていたと思います。

―ボストンではすぐに日本人教会に溶け込むことができ、またそこは同じ年代のクリスチャンが多かったので、十分すぎるくらいのサポートが与えられました。解雇された経験を持つ人も少なくはなく、クリスチャンとして、経験者として良いアドバイスと励ましがもらえました。

―ボストンの教会で一番最初に知り合った女性が、実は数年前に私の前の会社のボストンオフィスで働いており、実は以前にMeetingで会ったことがある人でした。彼女も同じような経験をしているので、本当に親身に励ましてもらいました。
それとは別にDCの方の紹介でお会いした女性も、だいぶ前に同じ会社のボストンオフィスで働いており、励ましをもらいました。

―本当に落ち込んで、泣きながら地下鉄に乗っているとき、たまたまその日にホームでギターを弾いている人がクリスチャンソングを弾いており励まされました。

―1週間のうちに、4回も違う形で違う人から聖書の同じ部分が示されました。へブル人への手紙11章。つらくなるたびにこの御言葉を読みました。

―同僚は本当に良い人たちで、いつも励まされました。

挙げればもっとあると思いますが、ボストンでの夏は、お金もなく、最後の方には無職に近い状態になってしまったので、今までで一番教会に通い、すべての教会行事に出席し、暇があれば聖書を読んで祈る生活でした。そうする中で神様に頼ること、本当に神様にゆだねることを学んだと思います。

就職活動をする中で、6月にNYでずっと夢に見ていた教育機関から面接の機会をいただいたのですが、面接が良い印象で終わり、本当にそこで働きたいと思うことがありました。神様に毎日強く祈ったのですが、そこで働けなければ生きていけないという感じの強い祈りでした。神様、今なら私はNYに行ってもあなたのために働けます。NYに戻ったら、これもこれもこれもやって、あなたに近づけるようにします。だからこの仕事を私に下さい、と毎日祈りました。1ヶ月ほど面接の返事はなく、落ち着かない毎日が続きました。しかし、結果のわかる1週間前、ふと、この仕事は私のものではないということを感じました。そのとき、あんなに欲しくて欲しくて、泣きながら祈っていたのがうそのように静まり、「神様はこの仕事は望んでいない」と不思議に平安を感じることができました。結果はやはりだめだったのですが、まわりの人が驚くほど私が落ち着いていたので、神様が私の心を準備なさっていたのだと思います。同時に、自分が勝手に「神様これをくれたら私はこういうことができるんですよ。そうすれば神様はうれしいでしょう?」と勝手に神様に家を作ってあげようと決めたダビデのような状況になっていたことに気づきました。すべては神様が決めるのであって私が何をするかを決めるのではないのです。

その後もNY,Boston,DCを中心に面接をしていましたが、ボストンに残るのかなあと感じるようになりました。
ひとつボストンでうまく行きそうなところがあったので、私は勝手に自分で「何日までに決まれば引越しなんかもちょうどいいかな」とプランを立てていました。しかし、そこの選考プロセスも私が思ったようには進まず、結果がわからないまま、ボストンでの仕事を辞め、アパートを出ることになりました。面接の結果待ち中にホームレスになり、仕事もなく、どこに行けばいいのかもはっきりしない状況だったので「神様いつまでこんなはっきりしない状態が続くのですか?」と思っていましたが、ボストンを去る数日前、NYのある教育機関から電話があり、面接に来ないかと聞かれました。Applyしたのがだいぶ前だったため、どのポジションに応募したのか、どんな会社なのかも思い出せなかったのですが、ホームレスなので、NY経由でDCの西郷先生の家に行こうと考えていたため、ちょうどいいタイミングということでNYで面接を受けました。私の期待に反してそこはとても印象の良い会社で、面接を受けて数日後にオファーをいただきました。そこから手続き関係で時間がかかり、ようやく9月13日から仕事が始まるのですが、そのおかげで西郷先生の家に1ヶ月も滞在することができ、子供夏期学校をはじめいろいろな奉仕をすることができたことを本当に感謝しています。西郷先生の家での時間は朝から晩まで神様を第一とする生活で、ものすごく忙しい毎日でしたが、西郷先生たちの神様に対する熱意が本当に伝わる生活に加わることができとてもうれしいです。

この数ヶ月間、短い期間にいろいろなことが起こり、たくさんの人に出会い、いろんなことを感じたので文章できちんとまとめることができるかわかりませんが、今回神様は本当に神様の計画を持っていて、私が自分で考えた計画というのはなんのあてにもならないことを学びました。また、ボストンで同じ年代のクリスチャンたちとの交わりを持てたことも本当にすばらしい体験でした。そして、私は今まで大学も仕事も人間的に見たらいわゆる「良い大学、安定した職業」についており、それは自分の努力や能力で達成したという気持ちがどこかにありました。しかし今回、教育分野で働くことに迷い、ボストンでの建築オフィスでの仕事に移り、その中で困難に会うことで、自分がやっぱり国際教育の分野で働きたいということを再確認できたことを感謝します。今回NYで得た仕事は私の努力でも何でもなく、本当に神様が私に与えてくれた仕事だと思うので、大事に毎日神様のために働きたいと思います。今後また様々な試練があると思いますが、どんなときも神様はFaithfulで決して私たちを見捨てたりしないということを実際に体験したのでいつも神様の計画を信じていきたいと思います。

