2017年5月21日「地の果てまで」※野口和子姉による証あり

証 : 野口和子姉「全能の神により頼むんじゃ!」〜信徒伝道者・安部哲兄の歩んだ道〜

説教者 :錦織 学 牧師

聖書箇所 : 使徒の働き1章8節

 

「ヨナと私」

皆さんは、聖書の登場人物の中で、誰がご自分に一番近い、あるいは、最も共感できると思っていらっしゃいますか?私だ ったら、旧約聖書のヨナ書に出てくるヨナを選びます。あの、ニネベの町に行きなさいと主にいわれ、行きたくないと別の 船に乗ったあげく、魚に飲み込まれ、ニネベの海岸に打ち上 げられたヨナです。

私は、代々のクリスチャンホームに生まれました。日々、聖書 が開かれ、祈り、讃美歌も四つのパートで歌うそんな家庭でした。両親はお互いを深く尊敬し、私達三人兄弟の個性を尊 重しつつ、見守り育ててくれました。後に、自分が母親になり、子育ての困難にぶつかった時に、「こんな時、両親だったらど う対処しただろうか。」と思うと必ず解決策が見つかり、そのことをどんなにか、幸せに思ったことでしょう。
ただそんな中でも、私はマイペースというか、こうと決めたら、てこでも動かない所があって、幼稚園に来ていく洋服一つとっても、真冬でもズボンは嫌!というような子供でした。母は 仕方なく、私に二枚重ねのタイツをはかせ、厚手のウールでスカートを縫ってくれました。そんな様子を見て父は決まって溜息混じりに「空の鳥を見るがよい。」とマタイ 6 章の聖句を唱えるのでした。まだ世の中全体が貧しく物不足の時代でしたから、欲しいものがすべて手に入る訳ではなかったのです が、それでも「神と人とに愛されるように」との願いを持って育 てられたお蔭で、神様の存在を疑うこともなく、豊かな子供時代でした。

最初の挫折は大学受験でした。浪人に反対され、母の出身 校のキリスト教主義の学校に入れて貰いました。卒業後は、 アメリカの UCC(United Church Of Christ)の招へいでノース カロライナで一年を過ごしました。その町は大学も教会も UCC の系列で、聖歌隊で歌い、教会学校のヘルプ、チルドレ ンズホームのボランティアと、授業以外にも恵まれた毎日で した。帰国後は欧州の会社に勤務。海外との往復で、教会へ の出席は難しくなっていた頃に出会ったのが、ノンクリスチャ ンの夫で、結婚。長女出産後も仕事は続け、夫の海外駐在 を機に退職し、次女出産後サンフランシスコに赴きました。その後ニューヨークに転勤になり、SMJ(Special Ministries for Japanese:NY地区で、日本語を使う方々のためになされているクリスチャンの働き)の存在を新聞広告で知り、そこにあ った番号に電話して Fort Lee での家庭集会を教えて頂いたことが、この地でのキリスト者の交わりに加えて頂いた最初 でした。

駐在員家庭の常で、殆ど母子家庭という状況の中、私は、何とか子供達に宗教教育を、と真剣に考えていました。浄土宗 の夫に、マンハッタンの仏教会に子供達を連れて行きたいか問うたところ、返事はノー。私が教会に連れて行くならどうぞと言うので、近所の合同メソジスト教会に通い始めました。私自身も様々な学びや奉仕の機会を与えられる中で、子供達3 人が洗礼を受け、教会ファミリーの中で育てて頂けたことは何よりの喜びでした。

ここまでの道のりは、今から考えるとすべて主の導きの中、 守られて最善の道が開かれたように思えますが、その時々の私は「なんで私が?」「こんなのあり?」「もっと違う道があ ったかも?」というつぶやきを、神様、イエス様に投げかけていました。実際、別の道を歩きかけて、神様に引っ張り戻されたこともありました。また絶対無理と思うご用も、不思議にやり遂げられて、これは、もう私の力ではないと確信したことも度々ありました。

さて、最初のヨナの話に戻ります。ヨナは仕方なく、ニネベの 人達に「悔い改めなさい。さもないと神様に滅ぼされます。」 と伝え歩いたらこれが大成功、全員悔い改めてしまったので、 主が「せっかく悔い改めた人達だから助けてあげる。」とおっ しゃったとたん「それだったら、何で自分をニネベになんかに 連れて来たの?」と文句を言ったのです。私の信仰生活を振り返ると、このヨナの気持ちがよくわかって、思わず「そうそう、そうなのよねえ。」と手を握り締めたくなります。

