- 説教者 : 錦織学 牧師
- 聖書箇所 : ルカによる福音書23章32節-49節
「計り知れない神の愛」
礼拝の後、何人かの姉妹が集まって癒しの祈りをしておられる姿を見て、普通教会ではどこでも見られる光景ではありますが、ただ自分には、聖書の中に出てくるタラントの御言葉(マタイ25章14~29節)がいつも思い浮ぶのです。以前集っていた教会では癒しの祈りを教わっていました。このタラントの喩えと共に、せっかく学んだから用いなさいとよく実際に祈りの中で用いていました。
御子によって、私たちに語られている御言葉は大人から子供まで非常に解り易く語られています。しかしその御言葉一つ一つに神の愛が秘めされている事を、見逃すわけにはいかないと思います。この喩えの中にも一タラントを預かった者は、主人(神様)は、「蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方」だから怖くなり地の中に隠しておきましたと答えています。しかし神様はその様な方でしょうか。決してその様な方では在りません。なぜなら「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほど、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3章16節) タラントすなわち英語でタレントであり、賜物、才能、能力と言う意味で、この教会でもよく用いられています。我々はすでに救われた者であり(「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」ローマ書10章10節)、その私達を神は一人一人にタレントを与えて下さっています。この賜物を一タラント受け取った者と同じ行動をしないで、神の愛に報いていくのが我々クリスチャンの義務と思います。だから癒しの祈りをしておられる中に入って一緒に祈ろうではありませんか。また伝道に、教会の奉仕のためにそれぞれの授かった賜物をフルに使いこなし、神のみこころを成して行く時、我々は「神は大いなることを行って測り知れず、そのくすしいみわざは数えきれない。」(ヨブ記9章10節)神の栄光を体験し、更に信仰を増し加えて行けるのです。
自分はかって、思いを超えた神の愛に触れた事が有りました。それは2003年の秋、クイーンズに有る教会から離れ、マンハッタンの小さなチャペルで礼拝を守っている教団を新聞の広告で見つけ、当時インターネットで教会を紹介していたのは、非常に希でしたが、その教団はインターネットを用いていた為に幾らか理解を持って礼拝に参加する事が出来ました。それと自分にとって、非常に強い魅力が一つ有りました。それはこの教団が毎年一年に一回イスラエル派遣と言う旅行を企画している事でした。一年後、自分もこの派遣の募集をし、出発まで丁度一ヶ月前のある日、クイーンズの教会に集っている姉妹から、H姉が心臓の大手術をした為、これで終わりかもしれないので見舞いに来て欲しいとの要請でした。その三日後、行くか行かまいか心の定まらない心境で礼拝を前に、エルムハーストにあるH姉の緊急病棟を訪れました。何と見てビックリした事に、手術して数日後な為、臓器が十分に機能していないのか、顔から体全身が真っ赤で、しかも風船を膨らませた様に膨れ上っているのではないですか。何とか姉妹を元の元気な姿に返して下さいという一心で姉妹に手を当てて主に祈りました。そして次の週も、どうしても気になっていましたので、同じように礼拝前に、姉妹を見舞いに行きました。何とまた驚いた事に、その日の姉妹は臓器が機能を回復した為か、体全体の膨れも元の状態に治り、肌も正常に治っていました。ただ意識が戻ればと、深い深い眠りの中を漂っている植物状態ではあるものの、一命は避けれたと言う思いを感じ主に感謝しました。そして次の週も、植物状態の姉妹を見舞い、後は意識が回復するのみと主に祈り、もう見舞う事もないでしょうと決めていました。
ところが次の週の日曜日、イスラエルへ出発を前日にして、それは自分自身にとって大変な夢によって目覚めました。その夢とは『自分の前に髪の長く白い着物を着た方が、自分とは反対方向に向いて左腕か何かを枕にして床のうえで横になって寝て居られるのです。誰かと思い、その側を回ってその方の顔を見ると、眠っておられるのではなくハッキリと目が合った』 その所で驚きと興奮の中に目が覚めたのでした。正にその目は、あの御言葉がピッタシの「わたしが道あり、真理であり、いのちなのです。」ヨハネ14章6節 の中にある真理そのものを現していた真実なる目イエス様でした。もうその後は大変、その興奮は覚めることを知らず、予てからH姉の見舞いに行きたいと頼まれていたB姉を伴って病院にバーンと飛ばし姉妹の病室に着いて見ると、何と更に驚きや姉妹は眼を開いて我々を確りと意識しているのではないのですか。 一昨日前、久しぶりにB姉妹から電話を頂き、H姉から手紙が届き非常に元気でおられるとの事でした。H姉は手術当時、以前から糖尿病を患っておられました。その合併症が原因で心臓につながる血管が破裂したという説明で連絡を受けたのですが、それだけではなく、足を片方付け根から切断する大手術でした。その後リハビリ施設に移られたと言うので、再びB姉妹と訪問した時には、車椅子での生活ではあるものの、以前よりも元気な姿で回復され、今は日本で生活を送っておられます。
「真理と愛のうちに、御父と御父の御子イエスキリストから来る恵みとあわれみと平安は、私たちと共に有ります。」ヨハネの手紙第二-3節
月報2008年3月号より
「神様にあって強くなる」
あなたは何に頼って生きていますか?神様ですか?自分ですか?親ですか?友人ですか?名声ですか?社会的地位ですか?頼っているものが崩れたらと不安になりませんか?