月報2005年10月号より

「EXODUS で受けた恵み」

この夏、私は今年からMessiah College の一年生になる生徒たちのために行われたbackpacking trip に参加しました。そのプログラムは ”EXODUS” 神様が守ってくださると約束された土地に行くために荒野の中を旅をする、と言う聖書の「出エジプト記」と同じテーマのものでした。10日間完全に文明から離れ、シャワーもトイレもない中、毎日 森のど真ん中でcampsite を作り、重い荷物を背負いながらハイクをし、神様が私たちに与えてくれた素晴らしい自然の中で leadership trainingを受けながらお互いのfellowshipを深めることが目的でした。でも本当は行く直前まで、こんなの本当にできるかな? と悩み、キャンセルするつもりでした。でもディレクターの人と話し、『絶対良い経験になるから来なよ!』と励まされ、結局行くことに決めました。でもその時はどのようにして神様がこの旅を私にやり遂げさせてくださるか全く分かりませんでした。

初日は一日中準備をして、ペンシルバニア州にある大学から3時間ほど離れた森の中に行き、美しい星の下で寝ることが出来ました。二日目からハイキングが始まり、5-6マイルのコースを歩いた後、毎晩違う場所に寝ました。思っていたキャンピングとは全く違い、何もない森の中に入り、生徒たちで寝れそうな場所を選ばなければなりませんでした。ビニールのシーツとロープ四本でテントらしき物の作り方を学んだりしました。また食料は、熊が来ないよう高い木に吊るさなければなりませんでした。そして、毎晩バイブルスタディの時間がありました。その中で、私達人間は、神様が創造されたこの大自然の“管理人”としての役目を神様からまかされていることを学びました。はじめ、森での生活は、食べ物も残り物を出してはいけないので全部食べてしまわなくてはいけないとか、使ったトイレットペーパーも持ち帰らなくてはいけないとか、なんて厳しいんだろうと思いましたが、神様が作られた自然を守り育てるためには、やらなければならないことだとわかりました。

そして、毎日変わりばんこで生徒二人がペアーになり、 “leaders of the day” (L.O.D.) となりました。その二人だけに時計と地図が与えられ、「今夜はこの辺に泊まりたいからどうにかして午後4時までにみんなを無事にここまで連れて行くんだよ。」と大人のリーダーに言われるだけでした。ハイクの途中間違えて LOD が違う方向に行ったとしても、大人たちは何も言いません。責任は全部その日のLODのもの。どこで休むか、どこで水を川から汲んだら良いかも全部LOD が決めます。私が初めて LOD だった時は、地図に書いてある様々な川が乾いてしまっていたため、水を汲もうと思っていた場所が使えず、計画していたことが台無しになってしまいました。でも神様は力と知恵を与えてくださったため, 無事皆をリードすることが出来ました。

ハイキングの他に、一日  “solo experience” と言う物も体験しました。それは、断食しながら24時間森の中で全く一人で過ごす時でした。皆それぞれ離れた場所で、寝袋、聖書、雨具、そしてテント代わりのビニールだけを持ち、祈ったりデボーションをしました。その間、たぶん聖書を半分ぐらいを読むことが出来たと思います。でも、長い間何も食べていなかったのでめまいがして、気分が悪くなってしまい、日が暮れる前に笛を吹いてリーダーに助けを求めました。でもそんなついらい思いをしても本当に恵まれた時が持てました。毎日の生活の中でどれだけの物が与えられているか、どんなに神様は私たちのことを愛してくださってこの地球を創造してくれたかが改めて分かりました。そして、鳥と虫の声以外完全に静かな場所にいたため、聖霊様が風となり、私の心に優しく「愛しているよ」と語ってくれるのを感じることが出来ました。人生の中で一番平和で落ち着いた時が持てました。

でも、一番神様の奇跡を体験したのは、2回目にLOD になった日でした。その日は突然 「今日は生徒だけの日です。僕らリーダー達は明日の夜までいなくなります。」と言われてしまい、頭の中では 何-?? と少しパニックしましたが、パートナーのクレッグが、「大丈夫だよ。地図とコンパスもあるし、僕ら二人なら出来るよ」と励ましの言葉をくれました。最初の内は皆のんきで、平らな道を歩きながら、「何だ、この位だっだらリーダーたちなんて要らないね!」、と言っていたのすが、道が狭くなり崖のような所を歩いている間に、何と3箇所も蜂の巣に出会ってしまいました。初めの2回は、皆1~2箇所刺されたのですが、3回目は、運悪く、蜂は私の所だけに来て、何十匹の蜂が映画のように私を襲ってきました。走ろうとしたけれど、シャツの中に入るは、長ズボンの中にも来るし、何十箇所も刺されてしまいました。しかし、今いる崖の所からリーダー達に助けを求めてもどうにも出来ないので、とにかく日が暮れるまでに普通の道路の所まで行かなければならない、と思い、頑張ってクレッグと一緒に先頭を歩きました。その間、皆は心配して、私の荷物を分け合って持ってくれました。暗くなった後リーダー達に電話し、夜中に来てもらいましたが、私はその時、本当に具合が悪くなってしまい、もうこれでこのままここで死んでしまうのかと思ったほどでした。それに気がついてくれたケイトは、夜中中2時間おきに私がまだ呼吸をして生きているかどうか起してくれました。そして翌朝まだ疲れて気分が悪かった私を皆寝せてくれて、クレッグとケイトはチェックしに来たり、ご飯を持ってきてくれました。