ヨナには最初から全知全能の神の声がしっかり聞こえていま した。でも自分の力不足も知っていたし、後は神様が何とかするでしょうからという気持ちもあって、自分の意思で反対の方向に向かいます。でも神様はこの役目を果たすのはヨナ以外にないと敢えて選ばれたのです。その後のヨナの仕事ぶりは目覚しく、神様は当初の予定を変更されます。神様のご計画は、ヨナの行動次第で路線変更ありというのも嬉しく、勇気付けられる思いがします。

もうひとつ私とヨナの共通点があります。それは、ヨナが嵐の吹き荒れる海で、騒ぎをよそに熟睡し、どうも自分のせいで 船が沈みそうとわかった時に「あの~、どうぞ私を海に投げ込んで下さい。そしたら、嵐は静まりますから」と伝える時に、 恐怖よりも「神様はどこまでも自分と共に居て下さる」と疑わなかったことです。私もこの思いに同感です。夜中にふと目を 覚まし、あ、今から神様の声を聴こうと思った時、心の底から楽しい気持ちになり、神様の声が聞こえないうちに、またすっ と眠りにつくことが何度もあります。反対に、全く予期していない車の運転中に神様の声が聞こえてきて、びっくりすることも あります。人生の分岐点では、「神様、これがもし御心でなければ、何とか、邪魔を送ってそっちに行かせないようにして下 さい。」とか、「神様、本当に大事なことを忘れないように優先順位が狂ったら、突っついて下さい。」というのが多くなります。 神様は私達と繋がるライフライン(命綱)にかけた手をご自分からは決して外さない方だとわかっているからです。

私の日々の課題は、神様、イエス様の声を聞き逃さないようにする事、そして、それを実行に移す事です。お祈りが「家内 安全、無病息災、商売繁盛」にならないように、主が私に何をさせようとなさっているか、そのアサインメントを見極め、歩ん でいくことです。イエス様はあの宗教的政治的圧力の中、社会の価値、常識を覆し行動されました。私の次のニネベ行きがいつになるか分かりませんが、その時が来たら、きっとま たぶつぶつ文句を言いつつ、それでも不思議な力が湧いてきて、神様のご用が達成できますようにと願っております。

 

月報2017年5~6月号より

「クリスチャンの夫と結婚して」

昨年11月、私はここNJ日本語教会で受洗させて頂きました。まだまだ歩み始めたばかりのベイビークリスチャンの私ですが、私がどのように信仰に導かれたか証させて頂きたいと思います。

私が育ったのは、キリスト教とは全く縁のない家庭です。大晦日には除夜の鐘を聞き、年が明けるとその足で神社に初詣に行く、そんなよくある典型的な日本の家庭で、信仰というよりも日本古来の慣習を大切にしてきました。ですから、夫と知り合い、彼がクリスチャンホームで育ったクリスチャンであることを知ったときも実感がわかず、「へー、なんかかっこいいね!」と軽く受け止め、まさかこのことが自分の結婚生活に大きな影響を及ぼすとは思いもしませんでした。
そんな私が初めて教会に行ったのは、夫との結婚が決まる前後のことです。ここで、私は、大きなカルチャーショックを受けます。勝手にヨーロッパ風(?)の厳かな礼拝をイメージしていたのですが、行ってみてビックリ。想像とは正反対のポップな賛美、真剣にメッセージに聞き入り祈りを捧げる人々。まるで異世界に連れてこられた感じ。すっかり圧倒され、礼拝が終わるとドッと疲れて教会を後にしました。それでも、結婚後は転勤先の愛媛県に住むし、夫も礼拝はインターネットで見るというし、たまにお付き合いで行くぐらい別にいいかなと、特に気にせず結婚生活をスタートさせました。
しかし事態が変わったのは、長男が1歳になる頃、再び転勤で、愛媛県から夫の母教会のある神奈川県に帰ってきた時です。主人の家族と共に教会に行く機会が増え、また子供を教会に連れて行きたい夫の意向もあり、気がつくと毎週のように礼拝に参加するようになりました。初めは私も嫁として教会に顔を出し、キリスト教のことを理解したほうがいいのかなと思い、教会について行っていたのですが、「私達は神がつくって下さった。」「神が我々の罪を赦して下さった。」「私達は勝利している。」「救い」「聖霊」そういった言葉ひとつひとつに強い反発を抱くようになりました。「私を生んで育ててくれたのは神様ではなく私の両親。」「自分は決していい人間ではないけれど、神様に赦しを求めるほどの悪人でもない。」「いったい何に勝利しているというのか。」「救われなくても私は十分幸せに生きているから大丈夫。」しかし、夫だけでなく夫の家族も通っている教会で、こういったことを口にするのは彼らの信仰を否定することになる思い、私はこれらの違和感や反発心を心の中にため込んでいきました。夫の家族はいつも私を温かく迎えてくれて、一緒に過ごす時間はとても楽しいのですが、「日曜日そのまま教会も一緒に行きましょう。」となると、私の心はずどんと重くなりました。教会に行くのが当たり前の夫の家族と、教会に行くのが憂鬱でしょうがない自分との間に大きな溝を感じ、次第に私の足は教会から遠ざかっていきました。
こうして、教会には主人と子供たちが通い、私は別行動をするという日曜日がスタートしました。私が教会に行かないことについて、夫も夫の家族も責めるどころか、むしろ「なかなか無い1人の時間。少しでもリフレッシュできるといいね。」という温かい言葉をかけてくれました。これで、問題解決!かと思いきや、私の心は全く晴れません。それどころか、心の中のモヤモヤは増すばかり。確かに子育てに追われバタバタする毎日の中で、1人の時間は貴重です。でもこれは本当に自分が求めていたものなのか。夫と家族になりたくて、一緒に家庭を築きたくて結婚したのに、なぜ自分は毎週日曜日に一人で過ごしているのか。私が一緒に教会に行けばいいのだろうけれど、これ以上無理をすると私の反発心が夫や夫の家族に向いてしまいそうで、どうしても礼拝に行くことが出来ませんでした。このままでは、私がクリスチャンになる日なんて来るはずないし、夫とも一生わかりえることなんてないだろう。そんな風に諦めかけていた時、神様は全く思いもしなかった方法で、私が教会に行くきっかけをつくって下さいました。主人が転勤になり、家族でアメリカに引っ越すことになったのです。これは我が家にとって大きなサプライズでした。