私は母に愛されて愛されて育ちました。親の愛、と言っても様々と思いますが、私は右にも左にもこんな愛をみたことがない、それ程にたくさんの愛を注いでもらったと思います。とても幸せでした。私も母が大好きでした。
小学校低学年の時に、私をかわいがってくれた祖母が死に、高学年になって祖父が死にました。私を愛してくれた人は死んでいく、一人になるのが怖い、そんな気持ちが私の心に起こり、無性に不安になりました。いつかはお父さんも、お母さんも死ぬの?、そしたらどうして生きていけばいいの?、私も死ぬの?、死ぬのに何故生きるの?、そんなことを子供の頃から考えていました。死後はどうなるの?、と問う私の疑問に答えてくれる人はいませんでした。
私の父も母も病気持ちでした。特に父は、入院、手術を繰り返していましたし、子供ながら、父の死後を心配し、準備する母の気持ちを感じ取っては、父はいずれか死んでしまう人、と漠然と思うようになっていました。私の心の中には、父は死ぬ人=母は死なない人、という方程式ができていました。母に、「お母さんはいつか死んでしまうの?」と聞くと、よく優しく、「直子が結婚するまでは死なない、死ねない」と言っていました。それを聞いては、早く結婚してはいけないなぁとよく思っていたものです。私の方程式も母の思いも完成されませんでした。父は今も元気に生かされていて、そして、母は私が13歳のとき、亡き人となりました。
母の死は、衝撃的でした。私は、母とは仲が良く、喧嘩をしたことも、また母に我が儘を言った覚えもないのですが、一度だけ母を困らせた記憶があります。それは、母の死ぬ前夜のことでした。あの日に限って私はいらいらしていて、急に体調を崩して横になっている母の前で、次の日の家庭科の授業の宿題を終わらせるために必要なアイロンの場所を教えてくれないと困る、と泣きました。今考えたら、その時は、きっともう母には何も聞こえてなかったのではと思います。それでも私が何かを言っているので、母はだるそうに目を開けて、私を見て、そしてまた目をつむりました。それが最期、次の朝、死んでいました。母がこの世で見た最期のものが、母が愛し愛した私のそんな醜い姿だったと思うと、私は辛くなりました。こうして私は自分の中に宿る罪を知りました。母の死後は、父に言いたいことを言わないように、喧嘩をしないように努めましたし、甘えない子供へと変わっていきました。私が結婚するまで死なないと母は何度も約束してくれましたが、人の言う事や約束は頼れない、一人でも生きていける力を身につけていかなければ、そう思うようになり、高校から単身で留学することを決めました。
私の罪は、イギリスに場所を変えても、私に再び迫ってきました。私は母に愛され、また私も誰よりも母を愛していると思っていましたが、日が経つにつれ、母のいない生活に慣れ、また母のことをを忘れるようになりました。今ではどんな風に母と会話していたのか、母がどのような仕草をしていたか、どんな表情をしていたか、どんな声だったのか、ほとんど思い出せません。顔だって写真がなければはっきりと思い出せなくなっていたかもしれません。母ほど私を愛してくれる人はもうこの世にはいない、その母を自分は裏切っているような気がしました。
18歳のとき、私は人間関係で苦しみ、自分の心に宿った醜い思いが、私が罪人であることを認めざるを得なくしました。そしてそんな中、教会に行けばいいのかもしれない、何とかなるかもしれない、何故かわからないけれどそんな切羽詰った思いが与えられました。日本に一時帰国した折に、親友が通っていた教会へ行きました。そして、その日のうちに、神様に触れられて、神様を信じました。ああ、この神様だ、この神様が唯一の神様、私の罪を赦してくださる、そして私を失望させない、そうわかりました。人は私を失望させるかもしれない、でも私を永遠に失望させることのない神様が存在する。「私は決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。」(ヘブル13:5) 私は喜びに溢れ、私の人生は、がらっと変わりました。それ以来、神様を信じて歩んでいます。常に神様に喜ばれる信仰者でいられているとはとても思いませんが、神様を否んだことはありません。
2003年9月、神様の本当に不思議な導きによりニューヨークの地に足を踏み入れました。ニューヨークに来て、気付かされたのは、如何にそれまで私は、たくさんの友人に恵まれ、人に、仲間に頼って生きてきたかということです。ニューヨーク、アメリカにはあまり馴染みが無く、来た当初は、知り合い、頼れる人はいませんでした。仕事も私にとって全く新しいフィールドでした。私は、孤独、そして不安でした。恐れもありました。でも、当時の私には、他に行くところがなかったのです。私には、神様が私をここに導いたという信仰がありましたので、それだけに頼りました。時に、神様の意図が私たちにはわかりません。でも信仰というのは、私たちが理解できることを信じることではなくて、わかってもわからなくても信じることだと思っていますので、神様が与えてくださった仕事に、教会に、環境に、できる限り誠実でいよう、目の前のことを精一杯やろう、そう歩んできました。
4年半が経った今になってニューヨークに神様が置いてくださった意図が分かってきた気がしています。2008年年初より、錦織先生に薦められた「日々のみことば」を読んでいますが、1月3日の箇所で、御使いはマリアにイエス様の受胎を告知します。「どうして」と問うマリアに、御使いはこう言われました。「聖霊があなたに臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。」(ルカ1:35) この言葉が私を深く捉えました。私は本当に神様に全身覆われていると感じました。気が付いてみると、私はもはや孤独でも、不安でもありません。恐れもありません。まさに神様が常に私を覆って下さっているのです。私は以前の自分とは別人の如く、強くされていました。私は今、とてもハッピーです。悩みが無いわけではありません。すべての事柄がうまくいっているわけでもありません。でも神様が私を愛し、ご計画を持って、私を導き、強め、造り変えてくださっている、それで充分なのです。
「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア1:9)
私たちは大丈夫です。何があっても大丈夫です。神様の覆いがあるのです。神様の愛のゆえに感謝します。そして、神様の御名がもっともっとほめたたえられることを心から願い求めます。
月報2008年2月号より