本当にその日は神様に守られたと思います。沢山の蜂に襲われ、森の中で何も治療をしなくても助かったのは、神様が守ってくれたとしか考えられません。そしてまた、神様は素晴らしい仲間達を与えてくれたと思っています。参加した生徒は6人だけでしたけれど、初めて出会ったこの仲間に一人一人違う面で助けてもらい、励まされました。皆神様に特別選ばれた子達のようでした。その日だけではありません。この旅の間、ずっと神様に守られて愛されました。何よりも、体が小さな私が25kg 以上のbackpackを背負いながらずっとハイキングを出来たことは、自分の力ではなく、神様が私を通して働いてくださっていたからです。この旅の間中、私を支えた聖書のみことばは、
「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲の様に翼をかって登ることが出来る。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」― イザヤ書 40:31-でした。
そして、教会の人たちや家族が毎日この旅のために一生懸命祈っていてくださっていたのも大きな力になったと思います。本当に祈りの素晴らしい力とそれを聞いてくださった神様は、今も生きて私を支えてくれているんだと感じました。
最後に私が好きなクリスチャンシンガーの歌(旅の間、心の中で歌っていました)を紹介します。

“When I call on Jesus, all things are possible. I can mount on wings like eagles and soar. When I call on Jesus, mountains are gonna fall. “Cause He’ll move heaven and earth to come rescue me when I call.” -Nicole C. Mullen

本当に神様、そして皆様の祈りに感謝します。

(礼拝で英語通訳のご奉仕を努められ、 今回お証を書いて下さった市ノ渡真奈姉はメサイア・カレッジ入学のため、 ペンシルバニア州グランダムに引っ越されました。 姉の新しい歩みのためにお祈り下さい。)

月報2005年9月号より

「クリスチャンホームに生まれた者の遠回り」

私はクリスチャンホームに生まれました。
私が生まれた時, 父はもう牧師を辞めてジャーナリストになっていましたが、大学は神学部を卒業、戦前は牧師だったと聞いています。母は父が神学生時代に教師をしていた教会学校の生徒だったと言う関係でした。

そういう事で教会と言う所は物心がついた時にはすでに生活の一部でしたので、 教会を遊び場として、礼拝堂の裏を走り回ったりして我がもの顔で遊んでいましたし、又、教会学校では話を最後まで聞かず、聖書の大切な箇所を先生が語られる前に結末を先に言って邪魔をしたりしていました。

しかし、反抗期に入るに従い、教会に集まる信徒の方々の言動・行動が偽善者のように感じたり、父の後輩にあたる牧師先生の裏表を見て幻滅を感じる様になって行きました。いつからか自分の教会には行かず別の教会に行ったりしていた時もありはしましたが次第に足は遠のいて教会にはクリスマスとイースター位しか行かない状態になっていました。

ただ、神様の存在は漠然とは信じていました。そしてイエス様は十字架に掛かって我々の罪の身代わりとして死んでくださった事は「知識」としては知ってはいましたが、自分とは関係がない話の様で、 聖書の内容もおとぎ話の様にただ記憶として入っているだけで、それが全部関連付けられて一つになることはありませんでした。

大学を卒業してからある小さな商社に就職しました。大変な就職難で大きな会社には入れませんでしたし、 大学の時にグリークラブ(男声合唱)の演奏旅行で行ったアメリカに住みたくて、その会社なら早く、駐在の可能性があるかも知れないと言う理由で決めた様なものでした。

会社に入って2年めで早くもチャンスは来ました。上司から、海外出張に行ってみないかとのチャレンジを与えられたのです。

同じ会社に居た、高校からの親友と二人でどちらが初海外出張の最年少記録を塗り替えるかと競争しようと話し合っていた矢先だったので、もちろん、その申し出を受けて準備を始めました。

出張先は、パキスタンでした。私は単純に、「選ばれた」という様な変な「錯覚」にとらわれて、有頂天になって一生懸命準備に取りかかりました。そして、出発の数日前に当時、営業責任者であった常務に上司とも一緒に呼ばれ出張の打ち合わせをしたのですが、その常務が打ち合わせの中で「何もまだわからない、経験も無いこんな者を出張に行かせるなんて何を考えているのだ。」 と上司に向かって突如、怒り出しました。それから私をそっちのけで上司と延々と議論を始め、喧嘩寸前の言い合いにまで発展し、自分が行くのは大変なことで 「失敗したら会社には居れない!」とまで追い込まれ、一転、プレッシャーのかかった気の重い結末となってしまいました。

単純な男ですので、それまでの「選ばれた」なんて思っていた「変な自信」はあっけなく砕かれてしまいました。 上司は新人を育ててやろうと思ってチャンスを下さったと思います。しかし、それまで新入社員を厳しい指導で辞めさせていたと言う「新人殺し」としてのうわさが思い出させられて、その上司が私を早く辞めさせる為の罠だったのではないかと疑いだしたりしました。今さら止めるとも言い出せず、会議の終わりには出張がうまく行かなければ責任を取って会社を辞めなければならないと悲壮な思いになっていました。

いよいよその日が来て、 まだ海外出張の珍しい時代(1977年)でしたので会社の社員と家族に見送られて出発しました。大阪伊丹空港、フィリピンのマニラ、バンコク、カルカッタを経て真夜中にやっと現地に着いてみると、航空会社でチェックインしたトランクはパキスタンには届いておらず、パリに行ってしまっていました。着いてから、英語も大してわからないのに、夜が明ける頃まであちこちたらいまわしにされて、やっとクレームのフォームを記入して、着のみ着のままで、仕事の書類のぎっしり詰まった書類鞄だけでその出張が始まりました。