海外引越しのダメージは想像以上に大きく、私はアメリカに到着した時、すっかり疲れきっていました。慣れない運転に、子供達の学校の手続きや病院探し、今まで当たり前に出来ていたこと1つ1つにつまずき落ち込み苛立ちました。また子供達が、赤ちゃんの頃から過ごしてきた町や幼馴染と離れ、誰も知らない、それどころか言葉も通じない学校に通うことを考えると、胸が痛くてしょうがありませんでした。そんな中、本当に不思議なのですが、先に渡米していた夫がすでに通っていた教会に、私も行きたい!という気持ちがむくむくと湧いてきたのです。日本ではあんなに拒否していた教会。でも、この押しつぶされそうな不安から逃れたい。まさに藁をもつかむ思いでした。夫に付き合ってあげるのではなく、嫁としてのいい顔をするためでもなく、本当に自分の意思で、心から教会に行きたいと思ったのです。この時、私が初めて教会に行ってから9年が経っていました。
初めてこちらの教会の門をくぐり、皆さんが「よく来たねー!」と笑顔で迎えてくれた時、私は心がすっと軽くなるのを感じました。今思えば、「アメリカによく来たね。」という意味だったと思うのですが、私には「教会によく来たね。」と言ってもらっているように聞こえました。神様を信じられない自分でも、私は私のままでここに居てもいいのだと思うことが出来ました。
教会やスモールグループでは、先生やクリスチャンの皆さんが、今まで私が心情的に受け入れられなかったこと、そして新生活への不安について親身に話を聞き、一緒に祈って下さいました。すると、私の中の不安やモヤモヤが消え、心が温かくなっていきました。教会に通いだしてから短い間に、様々な出会いや体験をさせて頂きましたが、中でも私に大きな影響与えたのはジョイジョイキャンプです。当初、子供達の送迎だけするつもりだったのですが、友人に「一緒にキッチンスタッフをやろう。」と誘ってもらい、急きょスタッフとして参加することになりました。暑い夏の盛り、元気いっぱいの子供達を相手にする5日間は、体力的にとても大変だと思うのですが、スタッフの皆さんが本当に心からの笑顔で、子供達を喜ばせるために楽しそうに奉仕する姿は、私にとって衝撃でした。私は自分の子供がお世話になっている小学校のPTAですら参加するのが億劫なのに、みんなを動かしているものは一体何なのだろう。みんなの信じている神様はどんなことを言っているのだろう。それが知りたくなり、私は生まれて初めて聖書を手にとりました。

