みなさん、「教会」といえば、どんなことを思い浮かべますか?
大聖堂、トンガリ屋根の上に十字架がついている、きれいなステンドグラス・・・などを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか?しかし、実は、それは「教会堂」であって、「教会」ではありません。聖書で「教会」というと、「人々の集まり」のことを指しているのです。美しい教会堂、それはすばらしいものです。しかし、そこにどんな人々が集まり、どんなことがなされているのか、の方がずっと大切なのです。
イエスは、弟子のペテロが「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と告白をしたときに、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう」(マタイ16:18)と言われました。ここで、イエスが「わたしの教会」と言われたのは、建物のことではなく、人々の集まりのことでした。そして、「教会堂」は教会の人々が集まり、また地域に対して働きを進めて行くために用いられていくものです。
わたしたちの「教会」が創立してから33年が経ちましたが、そのスタートの頃からずっと「教会堂」を求めてきました。わたしたちの地域で新しく教会堂を建てる場合には、クリアしなければならない規制が多くて、「土地を買って、そこに教会堂を建てて・・・」というプロセスは本当に困難です。そこで、すでに教会堂として使われている建物を購入することを目指して、積立をしながら、候補物件を探しています。先月、一つの教会堂候補物件が売りに出されました。わたし自身がニュージャージー日本語キリスト教会に集うようになってから26年半になりますが、今までの経験の中で、一番わたしたちにふさわしいと思われるような建物でした。ですから、その建物を買うことができればと思いました。あまり時間がありませんでしたが、共に祈りました。購入のためのオファーも入れました。しかし、残念ながら、わたしたちはこの教会堂を手に入れることはできませんでしたが、そのプロセスの中でずっと思わされていたことがありました。「教会堂」も大切だけれども、「教会」がもっと大切だ、ということです。もしも、この教会堂がわたしたちに与えられたとしても、「教会」が「教会」として更に整えられなければ、神様は喜ばれない、神様の栄光は現されない、そう思わされてきました。ですから、「神様、教会堂を与えて下さい。そして、そのプロセスの中で、教会を教会として整え、守り導いて下さい」と祈らないではいられませんでした。
今回の候補物件は、他の教会が買うことになりました。それはそれで、神様の働きのために用いられるのですから、わたしたちにとっては喜ぶべきことです。そして、またわたしたちは、神様が教会堂取得のために道を開いてくださることを祈りつつ、「教会」が更に整えられ、成長していくようにと願っています。一歩一歩の歩みの中で、神様が素晴らしいことをしてくださいますように。みなさんも、どうか覚えてお祈り下さい。