食事は、どこへ行っても不潔きわまりない薄汚れた食器で出てきて、すさまじい匂いと、何を頼んでも質の悪そうな油の中に浮いていて、なんとか食べようと思っても喉がきゅっと締まって拒絶状態に陥り、全くのどを通らず、一昼夜何も食べられない状態でした。猛烈な暑さと湿気と匂いの中でお客を廻り、食事も食べれない状態で、いったいこれからの20日間、たった一人でどうなるのかと不安になったのを覚えています。もっとも人間とは良く作られたものでそのような状態が一昼夜続くと、その翌日から少しずつ食べる事が出来る様になりました。

しかし、今度は為替が大きく円高に変わり、本社からはいままで受けていた注文の残り(注残)を全部値上げせよとの命令が来て、全ての注文の残りの値上げが出来るまでは帰ってくるなとのテレックスが入ってきました。

受注どころの話ではありません。毎日、延々と時間をかけて値上げ交渉、そして、新規注文交渉と顧客を廻るのですが、 交渉は難航して疲れきってホテルに戻るという毎日で、ただ、むなしく日だけが過ぎて行きました。

とうとう、2週間程経ったある日、心身共に疲れきって、登校拒否の子供の様な状態になって、仕事に行く気がせず、ベットでやけになって大の字になって寝そべって、 「もう駄目だ、もう駄目だ」、「会社も辞めさせられる・・・、」 「自殺した方が・・・」 とつぶやいていました。 暗い穴の様な所に落ちて行く自分を見て居る様でした。 長い間、 同じ事をぶつぶつ言っていたと思うのですが、言い疲れて、放心状態になって居た様ですが、しばらくして、 ふと別の思いが出て来ました。

自分の出張の是非を巡る上司同士の言い争い、荷物が紛失し、食事が食べられず、為替の急騰、等々あまりにも偶然に悪い事がこんなに一度に重なるのは誰かが特別の思いをもって、意志を持って、自分にぶつけて来ているのではと、急に思わされ、最終的に、これは自分を「だめ」にするのではなく、「試され」ているのでは? という思いに変えられていきました。

そして次に思いついた事は「 ひょっとしたら、神様がなさっているのかも知れない」でした。そう思い始めると、どんどんその思いが強くなり、暗かった心の中に突然、光がさして照らされるような、何とも言えない熱い喜びが沸いてきているのを感じました。それまでは悪態の限りをつぶやいていたのに今度は一転、何年もしていなかった祈りの気持ちが溢れてきました。「神様、自分はこんな方法で試されるほどに、あなたから愛されていたのですね。・・・ありがとうございます。」と言う様な祈りだったと思いますが、その感謝の「祈り」とも「つぶやき」ともわからない事を何度も繰り返し、していたのを覚えています。

最終的に、この出張がもし神様ご自身が仕掛けられたのだったら、たとえ失敗に終わっても何か別の道が絶対用意されているのだと強く思わされました。そうすると絶望的だった心がすっと軽くなるのを感じました。

それから不思議な事が起こり初めました。翌日からは苦労していた値上げの交渉が進むようになり、注文も少しずつではありますが取れる様になりました。最終的に、1週間の滞在延長を申請して、値上げが出来たばかりかその地域での新記録の売上になる注文を持って帰ることが出来ました。仕事の方法が変わった訳でも特別な能力が与えられた訳でも無く、明らかに何かの意思で物事が変わって行く今までに無い体験でした。

その時から、「神様は絶対に居られる事、そしてこんな取るに足らない者でも特別扱いして愛してくださり、 訓練をして下さる。」との確かな思いが与えられました。その後、あちらこちらと中近東を一人で出張して、 いろんな目にも会い、問題に突き当たる事も多々ありましたが、その都度、訓練の時と信じて進む時 いつも、 守られ、回答が与えられて来ました。

そんな経験をしてから数年後、 父が脳血栓で倒れ、 2年半闘病の後、 亡くなった事も、 全てが家族一人一人への意味のある、 訓練の時であり、 自分達を愛するゆえに神様ご自身が許されてそれが起こっていると心から思わされましたし、 その様になりました。
又、体が動かせず、 失語症になった父が、他の患者とは違ってその苦しさを表にはださず、周りの者ばかりを気遣う姿を見ることができ、クリスチャンとは凄いものだと思わされました。

その頃の私は、信仰は自分と神様の個人的な関係なので自分さえ信じて神様につながっていれば洗礼を受けなくても良いと思っていました。しかし、父の死をきっかけに、子供時代、偽善者だと思っていた教会員の方々のさりげない配慮のある行動を見て、自分には出来ない、他の人に対する愛を感じ感謝しました。そして、一人よがりの信仰では何も成長出来ない自分の弱さを知らされ、教会に繋がって神様に仕えて行くことが、これらの信仰の先輩方のように成長していく秘訣だと信じ、イースターに洗礼を受けました。28才とずいぶん遠回りをした洗礼式で、教会員の方々の涙を見て、自分の知らない所で多くの方の祈りが積み上げられて来た事を知り、 心から感謝をしました。