聖書を読み進めていくうちに、自分の内面が少しずつ造りかえられていくのを感じました。もちろん、難しくて納得できない箇所もありました。しかし、一つ気がついたことがあります。それは、私がずっと求めても得られないと思っていた愛は、神様から頂くべきものだったということです。私は子供の頃から今まで、誰かに評価してもらうことをモチベーションに生きてきました。「音楽やスポーツが苦手な分、このテストで良い点を採ったら親はほめてくれるかな。」「良い学校に入ればみんなはスゴイといってくれるかな。」「この資格を取れば、私は自分に自信を持つことが出来るかな。」成果が出ると一瞬は満たされるけれども、また周りと自分を比較しては物足りなくなるという繰り返し。そんな生き方に疲れ、今度は「自分は頑張らないと愛してもらえないのか」、「頑張れない自分も受け入れてほしい。」そんなことを、身近にいる家族に期待しては、自分の思ったものが得られず、怒り悲しみ落ち込んできました。私はずっと、自分には罪はないと思っていたけれど、神様の存在を否定し、わが身を信じ、それによって不安定になることで、どれだけ大切な人達を振り回してきのか、それこそが私の罪であると気がつきました。
そして、ルカ5:1~11に目が留まりました。漁師だったシモンに対してイエスは「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい。」と言われます。それに対して、シモンは「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網を下ろしてみましょう。」と答え、そのとおりにしたところ沢山の魚がとれるのです。このシモンはまるで私のようです。心を頑なにして、神様を受け入れようとしない私を、神様は思わぬサプライズでこの教会に導いてくださり、沢山の出会いや居場所を与えて下さいました。そして私にも、「もうここで網を下ろしなさい」と言っているように感じたのです。今まで9年間、教会に行ってあげているという気持ちでいた時には、どんなに素晴らしいメッセージを聞いても全く心に響いてきませんでした。しかし、心を開き、本当に自ら求めて教会に行った時、神様は聖書を通じて、また礼拝のメッセージを通じて、私に語りかけて下さるようになったのです。

「地上の平和をもたらすために、わたしが来たと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。」

(マタイによる福音書10章34節)

先日、この箇所についての先生のメッセージ(2017年2月12日「本当の平和」)を聞いた時、まるで自分のことを言われているような気持ちになりました。クリスチャンの夫に出会い結婚したことで、イエス様は、私自身の人生に、家庭生活に、また人間関係に、つるぎを投げ込まれました。そのつるぎによって、私が今まで必死にたもとうとしてきた見せかけの平和は見事に壊されました。夫とは信仰や教会のことで言い争いもしましたし、教会と関わることで自分の親に対して後ろめたい気持ちになることもありました。「夫がクリスチャンでなければ、こんなモヤモヤした気持ちを抱えながら生きなくてすんだのに。」と思うことが何度もありました。けれども、私が自ら心を開き、本当に渇き求めた時、神様は、夫がクリスチャンだから、夫の家族がクリスチャンだからではなく、私自身にむかって救いの手を差し伸べ、本当の心の平安を与えて下さいました。結婚して9年。夫とは一生わかりあえることはないだろうと諦めていましたが、わたしが神様を受け入れた時、やっと本当の家族になれた気がしました。今まで、憂鬱だった日曜日。今は一週間で一番幸せな日にかわりました。夫と出会わせてくださった神様に、心から感謝します。

 

月報2017年3~4月号より

これなーんだ?アウトラインを捉えよう!

JCCNJ主催 クロッキー教室

日時:3月1日(水)
(第一、第三水曜日に開催中)
*3月は第三週目のクラスはお休みです。

10:15〜 準備
10:30〜 クロッキー教室(指導:三村啓子さん)
11:30〜 バイブルショートメッセージ(錦織牧師)
12:00〜 ランチ・片付け

参加費:無料
持ち物:なし
住所:247 Jolene Ct, Paramus, NJ 三村家

お申し込みは不要です。
ランチは啓子さんがご厚意によりサンドイッチを用意してくださいます。
可能な方は、準備・片付けなどご協力頂けると幸いです。

お子様連れ大歓迎!
ベビーシッターはいませんが、アメリカならではの広ーいお宅で、
お子様と一緒に描いたり、子ども同士遊ばせたりしながら過ごしましょう。

あっという間に2月も最終日、明日から3月ですね。
例年になく一足早い春の訪れで、ところどころ草木が芽吹いていてワクワクします。
明日は3月1週目のクロッキー教室です。
今月は3週目はお休みになりますので、ご注意ください。

明日はなんと、20度超えだとか。。
タンクトップ&サンダルの人たちが街に溢れそうですね〜(^^)

今日はアウトラインを捉える練習です。
この白抜きの物体はなんでしょう??
想像力を駆使し、中身を埋めていきます。

 

左上のはクマかな??右上は…水差し??
下はなんだろう…。
正解はこちら!
見る角度によって、こんなにアウトラインが変わるとは!
皆さんはわかりましたか?

 

次はボトルを見ながら、自分でアウトラインをとってみます。
まずアウトライン、その後中身を描きました。
途中で辻褄が合わなくなって、アウトラインを修正したり。。
物の形をとらえるのは難しい!

 

本日のモデルは錦織牧師!
普段男性を描くことがないので、肩幅やスーツ丈のバランスに悪戦苦闘!
先生は「イケメン!」と喜んでくださったので良かったですが。。
男性モデル募集中!