洗礼を受けてから、教会生活を始めて、自分がいかに強欲で汚い、罪深いものであるかがだんだん心からわかる様になり、その為にイエス様が十字架で死ななければならなかった事も実感として思わされ、それまでのばらばらでただの知識だった聖書の箇所がだんだんがひとつになり、イエス様の十字架の意味が実感として判るようにさせていただきました。

色々な方が色々な形でイエス様に出会い、クリスチャンになられますが、私は「本当に凄い方に愛されている」と言う暖かい、心の中に日が差して行くと言う実感で始まりました。 神様が個性の違う人それそれぞれの為にご用意下さっている特注の愛に感謝します。

歳を取るに従って、益々自分の汚さが自分自身に明らかにされて、何も変わっていない罪深い者である事を思い知らされる事が多いのですが、その時、そのような者をそのままご自身の命とひきかえに、許そうとされたイエス様の愛の大きさに感謝します。そして仕事においても、個人の事においても家族の事においても、全ての辛いことを通して何かを与えようとしてくださっている神様の愛を思うとき大きな喜びと信頼感を持つことを得させてくださっています。

ヘブル12章6節~10
「主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。
あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。(中略)肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。」

ヘブル10:章35~36「 だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。 神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。」

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『イエス様と歩む喜び』

イエス様は、僕の罪のために十字架にかかって死んでくださり、それ程までに、僕を愛してくださった。罪の全てを消し去って希望を与えて下さったその十字架の愛に答えたい。イエス様からいただいた希望を力にして仕えていきたいと思うようになっている。
この希望を実感する場になったのが、英語を学ぶために行っていた語学学校だ。僕が通った語学学校では、 様々な国の人がいて、皆英語を学ぶ目的で来ている。
その語学学校では、月曜日になると必ず聞くことがある。「週末は何をしましたか。」
実は、僕は日本人学校にいるときから、他人に「日曜日に教会に行った。」と言ったことがなかった。もしかすると言いたくなかったのかもしれない。だからその時もあいまいに答えた。しかし、ある何人かの韓国人が、 「教会に行った。」 と口々に言った。彼らの言葉が、僕に希望を与えた。人に、自分はクリスチャンであると言うことに抵抗があった僕にとって、心が開かれた瞬間であった。
またさらに別の日、ある韓国人はこう言った。
「アフリカに行って、ゴスペルがしたい。」このような言葉は、僕に勇気と希望を与えてくれた。彼は、本当にイエス様だけを信じて従っているから、そのようなことが言えるのだと思った。イエス様の光を信じて歩んでいる姿を見ていると僕も心から喜びがあふれてきた。彼を尊敬すると同時にイエス様の素晴らしさを知った。英語を学びに行った僕は、同時にイエス様のことを学んでいた。また、そこにはクリスチャンの先生もいらっしゃった。 その先生との個人的な会話で先生は言われた。「It is important for us to know the God in our life.」 同感だった。そのままそう感じた。そして、その時クリスチャンであるということの特権に感謝し、喜びが満ちあふれてきた。
ビリーグラハム大会で、僕は、日本語のプラカードを持つ係になった。横にも「カミール」と書いてあるプラカードを持っている中学生ぐらいの男の子がいた。その彼と話す機会があった。彼は、インドのクリスチャン。僕は、正直、驚いた。クリスチャンが決して多くないインド。クリスチャンが全世界にいて、全世界でイエス・キリストを賛美している。文化、国民性が全く異なる場所でもイエス様によってつながっている喜びを感じ嬉しくなった。
世界中で賛美されるほどイエス様は偉大な方。世界中どこを見てもクリスチャンはいる。これは他ではない唯一の神様であるという証拠だと言える。ビリーグラハム大会で痛感した。
もう一つ僕にとって喜びを感じることがある。それは友情である。教会の友達はやはり特別なものだと改めて思う。どんなときでも受け入れてくれる。どんなときでも頼れる。どんなときでも祈ってくれる。そのような友達が周りにいるということが喜びをくれる。イエス様を通して兄弟であるクリスチャンの仲間がいることに感謝したい。
これから僕は、イエス様の御名だけを信じてこの心から湧き上がる喜びを世界中に伝えていきたい。それがイエス様の十字架の愛に対しての答えであると信じて。
「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」 マルコ16章15節
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝を持って祈と願いとをささげ、 あなたの求めるところを神に申しあげるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いをキリストイエスにあって、守るだろう。」ピリピ人への手紙4章6節7節
全世界に出て、福音を伝えていく。試練のときには神様に祈って生きていきたい。
韓国語では神様のことを「ハナニム」という。これは、三位一体である神様だから、「一」と言う意味の「ハナ」を含めた「ハナニム」と言うようだ。世界で唯一の「ハナニム」に委ねていきたい。
これからも神様の恵みを全て受けることができますように。

月報2005年8月号より

6.「帰国後のクリスチャンとしての歩み」

主イエスを信じること、毎週日曜日に教会で礼拝を受けること、これらは私には平安の時を与えるものです。人は愛されると思うことが喜びであるというのは本当にそのとおりだと思います。そして主イエス様が生きておられると信じること、 これによってそれが叶えられるわけですから、 そのことを教えていただいた錦織牧師に感謝するとともに、そのように導いていただいた主に感謝しています。

洗礼を受けたあと、 帰国に向けて引越しを行いました。 丸三日掛けての引越し作業でした。 木曜日に日本に向けて帰国しました。金曜日の夕方に到着した後、 土曜日はガスの開栓、 ケーブルTVのセットアップ、 電話のセットアップ等々であっという間に一日が終わりました。

ケーブルTVのアレンジは帰国前に連絡を取っていましたので、帰国した翌日に使えるようになりました。 インターネットのセットアップのアポはTVセットアップの時にして下さいという説明を受けていました。 そのためインターネットでの情報収集は直ぐには出来ないだろうと諦めていました。 ところが、ケーブルTVのセットアップと同時にインターネットも開設していただきました。 ケーブルTVに限らず、 日米を問わず、 この種のカスタマー・サービスによる説明は必ずしも実情を正確に表していないことがよく有ります。 結果的に良い方向で間違いが分かるというのは大歓迎です。 そのお陰で錦織牧師から薦めていただいた大阪一麦教会のホームページにアクセスが出来まして、 礼拝のスケジュールが分かりました。その結果、 翌日の日曜礼拝に早速出かけることが出来ました。 些細なことですがこれも主の導きだと思っています。
一麦教会ではニュージャージー日本語教会のような生演奏による讃美は行われませんが、 ピアノあるいはオルガン伴奏による讃美が行われます。 富山の一麦教会で牧師をされている原村牧師のご兄弟が最近天国に召されたとのことで、 この日の礼拝ではその時のことを紹介されていました。

礼拝の後、 同じマンションにお住まいの杉山姉と交わりの時間を持つことが出来ました。 姉妹は土曜日に英会話教室のお世話をされているとのことで、 私がニュージャージーに赴任していたとい言うことから英会話教室へのお誘いをして頂いたのがきっかけで、その後姉妹から英会話の案内を含めて色々な案内を封書に入れてマンションのメールボックスに届けて頂きました。 その中に大阪クリスチャンセンターでの講演会の案内が含まれていました。 元カネボウ取締役の三谷兄の証の講演とともに向日かおり姉による特別讃美が行われるという案内でした。 実は帰国前に梅本兄から向日かおり姉のことを伺っており、 杉山姉からのご案内に同姉妹の特別讃美のことが記されていたことには驚きました。 このような偶然に、不思議な神からの導きを感じざるを得ませんでした。

講演会は大阪朝祷会主催でした。 前半は向日かおり姉の特別讃美が行われました。向日かおり姉のゴスペルはCDで聞く以上に声量の大きさが印象的でした。 全部で8曲を唱歌されました。 「あなたのそばに」、 「アメイジング・グレイス」、 「主の祈り」、 「強くあれ、雄々しくあれ」、 等々。 特に最後は司会の方の配慮でアンコールがあって、 そこでニュージャージー日本語教会の2月の讃美歌であった「きみは愛されるため生まれた」を讃美されまして、ニュージャージー日本語教会での色々なことを思い起こしながら、私は胸が熱くなる思いでした。 このような喜びを与えて下さった主に心より感謝します。

三谷兄の証は「逆転勝利の人生」と題する自叙伝に基づいたもので素晴らしかったです。 一回ではなく何度か、 降格・左遷の憂き目に合いながらも、 最後はカネボウ薬品の社長、 会長も歴任され経営手腕を発揮されたとのことでした。 兄弟はこれも偏に主を信じて、 主とともに人生を歩まれた結果、 逆境にあっても常に心の平安を持って物事に対処できたと言うことを述解されていました。

講演会の席上、 三谷兄も向日姉とも直接お話しする機会はありませんでしたが、 以前ニュージャージー日本語教会に来られた事があるということを後ほど知りました。 私は3ヶ月という短い期間しかニュージャージー日本語教会に伺うことが出来ませんでしたので、三谷兄と向日姉にニュージャージーではお目にかかることが無かったわけですが、 日本に帰国してからこのような機会を得ることが出来たことも神によるお導きであり、 あらためて主に感謝しています。

日本でクリスチャンとして歩むのはアメリカで歩むより困難が多いと伺っています。 これから何処の教会にするかを決めてと思っていますが、 これもイエス様の知るところです。 果たして何処の教会に行くと思われますか?? 私は、 主イエス様を信じて、 主の愛と救いを享受しながら、 これからの人生を楽しくすごしたいと思っています。

追記: 皆さんからメッセージを頂くときに、 聖書からのみ言葉を一緒に頂くことが良くあります。 皆様からご紹介いただく御言葉は全て心に残るものばかりです。 私もそのようなことがしたいと思っていました。 先日参加した教会の礼拝の中で参考として引用されていたローマ人の手紙13章を読み返している時に良い御言葉に出会いました。 New International Versionで読み返している時のことなので、 敢えて英語で紹介します。”…Love your neighbor as yourself.” Love does no harm to its neighbor. Therefore love is the fulfillment of the law. (Romans 13: 9-10)

主に在りて

月報2005年6月号より

5.「信じること、救いと受洗」

受洗という言葉を始めて伺ったのが実は愛餐会のときに三村兄と一緒にポトラックパーティーの食べ物を取るために列に並んでいる時でした。今から思えばこれも主の導きでした。もし三村兄と一緒に食事を取るために並んでいなかったら、受洗の恵みを授からなかったかもしれません。そしてその後の週にお二方の受洗式に立ち会うに及び、私も導かれたいと強く思うようになりました。