クロッキー教室の後は、錦織牧師のバイブルショートメッセージ。

マタイ6章24節〜34節
「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたに、それ以上良くしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて与えられるであろう。」

神様は私のことなんて、どうでもいいんだ。見捨てられたんだ。。
という思いになることがあるでしょうか。
けれどイエス様は、「空の鳥をごらん。野の花をごらん。
天のお父様が養ってくださるから何も心配していないよ。
あなたは鳥や花より、もっともっと大切なんだよ」
と優しく語りかけくださいました。

ここに出てくる神の国と神の義とは何でしょう。
神の国と聞くと、どこか特定の場所を思い浮かべるかもしれませんね。
けれど、聖書に神の国と出てきた時には、「神の愛に満たされる」と置き換えられます。
神の国とは、神様の愛に満たされる心、人生、生き方、家庭、人間関係、職場、学校etc…

それは周囲や環境といった外側から始まるのでなく、まず私たちの内側から満たされていく時に、周りにもその愛が満たされていくのです。
神様の愛に満たして頂くことに、日々集中していきたいですね。


今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました!

1月6日クロッキー教室

明けましておめでとうございます!
2017年も自由な感性で絵を楽しみつつ、右脳のストレッチをしちゃいましょう。

​新年最初のクロッキー教室では、恒例かるたでお正月気分を楽しみました。
聖書のカルタで、色々な場面の絵を子供と確認しながら楽しみ、犬棒かるたの1枚を自分の画面に模写をしました。

​「頭かくして尻かくざず」のカルタの絵を想像して描きました。
それぞれのユニークなカルタ絵ができあがりました。

​前回に続いて立ちポーズ、床にちゃんと立っているかな?
クイックルの床面の四角がどのように、見えるのかな?ここにも遠近法がありましたね。

クロッキー教室の後は、錦織牧師のバイブルショートメッセージ。


新しい年にこの聖書の言葉を皆さんにご紹介したいと思います。

「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」イザヤ書40:31

今年は酉年ですね。この酉年の鳥はニワトリなんでしょうが、同じ鳥ということで、
この「わしのように昇ることができる」という聖書の言葉を取り上げます。

この聖書の言葉の背景は、今から2500年前のイスラエルです。
彼らは自分の国がなくなってしまう、という本当に大きな苦しみの中を通っていました。
彼らはそんな困難な中で「神は私たちを捨てたのだ」
「神は私たちの祈りに聞いてくれないじゃないか」と言っていました。
その彼らに神は「いや、私はあなた方のことを忘れてはいない。
あなたがたは、わしのように翼をはって、のぼることができるのだ」と語られたのです。
そのためにひとつだけ条件がありました。それが「神を待ち望む」ということです。
神を信じて、神を見上げて歩む、ということです。

私たちは八方塞がりのように感じることがあります。
どうにもならないように感じる時もあります。四方から囲まれていると思うことがあります。
しかし、そんなときに思い出してください。四方八方が塞がれても、上が開いている。
神さまに求めて、神さまに期待して歩んでいくことができる。
そのときに、私たちは「新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる」のです。
新しい年の皆さんの歩みが祝福され、困難が襲ってきたときにも、
神様によって、力を頂いて歩んでいくことができますように。


ランチの時間には久々の方の近況報告や、新年の抱負などを語り合い、楽しいひと時となりました。

妻が受洗に導かれたことへの感謝

<はじめに>
妻が受洗に導かれたことへの感謝を証させて頂きます。

<クリスチャン4世>
私はクリスチャンホームに生まれ、物心ついた時から日曜 学校に通っていました。
クリスチャンが少ない日本で、友達 と違うことに違和感を感じることもありましたが、祖父母が神棚・仏壇に手を合わせるのを見ていたため、異なる神様を信じていても家族は円満に過ごせると信じていました。小学 5 年生で受洗の恵みに導かれた後も、(思春期特有の?) 寄り道をしたり、(青年特有の?)万能感に酔ったりと、奥底にしまって置きたい記憶もありますが、神様が人生の伴走 者として守ってくれているという安心感を持って、歩んでこら れたことに感謝しています。

<結婚、避けたい話題>
妻との結婚に際し、信仰の有無が大きな障害になるとは考えていませんでした。インターネットのおかげでメッセージ を聞く時間・場所の自由度は増し、週末は家族の時間(実 際には仕事で潰れる日も多くありましたが)として新婚生活 を過ごしました。子供が生まれ、母教会に通える距離に転居してからは、子育てに追われる妻のリフレッシュと、教会に行きたい私の希望を叶えるために、子供達と私が日曜日は教会に通うスタイルも確立し、Win-Win の関係が実現できているかのように見えました。 地元のキリスト教系幼稚園に入園し教会学校にも通う息子らの口からは、次第にキリスト教的価値観が出るようにな ります。そんな息子達を見て安心する私、他方の妻は息子達が知らない考えに染まっていくことに不安を感じたり、疎外感を感じたことと思います。親の信仰と子供の信仰、葬儀やお墓のことなど、宗教にかかわる点での衝突が増えてきました。私はこの状況で妻がクリスチャンになることなど不可能だと決めつけ、祈りの課題はクリスチャンとして模範的な夫になり家族の和を保つことになりました。日常生活は上手くいっていても、信仰に関わる話題では妥協点を見出す ことが難しくなり、次第に私はその種の話題を避けたい気持ちが強くなりました。