それから私が洗礼を受ける決心をするまではいくつかの紆余曲折がありました。ひとつはお墓のこと。ひとつは時間的なこと。一番大きかったのは自身の気持ちだったでしょう。

まだ十分に決心がついていない状況でしたが、錦織牧師とのman-to-manの学びが始まりました。学びの中で、牧師は余り難しいことは言われませんでした。ただ、イエス様が私たちの罪を負って、十字架に掛かられて、三日の後によみがえられ、今も聖霊様を通して、私たちと共に居られることを信じなさいということでした。それから、私たちは罪深い存在なので、それを主の前で悔い改めなさいとも教えていただきました。

私にとって、すぐに主を信じることが出来るようになっていたのは、その時点で自身の無力さを悟っていたためかもしれません。それまで自分が如何に自惚れていたか、如何に自信を持ちすぎていたかが、直ぐに分かりました。そのため悔い改めることに余り抵抗がありませんでした。また、2000年前に十字架の後復活した主を信じること、それによって主より愛され救われるということ、これらも私にはたやすい事でした。

そして、2005年2月20日に錦織牧師の手によって主に祝福されながら洗礼を受けることが出来ました。洗礼を執り行って頂いた錦織牧師とともに主イエス様に感謝しています。

(神林兄の証は4月号の月報からの続きです。 この後次回の6月号の
月報で完結です。)

月報2005年5月号より

「神様との会話」

少なくとも私にとって、神様との会話は、ほかの誰かとの会話とは随分違うものである。

“あ”と言えば“うん”と言うように、すぐに反応があるものではなく、返事が自分の思いと全く違う方向にころぶことも多い。こちらからの語りかけは、かなり自分の都合を並べたものが多い。そして最後に取ってつけたように、ご用のために何かできることがあれば..、などと言ってる。それなのに、神様からのメッセージは、いつも驚くばかりに不思議な形で届けられる。人の目にそれは“まるで一方通行どうしの会話”と映るのだが。

或る時は、誰かとの会話の中でひらめきを与えられたり、礼拝や集会のメッセージから励ましを得たりする。聖書を読んでいると心に響く聖句に出会う。“聞くに早く、語るに遅く、怒るに遅い者であれ”(ヤコブ1:19)と、ただ人を諭すだけでなく、神様は、勝手な祈りを辛抱強く聞いて下さり、祈りが自分のことばかりなってしまう時には、或る人々のことを脳裏に浮かばせ、自我の思いを阻む。ハッとして、この人のためにも、あの人のためにも祈れということだ、と理解し、指し示しめされた人々のために懸命に祈りを始める。

或る日、新しい仕事のことで小さな悩みを抱え、直ぐにでも答えが欲しい時があった。教会に行くも当番で聖日メッセージを聴けないことが分かっていた。そんな時、礼拝前の勉強会で答えとなるみ言葉に出会った。“知恵の欠けた人がいるなら、その人は、誰にでも惜しげなく、咎めることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。ただし少しも疑わずに、信じて願いなさい。”(ヤコブ1:5-6)励まされ、気持ち新たになることが出来た。それ以降、“このしもべに知恵を与えたまえ”という心からの願いは、主の祈り、ヤベツの祈り共に通勤電車の中で捧げる祈りの一つとなった。

真っ直ぐに答えが出る時もあるし、ヒントを感じるだけの時もある。メッセージをもらった、と喜んでも、暫くすると同じような問題に再度ぶつかることもある。どうして人(私)は反省しても、すぐ同じ失敗を繰り返してしまうのだろうか。そんなことを考えていると、アフリカ女性伝道者が車内に乗り込んで来た。”Jesus loves you! Jesus died for your sin and for my sin, too…”下手な英語で彼女はしきりに繰り返していた。“そうなんだ。もう何度も聞いていることだけれど、まさにそれなんだ。”三浦綾子さんがかつで言っていた。“人間の一番大きな罪は自分と他人を計る物差しが違うことだ”、つまり自己中心の罪ってことを。同じことを繰り返し、進歩の見えない、そんな私のために、そしてあの人のために、イエス様は十字架に掛かって下さったのだ。黄泉に下り、よみがえり、いつも生きてとりなしをしてくれている。だから、人の苦しみにも、一方的な叫びにも神様は最善の時にベストな方法で答えて下さる。“神様のなさることは時に適って美しい”(伝道者の書3:11)という、み言葉どおりに。でも、悲しいかな、私には、その不思議なわざに気づくのに時間がかかることが多いのである。

神は霊ですから神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。
(申命記 8章14節)

月報2005年5月号より

4.「ハーベストタイムとニュージャージー日本語教会」

ハーベストタイムとの出会いは、私にとってはクリスチャンとして歩むきっかけを与える大きな出来事でした。

もともとハーベストタイムを見始めたのは妻でした。私は教会には興味がありましたが、ひとりで行くことには躊躇があって、妻が一緒で無ければおそらく教会の扉をノックできなかったと思います。ハーベストタイムを見るのもそうであったかもしれません。何時しか、妻と二人で毎週見るようになっていました。

ハーベストタイムでは毎回ゲストを招いてその方の証についてのインタビューと関連した聖書の御言葉の紹介をされるのが非常に印象的でした。そして毎回何か頷けるようなものを感じていました。私の帰国が決まった直後、何か寂しいものがあったのでしょう、あるいはこれが心の渇きだったのでしょうか、ハーベストタイムと関係のある教会にとにかく行ってみたいと強く思うようになっていました。そんな中で見つけたのがニュージャージー日本語教会だったのです。私が住んでいたのはニュージャージーのMadisonという町でしたが、ここから一番近いのがMaywoodのニュージャージー日本語教会でした。

とにかく私にとってニュージャージー日本語教会は不思議な力を持っていました。最初にノックした扉はなんと裏口だったのです。扉を開けてくださったのは大清水姉でした。礼拝堂に導かれた後、まず驚いたのは生演奏による讃美の時間でした。そして礼拝堂に集まっておられる皆さんが首を左右に振りながら楽しく讃美をされている光景を見たとき、Nashvilleの教会の神秘的なクリスマスミサの雰囲気と余りにも異なっていたので、とても不思議な印象さえ受けました。しかし、それもつかの間で、これまで歌ったことも無い讃美歌を口ずさんでいたのです。

暫くすると、greetingが始まり、教会に集まっている方々が誰彼となく握手を始められたのです。私はこれで礼拝は終わりなのかなと勘違いしましたが、このgreetingの時を通して、初めて出会った方々から本当に厚い歓迎のお言葉を頂くことが出来ました。初めて飛び込んで行った妻と私でしたが、皆さんは本当に友達のようにして歓迎してくださったのです。このような暖かい歓迎は、私のおぼえている限り初めてのことでした。これで私の教会に対する考え方が変ったのでしょうか、次の週も、またその次の週も何故か足を運ぶようになっていました。

月報2005年5月号より

3.「二度目の渡米生活」

何時しか基礎分野での研究者としての生活に終止符を打つことになり、 臨床試験のマネジャーとしての職務につき、 2003年から、 海外臨床試験マネジャーとしてニュージャージーに赴任することになりました。 臨床試験はかなり困難を伴うものですが、 依然として私は自分の能力を過信していました。 きっと成功するという自身を持って取り組んでいました。

ところが、臨床試験というのは本当に難しいもので、単に自然科学の力だけでは解決できない難しい問題を持つものなのです。

そんな中で、 突然の帰国命令を受けました。 これは本当に予想外の展開だったのです。 海外赴任している者にとっては決して驚くには足りないことなのかもしれませんが、 高校二年になる娘の学校のこと等を考えると、 3ヵ月後の帰国というのはやるせないものでした。 と同時に、 自身が本当に無力な存在であることをつくづく感じました。

そしてこれが神を求めるきっかけになりました。

* この後、 神林兄の「証」は 4. 「ハーベストタイムとニュージャージー日本語教会」 5. 「信じること、救いと受洗」 そして 6. 「帰国後のクリスチャンとしての歩み」 と来月号以降へ続きます。

月報2005年4月号より

2.「米国留学時代におけるキリスト教との出会い」

1991年から1993年までの2年間米国ナッシュビルのVanderbilt大学に留学する機会を得ました。 娘が近所の教会に所属する preschoolに通っていました。 教会からの案内もあってクリスマスの時にその教会へ行きました。 印象に残っているのはハンドベルによる賛美でした。 礼拝堂の中を薄明かりにして、 とても神秘的な雰囲気の中でのハンドベル演奏でした。 初めてのアメリカ生活の中で体験した神秘的な教会の雰囲気というのはすごく新鮮でした。 それでも私は救いへとは導かれませんでした。

その後も私はキリスト教に何となく興味を持っていたのでしょう。神を信じるというよりはむしろ歴史的なキリスト教的な考え方を持つということにとても興味がありました。 ある書物の中で、現代の自然科学はキリスト教的な背景が無ければ生まれて来なかったかもしれないと示唆するものがあって、 とても興味を抱いたことを覚えています。 これは必ずしも、キリスト教哲学に基づいて現代科学が築かれたということを意味しているのではありません。 神の存在があったからこそ、 対立する概念の中で自然科学に対する理解が深められていった、 つまり現代科学の基礎を築くように主イエスが導いてくださったのではと理解しています。 それほどに主イエスの存在は偉大であったと思わざるを得ません。 エジプト文明、 メソポタミア文明、 インダス文明、そのほか中国においても文明は芽生えしたが、 実際に現代の自然科学の基礎はキリスト教社会・文化の中で活躍された哲学者、 自然科学者から生まれてきたといっても過言ではないと信じています。

私は大学では理学部の化学科を専攻しました。その後製薬会社の研究所に勤務し、一研究者としての人生を歩みました。 研究に関してはそれなりの自信を持っていました。 研究の世界ですから、 もちろん結果はやってみなければならない世界ですが、 どのように自身の仮説を実証していくかという科学的な考え方についてはかなりの自信を持っていました。 それは私自身が当時無神論を自負できた理由の一つになっていたかもしれません。

私は人生の中で三度自然科学の分野で成功を収めたと自負していました。 ひとつは大学院の時、ひとつは入社した後に研究に携わりそれによって留学前に学位を取得したとき、 三度目は留学期間でのことでした。 そういう自分は神をも知らず、 ただ自身の力を信じたおろかな科学者であったのでしょう。 今から考えると不思議なものですが、 特に三回目の成功を収めたのは、折も折りクリスマスの頃で、 家族とWashington DCでクリスマスの休暇をすごした直後に研究室で結果を見て成功していたことに気づいたという経緯がありました。 その時には思わずクリスマスプレゼントと関係者に知らせたように記憶しています。 もしその時に主を信じていたならば、 その後はもう少し平安な人生を歩み始めていたかもしれませんが、 実際にはその成功は自分の行った業績という考えを持つことしか出来ず、 結果的にそれが間違いであったと悔い改めています。

月報2005年4月号より