<転機の訪れ>
海外赴任の地がアメリカだったことは家族にとってもサプ ライズでした。赴任が決まってからはバタバタで、子供の学校、家などの押し寄せる課題を夫婦で協力してこなしてきま した。しかし、教会に妻が来てくれることなど夢にも思わなか ったため、アメリカに行ってからの教会探しは秘密のミッショ ンです。折角だから、ガッチリと現地の人々と交流するのも良いと思い、家探しと並行して英語の教会を探していまし た。メイウッドの教会の存在を知ったのも自宅候補付近の教会をグーグル検索した時で、英語と日本語の教会の違いを見てみようと思う程度の気持ちで訪ねてみました。行って みると日本で通っていた教会員の縁がある教会であり、ま た皆さんの暖かい歓迎を受ける内に、私と子供で通おうと決意しました。妻を誘う勇気は持てていなかったのです。ア メリカ生活に妻が慣れるまで、日曜日の過ごし方について 話すことは避けたいという思いを抱きつつ、引越しのために日本行きフライトに乗り込みました。 息子らの友達作りという大義名分で申し込んでいた Joy Joy Camp が始まります。送迎だけお願いするつもりだった 妻がキッチンスタッフを申し出たところから神様のご計画は私に見える形で始まりました。妻は初めて家族・親族と全く 繋がりのないクリスチャンに接し、キリスト教に興味を持ち 始めてくれました。心地よい雰囲気に抱かれながら、家庭集会で出会った人・メッセージの意味を会話することが増え、 信仰について会話するときのファイティングポーズは要らな くなりました。

<妻の受洗>
妻の信仰告白は突然訪れます。結婚以来、乗り越えることの出来なかった障壁はいとも簡単に崩されました。喜び踊りたい気持ちよりも、神様が整えて下さった環境の完璧さへの驚きが上回り、「いったい今までの言い争い、そしてこの スピード展開は何なのだろう?」とポカンとしてしまいました。

「神は、神を愛する者たち、すなわちご計画に従って召さ れた者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ローマ人への手紙8・28)

私が試練に遭った時、妻と信仰について意見が食い違い 途方にくれた時にも励ましてくれた御言葉です。神様を愛する方々の真ん中に我が家を移して下さり、妻が受洗に導かれたご計画を目の当たりにし、益々この御言葉への信頼が強められました。 日曜日を何となく妻に対して後ろめたい気持ちで過ごして きた日から、最も幸せな日に変えて下さったことに感謝します。
今後も家族揃って主の下で歩んで参りたいと思います。

 

月報2017年1~2月号より

「燃える柴のように」

私は、6月に大好きなニュージャージー日本語キリスト教 会に転入会しました。
この度はご挨拶も兼ねて、神様がい かに私の人生に関わって下さっているかをお証をする機会 を頂きました。ニューヨークに来て一年経ったこの生活を振 り返って、お証致します。

私が昨年、ピアノの勉強のためにこの地に来ることができ たのは、神様が与えて下さった奇跡でした。自分の能力や 努力ではどうすることもできなかったところに、主が働いて 下さり、明らかに道を開いて下さいました。「神様はやっぱり 凄いお方だ。この神様に信頼していけば何も怖くない!」と 実感できる奇跡だったのです。それなのに、来てからは試 練の連続で、何度も心に恐れを抱いては「大丈夫」と自分に 言い聞かせる日々でした。特にピアノの練習は不安で、競 争の激しい環境に圧倒され、思うように集中できない自分に イライラし、「本当に神様は私をここに呼んでいたのだろう か」と疑うこともあったのを思い出します。

そんな生活の中、ニュージャージー日本語キリスト教会で の毎週の礼拝は酸素吸入のようでした。賛美とメッセージ、 また皆さまの優しいお心遣いに、いつも励まされました。ど んなに沢山の心配事を抱えていても、礼拝に来ると、いつも 「神様に信頼しよう」と新たに思わされました。今も、よい教 会に導かれて本当に感謝だと痛感しています。

そうして数か月が経ち、2月から3月頭にかけて、博士課 程を受験しました。そもそもこの地で勉強をしていたのも受 験準備のためだったので、大きなプレッシャーを感じていま した。怖気づく中、イザヤ14:1「主はヤコブをあわれみ、イ スラエルを再び選んで、これをおのれの地に置かれる」とい う御言葉に励まされ、挑みました。しかし結果は惨敗で、受 けた三つの学校どれも落ち、賛美の歌詞にもありますが、 目の前が暗くなりました。「神様、あなたが私をここに置きま した。明らかにこの道を示して下さいました。なぜですか。次 はどうしたらいいのですか。」しかし神様は何も答えて下さい ません。

次のステップは、二つの選択肢がありました。帰国する か、OPT(Optional Practical Training と言って、留学生がビ ザを延長して働くことができる制度)で残るか。そしてOPTを するのだったら、どこで働くのか:以前いたイリノイ州に戻る か、この地にとどまるか。私の中では、導かれて来たこの地 に残って、もう一度受験に挑戦したいという思いが強くあり ました。しかし、経済的にも、帰国するかイリノイに戻ったら どうか、と親は言います。どうすることもできない状況だった ので、神様に切に祈り、委ねました。すると、神様はまたも や私を憐れんで下さり、全ての必要を満たして下さいまし た。OPT の申請も全てスムーズに済み、こんな恵みは相応 しくない私に、主はもう一度チャンスを下さったのです。行先 の答えを下さらないと思っていた神様は、一歩一歩、暗闇の 中で私の手を引いて下さっていたのだと今になって気づき ます。

もう一年はここにいられるとわかり、錦織先生に転入会の お話を頂きました。とてもお世話になっているこの教会にも っと関わって何かお返しできたらという思いと、自分の信仰 の成長のためにも奉仕を通して神様の働きを拝見したいと いう思いで、喜んで転入会させて頂きました。BIG(中高生の 集まり)のスタッフ、通訳、奏楽の奉仕の機会を頂けている のは大きな恵みです。 特に BIG での奉仕は、始めることができてよかったです。 最初にこの奉仕をやってみないかと聞かれた時、とても躊 躇いました。日本の教会学校での奉仕は小さい子ども相手 だったので、高校生と接する自信がなかったのです。「この 子たちのこの大事な時期に、躓かせてしまったらどうしよう。 こんな私が高校生にお話なんてできない」と、尻込みしてい ました。でも、やった方がいい、と聖霊様に突かれる気持ち がありましたし、OPT のため時間にも余裕があったので、引 き受けました。当初の恐れも、第1コリント3:6「わたしは植 え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、 神である」という御言葉で和らぎました。大事なのは私が頑 張って何かを語ることではなく、神様がこの子たちの心に働 かれることなのだと気づかせて頂けたのです。

BIG の奉仕を通して、私自身、今のところ二つの面で変化 させられています。一つ目は、祈りです。私は自己中心的な ので、自分のことはよく祈っていました。でも、9月に教師任 命式で前に立たされた時、このままではいけない、毎日彼ら の名を挙げて祈ろうと思い立ちました。これまで、誠実に継 続して誰かの祝福を祈ったことはあまりなかったのですが、 神様がその思いを与えてくださったので、変わることができ ています。すると不思議なことに、今まで名前もあまり知ら なかった高校生達に(勝手に一方的に、ですが……)興味 が湧き、もっと関わりたいという思いが与えられました。ま た、祈りの習慣が変えられたことから、他の様々な悩みの 種も、毎朝神様の前に持っていって、委ねて平安を頂く経験 をさせて頂けています。

二つ目に変えられたのは、神様をもっと知りたいという渇 きです。ある日の BIG でリーダーから「今神様から何を頂き たいか」という質問がされました。勇気や力という答えも挙 がり、信仰と答えた子も何人かいたのを覚えています。「神 様への信仰をもっと強く持ちたい」という言葉を聞いた時、私 は「神様がどんなお方で、どれだけ信頼できる方なのか伝 えたい」という思いを与えられました。すると次に心に浮か んだのは、「私自身はどれだけ神様のことを知っているのだ ろう」という疑問です。ずっと教会に来て、聖書を読んでいた 気になっていましたが、何も知らないのだと気づかされまし た。神の属性に関する本を何冊か読み、祈り求めるうちに、 ますます神様の素晴らしさ、私の理解を超えたその深く大き な愛を思い知らされ、もっとこの方を知りたい、そして私の人 生ももっとお委ねしたいと渇きを頂くことができました。

この二つの変化は、BIG の奉仕を引き受けていなかったら 得られませんでした。そして、受験に失敗し、OPT による時 間の余裕がなかったら奉仕を引き受けることはなかったと 思います。神様は私の失敗を用いて、私の弱さを示して下 いました。さらに、失意のモーセのもとに燃える柴の中で現 れたように、主は奉仕を通してご自身を私に現してくださり、 よりすがる渇きを与えて下さったのです。まだまだ変化の過 程の中にいますが、これから神様がどのように私を導いて 下さるのか、全ての面で主に信頼して、期待しつつ歩んでい きたいです。

「すべてはキリストのためであることを知っているので、そ の『とげ』も、侮辱も、苦しみも、迫害も、困難も、大いに喜ん でいます。なぜなら、弱い時にこそ、私は強いからです。― 無力であればあるほど、それだけキリストによりすがるよう になるからです。」 (第2コリント12:10)

月報2016年11~12月号より

「The Brave教師に導かれて」

ニュージヤージー日本語キリスト教会で「主にある家族」としてお付き合いくださり、数え切れないほどの祈りと助けと励ましをくださった皆様へ、心より感謝申し上げます。

7月初めにカリフォルニアへの引越しを無事に終え、今ニュージャージーでの教会生活を振り返り、特に強く神様の導きと訓練を感じました「The Brave (教会学校)」の教師というご奉仕についてお証しさせていただきます。

「受けるより与えるほうが幸いです。」(使徒行伝20章35節)このみ言葉に励まされ、2009年の9月からThe Brave教師の奉仕に立ちました。しかし当初は、私の中に教師としての「自信」などは全くなく、聖書のお話やみ言葉の意味をどのように子供たちに伝えたらよいのか、毎回悩みの連続でした。

聖書の中に、イエス様のもとに5千人が集まるシーンがあります。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」と問うイエス様に対し「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」と答えた弟子の言葉はそのまま私のつぶやきでした。「この小きき者に一体何ができますか?」と。このような信仰が浅かった私に対しても、主は「それをここに持ってきなさい」(マタイ14章18節)と言われ、忍耐強く私を導いてくださいました。

月1回のThe Brave&BIG教師のミーティングである「教師会」に集い初めた頃を思い出します。みことばシェア(お証)、祈りの時、カリキュラム確認と続き、子供達のための様々なイベントについて毎回真剣に話し合い、神様の導きを求めつつ、意見を交わす、その確立した体制や熱意ある先生達の祈りに「教会の子供達は実に恵まれている」と感心したことを覚えています。

教会学校の教師がひたすら祈ることは、教会へ来ている子供達が神様の普遍の愛—無限であり無償でいただける、優しくて強い「神の愛」を知ることです。聖書にはこう書かれています。

「愛は神から出ているのです。…私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」  (第一ヨハネ4章7—10節)

さらに現代の複雑な社会の中で、思春期の子供達が不安・混乱・矛盾、心の葛藤などを経験していく時にも、神様に依り頼み、善悪を見極めて誘惑をはねのける力、問題を解決していく力、希望を失わず生きる力が神様から与えられていくことです。

「見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」  (箴言4章22-23節)

この「いのちの泉」とは、決して渇くことのない水があふれる所ですが、ある日ふと「教師会」が私にとっての「いのちの泉が湧く所」になっていることに気付きました。毎日3歳と5歳の子供の世話で忙しくしていた私に「教会学校教師」という奉仕が与えられたのは、実は「神の前に静まり、祈りの時を持ちなさい」との主の招きだったのです。聖書を開き、み言葉に親しみ、心を一つにして祈り合うことこそ、当時の私にとって必要なことでした。主を身近に感じながら、私はいつも平安を得ることができました。

教会学校では一年を通して様々な活動があります。毎週日曜日のThe Braveの礼拝に加え、主の復活を祝うJoy Joy イースター、主の御降誕を祝うJoy Joy クリスマス、夏の一大イベントであるJoy Joy キャンプ etc…。これらを担っていくため、プログラムを組み、準備に時間を割き、人々に仕えていく、それはまた自分を犠牲にすることでもあります。体と心が疲れた時に、繰り返し私の心に響いていたのは「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6章33節)というみ言葉でした。

そしてこのみ言葉は、ニュージャージーの教会での最後の礼拝で我が家の子供達が洗礼を授かった瞬間に成就したのです!同時にこの洗礼の恵みは「奇跡」でもあります。子供達の「神様の子とされて歩みたい」「錦織先生から洗礼を受けたい」との思いが現実にされたからです。一年前にも6ヶ月前にもこのようなことは考えられませんでした。今、子供達の心の中に確かに教会で培われた神様の愛、聖書の一つ一つのお話やみ言葉、神様の子供とされた喜びが着実に育っています。錦織先生、教師の皆様、教会の皆様の愛とお祈りに深く感謝するとともに、主が与えてくださった恵み、み言葉の確かさを覚え、救い主、主をほめ讃えます。

「教会学校の教師」という重荷を用いて、主は確かに私の霊性を整え、信仰を鍛え、教会に来る子供達への愛情を増してくださいました。そして子供達の中にある純粋さ、素直さをみるたびにいつも心に語られたのは、イエス様のこのみ言葉でした。

『子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。』  (マタイ 19章14節)

 

月報2016年9~10月号より